Ep.11 『鎧男の過去と』
ずっと、地下道で蹲っていた。
光は薄く、水がぽたりと頬に垂れてくる。そのまま落ちてくる水滴を避けることもなく、或いは動くことができずにいる。
それは心が縛られているから。
明人はただ、すべての結果を突きつけられた。
フィーナが消えるということ。
木幡陽波を助けないということ。
そして、それに巻き込まれた親友たちの最期。
あの破滅的な失敗は明人の心を縛り、或いは動くことを許さない。
究極的にはどれを選んでもどちらかの破滅を見ることになる。そして最悪なのは明人がそれら全てを同時に引き起こしてしまったこと。
あまりにも罪深いそれが頭のなかで永遠と繰り返される。全てが脳裏に反芻され続ける。
言い訳もできない、自分の愚かさから目を背けることも出来ない。
叫びが、悲鳴が、慟哭が反芻され続ける。
「ぅ」
思考がぐるぐると渦を巻いて、回答のない問いばかりで頭が埋め尽くされる。
あの時どうしてうまくやらなかったのか。
あの時どうして気づかなかったのか。
あの時どうして助けようなどと決めてしまったのか。
あの時どうしてすぐ決断できなかったのか。
あの時どうして
あの時どうして
あの時どうして─────
動かずにいる。動けずにいる。
そんな明人の前に、影が落ちた。
「お前は、まだこんなとこにいたのか……」
見上げると、そこには腰に手を当てて心配そうに覗き込む偉丈夫、ガレオがいた。
彼はどうしたもんかと頭の後ろをぽりと掻きながら、数瞬の迷いの後に手を伸ばしてきた。
「んなところで座り込んでるとこの時期だ、風邪ひいちまう。最悪死にかねん。まずは暖かいところに行こう、な」
そういって引っ張られるが、心が付いていかない。動きの鈍い明人を見かねたのだろう。ガレオは、しびれを切らして動かない少年の身体を持ち上げた。
そのまま肩に担ぐ。
「ま、俺ん家も近けぇしそんな大変でもないからな。ちっと我慢してくれ」
明人はなにも反応を起こすことすらできず、流されるまま衛兵であり門番でもあるガレオの家へと連れていかれた。
*
「あんまいいもんじゃねぇが食ってくれや」
目の前に暖かいスープが置かれる。
呆然とそれを見ていると、ガレオはスプーンをもって暖かいスープを口に突っ込んできた。同時に、暖かい滑らかなスープの味が口に広がる。冷え切った身体に、小さな明かりが灯るような感覚
「……」
明人はスプーンを握ると、無心になってそれを飲む。
気が付けば中身は空になっていた。
「いい食いっぷりじゃねぇの。どうだ、おいしかったか?」
「……はい」
「んだよ、しけた顔はなおらねぇのな。別に、お前があの『転生種』を殺したってわけでもないのに」
その一言が、明人の中のなにかに突き刺さった。
深く、深く突き刺さって、抜けない刺となる。
それが内で膨れた何かを、少し零させた。
「俺のせいだ。俺が殺したような、ものだ。俺が中途半端だったから、皆傷つけて」
「まあまあ、そんな思いつめるなって。あの『転生種』が誰だか知らないが、俺達『原生種』とは関係ないだろ?」
「――っ、ぅ」
前回のループでも、目の前の男はフィーナを知っている様子だった。
それが、今は知らない『転生種』と呼んでいる。
フィーナの存在は確かに、消えていっているのだ。
その事実に、明人は言葉を詰まらせる。
「それにいくら『転生種』が死んだって、どんな死に方をしたってあいつらは生き返る。あの悪魔共がどれだけ死んだって、どれだけ傷つけたって『原生種』が気にするこたぁねぇんだ」
そんなことを言いながら、ガレオは椅子にどかっと座った。その言葉で思い出すのはフィーナが焼け死ぬ瞬間の光景だ。あれが、どれだけ繰り返されても気にすることはない。
その一言に、明人の頭の中の何かがぶちっと千切れた。
「同じ人間なのに、なんでそんな扱いができるんだ」
門番で、街の衛兵でもある男にぶつけていい話題ではない。
しかし今はそんなブレーキを踏む力もなく。
「……悪魔はどっちだよ。『転生種』を一括りにして奴隷にして、傷ついても死んでもお構いなしってか。フィーナも、それ以外の誰かも、簡単に焼き殺されていい道理なんて何一つねぇだろうに」
『転生種』を庇うような発言は処刑対象となるのだろうか。
もはや自暴自棄になった明人は不快そうな顔を隠すことなく言い放った。
「全部全部、何もかも間違えだらけだ。クソ、でも一番間違えてるのは――」
間違いなく自分だった。
中途半端に助けようとして、何もかも失敗して。
明人は半ば八つ当たりであることを自覚しながらも、口を閉ざす。
この後どういう展開になるかは分からない。だが、少なくとも牢屋行きにはなるだろうとポケットに手を伸ばす。
「この街で、この国でその考えは悪徳だ。そして重罪でもある。『転生種』の肩を持つ奴は不穏分子として処刑台行きだ。訂正するなら、聞かなかったことにしてやる」
「――それは、でも、それでも。簡単に傷つけていい理由にはならねぇ」
ぎりと、明人は自分の拳を握りしめながら。
脳裏に浮かぶ傷ついていく友人達や、木幡陽波の様子に歯を食いしばりながら。結局言葉の全てが自分に帰ってきていることを自覚しながら。
ひねり出すように、そう呟いた。
「そう、か」
それを聞いたガレオは、目を丸くした後に諦めた様子で肩をすくめた。
そして紅茶のカップをことりと置く。
「ま、お前くらいの年頃だと誰かに当たり散らしたいこともあるんだろうさ」
そして深く考え込む様に、天を仰いだ。
どこから取り出したかもわからない、指輪を空に掲げて眺める。数秒して、その瞳が明人を捉えたとき、明人はガレオの感情を読み取れなかった。あるいは、読み取るには複雑すぎたのだろうか。
「いい」
「は?」
「いいぜ、ここでは何を言っても不問にしてやる。話を聞かせろ」
ガレオがそんなことを言い始めて、明人は困惑する。
いかつい顔をくしゃっと歪めながら、ガレオは笑った。
「どう、いう?」
「お兄さんが話を聞いてやる、って言ってんだよ」
「……おじさんの間違いだろ」
「言うじゃねぇの」
ガレオは立ち上がると、台所の隅から瓶を一つ持ってきた。
それをあけると、空になった紅茶の陶器にそのまま入れる。同時に、明人の空になったスープの皿になみなみと緋色の液体を注いだ。
その匂いは、独特の刺激臭を放っていた。
「酒、か」
「あぁ。もう飲める年だろ?」
「まだ、16歳」
「いけんじゃねぇか。おら、飲み干せ」
この場合、日本の法律は適用されるのだろうか。
まあ異世界だから関係ないだろう。それに、情けない、動けない、どうしようもない自分自身にむしゃくしゃしていたから。
明人は緋色の液体を一気に飲み干した。
瞬間に、むせる。
腹の奥底に溜まるような、灼熱の感覚に顔も熱くなる。
「いいじゃねぇの! 俺も飲むかァ!」
ガレオはそれを飲み干すと、大きな息を吐いた。
「それで? 話してみる気にはならねぇか?」
逡巡、躊躇い、それらが過った。
どのみち全ては話せない。
だが、それでも。
明人はぽつぽつと、話した。
「……詳しくは、言えない。ただ、何を選んでも間違ってる事を、中途半端にしたら」
明人は息を一瞬止めて、飲み込む。自らが引き起こした惨状が脳裏を過ぎる。
目を伏せて、明人は言葉を続けた。
「全部間違えて、全部傷つけた。たぶん、そんな感じ」
それを聞いて顎を撫でた男は、宙を見て呟いた。
「そんな感じ、ねぇ」
そして男は明人へ視線をもどす、
「なら、まあちっとばかし聞いてくれや。とある男の、馬鹿な失敗談を」
***
とある国、とある街。
そこに結ばれたばかりの幸せな夫婦がいた。
ティリス教の祝福の下に、二人は多くの人から慕われて生活していた。
とある日、夫婦は双子を授かる。
しかし、その子供はティリスが忌み嫌う『転生した赤子』だった。
そこから夫婦の生活は一変した。
敬虔なティリスの信徒だった妻は心の体調を崩してしまう。動けない妻を看病しながら必死に子育てをしていた夫だったが、そこに更なる不幸が襲った。
『転生種』に、妻が殺されてしまったのだ。
『転生種』に街が襲われた日。
心の体調を崩したせいで逃げ遅れた妻が、無残にも殺されてしまったのだ。
男は行き場のない憎しみから『転生した子供達』──自分の子供達を傷つけて、手放してしまった。
妻を殺した同族を、手元に置いておけないと。
妻の忘れ形見を手放して、一日、一ヶ月、一年。月日が経つにつれて、男の背には子供を手放した後悔の重みがのしかかった。
せめて二人は育てきれたらと。
どうしてあの時手放してしまったのかと。
重くなり続ける後悔を、男は誰かに懺悔することもできずにただ、ただ、苦しみ続けた。
いまもまだ、夢を見る。
子供と妻が元気に生きている姿を。
そしてすべて取り落としたことを今もまだ、苦しみ続けている。
***
ガレオは注いだ酒を飲み干した。
対する明人は、何一つ声をかけられずに黙りこくってしまった。
とある夫婦の、破綻してしまった物語。
ガレオの悲しげな眼はきっと──
「元々、この街ァ、『転生種』への偏見が酷かった。俺もそういう側だったしな。ティリス教には、原典の一文に、『其の行い、来世の位に成る』なんてものがある。『前世において、世界が崩壊するような罰を受けた連中がまともな行いなどできたはずがない。転じて、今世では穢れた魂であり悪魔の生まれ変わり』なんて解釈がティリス教内での主流派なんだ」
獅子のような雰囲気の男は、嘲るように笑う。
「笑えるくらい、ひっでぇこじつけだよな。笑えないのは、信徒のほとんどが生まれた時からそれを信じてるってとこだが」
「宗教から、生まれから、根深いな」
「あぁ。だがそれは男の間違えた理由にも、後悔をしない理由にもならねぇ」
ガレオはグラスをぎりと握りながら、今度は酒の瓶を持ち上げてそれごと飲み干した。そしてバンと大きな音を立てて瓶を机に打ちつける。
「それはきっと、男が生涯背負い続ける苦しみで、後悔だ。消えることも一生涯、ないだろうさ」
明人はそれを聞いて、目を閉じる。
ガレオがどうしようもない後悔をしているのはわかった。
だからこそ、一つ気になることがあった。
矛盾しているといってもいいことだ。
「じゃあ、その子はなんなんだよ」
この家に来てから、いつのまにかガレオの傍に寄り立っていた少女。
シルィアと同じ年ごろと思しき見た目。
首に重い首輪を着けたその様子は、間違いなく『転生種』だ。
男の嫁を殺した『転生種』と同族の少女がなぜこの場に――ガレオの家にいるのか。
「こいつはディー、俺の世話してる『転生種』だ」
ガレオの視線を受けたその少女は、一礼して部屋の奥へと消えて行った。
「なんで、そんなこと…… いや、そういう感じか」
「んだよ、変に察するな」
だが、明人の推測が間違いというわけでもないのだろう。
子供達を取りこぼしたからこそ、転生種の少女――ディーを育てているのだ。ある種、代償行為の一環として。
或いは、その範疇は子供達だけでなく、今は亡き――
「……クソ、酒が足りねぇのか。嫌な、どうしても消したくない記憶ばっかり思い出しちまう」
「矛盾、してるよな」
それは明人であれば、”フィーナを選ぶ事”と”木幡陽波を掬う事”であり。
「あぁ、思い出す。子供達の笑顔が苦しくて痛くて愛しい。『嫁』の顔が忘れたくて忘れたくなくてしょうがないんだ。全部、全部矛盾してるぜ、ホントクソッたれが」
それはガレオであれば子供達と『嫁』の記憶であり。
明人はもう、考えることすらやめてしまいたかった。
「こんな話して、何が言いたかったんだよ」
もう、こんな話はこりごりだと思う。
救えない話ばっかりだ。
どうしようもないことばかりの世界で、こんな話きいてどうしろというのか。
そんな考えが頭の中でぐるぐると渦巻き、しばらく後、ガレオがゆっくりと口を開いた。
「さっきのとある夫婦の話には、一つだけ補足しないといけないことがあるんだよ。それは、男が自ら子供達を手放したわけじゃないってことだ」
「……それは、一体」
「育てられない『転生種』の子供は、強制的に首都へ徴収される。嫁を殺されて、蹲ってた俺は気が付いたら子供を取りこぼしてたんだ」
明人は話の意図がつかめずに困惑する。
どういう意味なのだろうと話の続きを待つ。
「最初から子供を手放していれば、妻は元気になって生きていたかもしれない。子供を育てる決意が固ければ子供を手放さずに済んだかもしれない。中途半端に選ばなかったから、|どちらも取りこぼしたんだ《・・・・・・・・・・・・》」
「ッ、それは」
「中途半端だったから全部間違えて、全部傷つけたんだ。お前はあの時の俺と同じなんだよ。お前のその顔は、毎朝鏡で見た表情によく似てる。後悔と自責に駆られた奴の顔だ」
明人は言葉に詰まり、しかしガレオは続ける。
「だけど、違うとも思ってる。違うと信じたい。お前は、お前のその後悔はもうどうしようもないのか? 俺みたいに、もうなにもかも、全部間に合わないのか?」
ぼうっとした頭に、がつんと殴られたような衝撃を覚える。
「そうやって、小さく蹲ってた若い俺はな、なんにもできなかった。嫁を取り落として、子供も取り落として、愛する全てを取り落とした。選ばなかったから、中途半端だったから全てを失った。だがな、お前はまだ選べる。まだ間に合う、そうじゃないのか?」
その言葉は、懇願に近かった。
「ナァ、教えてくれ。お前は、まだ選ばねぇのか?」
明人は言葉を発せない。
思考すらも停止させられた。
もはや返す言葉は一つしかない。ないのに、それを言うことができずにいる。
「それとも、もう、間に合わねぇのか?」
諭すような、或いは懇願するようなガレオの口調。
彼は答えを待っている。その視線をそらさず、まっすぐに見つめている。明人は詰まる息を長く、長く吐き出した。
そして長い長い空白のあと。
呟いた。
「いくらでも、何度でも、間に合う」
それは、あらゆる意味を含んだ言葉だった。
目の前の男がすべてを知る由はないが、それでも何かを悟ったのだろう。
明人の頭に手を置いてがしがしと無造作に撫でまわした。
「んなら、やるしかねぇよな?」
「間違ってない、のかな」
「んなもん、やるんだよ。間違ってるかどうかは関係ねぇんだ」
「そう、なのかな」
間違っていても、どうであっても。
選ばないことだけは、後悔するぞと。ガレオはそう伝えたかったのだ。
「そう、だよな」
何かが少しだけ変わった気がする。ガレオの言葉に、心と身体の歯車を少しだけ動かされた気がする。そんな明人の顔を見て、ガレオは笑顔で頷いた。
「さっきよりはマシな顔つきになったんじゃねーの?」
そういってガレオは背中をバンと叩いてきた。
途端に吐き気を催す。それを必死に耐えながら、ガレオの方を向いた。
「教えてくれ」
「なんだ」
「なんで、よそ者でしかない俺を、見ず知らずの俺を助けようだなんて思ったんだ。それに、こんな話まで」
それに対するガレオの答えは。
「シケた面が、昔の俺にそっくりだったんだよ。だから放っておけなかった。それと」
──『転生種』のために炎の中に飛び込む明人の姿を。
──いつかのとき、失意の中で『子供達』の手を取れなかった自分と比したからこそ。
「……それと?」
「いや、なんでもねぇさ」
ガレオは奥にあるベッドの方へと歩き、倒れ込んだ。
「あ~あ、きもちわりぃ。俺は寝る。お前は、どうすんだ」
「出てくよ。やんなきゃいけないことがあるからな。あと一つだけ、中央はこの時間あいてるのか?」
「ロールストーンは使えるぜ。今日は『転生種』用に開放されてる」
「こんな夜更けでもか…… 助かった。ありがとな、ガレオ」
「おうよ、って、……ん? 俺、お前に名乗ったっけか?」
「酔って忘れてたんだろ、俺は明人だ。改めて、ありがとな」
「そうか。頑張れよ、アキト」
明人は立ち上がると扉の方へと歩き出す。
扉に手をかけ、それを押す。
家の外へ足を踏み出す時、明人は一言だけ呟いた。
それが聞こえたのか、わからないが。
ガレオは腕を上げて振っていた。




