勇者再臨、七神将の驚愕
誰もが倒れ、沈黙し、空気には焦げた匂いと微かに残る電流の音だけが漂っていた。
戦場には、かすかな白い煙と土埃が立ちこめている。人も獣も息をひそめ、世界が一瞬止まったようだった。
また、静けさの中で、カミナも意識を手放していた。
その身体を、ボルトが静かに引き継ぐ。
(……っと。こりゃ派手にやっちまったな)
重たい身体を引きずるようにして、ボルトはゆっくりと自分――いや、カミナの身体を起こす。
指先にはまだ微かな痺れが残っている。空気は焦げた臭いと、雨上がりのような鉄と土の匂いが混ざり合っていた。
視界の端で、倒れ伏した村人や兵士たちが”無防備な格好”で横たわっているのが見える。
動かない者もいるが、耳を澄ませば、誰もがかすかに呼吸をしていた。血の臭いも、死の気配もない。ただ”髪の毛が燃えた様な匂い”がした。
(……雷鳴魔法の制御、ギリギリ間に合ったか?死人は……いない、よな?)
胸をなでおろしながら、ボルトはあたりをぐるりと見渡す。
この状況で自分が一番やるべきこと――それは、守るべき人間を生かすこと。
リーナの姿を探し出すと、ボルトはすぐに駆け寄り、膝をついてその身体を優しく支える。
彼女の呼吸は浅く乱れているが、まだ温もりが残っていた。
……大丈夫か」
小さく呟きながら、ボルトは手をかざし、静かに真言を紡ぐ。
『癒しの女神よ、その慈愛を我が掌に宿し、傷を負える者へと注げ』
薄い金色の光が静かにリーナの傷口を包み、血が止まり、彼女の顔にかすかな安堵の色が戻っていく。
続けてボルトはジークにも掌をかざし、裂けた脇腹の傷を閉じさせる。
「……よし、ジークも大丈夫そうだな……だがみんな“服”が……。」
息をつきながらボルトは独りごちる。
その声には、ただのAIでも機械でもない、人間らしい優しさと安心感が滲んでいた。
――その瞬間、背後から猛烈な殺気。
「……!」
反射的にジークの剣をつかみ、背後から振り下ろされた一撃を受け止める。
ギリギリで剣と剣がぶつかり合い、金属音と火花が激しく飛び散った。
腕がしびれるほどの衝撃が全身を駆け抜ける。
土煙がふっと晴れると、そこには――
帝国七神将ヴォルグ・フォン・ゼルファスが
重厚な黒い鎧に身を包み、淡い黄金の光を帯びた聖剣を構えたまま、たった一人、鋼の意志で立ち上がっていた。
「貴様……今の力は何だ? その雷の力、まさか法国のものか?」
ヴォルグは言葉と同時に、鋭い踏み込み。
その剣閃が一直線にボルトを狙う――
ガキィィン!!
火花が散るほどの衝撃。
ボルトは咄嗟に剣を構え、全身に力を込めて受け止める。
鍔と鍔が押し合い、耳を劈く金属音が周囲に響く。
ヴォルグの剣圧は岩をも砕く勢いで押し込まれ、足元の石畳がきしんだ。
鍔迫り合いの最中、ヴォルグの鋭い視線がボルトを鋭く貫く。
その目は探るようであり、同時に“本物”を見極めるような静かな狂気を孕んでいる。
だが、ボルトはふっと口元をゆるめ、余裕の笑みを返した。
「さーね。王国出身てのは間違いないかな。ま、あんたに教える義理はないけどな」
ヴォルグの目がさらに細くなり、剣にぐっと力がこもる。
「……貴様、先程の者ではないな。魔族か?――ならば、斬る!」
一気に聖剣が押し込まれる。
だがボルトは、雷の力を流すことで衝撃を受け流し、一歩も引かず切り返す。
火花が再び爆ぜ、剣戟の音が乾いた空気を震わせる。
「おいおい、そんな顔すんなよ七神将。俺はな、こういう修羅場でこそ本領発揮すんだよ!」
バチバチッ、バチッ――
雷と氷がぶつかり合い、二人の間にエネルギーの渦が巻き起こる。
ヴォルグは本気の表情で畳み掛け、聖剣を高々と掲げた。
『凍てつく聖域よ――その牙で罪を穿て!』
「氷牙聖断!!」
白銀の光を帯びた斬撃が奔り、空間を凍結させながら襲いかかる。
大地は裂け、氷の柱が次々と噴き上がり、戦場を瞬く間に氷牢へと変えていく。
だが――ボルトもまた、剣を構え、雷鳴を全身に宿す。
『天よ轟け、我が刃にて万雷を束ねよ!』
「雷帝轟閃刃!!」
蒼白の稲妻が剣先から奔り、氷の刃と正面衝突。
轟音と閃光が弾け、雷と氷の斬撃が互いを削り合いながら爆ぜ散った。
戦場の空気は一瞬で霧散し、氷片と火花が雨のように降り注ぐ。
ヴォルグの目が驚愕に見開かれる。
「……馬鹿な、相殺だと? この聖剣で増幅した力を……!」
「どうした? もう終わりか? 七神将とやらは弱いものいじめしかできねえのかな!」
その一言に、ヴォルグの剣筋が僅かに揺らぐ。
ほんの一瞬だけ距離が開き、互いに呼吸を整える。
聖剣を構え直しながら、ヴォルグは探るように問いかける。
「……貴様、名は?」
ボルトは雷光を纏いながら、肩をすくめる。
「名乗るほどのもんじゃねぇけど……七神将ってのも、実は知らねえんだよな」
ヴォルグの瞳が細まり、剣先がわずかに下がる。
あえて説明するようにゆっくりと告げた。
「…………七神将とは、大陸全土を統一すべく選ばれた七人の将のことだ。その一人が、俺だ」
「ほう、お前クラスが七人もいるのか?」
「俺は団長だ。他の6人を束ねる立場でもある」
再び剣と剣がぶつかり合い、雷光と氷結が空間を爆ぜさせる。
ボルトは思わず、吹き出すように笑う。
「そんな偉いヤツが、こんな田舎に出張かよ。やることなさすぎだろ」
ヴォルグは一度だけ小さく息を吐き、
「……女帝の命令だ。王国北部――帝国との国境−城塞都市バストリア−を攻め落とすため、周辺の村を潰せとのこと」
言い終えてから、わずかに視線を伏せ、声の調子を落とす。
「――だが本音を言えば、息子と娘の初陣……どうしても、心配でな」
ボルトは肩を揺らして笑い出す。
「なんだよ、良いお父さんじゃねぇか。親バカかよ」
「貴様……口が過ぎるぞ。……だが、お前の問いには答えた。魔族ではないのか?」
「当たり前だ。あんな連中と一緒にされたら困る。……それにさっきまでの人格とも雰囲気が違うって、気づいてんだろ?」
「……その隙のない動き、喋り方……まるで別人だ。――もう一度問う。貴様、何者だ」
一撃、また一撃、剣と剣が鋭くぶつかり合う中、ボルトは今度は真剣な眼差しになる。
「説明すんのは難しいが……まあ、こいつは“勇者”の生まれ変わりみたいなもんだ。下手に手を出せば、マジでただじゃおかねぇ!」
その言葉と同時に、ボルトの全身を蒼白の雷が覆い尽くす。
「──天を裂き、雷霆を我が刃に! 万象を貫き、悪しき魂を灰燼と帰せ!雷帝聖裁!!」
剣身を包んだ蒼白の稲光が咆哮を上げ、斜め一文字に振り抜かれる。
──白い閃光が視界を覆い尽くす。
光速の一閃が通過する、その刹那。
ヴォルグの瞳がわずかに揺らぐ。
「……っ!」
咄嗟に身をひねり、間一髪で直撃をかわす。
遅れて轟音が空を裂き、戦場一帯の地面が深く抉れる。
石壁は粉々に砕け、背後の建物すら爆ぜ飛んだ。
土煙と火花が交錯する中、二人は互いを射抜くように睨み合った。
ボルトが再び剣を構えようとした瞬間――刀身に走った細かなヒビが、一気に砕けて散った。
金属片が火花と共に舞い、彼の足元へカランと落ちる。
「……ありゃ、壊れちまったか」
息を整えながらも、ボルトは口元にわずかな笑みを浮かべる。
「だが、もういいだろ。村は終わった、あんたも兵も引き上げろ。――ただし、村人には絶対に手を出すな」
ヴォルグも聖剣を下ろし、真剣な顔でボルトを見つめ返す。
「……ならば三度目だ。貴様の名は?」
一瞬、ボルトは視線を逸らした。
喉がわずかに動くが、言葉は出ない。
胸の奥で、遠い過去の記憶がざわめき――口を開くのをためらう。
それでも、観念したように低く答えた。
「……ロウ=ボルト」
その名を聞いた瞬間――ヴォルグの瞳孔が鋭く縮む。
握る聖剣の柄がミシ、と音を立てるほど力がこもり、呼吸が一瞬止まった。
脳裏に、先ほど放たれた異常な力の一撃が鮮明に映った。
――そうか、あの力は……。
背筋を冷たいものが駆け抜け、同時に胸の奥でぞくりとした興奮が膨れ上がる。
戦慄が、やがて満足げな笑みに変わった。
「……輪廻を超えて勇者が蘇ったか! 面白い……」
短く考える間を置き、口元がさらに吊り上がる。
「……よかろう! 兵は引き上げる……今日はこの勝負、預けてやろう!」
ボルトは剣のない右手を軽く払って火花を散らし、少しだけ真面目な声で話した。
「その聖剣は、元々俺の妹が使ってたものだ。本当は持って帰りたいが、預けておいてやる。……さあ、村人やお前の部下たちを起こしてやるとしようか」
静けさの中で、兵士や村人たちが一人、また一人とゆっくりと立ち上がり始める。
かすかな呻き声と、再び戻る人の気配。
戦場には、ほんの少しだけ、新しい空気が流れ始めていた。