Ep.1 『はじまりの小説(前編)』
目をこすり、身体を起こす。
部屋の空気には夜の冷たさが残り、無意識に布団を引いて纏う。
うすぼんやりした瞳で窓の外を見れば、空は薄明であり夜明け間近な色合いだ。
いまだ醒めきらない思考の中で、手元のスマートフォンの画面を見ると、2月25日の時刻6時15分。あと十五分ほどは寝ていられるような時間だ。
いつもなら『あと三十分~』などと頭から布団を被って目を閉じるところだが――今日はベッドを出て、スマホを片手に窓の方へと歩いた。
窓を開いてみれば、冬の刺すような冷気が肺に満ちて眠気を吹き飛ばされる。
こんな時間でも鳥が既に羽ばたいている様を見ながら、身体をぐっと伸ばした。そうして長く、長く息を吐く。
「新しい、朝。ようやく来たなぁ」
少年――明人は自室の中で一人、そう呟いた。
万感の思いがこもったその呟きと共に、ふっと笑みがこぼれる。
流石に寒くなってきたので窓を閉じようとした、その時に後ろからちいさな物音が聞こえた。
薄く開いた扉から誰かが覗き見ている。
「――ぷっ」
覗き見ていた人物は、扉を閉めると――そのまま大爆笑を始めた。
母親の、『いま何時だと思って』なんて声が聞こえるのと同時に、『だって、兄ちゃんが『新しい朝、ようやく来たなぁ、フッ』って! 『フッ!』だって! アハハハハ』と宣う弟の声、もとい大爆笑が聞こえてくる。
少年は顔を手で覆って、紅潮した頬でため息を吐いた。
せっかくの感動的な朝が台無しである。
明人は頬をパンと叩き、弟の部屋へと突撃することに決めた。
「おいこらァ、エイジ!!!」
感動的な朝を台無しにした上に、兄を厨二病呼ばわりする弟に鉄拳制裁を加えねばならぬと固い決意をもって、明人は部屋の外へと出るのだった。
*
道中で布団に放られたスマホの画面には、ブラウザのブックマーク欄と共にとあるポップアップが映っていた。
――WEB小説『WORLD BEYOND』……を『ブックマーク』から削除しました
***
◆2031/2/25 12:13 <教室>
「ていうことが朝にあってさぁ」
「……ブッ」
「汚ね」
前の席に座る親友と昼ご飯を食べながら、明人は味噌カツおにぎりを一口食べる。
更に二口、三口と食べて一つ目を完食する。
おいしいなぁなんて考えながら二つ目を取り出した。
「なぁ、悠生ならわかるだろ? 今日くらいは朝の謎テンションも許されると思うんだ」
「わかる、わかってはいるけど面白すぎだよ」
「人の苦労もしらずにさぁ〜」
「いやいや、まあ昨日『一年お疲れ様会』したとこだしね。ねぎらいは充分したんじゃない」
「あれはありがとうだけど」
そんな話をしながら、目の前の親友はぱくぱくとチョコチップメロンパンを頬張っている。男子とは思えない華奢な体格に、女子と間違えそうなほどかわいらしい顔をしているが、毎日昼食でチョコチップメロンパン食ってるからこうなるのだろうかと疑問に思ってしまう。
ただ、こんなのでも彼女はいるのだから不思議なものだ。
「――悠生、なんか面白そうじゃん、何の話してたん」
話しかけてきたのは隣の席の船橋だ。
「いや、聞いてよ。明人がさぁ」
「あ、こら! お前!」
明人の静止も聞かずに悠生が朝のことを話してしまう。
それを聞いた船橋は若干引いた感じで明人を見ていた。
「なに、明人ってそういうキャラだったん?」
「誤解なんです……」
「新しい朝だ、フッ」
「おまえ、ころす」
マネを始めた悠生とすわ取っ組み合いか、というところで明人はスマホの画面を見た。
そして――急いでそれを取った。
「ごめ、ちょっと連絡来てたわ」
「おっけー」
船橋は椅子を回して一緒に昼飯を食べていた友人たちのほうへと戻り、悠生は珍しそうな目で明人を見た。そのままチョコチップメロンパンを一口食べる。
「どしたの、急に?」
「――」
明人のスマホの画面には――ついさきほど来たメールが表示されている。
一瞬前までのふざけた雰囲気はなく、或いは深刻とも言えるような表情で明人はスマホの画面を操作していた。
緊張で少しだけ指が滑るような、震えるような、そんな状況で明人はとあるwebサイトを表示した。
有名なweb小説のサイト。
そして、その中で全く有名でも何でもない、未完のまま一章だけで放置されていた小説を開いた。
そして、喉から水分が消えたような、そんな錯覚を覚えるほどの衝撃を受ける。
明人は掠れた声で、目の前の親友に伝えた。
「今、メール来て……、あれが」
「?」
机に置いたスマホを触っている悠生が、はてと首をかしげる。
明人は今起きたことを、震える声音でありのまま告げた。
「今、あの小説が――『WORLD BEYOND』が、更新されたって」
ぱくぱく、と。
もぐもぐ、と。
窓際の太陽光の反射で眩しいスマホの画面から目を逸らし、悠生はメロンパンを口にくわえたまま明人の方を向いた。そして目を徐々に見開いて──
「……はぁぁぁああ⁉」
*
食べかけの昼食を胃袋に詰め込んだ後、明人と悠生はそそくさと教室を出る。そして待ち合わせの場所――教師棟の最上階でもう一人の友人と合流した。
「遅い、二人とも!」
「京香が来るの速すぎるんだろ、忍者かよ」
「ごめんね、京香〜」
合流したのは明人の腐れ縁であり、悠生の彼女でもある少女、三浦京香。
綺麗な黒髪を長く伸ばしており、色白の肌に丁寧に剃られた眉、一般的に言えばかなり整った見た目をしている。生真面目で社交性のありそうな雰囲気だが──実際の中身は重度の人見知りで陰キャだ。
前述の通り悠生の彼女ではあるが、悠生が中性的な顔立ちをしているので見ようによっては女性同士のカップルにも見える、そんな二人組だ。
「てか、とりあえず俺の目の前でしっとり指を絡め合うのやめてくんない? 普通に気まずいんだけど」
合流直後から、いちゃつき始めた二人。
にぎにぎ、にぎにぎにぎ、にぎにぎにぎにぎと永遠と指を絡め合っている。
何だこいつらと、明人が半目で睨むと──
「ごめんごめん」
「とりあえず話を聞くわ」
そういいながらも目の前のバカップル二人は繋いだ手を放す気が無いようなので、明人はため息を吐いてから話を続けた。
「……まあいいや。ひとまず報告。例のweb小説が更新された」
「昨日『お疲れ様会』したばっかりなのに、急な話ね」
「このタイミング――あの『web小説』が公開されてから丁度一年ってことだよね。明人は時間遡行関係で変わったこととかある?」
「すぐにはなかなか思いつかないけど」
明人は頷いて、自分のスマホを取り出した。
寒い廊下で少し手を握り、開きながら操作する。
そうして画面に映したのは、小説――『WORLD BEYOND』だ。それを見てふと、明人は思い出すことがあった。
「そういや、あんま重要じゃないけど話してないこともあったな」
それは、一年前のこと。
***
一年前――2030年2月24日。
ベッドの上でくつろいでいた明人は、唐突に態勢を崩した。
「ぶわっ、痛っ」
明人はベッドの上で寝転がりながら転んだ。
そのついでにスマホを顔の上に落として、鼻を痛めた。
涙目になりながら、明人は今起きた事象に驚愕していた。
「……まじかよ、ほんとにタイムリープしてるじゃん」
明人はスマホを手に取ると、今さっき送られてきたメールからとあるweb小説――『WORLD BEYOND』を開いた。その画面を遠くから見たり、近くから見たり、或いはぽんぽんと投げたりしながら観察する。
「ほんとに、この小説がタイムリープ起こしてるんだよな……?」
明人は時間遡行を引き起こしている、らしいweb小説をじっと見た。
そして無意味に指を振りながら、うーんと唸った。
「まじで?」
タイムリープをしたのは、これで二回目。
説明するとおかしな話に聞こえてくるが、二日後にこの能力を使用して混乱していたところで、十分後に使用して再度混乱しているところだ。
ちなみに今のところタイムリープする度にベッドの中で転んで、スマホを顔に落としている。
タイムリープ直後は平衡感覚がバグるのか、時間遡行した瞬間に確定で転ぶらしい。スマホをもって仰向けに寝ていると、ついでにスマホを顔に落とすということも学んだ。
「――タイムリープしたら絶対に転ぶとか、使い勝手悪っ」
明人はその後3回ほどタイムリープを試して3回すべてでベッドの中で転んでスマホを顔に落っことした。
鼻の痛みが取れなくなってきた明人は赤くなった鼻をさすりながらスマホをベッドに投げつけたのだった。
***
「……この話、いる?」
京香がジト目で明人の方を睨む。
明人はいやいやと手を振った。
「前置きしたじゃん。重要じゃないけどさって」
「ホントにどうでもいい話しないでよ! それに、その話で使い勝手の悪さを言うなら――」
「セーブポイントが変えれないの、ホントやばいよね〜」
その能力についていくつか検証した中で、最悪だったのはそれだろう。
いろいろ試したがどうしても変えることができなかった。
タイムリープの帰還場所はこの小説――『WORLD BEYOND』が作成された日付にしか帰還できないのだ。
「まじで、これ作った奴は一度ぶん殴らせてほしい」
「あはは、うっかり手滑らせて意味もないのに二カ月やり直したのは世界でも明人だけだろうね」
「思い出したくもない。あれから、この小説とタイムリープは封印するって誓った――その、はずだったんだけどな」
三人はスマホに映った画面を、『WORLD BEYOND』を見つめた。
「けれどその一年後、昨日の夜に明人の弟――瑛志君が『例の事件』に巻き込まれた」
「そう、昏睡状態で起きるかどうかも分からない状態になった、だから――」
一年間をまるごと、最初からやり直した。
「ホント、大変だったね……」
「何もかもが同じ日々を一年間続けるのは、マジでしんどかったからな。二人が協力してくれたおかげでなんとかここまでやってこれたけど」
「そして弟君の事件を回避して、今日の朝が本当の意味で『新しい朝』だったんだよね」
「ん、 『新しい朝』?」
微妙なフレーズに京香が反応して、悠生が説明する。
「今日の朝、明人が朝起きて一番に言ったんだって。昇る朝日を見ながら晴れやかなキメ顔で、『新しい朝だ、フッ!』って」
「「…………」」
「『新しい朝だ、フッ!』って」
「なぁ悠生、俺はそんな妙なポーズをしてない。あと京香、その微妙な表情の解説してもらっていいか?」
「一年やり直すことの辛さを考えると本当にかわいそうだったしなっていう感情と、セリフが臭すぎて本当のマジにキモいって感情の混じった表情よ」
「こういうマジな回答が一番心に来る」
明人は床に崩れ落ちながら顔を膝にうずめた。わりとちゃんと心にダメージを負っている最中だったが、悠生が脱線し始めた話を戻す。目下一番大事な話だ。
「話を戻そっか。本題は更新された小説についてじゃないかな」
「話逸らしたの全然お前だけどな? まあ戻すけど……」
「更新された話は明人もまだ読んでないんだっけ。もうここで読んじゃえば?」
「簡単に言うけどなぁ、読み終わりが怖すぎるんだよ。目次までならいいけど、中身まで見始めたらホントにミスってタイムリープしかねない。また一年やり直しなんて絶対にしたくない」
「それはすごく分かるけど、読んでみないと分からないこと多くない? タイムリープを引き起こす小説の内容なんて最重要じゃないかしら」
京香に正論で殴られてしまい、明人は少しの間沈黙する。
額に親指を当てて悩んだ末に。
「……ちょっと勇気出す時間ほしい」
「どれくらい?」
「二、三日」
「度胸がないんだか、慎重なんだか」
「まあまあ、明人も緊張しちゃうし手汗で指滑らせたりしたら怖いしね」
悠生がパンと手を鳴らす。
「じゃあさ、今日はいつも通りいこうよ。そして、三日後に更新された中身をみんなで読もう。それでどう?」
「そうするか」
「私もそれでいいと思う」
話がまとまったタイミングで、昼休みが終わる予鈴が鳴り響いた。
そして緊張も少し緩んだのだろうか、明人は大きく息を吐くとスマホをポケットにしまった。
「なら今日はいつも通り港のショッピングモールにでも行くか。ゲーセン行きたい」
「明人も好きよね。委員会のあとでもいい?」
「じゃあ委員会の後でここに集合してからいこっか」
「りょうかーい」
こんな状態でも、いつも通りで居られるのは本当に心強い。
そんなことを考えながら明人は階段を降り始めた。それに続いて、平常運転でいちゃつく二人も後ろからついてくる。
三人はいつも通りな、緩い雰囲気で自分たちの教室へと戻っていくのだった。
そして、
明人がスマホをポケットにしまう寸前、画面に小さなノイズが奔った。
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