第10話:絆の共鳴と勝利の代償
ノーラの復帰により守護の光が強まり、ユリウスの知略が機能して、帝都軍はグラディウスに決定的な勝利を収めた。
しかし、この勝利はノーラの新たな犠牲によってもたらされた。ノーラは、姫を護る代償として、リュシエンヌの生命エネルギーを消費してしまう。二人の愛と絆は、自己犠牲という新たな宿命となった。
I. 騎士の光と将軍の戸惑い
東門前の戦場は、一転して静寂に包まれた。ノーラ・フォン・ヴァレンシュタインが、傷ついた身で、カイルの甲冑を纏い馬上に立つ。彼女の左手の甲に浮かぶ紅い痕から発せられる微かな光と、リュシエンヌの病室から伝播する守護の波動が共鳴し、戦場全体を覆う銀の薄膜となっていた。
〈黒影将軍〉グラディウスは、その光に警戒を強めた。彼の放つ恐怖の瘴気は、この銀の薄膜によって完全に押し返され、帝都軍の兵士たちは、恐怖から解放され、戦意を取り戻していた。
「貴様……! その力は、何だ!」グラディウスは低く唸った。「紅血の力ではない。だが、私の恐怖を打ち消す、理性を伴った守護の光……貴様が、姫の力を制御しているのか!」
「いいえ」ノーラは剣を構え、凛とした声で答えた。「これは、私と殿下の絆が形になったものです。殿下の『守護』の意思が、私を通じて、貴様の『恐怖』を打ち消している!」
ノーラは地を蹴り、グラディウスに斬りかかった。傷を負った身体でありながら、その動きは以前よりも鋭く、速い。儀式で魂が結ばれたことで、ノーラの身体能力と精神力は、リュシエンヌの守護の力によって増幅されていた。
グラディウスは、ノーラの一撃を大剣で受け止める。以前のような破壊的な衝撃はなかったが、ノーラの剣には、諦めのない強い意志が宿っており、グラディウスの体勢を微かに崩した。
「小賢しい小娘め! 貴様の精神力など、永続せぬ!」
グラディウスは、大剣を垂直に振り下ろすのではなく、黒い瘴気を大剣の刃に集中させ、ノーラ目掛けて精神的な圧力を放った。
ノーラは激痛に襲われる。それは肉体の痛みではなく、精神が直接責め立てられる苦痛だった。グラディウスの恐怖は、彼女の心の奥底に潜む**「リュシエンヌ様を失うことへの不安」**を抉り出し、増幅させた。
(ああ、怖い……! 殿下がこのまま目覚めなければ……!)
ノーラの銀色の光が一瞬揺らぐ。しかし、彼女はリュシエンヌの眠る病室を思い浮かべた。儀式によって、リュシエンヌの穏やかな鼓動が、ノーラの精神と共鳴している。
「私は、殿下の盾! 不安など、私自身が切り裂く!」
ノーラは咆哮し、自らの精神の弱さを克服した。銀色の光が再び輝き、グラディウスの瘴気を完全に押し返した。グラディウスは、これまでの戦いの中で、恐怖が通用しない相手に遭遇したことがなく、明らかに動揺した。
II. ユリウスの計算と総反撃
城壁の上では、参謀ユリウス・フォン・ヴァレンシュタインが、ノーラの奮戦を見て、勝利を確信していた。ノーラの存在が、紅血の守護の光を安定させ、帝都軍の心理的優位を確立した。
「全軍に告ぐ! ノーラ様が、将軍の恐怖を完全に打ち破った! 今こそ、反撃の時だ!」
ユリウスの指示により、帝都軍は一斉に門を開き、反乱軍へと突撃を開始した。その先頭には、騎士団長の甲冑を脱いだまま、長剣を携えたカイルと、老将ハーゲンが立っていた。
「行け! この勝利は、姫とノーラに捧げる!」カイルは叫んだ。
帝都軍の反撃は、グラディウスの想定を遥かに超えるものだった。指揮官であるグラディウスが、ノーラに足止めされ、その最大の武器である恐怖の瘴気が封じられたことで、反乱軍の士気は一気に崩壊し始めた。
ユリウスは、この混乱をさらに増幅させるべく、事前に対策を講じていた。
「魔導部隊! ゼルヴァン公爵軍の補給部隊を狙え! 彼らの士気の核は、魔導兵器の火力にある。それを絶て!」
ユリウスは、ノーラが禁書庫で得た情報に基づき、ゼルヴァン公爵軍の魔導部隊が、遠隔地からの支援に頼っていることを知っていた。ユリウスの指揮の下、帝都軍の魔導部隊が、反乱軍の補給線に正確な魔導攻撃を仕掛けた。
補給部隊は炎上し、魔導兵器の供給が止まる。反乱軍は一気に混乱状態に陥った。
グラディウスは、ノーラの存在とユリウスの知略によって、戦場全体が自らに不利に動いていることを悟った。彼は、戦闘を継続すれば、自身の部隊が壊滅的な打撃を受けることを理解した。
「小賢しい! だが、これで終わると思うな!」
グラディウスは、ノーラとの剣を打ち合う中で、自らの恐怖の力を極限まで圧縮した一撃を放った。それは、ノーラの銀の薄膜を破り、「リュシエンヌの死」という強烈な幻影をノーラの精神に叩きつけた。
ノーラは呻き、膝をつく。しかし、リュシエンヌの守護の光が、彼女の意識が途切れる寸前に、幻影を焼き払った。
グラディウスは、ノーラが体勢を立て直す隙を与えず、大剣を振り上げた。だが、その大剣は、カイルとハーゲン将軍が放った連続した牽制攻撃によって、わずかに軌道を逸らされた。
「退くぞ! 全軍、撤退!」グラディウスは苦渋の決断を下し、魔導兵器の残骸を盾に、撤退を開始した。
III. 勝利と契約の反動
帝都軍は、グラディウスの漆黒の軍勢を初めて完全に退けるという、決定的な勝利を収めた。兵士たちの歓喜の叫びが、帝都の空を震わせた。
しかし、その戦場の中央で、ノーラは立っていることができず、膝をついていた。
「ノーラ!」カイルとハーゲンが駆けつける。
ノーラの身体には、目立つ傷はなかったが、彼女の顔は極度の疲労で蒼白だった。そして、左手の甲の紅い痕は、まるで燃えるかのように激しく光を放っていた。
「殿下は……?」ノーラは掠れた声で、リュシエンヌの安否を尋ねた。
「姫は大丈夫だ。お前のおかげでな」カイルは、妹を抱き起こした。
ノーラは、ユリウスに導かれ、リュシエンヌの病室へと戻った。
リュシエンヌはまだ眠っていたが、その顔色は以前よりも血色が良く、穏やかだった。ノーラがベッドの傍に座ると、リュシエンヌの体温が、ノーラの冷え切った身体に伝わってくる。
その時、ノーラの左手の甲の紅い痕が、リュシエンヌの身体から微かな紅い光を吸い取り始めた。
契約の反動だった。ノーラがグラディウスの強烈な精神攻撃に耐えるために、儀式で繋がったリュシエンヌの守護の力を、無意識のうちに代償として使用したのだ。それは、ノーラが自身の精神を護るために、リュシエンヌの生命エネルギーの一部を使用したことを意味していた。
ノーラの顔色に、微かな血色が戻る。しかし、同時に、リュシエンヌの顔色に、以前の疲労の色が微かに戻ってしまった。
ノーラは愕然とした。
(私は……殿下の力を借りたのか。殿下を護るために、殿下の安寧を犠牲にした……!)
「ノーラ、落ち着いて」ユリウスが、その異変に気づいた。「古文書にもあったはずだ。この契約は、相互の精神力と生命力を結びつける。君の精神が極限まで疲弊すれば、無意識に、姫の守護エネルギーを触媒として使う。君は、姫の命の契約を共有してしまったんだ」
ノーラの銀色の瞳に、深い絶望と罪悪感が宿った。彼女の献身は、姫の命を救ったが、同時に姫の宿命を、自分自身も背負うことを意味していた。
IV. ゼルヴァンの焦燥と新たな戦略
グラディウスが敗走した戦場からさらに遠く離れた、ゼルヴァン公爵の本陣。
ゼルヴァン公爵は、グラディウスからの敗走報告を受け、椅子を強く叩いた。
「何だと!? グラディウスの恐怖の瘴気が通用しなかっただと!?」
「はい、公爵様。リュシエンヌの紅血の力が、『守護の光』として完全に安定し、グラディウス様の精神攻撃を打ち消しました。これは、誰かが、その力を制御した証拠かと」副官が震えながら報告した。
ゼルヴァン公爵は、初めて焦燥の色を顔に浮かべた。彼の計画は、リュシエンヌの紅血の暴走に乗じてその力を奪い、闇の主に献上することだった。しかし、その力が「守護」として安定してしまった今、彼の計画は根本から崩れたことになる。
「あの騎士め……ノーラ・フォン・ヴァレンシュタインか。あの小娘が、姫の理性を繋ぎ止めたというのか」
ゼルヴァン公爵は立ち上がった。彼の瞳には、冷酷な決意が宿っていた。
「グラディウスの恐怖は、精神力に依存する。だが、我々には、物理的な力で姫の力を打ち破る『紅血殺し』がある」
ゼルヴァン公爵は、自身の背後に控える、巨大で不気味な魔導兵器を見つめた。それは、魔導工学の粋を集めた、紅血の力を無効化し、吸収するための兵器だった。
「グラディウス。一度退け。そして、『紅血殺し』の準備を整えよ。我々は、総力戦に出る。このままでは、闇の主の計画が遅れる」
ゼルヴァン公爵は、帝都軍の勝利によって、窮地に立たされた。しかし、彼の決断は、より大規模で、より破壊的な最終決戦を帝都に呼び込むこととなった。
一方、ノーラは、リュシエンヌの横で、自身の新たな宿命を深く自覚していた。
(殿下の命を護るには、私は常に殿下の傍にいなければならない。殿下の力が私を通じて作用し、そして私もまた、殿下の生命を代償として消費する……これが、私たち二人で結んだ契約。この愛は、自己犠牲の道なのだ)
ノーラは、姫の命と理性を守るという、騎士としての究極の誓いを、その心に刻み込んだ。
第10話「絆の共鳴と勝利の代償」をお読みいただきありがとうございます。
グラディウスを打ち破り、帝都はついに緒戦の勝利を掴みました!しかし、ノーラとリュシエンヌの絆は、互いの生命を消費し合うという重い宿命となってしまいました。
一方、敗走したゼルヴァン公爵は、この状況を打開するため、紅血の力を無効化する最終兵器の準備に入ります。
次回、第11話「紅血殺しの準備とノーラの決意」では、ノーラがこの契約の真実をリュシエンヌに伝えるかどうか葛藤します。そして、ゼルヴァン公爵の切り札の恐ろしさが明らかになります。どうぞご期待ください!