Ep.3 『わからない話と戦闘の基本』
仮の宿について、扉をぎいと開く。
出迎えたのは既に給仕服が様になっているリインだった。
「おかえりなさい、ご主人」
部屋の中を見渡せば、見違えるほどに綺麗になっていた。
彼女が長い間空き家だったこの宿の掃除を丁寧にしてくれたのだろう。そのせいか昨日は綺麗だった給仕服もところどころ汚れている。
「リイン、掃除ありがとうな。あとご主人はやめてくれると……」
「でも、そう呼ぶべきと言われました」
「誰にとは聞かないけど」
明人が部屋の奥に視線を向けると、金髪の少女が台所を拭き掃除していた。彼女はその手を止めて明人の方を向いた。
「お帰り、黒野君」
「ただいま、フィーナ。待たせちゃってごめん。それに掃除まで……申し訳ない」
「いいわよ。たまたま今日は早く帰ってこれたし、特にやることがなかったから手伝ってただけよ」
台所の掃除のほうは一区切りついたところだったのか、さっと片付けてリビングの椅子に座った。アキトも特に荷物もなかったので、そのままフィーナと向い合せの席に座る。先に話を切り出したのはフィーナのほうだった。
「それで、リインに呼び出されたときは驚いたけど一体どんな用事が?」
「この子――リインについてな」
昨日はガレオもいて話せなかった、リインの特殊性――時間を超えて記憶を保持していることについて。
*
「そんなこと――ありえないとは、言い切れないわね。」
あせあせと家事をこなすリインの後ろ姿を、複雑そうな表情で見るフィーナ。
リインに関する謎――明人が起こすループの記憶をリインは過去のもの含めて完璧に保持しているらしい。
「私もおぼろげだけど、消えたはずの過去を憶えてはいるもの」
「そういえば一昨日にそんなことを言ってたな」
「ただ、仕組みはまったくわからないし、リインのことも正直分からないのが本音ね」
話しているうちに、リインが戻ってきた。
掃除がひと段落したようだ。
「フィーナさん、お待たせしました。お話を伺います」
「リイン、あなたの事は黒野君から話の大筋を聞いたわ。大方、『転生種』の子供を産んでしまった『原生種』が捨てたんでしょうけど――貴方はいままでどうやって」
その疑問には、明人が答えた。
リインは、少し寂しそうな表情をしている。
「それが、な。フィーナ」
「はい…… その、何も無くて」
「ない?」
「長い時間、ずっとずっと暗い場所に閉じ込められていました。出られたのは、半年ほど前の事です。それから森を彷徨っていて、偶然出た街道であの男に首輪を嵌められて奴隷にされました。そしてあの男に連れられてこの国の各地を転々としていたのです」
「……前世の記憶は、ある?」
「はい」
「出身は?」
「台湾です」
「そっち方面ね。いえ、じゃああなたは、地球で死んでからこの世界で開放されるまで、十数年どこかで閉じ込められていたというの?」
「はい。ずっと、なにもない暗い場所でした」
「よく、正気でいられたわね」
リインの特殊性は、きっとこの謎に起因している。
正確な年齢は分からないが、見た目としては精々が十三、十四程度。
半年前に解放されるまでの十数年間をどこかに閉じ込められて生きてきたのだ。
「黒野君、その、リインを奴隷にしていた男は?」
「一応俺も行方は追ったんだけどな。ガレオに聞いたら、リインを手放してすぐにこの街を出ていったらしい。手放せて相当嬉しかったんだろうな。そのせいでリインがどこに閉じ込められていたのかとか、分からず仕舞いだ」
「なかなか、上手くはいかないわね」
フィーナは頬に手を当てて、考え込む様に下を向いた。
明人自身、リインの謎についてはもう少し追いかけていきたいとは思っている。ただ、いまはそれ以上に大事なことがあった。
「というわけで、リインの謎については追々調べていくとして。今日はフィーナに一つ頼みたいこともあったんだ」
「ん、なにかしら?」
「フィーナにその、戦い方ってのを教えて欲しい」
**
一時間後。
明人は『転生種』の訓練場を訪れていた。
フィーナに戦闘に関する指南をしてもらうためだ。
それのついでに、訓練場を営む二十代のおばあちゃんこと――レアデにも自分が地球から転移してきた人間であることを話した。
今回も前のループと変わらず、胡散臭そうな眼で見られたがひとまずは信じてもらえた。
「地球からの転移者――転生者ってわけじゃあないのかい」
「いや、まあレー婆さん視点だと分からないかもだけど……」
「誰がレー婆じゃ。ちゃんとレアデさんと呼びな!」
「は、はいッ」
なぜかレアデさんを前にするとレー婆と呼びたくなる。
若い容姿でありながら年老いた雰囲気が確かにあるからだろう。
彼女はこめかみに手を当てて、頭痛をおさえる様に顔を歪めた。そういう仕草一つ一つが、なぜかおばあちゃんぽさを感じさせるのだから不思議なものだ。
「まあ、ここに”入ってこられる”時点で悪い奴じゃないのは分かる。地球からの転移なんてのは到底信じられないが――訓練がしたいっていうならいいさ。好きに使いな。余っている訓練場ならいくらでも使ってくれていい」
「ありがとうございます」
「――許可ももらったし、行きましょうか」
明人、そして一緒についてきたリインはフィーナに連れられるまま、地下へと降りていく。その途中で、ふと、後ろを振り返った。
カウンターに座るレアデは、どこか遠くを見る様に天井を見上げていた。
その様子が少し印象的で、数瞬だけそれを見た後に、フィーナに呼ばれて階段を駆け下りていった。
**
「さて、じゃあ黒野君に少し――対人戦闘の手ほどきをしましょうか」
フィーナは剣を地面に置き、素手で構えた。
対する明人は、名も知らぬ『転生種』から貰ったナイフを右手に構えている。
「その、大丈夫なのか? 木で出来たナイフとかで――」
「大丈夫よ。怪我してもレー婆のポーションがあれば大抵はすぐ直るし、最悪死んでも私達『転生種』は生き返るわ」
「……そう、だけど」
明人は少しだけ目を伏せる。
その在り方は、少しだけ好きじゃなかった。
自らの命を軽く扱っているようで。
「それに、黒野君じゃ私に触れることもできないよ」
「確かに、それはそうかも」
聞いた限りでは、『転生種』は外の危険な動物などを狩るのが主な仕事だ。
それを十年以上行っているフィーナに勝てる道理は、やはりないのだろう。
「じゃあ…… 行きます」
「はい。いつでもどうぞ」
「――≪スライス≫」
一気に距離を詰めて、最短で首筋を狙う。
地球では人類の頂点とも言える身体能力なのだが、この世界では弱者のそれでしかないらしい。フィーナの前では、特に。
「……そんな漫画みたいな掴み方、初めて見た」
「これは別に力の差だけの話じゃないわ。そもそもの戦闘技術の問題よ」
明人が全力で振りぬいたナイフは、フィーナの人差し指と中指に挟まれてビクとも動かなくなっていた。力の限り引き抜こうとしても、石のように重く動く気配がない。
「ナイフっていうのはね、そんな大振りでは使わないものよ」
フィーナはいつのまにか、ゴムのような素材で出来たナイフを取り出していた。
「ちょ、フィーナ」
「ナイフを使うときは、出来るだけ小振りで何度も」
危機感から距離を取ろうとした、その隙にフィーナは既に懐へ潜り込んでいた。そのまま何度かナイフを振るい、皮膚とゴムの間に発生する摩擦熱に明人は思わず声を上げてしまう。
「あっつ!」
「どれだけ漫画のような身体能力を得たところで、使い方を誤ると技術を持つ相手には負けてしまう」
明人は迎撃しようと、今度はナイフを小振りで振るうがフィーナにはかすりもしない。フィーナは長い金髪を揺らすことすらなく、ナイフをすんでのところで回避していく。
最小限の動きでナイフの軌道を避けているのだ。
「大事なのは速度と、軌道や動作を相手に読ませない事」
慌てて距離を取ろうとしたら、フィーナがいつの間にか再度懐に潜り込んでいた。
そのまま手首を掴まれ、そのまま足を払われ地面に押し付けられる。
「――ッ」
「動揺しても相手の動きは注視し続ける、急所を狙われれば即死は免れないわ」
明人はナイフを取り落し、目を閉じて静かに言った。
「降参だ」
「はい。人と戦うっていうのは、一筋縄ではいかないってわかったでしょう?」
「身に染みるよ、ほんとに」
<主転使>との一戦。
あれも振り返れば、初手の大振りはナイフの軌道を容易に読ませてしまうものだった。その後の投擲で王の態勢を崩せたのは、相手の予想を越える技を出せたからだ。
今回のフィーナとの一戦は、確かに戦闘に必要な最低限の要素を身体で教えてくれたようなものだった。
「強いな、本当に」
フィーナに解放された明人は、ぐるんと肩を回す。
割と強引に体を動かしたが、負担は驚くほどに少ない。
やはりこの世界の役割や、それに付随する身体能力の強化は自分の予想をはるかに超えているのだろう。
「リインも、ついでに手合わせしておきましょうか」
「わかりました。でも、私は」
「あなたは『転生種』――力をつけておくのは、悪いことではないわ」
明人が部屋の後方に下がったのを見て、フィーナとリインが対峙する。
最初に動いたのは――リインだった、ように思えた。
明人は、リインの動きを目で追うことが出来なかったのだ。役割によって身体能力が上がっているにも関わらず、だ。
「ッ――」
一瞬で懐に潜り込んだリインに動揺したフィーナは、即座に態勢を立て直して一歩踏み込んだ。そこからの攻防もまた、目では追えなかった。
ただ、結果として――フィーナに組み伏せられるリインがそこにいた。
「あなた、つい半年前まで閉じ込められていたんじゃ……」
「私が暗闇から抜け出して、この世界が『全人類転生世界』だと知ったその時には――既にこの身体能力でした」
「……本当に、意味が分からないわね」
フィーナが退くと、リインが立ち上がった。
「でも、そうね。確かに、戦闘の技術に関してはないみたい。本当に、膂力だけが圧倒的といった感じね」
「リインはそんなに強かったのか」
「黒野君に分かりやすい表現だと――膂力だけなら私より遥かに上ね」
「相当だな」
三人して首を傾げる。
一体どうして、閉じ込められ続けたリインがそれほどの膂力を持つのか。
そもそも過去のループを記憶していられる時点でおかしい。
彼女については、分からないことだらけだった。
「――考えても仕方ないことはあるわね。それよりも、二回目行くわよ、黒野君」
「え、まだやるの?」
――地面に押し付けられた時、あれ、平然を装っていたけれど、実はめちゃくちゃ痛かったんだけど。いや、もうホントにやりたくないって思うくらいには本当に痛かったんだけども。
え、マジ、本当に二回目やるつもりなの?
「今日は二十セットくらいね。黒野君の場合、何に巻き込まれるか分かったものじゃないし、強くなるのは良いことだわ」
「え、は、まっ、それ、まじ?」
――あれを二十回も。
いや、実際これは対人戦闘訓練なのだから、それくらいの厳しさは当然と言えば当然だけど、にしたって
「じゃあ、そこに構えてね?」
「は、はい」
絶対勝てない相手に身体を張った指導をされる。
いままで、こんなに厳しい訓練などしたことはない。せいぜいで体育の授業程度だった明人にはかなり荷が重い訓練だ。
だが、強くならなければいけないのも重々承知している。
特に身体能力だけ上がっただけで技術はない状態。技術を磨くことは急務ではあったが──
「次、いつでもどうぞ」
「……っく、行きますぅ」
明人はげんなりした表情を隠せないまま、そう言って小振りの横薙ぎから入っていくのだった。




