第9話:反撃の狼煙とユリウスの決断
宮廷内の裏切り者レオンハルト公爵を捕縛し、内部の危機を乗り越えたのも束の間。リュシエンヌが意識不明という誤った情報に基づき、〈黒影将軍〉グラディウスが帝都への総攻撃を開始する。
姫の紅血の光という最大の武器がない中、参謀ユリウスは、知識と知略、そしてヴァレンシュタイン家の名誉を賭け、絶望的な防衛戦の指揮を執る。
I. 漆黒の号令と絶望の朝
レオンハルト公爵の逮捕から一夜明けた帝都。兵士たちは内部の脅威が去ったことに安堵しつつも、東門から立ち上る黒い瘴気に、新たな恐怖を感じていた。
早朝、ユリウス・フォン・ヴァレンシュタインが作戦会議室に入ると、そこにはすでに騎士団長に復帰したカイルと、治療を終えて待機しているハーゲン将軍が待機していた。
「ユリウス、グラディウスが動く。偵察隊ではなく、本隊だ」カイルは苛立ちを隠さずに言った。「姫が動けない今、どうするつもりだ。紅血の光なしに、奴の恐怖の瘴気を防ぐことは不可能だ」
ユリウスは静かに頷き、地図を広げた。
「グラディウスは、姫が倒れていると確信しています。彼の戦略は単純です。姫の守護の光がなければ、恐怖の瘴気で兵士の士気を崩壊させ、一気に門を破る。我々には、時間がない」
ユリウスは、己の知略と、ノーラが命を賭して手に入れた時間、そして古文書の知識を最大限に活用することを決断した。
「兄上、ハーゲン将軍。グラディウスの恐怖の瘴気は、精神力によって生じる。これを打ち消すには、物理的な力ではなく、圧倒的な精神的な集中と、それを支える『信仰』が必要です」
ユリウスは古文書から得た知識を共有した。紅血の力が対深淵魔導兵器であるなら、その力は精神的なバリアとしても機能するはずだ。
「姫の守護の光は、ノーラの儀式によって安定しましたが、彼女自身は眠っている。しかし、その守護の波動はまだ帝都全体を包んでいます。我々は、これを最大限に利用します」
ユリウスの瞳は、参謀としての冷徹な判断力と、妹ノーラへの信頼に満ちていた。
II. 参謀の指揮と心理防衛線
グラディウスの総攻撃が始まった。
東門から、ゼルヴァン公爵軍の魔導兵器と重装歩兵が押し寄せ、その先頭には、巨大な黒影将軍グラディウスが立っていた。彼の巨躯から放たれる黒い瘴気は、太陽の光すら遮断するかのようで、帝都の兵士たちの士気を一瞬で削り取っていく。
「絶望せよ、帝都の愚者ども! 貴様らの希望は、既に地に伏した!」グラディウスの咆哮が響く。
その時、城壁の上に、カイルが剣を高く掲げて現れた。彼の横には、ユリウスの指示で、皇宮の祭祀長が立っていた。
「全兵士に告ぐ!」ユリウスの声が、魔導具を通じて戦場全体に響き渡る。
「姫は、今、神聖なる眠りについておられる! 姫の魂は、我々全てを守護の光で包んでいる!」
ユリウスは、リュシエンヌの力を宗教的な信仰の対象へと昇華させた。これが、恐怖の瘴気に対抗するための、彼の心理防衛戦略だった。
祭祀長が、古文書に記された「守護者のための古代の祈り」を、大声で唱え始めた。その声は、リュシエンヌの穏やかな守護の波動と共鳴し、兵士たちの心に直接響く。
「我々は一人ではない! 姫の守護の光が、貴様らの心を護っている!」カイルが叫ぶ。
兵士たちは、恐怖の瘴気に屈しそうになりながらも、その祈りとカイルの声に支えられ、武器を取り落とすのを耐え忍んだ。これは、グラディウスの予想を遥かに超える、粘り強い抵抗だった。
「小賢しい! 精神的な足掻きなど、現実の力の前には無力だ!」
グラディウスは怒り、大剣を振り上げ、城壁に向けて巨大な黒い衝撃波を放った。
III. カイルの覚悟とハーゲンの献身
衝撃波が城壁を揺るがし、土煙が舞う。城壁の一部が崩落し、兵士たちが悲鳴を上げる。
「退くな! ここで退けば、姫の安寧は守れん!」カイルが崩落した城壁の前に立ち、剣を地面に突き立てた。
ユリウスは冷静に、魔導兵器の弱点を分析する。
「ハーゲン将軍! グラディウスの背後にいる魔導師団を叩け! 奴らはグラディウスの瘴気の供給源だ!」
ハーゲンは重傷を負っているにもかかわらず、馬に跨り、古参兵たちを率いて出撃した。
「承知した、ユリウス殿! 老兵の意地を見せてやろう!」
ハーゲン将軍の部隊は、グラディウスの側面を突き、魔導師団に奇襲をかけた。この動きはグラディウスの視野の外からの攻撃であり、彼の隙を生んだ。
グラディウスは苛立ち、ハーゲンを追おうとするが、カイルがそれを許さない。
「黒影将軍! 貴様の相手は私だ!」
カイルは、己の肉体の限界を超え、グラディウスに猛攻を仕掛けた。彼の剣技はノーラほど流麗ではないが、一撃一撃が重く、命を捨てる覚悟に満ちていた。
グラディウスは、カイルの猛攻に一時的に足止めされる。
「愚か者め……その命を、無意味な忠誠に捧げるか!」
グラディウスは、カイルの剣を大剣で受け止めると、そのまま巨大な圧で押し潰そうとする。カイルの全身の骨が軋む音が聞こえた。
(ユリウス……! 妹に託された時間を、必ず活かせ!)
カイルは歯を食いしばり、最後の力を振り絞って剣を撥ね、グラディウスの顔面に血飛沫を浴びせた。グラディウスは初めて、人間からの物理的な攻撃を受けたことに驚き、一瞬、動きが止まる。
この一瞬の隙に、ハーゲン将軍の部隊が魔導師団の陣地に突入し、魔導師団を壊滅させた。グラディウスの黒い瘴気の濃度が急激に薄くなった。
IV. ユリウスの決断とノーラの出撃
瘴気が薄れたことで、帝都軍の兵士たちは一気に士気を回復した。ユリウスの心理防衛線は、ハーゲン将軍の物理的な攻撃によって、ついに効果を発揮したのだ。
「全軍、反撃開始! 姫の守護の光は消えていない! ヴァレンシュタイン家の名誉に誓い、この帝都を護り抜け!」ユリウスは、血の滲むような声で叫んだ。
その時、ユリウスの通信魔導具に、一通の短いメッセージが届いた。『ユリウス様。私も出ます。殿下には、私がいなければならない』
ノーラからだった。謹慎中の彼女は、ユリウスの指示で、リュシエンヌの守護の光が城壁で弱まっていることを察知したのだ。彼女は、儀式で繋がれた魂を通じて、リュシエンヌの力が危機的状況にあることを理解していた。
「ノーラ……!」ユリウスは葛藤した。ノーラが出れば、彼女の傷が再び開く。だが、グラディウスの漆黒の恐怖を完全に打ち消すには、儀式で紅血の力を安定させたノーラの存在が必要だった。
ユリウスは、参謀としての冷徹な判断を下した。
「カイル兄上! 撤退せよ! ノーラが向かう!」
ノーラは、まだ傷の癒えない身体に、カイルの甲冑を纏い、愛馬を駆って東門へと向かった。彼女の左手の甲の紅い痕が、強い光を放ち始めていた。
「黒影将軍。貴様の相手は、紅血の姫の盾である私が引き受けます」
ノーラが戦場に現れた瞬間、リュシエンヌの守護の光が再び強まり、グラディウスの周囲に僅かに残っていた黒い瘴気を、完全に押し返した。
グラディウスは、その光と、騎士の覚悟に顔を歪めた。
「貴様……! やはり、貴様が姫の力を制御しているのか!」
ノーラは剣を構え、リュシエンヌとの絆という、目に見えない最強の盾を掲げた。
「この忠誠心こそが、貴様が恐れる真の紅血の力だ!」
ユリウスの知略、カイルの覚悟、ハーゲンの献身、そしてノーラの魂の絆。これらの連携によって、帝都は崩壊寸前の危機を辛うじて乗り越え、反撃の狼煙を上げることに成功したのだった。
第9話「反撃の狼煙とユリウスの決断」をお読みいただきありがとうございます。
姫不在の中、参謀ユリウスの知略と心理防衛線が、グラディウスの総攻撃を食い止めました。カイルとハーゲン将軍の命を賭した献身が、ユリウスの戦略を成功に導きました。
そして、ついにノーラが戦場に復帰! 魂の絆がグラディウスの恐怖を完全に打ち消し、帝都は反撃の機会を得ました。
次回、第10話「絆の共鳴と勝利の代償」では、ノーラの復帰により士気を取り戻した帝都軍が、グラディウスに対して大規模な反撃を開始します。しかし、この戦いの勝利には、ノーラの新たな犠牲が伴うことになります。どうぞご期待ください!