妄想で夏休み明けで
「あー重かった・・・。パシィー、これさ、教卓んとこに置いといてくれない?」
僕の机にドサッと置かれた夏休みの宿題ノートを指差しながら、青木香苗はそう言った。目の前にいる香苗を見上げて視線を交わしてしまうのが恥ずかしく、僕は思わず彼女のシュシュで結い上げて見えるうなじを見てしまった。照り映える汗粒が彼女を輝かせているようだ。ともあれ、職員室から教室まで運ぶ間にこの女子バスケ部主将はどうやって僕の協力を仰ごうかと得意ではない計算をして考えていたのだろう。そうでなければ、後ほんの数メートルの距離にある教卓まで三六人分のノートを運ぶ事は厭わないものだ。
「・・・どこ見てんの。お前に見つめられると汗が引くから、視線を外しなっ!!」
小気味良く鳴った平手打ちとつっけんどんな言い方はただの照れ隠しなどではなく、周りの視線が僕たちに集中していたのを察知したからに違いない。ほら、みんながくすくす笑いをしている。勘のいいやつなら気づいてしまうに違いないが、幸いにも香苗がそそくさと僕の席から去ったから騒ぎにはならなかった。夏休みの宿題を助けて欲しいと頼まれた吉岡芳司のノートが、香苗が持ってきた返却ノートで押しつぶされてくしゃくしゃになったが、ここは大目に見るしかない。新しいのを買ってまた1ページ目から模写すればいい。事を荒らげて他の女子が香苗にやきもちを妬き、また1学期みたいに僕の取り合いにでもなったら香苗のせっかくの気持ちがかわいそうだ。夏休み中に髪の毛を染めたのだろうか、ほんのり栗毛色が混じったポニーテールを見ながら僕はヒリヒリする右頬をあえて気にするそぶりを見せずに席を立った。
「あいつの席、入口近くにして正解だったよ。さすが水樹だね」
「・・・う、うん、そうだね・・・」
やばい。香苗が吉牟田水樹に話しかけている。水樹は2年6組の学級委員長で、僕とは小中高とずっと一緒だったいわゆる幼なじみだ。香苗め、夏休み開け早々の席替えの際、水樹が1学期学級委員長という権力を使って僕の隣の席を奪い取ったことへのあてつけか。水樹は黒髪長髪で、電車の中で優先席が空いていても決して座ろうとしない控えめな性格だから、行動で自分の気持ちを表現しようとする香苗みたいなタイプとは相容れないのだ。真っ先に僕の隣の席を選んだ水樹の心境に香苗が反応しない訳はないが、そこまで露骨に皮肉を言わなくても―
「あっ、半分持つよ」
きたー!だめだよ、水樹!僕の仕事を手伝ってポイントを稼ごうとしても、香苗が側にいるのなら火に油を注ぐようなものだよ。半分持つフリをして軽く手が当たったところとか、香苗だけじゃなくクラス中の女子が臍を噛んでるじゃないか。
「・・・嫌なら嫌って言った方がいいよ、パシ君」
聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で水樹が呟いたが、そんなこと言ったらクラスからまた囃し立てられてしまうだろ。そんな愚行を犯すほど僕は馬鹿じゃないよ。心のなかでそう返事をしながらも、水樹の大胆な好意には頭が上がらない。そして―
「お前!!俺のノートくしゃくしゃにすんじゃねえよ!!ってか、早く俺のやつやれや!!」
教卓にたどり着いた瞬間、芳司のヤキモチのベクトルが雑巾に具現化されて飛んできた。
それと同時に他の女子もまるめたプリントを投げつけてくる。
あーあ。もうこうなったら収拾が付かないよ。教室の四方からゴミや消しゴム、箒まで飛んできた。
これだから、クラスの人気者は辛いな。