崩れた橋、輝く祈り
休憩を終え、きしむ階段を一段一段降りていった一行を待っていたのは、三階と同じく入り組んだ地下水路だった。
じめじめとした湿気が頬にまとわりつき、岩肌から滴る水が絶えずぽたりぽたりと音を立てる。
視線の先には、苔に覆われた古びた石橋がかかっていた。
橋脚には深いひびが走り、継ぎ目からは絶え間なく水が滴り落ちている。石面には苔とぬめりが広がり、靴底にぐにゅりとした感触がまとわりついた。
一歩踏み出すたびにギシリと軋むその音は、まるで「次の一歩で崩れるぞ」と囁いているようだった。
下には黒々と淀んだ水面。わずかな光すら飲み込み、どこまで続いているのか底知れない暗闇。もし落ちれば、浮かび上がることはないだろうという確信めいた恐怖が漂っていた。
「気をつけて、ここも滑るわ」
リーナの声には張りつめた緊張がにじむ。
一行は声を殺し、息を潜めて慎重に橋を渡り始めた――だが。
ガラガラガラッ――!
轟音が水路全体を揺るがした。中央の石が一斉に崩れ落ち、砕けた破片が弾丸のように飛び散る。水面に叩きつけられた瓦礫が大波を立て、冷たい水しぶきが顔に降りかかった。
ジーク、ガイ、リーナはどうにか渡りきったものの、カミナとティナは後方に取り残される。
崩れ落ちた橋の残骸を挟み、二人は孤立した。
「ティナ! カミナ!」
リーナが叫ぶも、轟く水音にかき消される。
「こっちは大丈夫だ! 少し戻れば迂回ルートがあったはず。先に行って待っててくれ!」
俺の声が水音の合間に響く。
ガイとジークも叫んだ。
「落ち着いて対処しろ!このダンジョンならお前たちの力で十分に突破できるハズだ!」
「兄貴! ティナ姐を頼むぞ!」
別れを告げ、先行する仲間たち。ティナは不安そうに腕をつかみ、きゅっと肩を寄せた。
その時――。
水面が不気味に泡立ち、冷たい水を切り裂くように白く膨れた腕が突き出された。骨ばった指先が石畳をつかみ、ぬるりと這い上がる。続いて青白く膨れた死体がずるずると這い上がってきた。
濁った眼窩。水草を絡ませた髪。口からは腐臭混じりの水をごぼごぼと吐き出す。
それは、かつて人であったものが水に沈められ、歪んだまま蘇った存在――水没ゾンビだった。
「くっ……!」
カミナは迷わず槍を構え、突きを放つ。だが槍先が胴を貫いても血は流れず、肉を裂いても歩みを止めない。
『落ち着け相棒! ゾンビはしぶといが鈍い。足を狙って転ばせろ!』
脳内に響くボルトの声。
後方のティナも弓を放つ。しかし矢は皮膚に突き刺さるだけで、ゾンビは痛みを知らず、そのまま歩みを進めてきた。
「……また、私……何もできない……」
矢筒の残りを見て、ティナの心が締めつけられる。無力感がじわじわと胸を侵食する。
だがその時。
脳裏に浮かんだのは、カミナの声だった。
《魔法に、言葉で想いをのせる……》
ティナは弓を下ろし、祈るように両手を胸の前に組む。震える唇が、それでも真剣に言葉を紡ぐ。
「……聖なる光よ……この者たちに、安らぎを……!」
瞬間、ティナの全身から淡い光が広がった。
白い輝きは狭い水路を満たし、暗闇を押しのける。
光に照らされたゾンビたちは呻き声をあげ、濁った瞳を苦しげに歪めた。皮膚がひび割れ、黒煙をあげて崩れていく。やがて彼らは静かに水へと還り、粒子となって消えた。
残されたのは、小さな魔石の輝きと、凪いだ水面だけだった。
「すげぇ……ティナ姐!」
カミナが声を上げる。
『これでティナもただの支援役じゃねぇ。死霊系には立派な切り札だな』
ティナは肩で息をしながらも、小さく微笑んだ。
「……私でも、できること……あるんだね」
その後も通路にゾンビは現れたが、落ち着いて対処することで切り抜けられた。
――通路を抜けた先で、家族と合流する。
リーナが駆け寄り、無事を確かめようとしたが、焦りすぎて足を滑らせると尻もちをついた。
その珍しい失態に、一行は思わず笑い声をあげた。緊張に凍っていた空気が、ようやく解ける。
だが階段の下から吹き上げる風は、生ぬるく粘りついていた。
湿気はさらに濃く、魔力のざわめきが鼻を突く。
ガイは大剣を握り直し、低く呟いた。
「……次の五階層は、初めてのフロアボスだ」
その声には、戦士の緊張と家族を守り抜く決意の色が混じっていた。