Ep.8 『ノイズ塗れの/未来』
地上を目指して明人は扉の外へと踏み出した。
明人はいまだ足を踏み入れたこともない領域、地下の一本道を少しだけ迷った後に、外へと続く階段を昇り始めた。
そして数十秒。階段を昇った先のちいさな建物から、明人は初めて地上に出た。
「眩し……」
手をかざして空を見上げる。久々に見る太陽は眩しく、そして美しかった。
陽の光に目を慣らして数秒、辺りを見回した。
――話には聞いていたけど、寂れてるな。
初めて見た、異世界の景色。
初めて見た、知らない世界の風景。
それを見て感じるものは感動ではなく感傷に近いもののように思える。
崩れた石壁、ぼろぼろのレンガ造りの建物たち。街を囲っているのだろう、高く大きい壁。辺りは閑散としており、人通りはまばらだ。
視界の先、柱の上の赤い鳥を模したオブジェはひび割れている。その様子が、なんともいえない寂しさを醸し出していた。
「これが、異世界――俺の知らない、世界の景色」
街を歩く人たちに特徴的なのは、全員首輪をつけていることだ。フィーナやシルィアも着けていた、重苦しい鉛色の首輪。転生種を縛る楔、なんてフィーナは話していたか。ここにいる人たちは、みなが転生種なのだろう。
また別の特徴として歩く人は金髪の白人種が多かった。たまに黒髪や茶髪の黄色人種もいるが。
大体はフィーナから聞いた通りの街並みだった。
「っ――」
冷たい風が石造りの通りを吹き抜けて、木の葉を舞い上げる。
寒空の下で、明人は白い息を吐いた。
街の寂しさも相まって、余計に肌寒く感じる。
そしてふと我に返った。
――感傷に浸ってる場合じゃない
明人はそう自分に言い聞かせると、異変の大本を探すために街中を走り始めた。
**
明人の今の目的は二つ。
一つ目は異変の大本を探し出すこと。
何が起こっているのかは分からなかったが、少なくとも老婆は死亡しており、この現象が老婆だけで終わるとも思えない。異変の大本を探し出すことは急務だった。
二つ目はフィーナとシルィアにこの異変を知らせること。
この世界で現状信用していい人間は老婆を除けばフィーナとシルィアくらいだ。
少なくともこの二人には情報を伝えなければならない。
――フィーナとシルィアは、昼間は狩りで街の外にいると聞いている。
――であれば、自分が行くべき場所は。
**
しばらくして、明人は街の外壁の真下にいた。
明人は肩で息をしながら、なんとか立った状態で息を整える。
冷たい風が今は心地よく感じるほどに、明人は街を奔りぬけて壁の中と外を繋ぐ場所、門に辿り着いた。
明人がしばらく壁に手を当てて持たれていると、門番の一人が怪訝な顔で明人に話しかけてきた。
「『原生種』がこんなところに……? 一体何の用だ?」
そう明人に問いかけたのは、全身鎧を着た大男だ。金髪に淡い赤の瞳で、鋭い眼光が特徴的。人間にこういう表現を当てはめるのは適当ではないかもしれないが、ライオンのような人だと明人は感じた。
おそらくここの門番だろうと考えて、聞くことにした。
「街の外に出たくて」
「は? ダメに決まってるだろ」
「……?」
明人が首をかしげてると、大男は頭の裏をぽりとかいた。
「街の外なんて危険な獣ばかりで普通に殺されるぞ。そうじゃなくても外は寒すぎて凍死する。どの道死ぬから外には出せないって話だな」
「……っ」
その言葉を聞いた瞬間、あるはずのない光景が脳裏を過った。
*
見たことがないはずの光景。
辺り一面白銀色の吹雪の只中、明人は膝をついたまま雪に埋もれていく。
降り積もる雪と風に息をすることすら叶わず、明人は生命を奪われていく。そしていつしか、寒さが明人の身体のすべてを覆い尽くし──
*
雪に命を奪われる、あたかもそれを自分が経験したかのような錯覚に陥るほどリアルな感覚に一瞬息が止まる。胸元を掴んで息を荒げると、門番が心配そうな表情で明人の顔を覗き込んだ。
「おい兄ちゃん、大丈夫か?」
「っ、ぁあ、大丈夫」
今のはなんだったのか。
既に先ほどの感覚──寒さの記憶は消え去って、恐怖感もなくなった。
代わりに、既に何かとんでもない事態に巻き込まれているのではないかという不安感が心中に溢れ出す。
「そもそも、どうして外なんかに」
「それは……」
明人は門番の首元を見る。
彼の首には首輪がない。首輪のない人はおそらく現地人。
明人の事情を話すことは不利益に繋がりかねない。そもそも明人が地球から転移してきたなんてことがバレたら殺される。
ただ、明人はいまその前提を理解した上で、ここに来ている。
明人はポケットの中、スマホに手をかけて――最悪すぐに時間遡行を起動できる状態で門番に話した。
「フィーナっていう転生してきた人――『転生種』を探してて」
「……フィーナだと。ってことはお前さん、エリ婆が保護したやつか」
「俺の事、知ってるのか?」
「あぁ。一応な」
彼女たちのことを知っているのなら、ある意味では味方に近いかもしれない。明人はそうであることに一縷の望みをかけた。
「なら、フィーナに伝えてほしいんだ。エリアールが死んだって」
「……なに?」
瞬間、男の雰囲気が変わった。
身の毛がよだつほどの圧を感じて一歩後ずさるが、それ以上に門番が距離を詰めてくる。
「どういうことだ」
「わからない。ただ、目の前で口から血を流して死んだんだ。何か、この街で異変が起きてるんじゃないかと思って、それでフィーナに」
「それが本当なら、ろくでもないことが起きてる。嘘はついてないんだな?」
「はい」
明人と門番は数瞬の間見つめ合い、そして門番は目線を街の中心部――そこにそびえたつ白い建物に向けた。
「フィーナへの連絡は俺に任せろ。お前は婆さんの居室、地下に戻れ」
「えっと、俺にできることは」
「ねぇな。お前『役割』持ってないんだろ」
「いや、えっとロールって」
「まあいい。もう一度言う。地下に戻れ、それがお前の一番の安全だ。わかったな」
そういうと、門番の男はすぐに門の扉の方へと消えて行った。
明人は一瞬惚けた後に、どうするべきかを考えた。
フィーナへの連絡はこれで達成したといえるだろうか。しかし、
――まだ、終わってない
明人が取り出したスマホの画面には依然として多くのノイズが奔ったままだ。
さきほどより若干減ったかどうかといった程度。
解決はしていないのだろう。
――あの門番の言うとおり、一度戻るか?
老婆本人が死んでるのに、老婆の部屋が一番安全と言い切る門番も不思議だが――何か理由があるのだろうか。
殺人事件の現場に戻るやつが犯人だとか、興味本位で戻って殺されたとか、そういう創作物だと現場に戻って酷い目に遭うのは枚挙に暇のない事例はある。
明人はどうするべきか悩んだが、やはり一度地下へ戻ることにした。
フィーナへの連絡が出来た以上、まずは老婆の部屋の探索からだろうと考えて。最悪は時間遡行を使って過去へ逃走することも視野に入れて。
明人は元来た道を引き返した。
***
十分ほど歩いた頃だろうか。
すこし鈍い音が横の狭い路地から聞こえてきた。
そちらが気になって様子を見てみると、一人の中学生くらいの少女が小太りの男が殴られていた。首輪をつけた少女を男は何度も殴り、蹴りつけている。
「この、クソッ、手間取らせやがって」
「ごめ、ん、なさ」
「せっかく拾ったのに、売れやしねぇ!」
「ッ、ぅぁ」
「捨てれもしねぇ! クソがッ! 喋るんじゃねぇ!」
男は酷く苛立った様子で、ひたすらに少女を蹴り飛ばす。
明人はその様子を見て、咄嗟に手を伸ばしそうになった。
瞬間に、あるはずのない光景が脳裏を過った。
*
明人は磔にされていた。
その隣には、シルィアや首輪をした少女がいる。
眼下には敵意や恐怖の視線を向ける首輪をしていない人間たち。
明人達は純白の宗教着に身を包んだ人間たちに槍を心臓にあてがわれ、そして次の瞬間――
*
明人は瞬間に、胸元を掴んで激しく息を荒げた。
心臓が鼓動を止めたのかと思うほど痛む。
その状態で数秒して、すぐに幻痛は収まった。
人通りのほぼない通りで明人は静かに立ち上がる。
――今のは、一体
門番の時もそうだった。経験したはずのない、雪の中で凍死しかける記憶。あたかも自分が経験したかのような光景が、今回は磔にされて処刑される場面で再現された。
或いは、これは『有り得る未来』なのだろうか。
門の外に出れば凍死する未来、そして今、目の前で少女を蹴りを続ける男を止めようとすれば磔にされ処刑される未来。
明人はスマホを、ノイズが奔る画面を見て、握りしめて、そして少しだけ目を閉じた。
今はそれどころではない事態が起きている。今、目の前の少女を助けたところで何の意味もない。得られるものなどないどころか、マイナスかもしれない。
ただ、今この瞬間に、明人は何かを感じ取っていた。
「……何かが」
あの少女には何か、ある。
明人は、そう感じて一歩踏み出した。
「大丈夫か?」
明人は蹴りを入れる男を遮って、少女の身体を起こす。
少女は咳き込み、涙目になりながら頷いている。
そしてその様子を見ていた小太りの男は呆けた眼で明人を凝視した。
「起き上がれるか?」
「……はい」
「しょ、正気ですか? こ、こいつは『転生種』ですよ?」
男は我に返ったのか、明人を見て信じられないという目をしている。
口も半開きで、本当にあり得ないといった様子だ。
「流石に、そんなに蹴る必要はないだろ」
「い、いやいやいや、『転生種』ですよ? この地域で、それは」
「おうおうおう、なんだぁ? 珍しいことが起きてるじゃねぇか」
明人が入ってきた通りの方から、何人かの男達が入ってきた。
明らかにガラの悪そうな、首輪をしていない男達。
男達は少女を介抱する明人と、小太りの男を見てゲラゲラと笑いだす。
「なんだぁ? こりゃ、まさかまさか、『転生種』を助けてるとか、そういう状況かぁ⁉」「こんな汚ねぇゴミ、拾うやつがあるか?」「これ、通報すりゃ処刑台行きじゃねぇのぉ」
男たちは口々に、明人を嘲笑する。
少女の肩を持つ明人は、冷静を保とうとしているが内心はそれどころではなかった。処刑台という単語――さきほどの記憶と重なってくる。
心臓の鼓動が早まるのを感じて、どう対応するべきかの答えを脳が懸命に探し始める。ただ、状況はここで止まらなかった。
「んなところで何してるんだ、チンピラども」
ライオンのような雰囲気を持つ男、先ほど話をした門番が通りの方からこちらを見ていたのだ。存在しないはずの経験、処刑の記憶に向かって状況が走り始めている。
そんな最悪の予感を明人は感じ取っていた。
「ガレオさんじゃねーの。見てくれよ、この状況!」「こいつ、『転生種』を庇って助けようとしてるんだぜ?」「怪しい奴だよなぁ、あり得ない話だよなぁ」
小太りの男は面倒な状況になったという顔だが、男たちは楽しそうに口々に今の状況を門番に伝える。明人の顔を見て、さきほどの少年であることに気づいているだろう門番は、少し逡巡した後に、明人の方へと歩いてくる。
クスクスと不快な笑い方で道を開ける男達。
明人の震える左手を、何かが握りしめた。
「……あの」
首輪をした少女だ。
そしてその瞬間に、何かを感じた。
明人はポケットに入れて起動したままのスマホを取り出す。
この状況で、処刑されかねない状況下で、そんなことが些事に思えるほどの何か。
明人が取り出したスマホの画面は変わらずノイズが多く奔り続けており。
「それは?」
門番が問いかけた瞬間に、すべてのノイズが消え去る。
もはやノイズはなく、小説『WORLD BEYOND』が映されただけの画面だ。
その様子を明人は目を見開いて見守り、そして次の瞬間。
「――――ッ!!!!!」
さきほどの比じゃない量のノイズが奔り始め、もはや画面に何が映っているかすら分からなくなる。
ノイズまみれになった、スマホの画面。
ノイズ塗れの未来。
それが齎す不吉の予感は、もはや明人の想像できない域に達しており。
「なにか、なにかまずい! 全員、ここから逃げッ」
そして、そんな声を掻き消すように。
『声』が頭上から降り注いだ。
『コノ街ノ『原生種』及ビ『転生種』。全員舌ヲ噛ミチギッテ死ネ』
ガリっという音が路地裏に響き渡った。




