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毒沼の巨蛙と、現れた師匠

階段を降り切った先は、じめじめとした広間だった。

天井から滴る水音がぽたぽたと響き、床のあちこちには濁った水たまりが広がっている。


その中央――黒ずんだ水にどっぷり浸かった、影。


ぶよん、と蠢く緑色の巨大な肉塊。

湿気に濡れた体表には苔がびっしりと張り付き、背には赤黒いキノコが群生していた。

かすかに酸っぱいような、鼻を刺す異臭が漂う。


目はランタンのようにぎらりと輝き、喉の奥から「ゲェコ……ゲェコ……」と響く低い声。

巨体はゆっくりと水を押し分け、こちらを睨み据えてきた。


「でっか! フロアボスってあれか? まじかよ!」

ジークがはしゃいで笑った。


「油断するなよ……ジーク」

ガイが低く釘を刺す。


「……カエル?」

リーナが眉をしかめ、剣を抜く手をためらう。

「お母さん、その気持ちすごいよくわかる。わたしもカエル嫌い」ティナが小声で頷いた。

「確かに……気持ちわるいな」カミナも顔をしかめる。


 ――ゲコォ、ゲコゲコォ。


湿った洞窟に、不気味な鳴き声が響いた。

ぬるり、と地面を震わせる気配。


次の瞬間。

巨蛙の舌が閃光のように走り、ジークの身体を一撃で吹き飛ばした。


「ぐはっ!」

「ジーク!」


ティナが慌てて駆け寄り、震える手で治癒の詠唱を始める。

その間にリーナが前へ出て、盾を大きく掲げた。


 

 ぶくぶくぶく……。


巨蛙の裂けた口から、紫色の泡が次々と吐き出される。

それが水たまりに落ちるたび、じゅう……と肉を焼くような音を立てて広がり、鼻腔を突き刺す刺激臭が漂った。


「な、なんだこれ……っ!」

反射的に横へ飛び退いたカミナ。

だが――避けた先も既に、毒の水たまりで覆われていた。


『まずい、相棒! その泡、毒だ!』

ボルトの声が鋭く響く。


一瞬の遅れ。

靴底が溶ける音と同時に、激痛がカミナの足裏を突き抜けた。

「う、ぐっ……っ!」

立ち上がろうとしても膝が折れ、毒が血流を這うように肌を紫に染めていく。呼吸も荒くなり、視界が揺らいだ。


「兄貴!」

「カミナ!」

ティナの悲鳴が飛ぶ。彼女は青ざめて駆け寄り、震える手を伸ばす。


その横で、ジークは歯を食いしばり大剣を構えた。

「姉貴! 兄貴を頼む! 俺が前に出る!」


「気泡は絶対に踏むな!」

ガイの怒声が戦場に響いた。

「毒の床が広がってる! 陣形を崩すな、立ち位置を保て!」


リーナは無言で盾を高々と掲げ、一歩も退かず家族の前へと躍り出る。

ぬるり、ぬるりと巨蛙が前進するたび、その足元からは紫の水たまりが泡立ち、じわじわと周囲を侵食していく。

じきに退路を塞がれる――時間はない。


「舌の攻撃は、私が引き受けるわ!」

叫ぶや否や、巨蛙の舌が鋼鉄のような勢いで叩きつけられる。

ガンッ、と轟音。盾がきしむが、リーナはびくともせず受け止めた。


「今だ! 叩け!」

ガイが大剣を振りかぶり、ジークも続けざまに踏み込み斬りつける。


だが――巨体に似合わぬ素早さ。

ずるりと身をひねった蛙は毒の水溜まりに滑り込み、攻撃を空振りさせる。

「ちっ、逃げられたか!」

刹那、足場に広がる毒泡がさらに膨張していく。


 ティナの治療が終わったのを見届け、ガイが吼える。

「カミナ、いけるか!」


「――ああ、任せろ!」

カミナの眼が鋭く光り、両手に雷光が集まっていく。


「轟け――天の雷!」

カミナの掌から青白い光が弾け、空気が震えた。

「稲妻よ! 鎖となって……敵を捕らえろ!

 ――雷閃・縛鎖!!」


奔った雷鎖が巨蛙のぬめる体を絡め取り、筋肉を痙攣させる。巨体が硬直し、口から泡がぶくりと弾け飛んだ。


「今だ、父さん!」

「おおおおっ!!」


ガイの大剣が稲妻に導かれるように振り下ろされ、硬直した胴を大きく抉った。

肉片と苔が飛び散り、濁った水が激しくはね上がる。


次の瞬間、巨蛙が頭を振り下ろす。

直撃の衝撃――だがガイは後方へ飛び退き、大剣を地に突き立てて衝撃を流した。


「……ふう、危ねえ……」


その刹那、ティナの矢が放たれる。震える弦を離れた矢は、雷光に導かれるように一直線に飛び、巨蛙の片目を穿った。悲鳴が広間を揺るがし、ぬめる壁を震わせた。


「ジーク!」

「おう!」


ジークが大きく跳躍する。

その刹那――脳内にボルトの声が響いた。


『相棒! ジークの剣に雷を纏わせろ!』


(剣に……雷を!?)

カミナは胸の奥から声を絞り出し、言霊を解き放つ。


「轟け――雷よ! 弟の刃に宿り、敵を討て!」


瞬間、ジークの剣が稲妻に包まれた。

刃先から青白い光が奔り、空気が焼け焦げる。


「これで――終わりだぁぁッ!!」


稲妻とともに剣が脳天を貫く。

巨蛙は耳を裂く絶叫を残し、濁流を揺らして崩れ落ちた。

広間には焦げ臭い蒸気と、沈みゆく巨体の残響だけが漂う。


残されたのは、大きな魔石と……ピンク色に光る、いやにベロっぽい物体。


『……おい相棒、このドロップ、蛙のベロだ……』


「……なんだこれ? 鞭か?」

「舌鞭……? いや、使えねぇだろこれ」

「はずれね」

「こんなに苦労したのに……」

「まあ、売れるんじゃないか?」


思わず全員で笑い合った、その時。

床に淡い光が走り、複雑な紋様が描かれていく。


「……おおっ! これが帰還陣か……!」

初めて目にする現象に、カミナは息をのむ。


「今日はここまでにしとくか」ガイが大剣を担ぐ。

「まだいけるけどな」ジークが肩を回すが、

「食料は一日分しか持ってきてないわ」リーナが冷静に釘を刺す。

「一度戻った方がいいよ」ティナは戻りたそうだ。


光に包まれて地上へ戻ると、そこは夕暮れ。

紫に染まる空の下、ジークがぼやく。

「ちぇっ、まだやれたのにな」

「帰ったらちゃんと武具の手入れしてね」リーナは盾を見つめ、

ティナは小さく息を吐いた。


カミナの胸には、魔法の余韻がまだじんじんと残っている。

――こうして初めての討伐を終えた家族は、戦果を携えてギルドへ向かうのだった。



ーーーー



「五階層討伐、お疲れさまです」

 受付嬢ミラが柔らかく頭を下げる。

「魔石とドロップ品確かにお預かりしました。報酬は計算後に後日、お渡し致します。

……丁度ガイさまにはお客様がいらしております。副ギルド長のお部屋へどうぞ」




 案内された扉を開けた瞬間、空気が変わった。

 豪奢な椅子に腰かけるセリオス。その隣には――


 ひと目で常人ではないとわかる姿。

上半身は黒の戦闘衣で、布地は必要最低限。鎧の隙間から、今にもこぼれ落ちそうな胸元が主張し、否応なく視線を奪う。

だが、その艶やかさを打ち消すように――肩や腕には金属の防具、脚部は実戦仕様の鎧で固められていた。


 あえて晒しながらも、隙など一切ない。

 美と強さを同時に見せつける存在。振るえば、剣筋は鋭く、気配は殺気を帯びる。


「私の名はカタリナ=ヴェルミオン! 

あなたがガイね? 息子と娘の師……いいえ!」


 彼女は凛とした笑みを浮かべ、豪快に言い放つ。


「あなた方、家族の師として指導してあげるわ!」


 鎧美女の一言で、部屋の温度が一度下がった気がした。


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