第16話:鋼の騎士と崩壊の序曲
ゼルヴァンの二重の誤算を突き、ノーラは最後の力を振り絞って「紅血殺し」の魔導炉破壊に挑む。ノーラを援護するため、ハーゲン将軍はグラディウスとの死を賭した足止めを選び、老兵の忠誠を証明する。
そして、ついに魔導炉は破壊されるが、それは同時に、帝都の姫の身体から制御不能な紅血の力が完全に解放されるという、新たな危機の幕開けとなった。
I. 絶望への吶喊と剣の誓い
「紅血殺し」の魔導炉破壊を命じられたノーラ・フォン・ヴァレンシュタインは、再び剣を振り上げ、ゼルヴァン軍の鉄壁の包囲網へと突っ込んでいった。彼女の身体は紅血の守護を失い、疲労と契約の反動で限界を迎えていたが、その瞳には姫を信じる強い意志だけが宿っていた。
「私の命は、殿下の盾となるためにある! 魔導炉を破壊するまで、誰も私を止められない!」ノーラの咆哮が、戦場に響き渡る。
遊撃隊の残存兵たちは、光を失った騎士の姿に、真の覚悟を見た。彼らは武器を握り直し、ノーラに続いた。
しかし、ゼルヴァン軍の精鋭部隊は、魔導師団長メレディアンの冷徹な指揮の下、その突進を完璧に予測していた。彼らの防衛線は、人間的な感情を一切持たない、機械的なまでの堅固さだった。
「遊撃隊を分断せよ! 姫の騎士だけを生かして捕らえる!」メレディアンの指示が、魔導具を通じて瞬時に伝達される。
ゼルヴァン軍は、ノーラを囲むように隊列を変化させ、ノーラとハーゲン将軍、カイルの間に、精鋭の魔導兵を差し込んできた。
「ノーラ! 奴らは我々を分断する気だ! 無理をするな!」カイルが叫ぶが、ノーラはすでに敵の深部へと踏み込んでいた。
その瞬間、後方から漆黒の瘴気が渦を巻き、遊撃隊の退路を完全に塞いだ。〈黒影将軍〉グラディウスが、ノーラの逃走を防ぐという最後の役割を果たすために、戦場に戻ってきたのだ。
「フン。光を失った貴様など、もはや玩具に過ぎん!」グラディウスの威圧的な声が響き、瘴気が遊撃隊の兵士たちに絡みつく。
ノーラは、グラディウスの瘴気を背中に受けながらも、前進を続けた。魔導炉への道は、グラディウスの絶望と、ゼルヴァン軍の鋼の壁に挟まれた、死の道となった。
II. ハーゲン・クレメンス、老将の決意
ノーラが敵の包囲を突破しようと奮戦する中、ハーゲン・クレメンス将軍は、自身の老将としての役割を悟った。このままでは、ノーラは魔導炉に到達する前に、ゼルヴァン軍に捕獲されるか、グラディウスの瘴気に屈してしまう。
「カイル殿! 騎士の道をゆく貴殿は、必ずノーラ殿を援護せよ!」ハーゲン将軍が、その重厚な声でカイルに命じた。
「将軍! 何をされるおつもりですか!?」
「私は、騎士ではない。陛下の忠実な老兵だ。老兵の役目は、最後の盾となること!」
ハーゲン将軍は、馬から降り、自身の周りに残ったわずかな近衛兵を率いて、グラディウスの漆黒の瘴気が最も濃い部分へと向かって行った。
「〈黒影将軍〉グラディウスよ! 貴様の相手は、私だ!」ハーゲン将軍の渋く温かい声が、戦場に響き渡った。
グラディウスは、その老いた将軍の無謀な行動に、狂気的な笑いを漏らした。「老いぼれめ! 貴様の忠誠など、無意味な死で終わるだけだ!」
ドォン!
グラディウスの巨剣が振り下ろされる。ハーゲン将軍は、それを自身の持てる最後の力と、長年の戦術眼で寸前でかわし、グラディウスの足を固定するために、自らの持つ魔導具をすべて破壊して、強力な粘着性の魔導結界を作り出した。
「たかが老兵の結界が、この私を止められると思うか!」グラディウスは咆哮するが、結界が彼の足の自由をわずかに奪い、瘴気の拡散を鈍らせた。
「止める! 数分でも、数秒でも! それが、私の忠誠の証だ!」ハーゲン将軍は、剣を杖代わりにして立ち尽くし、ノーラが遠ざかっていくのを見届けた。
ハーゲン将軍の自己犠牲の行動は、ノーラに魔導炉への突破口を開いたが、それは同時に、帝国の重鎮の一人が戦場に散る、崩壊の序曲でもあった。
III. ゼルヴァンの焦りとメレディアンの執着
ゼルヴァン公爵の本陣。「紅血殺し」の機能不全と、ハーゲン将軍の特攻によるグラディウスの足止めという二重の誤算に、ゼルヴァン・ヴァルカン公爵の冷酷な表情に初めて焦りの色が浮かんだ。
「馬鹿な! あの老いぼれ将軍が、グラディウスを足止めするとは! ノーラが魔導炉に到達すれば、『紅血殺し』は永遠に機能停止するぞ!」
メレディアンは、冷静を装いつつも、狂気的な知性を滲ませた声で報告した。「公爵様。遊撃隊は、もはや数えるほどしか残っていません。私自ら、魔導師団の精鋭を率いて、ノーラを捕獲します!」
「待て、メレディアン!」ゼルヴァン公爵は鋭く命令した。「魔導師団を動かすな! 『紅血殺し』の再起動こそが最優先だ! 姫の暴走を、このまま野放しにはできない!」
ゼルヴァン公爵は、ノーラの剣よりも、帝都のリュシエンヌの制御不能な紅血の暴走を恐れた。ノーラが魔導炉を破壊すれば、暴走を抑える最後の蓋さえ失われてしまう。
ゼルヴァン公爵は、闇の主の冷たい声が、先ほどよりも苛立ちを帯びた響きで、自身の脳裏に木霊したのを感じた。
『——ゼルヴァン。我の計画を乱すな。速やかに 紅の光 を抑えろ。失敗は、 許されぬ ——』
「……御意」ゼルヴァン公爵の顔から、冷静な仮面が完全に剥がれ落ちた。
IV. ユリウスの外交戦と市民の不満
帝都の皇宮。ユリウス・フォン・ヴァレンシュタインは、ノーラの特攻と、ハーゲン将軍の自己犠牲の報せを受け取った。ユリウスは、戦友の死に感情を押し殺し、冷徹な参謀として、最後の外交戦に臨んでいた。
彼は、他国の大公(第8のベテラン声優候補)との通信を維持していた。
「大公殿。ハーゲン将軍が戦死しました。彼の死は、ゼルヴァン公爵の非道な攻撃が、単なる内戦ではなく、帝国全体を滅ぼす闇の計画であることを示しています。『紅血殺し』の機能不全は、我々の最後の抵抗によって生じたものです!」ユリウスは、戦死者の尊厳さえも、外交の道具として利用した。
この報告が功を奏し、大公はついに軍事介入の可能性を正式に示唆し始めた。国際情勢は、ゼルヴァン公爵に不利に傾き始めていた。
しかし、帝都内部の状況は最悪だった。連日の戦闘による物資不足、飢餓、そして姫の紅血の代償による「病床の姫」の噂は、市民の間に不満と絶望を広げていた。
「姫は本当に我々を救ってくれるのか? 騎士団は戦場で死に、私たちは飢えている……」
市民たちの不満は、暴動の兆しを見せ始めていた。ユリウスは、外交、軍事、そして内政という三重の危機に直面していた。
V. カイルの護衛と騎士の光
ノーラは、ゼルヴァン軍の魔導師団の防御を単騎で突破しようとしていた。カイルは、兄として、そして騎士団の副長として、ノーラを援護する最後の責任を負っていた。
カイルは、自身の剣を振るい、ノーラに迫る敵兵を次々と薙ぎ倒した。彼の剣術は、ノーラほど精確で鋭利ではないが、猛々しく、力強かった。
「ノーラ! 行け! 私と将軍の犠牲を、無駄にするな!」
ノーラの目の前に、「紅血殺し」の巨大な魔導炉が、黒い鉄骨と魔導鉱物で構成された心臓部として姿を現した。そこからは、姫の力を吸収しようとしていた黒い魔導エネルギーが、制御を失い、不安定な光を放っていた。
ノーラは、魔導炉の前に立つ最後の魔導兵を打ち破り、息を切らしながらも魔導炉の前に立った。
(これが、姫の命と、世界の運命を賭けた……私の最後の剣だ!)
ノーラは、光を失った剣を両手で強く握りしめた。彼女の純粋な愛と騎士としての誓いが、彼女の身体に残された最後のエネルギーを引き出した。
「ゼルヴァン公爵! 貴様の野望は、ここで終わる!」
ノーラの剣が、魔導炉の心臓部へと、全てを賭けた一撃を放つ。その瞬間、魔導炉の黒い外装が、紅い光を帯びて激しく輝いた。
ドォォォン!!
凄まじい爆発音と共に、「紅血殺し」の巨体が大きく傾ぎ、制御不能な黒い魔導エネルギーが空へと噴き上がった。ゼルヴァン公爵の切り札は、ノーラの愛と、ハーゲン将軍の犠牲によって、ついに破壊された。
しかし、魔導炉の破壊は、同時に帝都のリュシエンヌの身体から、制御を失った紅血の力が完全に解放されるという、新たな、そして最大の危機の始まりでもあった。
第16話「鋼の騎士と崩壊の序曲」をお読みいただきありがとうございます。
ハーゲン・クレメンス将軍がグラディウスの瘴気に散り、その老兵の忠誠がノーラの道を開きました。ノーラの愛と犠牲によって、ついにゼルヴァンの切り札「紅血殺し」の魔導炉は破壊されましたが、戦局はより絶望的な局面へと突入します。
姫の身体から制御を失った紅血の力が解放された今、ゼルヴァン公爵は最大の盾を失い、闇の主の焦りを感じながらも、ノーラを捕らえるため、残りの全戦力を投入してきます。
次回、第17話「紅血の深淵と騎士の帰還」では、魔導炉破壊の反動でノーラが極限状態に陥る中、リュシエンヌの暴走する力が戦場へ干渉します。そして、ノーラは最後の力を振り絞り、生きて姫の元へ帰ることを誓います。どうぞご期待ください!




