総力の防衛戦――村に降る氷と炎
夕暮れが迫る村。
罠の仕掛けを終え、前線の茂みで息を殺す。鼓動の音まで大きくなる静けさの中、背後から低く通る声。
「ジーク!」
振り返ると、父さん――ガイが鋭い眼でジークを射抜いていた。
「お前の迅玉式の切れ味も頭の回転も認める。だが今日、“前で暴れる”のはカミナと俺だ。
お前は守り役だ。女も子どもも年寄りもまとめて、隣町まで護送しろ。――一番大事な役目だ、頼む」
ざわつく村人の視線が一斉にジークへ向く。
(ジークがいなくて大丈夫なのか)――そんな空気。
けど、それを吹き飛ばしたのはジークの一言だった。
「了解」
やれやれ、と肩をすくめて、いつもの余裕の笑み。
「心配すんな。前だけが戦いじゃねぇ。届けたらすぐ戻る。
だから安心しろ――カミナ、お前は後ろを気にせず思いっきり暴れろ」
「女も子どもも、年寄りも――全部、俺が守る」
その言葉で空気が変わった。
肩を落としていた年寄りも、涙目の女も、顔を上げる。
ジークが拳を差し出す。迷いのない拳。
オレは迷わずぶつけた。掌から炎みたいな熱が、全身に走る。
……やっぱ、ジークはすげぇ。
オレが震えてても、ジークが笑えば何とかなる気がする。
転生の前からずっとそうだ。オレは“勇者だったジーク”の背中に支えられて、ここまで来た。
「任せたぞ!」「家族を頼む!」
仲間の拳が次々と重なっていく。
その光景を見ながら、オレは腹を括った。
――ジークがいない間、この村の前に立つのはオレだ。
(この背中に、絶対食らいついていく)
⸻
ジークが戦えない連中を引き連れて裏手から出たあと、心臓の奥がスースーする。
預けてきた背中がない。だからこそ――前に出る。
赤黒い旗を掲げた帝国兵の列が、柵の手前まで迫る。
数は百に満たないが、一歩ごとの地鳴りが村の空気を支配していく。鈍い鎧の光、揃った足音。
ザッ……ザッ……ザッ……
「く、来るぞ……!」
震える膝で槍を構える最前列。誰も退かない。オレも怖ぇ。初陣だ。声だって震える。
それでも、目は逸らさない。
「……まだだ。もっと寄せろ」
父さん――ガイの低い合図。
不思議だ。ジークの声まで聞こえる気がする。
――『落ち着け、カミナ。焦ってもロクなことにならねぇ。全体を見ろ。お前ならできる』
(ああ。今はオレがやる。ジークが戻るまで、オレが)
帝国兵が柵に手をかけ、棒で小突く。
「なんだこの柵、子どもでも壊せるぞ」「制圧はすぐだな。女もガキも、楽しい夜になりそうだ」
もちろん、“フェイクの柵”だ。踏み込んだ瞬間が合図――。
「今だ! 第一罠、起動!」
パァン!
乾いた破裂音。丘の上の丸太が二十。
獣みたいに唸って斜面を滑り、隊列ごと薙ぎ払う。
ドゴォ――ッ!
鎧ごと転がる兵。悲鳴で列が乱れる。
「――第二罠! 縄、引け!」
麻縄が一斉に軋み、土の蓋が落ちる。
落ちた先は杭。兵士の鎧の隙間に嫌な音が走る。
罠を抜けた兵が怒りで突っ込んできた。
「迅玉隊、放て!」
スリングで撃った石が鎧の継ぎ目を撃ち、呻き声。続けざまに火矢。油が爆ぜ、炎と黒煙が帝国の紋章を舐める。
混乱。――その隙に、前へ。
破剣式の踏み込み。玉鋼の剣を肩越しに振り抜く。
分厚い胸甲が裂け、兵ごと吹き飛ぶ。
「うおおおおッ!」
二人、三人と薙ぐたび、兵士に怯えの色。
筋肉が裂けても、すぐ繋がる。痛み? そんなの燃料だ。
獣みたいに吠え、押し返す。
これはもう子どもの稽古じゃない。戦だ。
⸻
迂回し村内へ抜けた兵の刃が振り下ろされる。しかし、母さん――リーナが鍋蓋で刃をはじく。舞うように受け流し、奪った剣で隙間を突いた。
「――っ!?」
鎧ごと崩れる兵。普段の穏やかな母さんはそこにいない。本気をみるのは初めてだ。
いるのは、研ぎ澄まされた“鏡盾式の剣士”。
前線では父さん――ガイが棍棒を唸らせる。
豪腕で打ち据え、槍を絡め取って肘で落とす。
怪力と技巧と速さ、全てを持つ“三流派の武人”。
母さんの剣は舞のように美しく、
父さんの棍棒は荒れ狂いながら隙がない。
――やっぱ、この二人は桁違いだ。
「押し返せ! このまま追い出す!」
父さんと並んで声を張る。村人が応える。
けど、わかってる。これで終わる相手じゃない。
そのとき――
ゴウッ、と村が揺れる。
柵のあたりで炎が爆ぜ、森と畑が赤く燃え上がる。
炎の只中に、二つの影。
黒い軍服で剣と盾を構える男。
白いドレスに金の槍の女。
女が槍をひとなでした。
無数のシャボン玉が、雨あがりの虹みたいに村一面に浮かび上がる。
綺麗だ、なんて一瞬でも思った自分を殴りたい。
父さんが叫ぶ。
「退避! 蒼氷魔法だ、下がれ! カミナ!全員に警戒させろ!」
背骨が冷たくなる。
「聞け! 魔法だ! 油断するな! あの光の玉は――危険だ!」
次の瞬間、シャボン玉は鋭い氷のツララになって、空から降った。
「頭上! 防げ!」
盾が砕ける音。膝をつく仲間。
母さんが負傷者を引きずり、父さんが怒鳴る。
「全員下がれ! 隊列を組み直せ!」
村の外は炎上、村の中は氷上――。
その狭間に立つ二人の存在だけで、戦場の音が止まった気がした。
父さんの声が、わずかに震える。
「……なんでこんな村に、魔導騎士が……」
その怯えた声を、オレは聞き逃さなかった。