06 セーレナ
ゆらゆらと風に弄ばれるマグノリア。
甘い香りが身を包むようです。
パティエンスと神殿長ハルト様をガゼボから見送り、きつ過ぎる香りに辟易してわたくしも部屋に戻ろうかと席を立ちました。
「サピエンティア公爵がお見えですが、こちらでお会いなさいますか?」
侍女が香りを気にしていたわたくしを気遣います。
「⋯⋯そうね、お通しして。移動でお時間を頂くのも申し訳ないわ」
サピエンティア公爵アルドー閣下はクレプスクルム様の弟で、ディルクルムが立太子した折にしばらくの間空位であったサピエンティア公爵を与えられました。
歳はわたくしと同じ四十三歳、貴族の子女が通う学園では首席を争う仲でした。
初代国王の御代から元老院があり、エネルギー、内務、財務、司法、教育、商務、農務、建築、科学、医療、芸術の長で構成されております。
諍いを嫌い『平等であれ』と、王家との婚姻は持ち回りで行われておりました。
国とは言っても非常に規模が小さく、欲を捨て清貧たるを良しとしている為大きな争いなどありえません。
わたくしが初めてクレプスクルム様にお会いしたのは十四歳の時。
クレプスクルム様は三歳上の十七歳。
貴族とは元老院の一族と初代国王のお気に入りだった一族、またその時々の国への貢献の度合いで叙爵された者たちで構成されております。
わたくしは財務の一族で持ち回りの順番がやって来たので、クレプスクルム様の婚約者となったのです。
人好きのする大ぶりなお顔立ちで透けるような金の髪がとても目映く、明朗快活な印象を受けました。
「勉強よりも体を動かすほうが好き」と仰っていましたが勉学も優秀でした。
正直政略以外の何物でもないと思っておりましたが、それなりにお慕いしておりました。
「フローレスに妃にしたい娘を見つけた!」
いつもはおっとりとした十四歳のディルクルムが鼻息荒く城に戻るなり大声で叫びました。
「真っ白い綺麗な髪に赤い宝石みたいな目をした女の子なんだ!」
「⋯っつ!」
わたくしの隣で肩を跳ね上がらせディルクルムを凝視するクレプスクルム様。
そうですわね、特徴だけで言えば【聖女の人形】と同じですものね。
今ならわかります。
戴冠して十一年、【聖女の人形】と対面したのはクレプスクルム様が【聖女の人形】を手にした時のただ一度だけでしたので、すでにわたくしの中では朧気なものでしかありませんでした。
ですからわたくしにとってはディルクルムのはしゃぎぶりだけが気がかりでした。
侍女の案内のもとサピエンティア公爵オルドー閣下がおいでになりました。
クレプスクルム様は父である六十二代国王ベニニタス陛下に面差しが良く似ていらっしゃいましたが、オルドー閣下は胡桃色の髪に思慮深さを秘めた濃紺の瞳が母のクラーワ妃を想起させます。
「ごきげんよう、セーレナ。ディルクルム陛下に問題があったようだね」
「ごきげんよう、オルドー様。少し面倒な事になっておりますわ」
「陛下に儀式の確認に伺ったのだが、お会いする前に侍従が何ともはっきりしないのでね。貴女が何かご存知かと思って。ああ、式についてはとりあえず話は出来たよ。かなり上の空だったが」
オルドー閣下は肩を竦めます。
周りに迷惑が掛かり始めたようです。
クレプスクルム様が即位した折にも何か同じような事があったような⋯⋯。
「閣下は【聖女の人形】をご存知ですか? 秘匿されていたのですけれど⋯⋯」
「兄が隠していた女性の事? 白髪の。似たような女性が父のもとにもいたかな。幼い頃に少し聞いたがよく解らなかった」
「──左様でございます。あれと同じですが違う者がディルクルムに与えられました」
わたくしは先程神殿長ハルト様から聞いた話を覚えている範囲でお話しました。
⋯⋯⋯ああ、嫌な感じです。
クレプスクルム様のもとへ【聖女の人形】が渡されたあの瞬間がまざまざと浮かびます。
わたくしをちら、と見た赤い瞳。
「聖女の⋯⋯ね。星船については知っているよ。王族に生まれると王から教えられる。王城の書庫にも当時の記録がある。当時はほとんど使われていなかった紙でわざわざ書き残したそうだ。【聖女の人形】については恐らく【国王の間】に何か残っているはずだ。残念ながら私は入れないが。そういえば、王妃のご様子は?」
「パティエンスは動揺しているようです。⋯⋯⋯閣下、わたくし、その、⋯⋯⋯今になってわかったのですけれど」
考えまいとしていたクレプスクルム様の異変が少しずつ形をなすようです。
パティエンスの幼い絵姿は気付かなかった。
ディルクルムの婚約式ではまだ疑念だった。
婚礼の式でクレプスクルム様は落ち着きを無くされていた!
「パティエンスは【聖女の人形】にそっくりです」
聖女様のご実家のルース家だから似ていてもおかしくはない。
でも千年の月日を経てもなお、そこまで似るのでしょうか?
パティエンスが皇太子妃として王城に上がってからは、クレプスクルム様はずっとパティエンスを避けてきた気がします。
そして、少しずつ少しずつおかしなことを口走っていきした。
「『ディルクルムは余を追い落とそうとしているのか?』そう言っていたね」
閣下はわたくしの考えを読んでいるかのように口にしました。
思わず閣下の顔を見上げます。
閣下はまるで苦いものでも口に含んだように顔を顰めていらっしゃいます。
「閣下にも話されていたんですね⋯⋯?」
「ああ、理由は口にしなかったが。通常即位した折に与えられる【聖女の人形】を既にディルクルムが手にした。それは何故か。そう考えたのだろうね」
だからクレプスクルム様はご自分の首に刃を当てたのですね。