背をむけた優しさ
セリオスに通されたのは、作戦室のような落ち着いた個室だった。
中央の机と椅子を手で示し、穏やかな声で促す。
「どうぞ、ガイのご家族の皆さん」
ガイは腰を下ろす前に、皆へ紹介した。
「こいつはセリオス=グランフェルト。俺が王国第三騎士団にいた頃の戦友だ」
腕を組み、懐かしむように続ける。
「没落貴族の六男坊で、平民の俺と同じく上級貴族の連中に疎まれてたが……実力は間違いなかった」
ふっと笑みを浮かべ、当時のことを思い返す。
「セリオスは、王国上層部の不条理にうんざりして、
【実力がちゃんと評価される場所に行く】
と決意したんだ。それからしばらく、自分に合う職をいろいろ調べた末、帝国ザンドフェルグの冒険者ギルドで働くと決めた。
『相棒みたいなこと言うやつだな』とボルトが茶化す。
(いや、全然違う。俺は自分だけじゃなく、弱い人も声を上げられる平等な世界にしたいんだ)
カミナは心の中で、淡々と返した。
椅子に腰を下ろすとガイは続けた。
「セリオスから【お前も一緒に来いよ】って誘われたが……その頃、俺はリーナと結婚してティナを授かったばかりでな……だから断ったんだ」
セリオスは肩をすくめ、薄く笑う。
「まあ、それから紆余曲折あったが、頑張った甲斐あって今じゃこの支部の副ギルドマスターだ」
「この都市でそれは大したもんだな」
感心したようにガイが言うと、セリオスは少し目を細めた。
「俺としては、ガイの子供たちの成長に驚くばかりだ。近衛騎士団のエースと結婚祝いをしたのが、つい最近の事に思える。……もうこんな大きな子供が三人もいるんだからな。お互い年を取ったわけだ」
「え、母さんってエースだったの!?」子供たちが一斉に驚く。
リーナは恥ずかしそうに「やめて下さい。セリオスさま」と返す。
セリオスは子供たちにむけて語る。
「そうだぞ。入団時若干16歳で鉄壁式上級――白銀の盾を掲げる戦乙女だと、団内じゃ有名だったからな」
セリオスがさらりと言い、すぐに表情を引き締めた。
「……で、何だ。そんな家庭持ちが、なぜ今頃、帝国の冒険者ギルドで冒険者をやろうと思ったんだ?」
ガイは深く息を吐き、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「……セリオスが騎士団を辞めてから、俺も二年後に辞めたんだ。
理由は俺の長女のティナに魔法の才があるとわかったから……。
その時、帝国行きも考えたが、幼い子供のことを思えば踏み切れず、王国北方、辺境の村で静かに暮らしていた。
セリオスの眉がわずかに動く。
一瞬、視線が宙をさまよい、何かに思い当たったように細められた。
「魔法の才……結婚した時、お前たちに貴族の血はないと聞いていたが……まさか、聖光魔法か?」
「ああ」
ガイの声は低く、重い。
「もし王国の貴族や教会に知られれば、間違いなく引き離される。
才能ある子は“国の財産”とされ、連れて行かれ……二度と家族には戻れない」
その言葉には、抑えきれない怒りと悔しさが滲んでいた。
「……だが、つい先日だ」
ガイは拳を握り、机に置いた。
「帝国の七神将――ヴォルグが村を襲った。息子のカミナが雷鳴魔法を使って、そいつを退けた」
セリオスの視線がカミナとジークに向く。
一瞬、瞳が見開かれ――すぐに細められる。
「……は? 娘だけでなく、息子も雷鳴魔法だと? しかも、あの七神将を……この若造が退けた、だと?」
低い声には、驚きよりも信じがたいという色が滲んでいた。
「もちろん撃破じゃない。命からがらってやつだ」
ガイは苦笑を浮かべるが、声は重い。
「だが、あの規模の魔法を使ったとなれば……噂はあっという間に広まる。村にいれば、カミナはもう、ただでは済まない」
沈黙が落ちる。
セリオスはしばらく視線を落としていたが、やがて顔を上げ、真っすぐガイを見据えた。
「……それで村から離れ、逆に帝国に逃げ込んできた、ってわけか」
ガイは椅子からわずかに腰を浮かせ、背筋を正した。 その瞳には、迷いのない光が宿っている。
「……もうティナもカミナも、いい年だ。自分の身は自分で守れる歳になる。
これから俺たち家族は、いつまでも貴族や教会から逃げたくねぇ。
だが――力が足りない」
低く、しかしはっきりとした声が続く。
「子供たちには俺が教えられる最低限の三大流派は叩き込んである。ティナとカミナの二人は迅玉式の中級の腕前だ。
末っ子のジークは魔法の才が俺と同じくなかったが、破剣式で上級並みの力を持っている」
ガイは一呼吸置き、表情を引き締めた。
「ジークはまだまだ俺が鍛えてやれる。破剣式なら叩き込みようもある」
そこで言葉を切り、声の調子を落とす。
「……だが、魔法だけは俺じゃ無理だ。
貴族や魔導騎士がやっているように、真言を操り、詠唱を組み立てて効果を倍増させる――
あの技術を教えてくれる師匠が欲しい」
セリオスが腕を組み、静かに耳を傾けている。
「それと、単純な生活の問題だ。拠点にできる宿も知らねぇし、蓄えてた金もそろそろ尽きる。
ここで暮らすなら仕事が要る。俺たちに合った依頼を見つくろってくれ。
金も稼ぎ、戦いも重ね、みんなで強くなる――」
ガイはその拳を、机の上で握りしめた。
「そしていつか……ティナやカミナを連れ去ろうとする奴らが現れても、返り討ちにできる力を、この街で必ず手に入れる」
沈黙の中、セリオスがふっと笑う。
「……なるほどな」
セリオスは腕を組み、少しだけ口元を緩めた。
「……ガイ、お前には第三騎士団時代、法国の神殿騎士団との交戦で命を助けてもらった恩がある。
だから、できる限りの便宜は図ってやる」
その声は冷静だが、かすかに熱を帯びていた。
血煙と怒号の中、背中を預け合ったあの戦場の記憶が、言葉の奥底に滲む。
セリオスは軽く息を整えると、机に肘をつき、淡々と指を折った。
「まず一つ、連泊できる宿はすぐに紹介してやる。
二つ目、魔法の師匠の件はツテがある。当たってみるから少し待て。
そして最後に、仕事だ……お前の腕なら本来ゴールドクラスだが、手続き上はまずシルバーから始めてもらう。
冒険者の仕組みや依頼の流れも説明せにゃならんしな。明日、改めて受付に来い」
セリオスはそう言うと、机の引き出しからギルドの刻印が入った一枚の紙を取り出し、ペンを走らせた。
「お前の担当には、きっちり仕事ができる奴をつけてやる」
紙を書き終えると、宿名と住所が記されたメモと、ギルド印が押された紹介状をガイへ差し出す。
「……とりあえず、今日は休め。帝国じゃ、ちゃんとした宿じゃないと寝込みを襲われるぞ」
「恩に着る! 本当に助かる、セリオス」
ガイが深く頭を下げた。その真っすぐな礼に、セリオスは一瞬だけ視線を逸らす。
「……お前には何度も救われたからな。……まあ、それだけじゃない。お前ならこのギルドで大活躍するだろうという打算もある」
わざと軽口を混ぜ、肩をすくめる。
そして、まるで余計な感情を悟られまいとするかのように立ち上がった。
「……そろそろこの部屋を使う連中が来る。俺も暇じゃないしな。何かあれば担当に言え、検討を祈る」
会話の余韻を置き去りにするように背を向け、扉を開ける。
足早に部屋を後にする後ろ姿には、礼を受け流し、恩を背負わせまいとする不器用な優しさがにじんでいた。