絶望と覚醒——雷の咆哮
リーナが地面に崩れ落ちた。
――血に染まる大地。
雪のように白い肌が、じわじわと赤に染まっていく。
致命傷かもしれない……息が止まりそうになる。胸が締めつけられる。
「ティナ姐!! 母さんが……母さんを――!」
怖い。近づくのが怖い。俺の声はかすれて震えていた。
ジークはリーナの倒れる姿に、その場で膝をついたまま、拳を震わせてただ呆然と見ている。
ティナは急いで駆けつけ、震える手を伸ばす。
「――癒しの光、届いてっ!!」
強い光がリーナの身体を包む。でも、俺にはその光はあまりに儚く、吹けば消えそうな細い命綱にしか見えなかった。
その安堵は一瞬で、背筋を這う冷たい気配に塗り替えられる。
ヴォルグの氷の瞳が鋭く見開かれる。
「……ほう。聖光魔法、か」
ほんの一瞬だけ驚きを滲ませ、すぐにティナへと視線を細め、口元を歪めた。
「こんな辺境に、聖光魔法の使い手とは……真言の使い方も知らぬようだな……これは連れて帰る必要がある」
ティナの肩がビクリと震える。
ジークは怯えながらも、必死にヴォルグを睨み返していた。ティナを絶対に渡すまいと、必死の表情で。
⸻
ヴォルグは次に、ゆっくりと俺の方へ視線を向けてくる。
氷の瞳が今度は、俺を深く射抜く。
その視線だけで肺が凍りつき、心臓が嫌な音を立てて跳ねる。
「貴様は――指示ばかりか。戦わずして、勝てるとでも?」
ゆっくりと、口元が歪む。
それは侮蔑も、嘲笑も、哀れみすらも超えた、純粋な“格差”の視線だった。
喉が乾き、唇が張り付く。でも、それでも――
「……違う。俺は――知恵で戦う」
足が震え、声が掠れ、視界の端が霞む。それでも、言葉を絞り出す。
「武力も魔法もなくても――考え、導き、正しい未来を選ぶ。それが……俺の戦い方だ!」
一瞬、重たい静寂。
だが、ヴォルグはすぐに低く笑う。
「フハ――ハァーハッハッハ!!!」
その笑い声が、戦場の空気ごと斬り裂いた。
「知恵だと!? 貴様のような虚弱者が? そんなもの――無力だ!!」
聖剣が再び構えられ、刃先に青白い光が集まる。空気ごと凍りついていく。
「さあ見せてやろう――知恵では超えられぬ、絶対の力を!」
ヴォルグの蒼き剣先が――再びリーナに向けられた。
その刃には、氷の魔闘気が濃く宿っていく。
「白銀に沈め――《氷牙絶嵐》」
止めを刺すつもりだ。
「やめろ……やめろぉおおおおお!!!!」
絶叫が喉を裂いた――
その声が届いたのか、刃に宿った魔法はわずかに軌道を逸らし、
リーナとティナの頭上を掠めて――地面を瞬く間に氷の棘が覆い尽くした。刹那――
ジークが傷ついた身体で剣を構え、叫ぶ。
「もう――黙ってられねぇ!!」
ガイもゼクスと必死に渡り合いながら叫ぶ。
「ジークやめろ!コイツは”覚醒者”だ!カミナ!全員を逃がせ!!」
ジークが、ヴォルグに飛びかかる。
「ジーク――!!だめだ!!」
――だが、目で追うことすらできなかった。一瞬、銀光。
次の瞬間、ジークは宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「うわあああああああああ!! ジークーーーッ!!!」
もう何も考えられない。
「どうした? 知恵はどこへ行った?」
ヴォルグは、ゆっくりと俺に歩み寄る。その足音が、地獄の鐘の音のように重く響く。
「これが現実だ。力なき者が世界を変える? フハハ、戯言も大概にしろ」
剣先が俺に向けられる。氷の刃が青白い光を帯び、空気が凍りついた。
「貴様のような、頭でっかちの虚弱者が――私は一番、嫌いだ。
弱者は――死ぬべきだ!!」
『──静寂の深淵よ、万象を閉ざす鎖となれ』
「――凍獄封葬」
剣先から放たれた氷の奔流が地を這い、俺の足元を瞬時に凍結させる。
鋭い氷の鎖が生き物のように伸び、足首、膝、腰へと絡みついていく。
逃げ場は一切ない。氷は瞬く間に胸元まで這い上がり、冷気が肺の奥を突き刺した。
⸻
そして――俺の中で、何かが音を立てて崩れた。
(もう……無理だ……)
リーナが倒れている。血が、まだ止まらない。ジークが呻き声すら出せずに横たわる。ガイはゼクスや帝国兵に足止めをされ、ティナが怯えた目で俺を見ている。
(なんだよこれ……無理ゲーすぎる……)
心の中でボルトの声が遠ざかる。
『……相棒、まだ――』
(AI? 知恵? ……チート?)
意味がなくなる。言葉が砕けて、散っていく。
視界が暗くなる。
音も光もない真っ黒な虚無。ただ冷たい空気だけが漂っていた。
『……相棒……? 聞こえるか……?』
遠くでボルトの声がする。でも、掴めない。
「……俺、なにやってんだろ」
呟く声が、闇に吸い込まれる。
「現代の知恵で戦う? 日本のような未来を選ぶ? 笑わせんなよ……」
足元が崩れる。落ちていく。底のない闇の中へ。
「あんな魔法チート……化け物相手に……どうしろってんだよ……」
胸が苦しい。息ができない。
「守れなかった……母さんも……ジークも……」
闇の奥から、嘲笑が聞こえた気がした。ヴォルグの冷たい声。
《弱者は――死ぬべきだ》
「やめろ……」
《無力だ……無力だ……無力だ》
「やめろぉおおおおおおおおおお!!!!!」
◆ その時――
闇の奥で、何かがざわりと揺れた。
ひびが入り、そこから――紫の光が滲み出す。
バチッ……バチバチッ……
闇を裂く音。紫電が走り、足元から頭の先まで電流が駆け巡る。
眩しさに目を覆う。でも、その光は消えない。
闇が砕ける。何かが目覚める。
――そこで、声が重なった。
『相棒、しっかりしろ!』
普段の軽いボルトの声。
だが、その奥に――
《……まだだ。折れるな》
低く、重い声が重なる。まるで二人のボルトが同時に喋っているような、不気味な響き。
「……今の、誰だ……?」
光の中に、断片的な映像が連続して流れ込む――
――剣を握る、少女の背中……
――盾を構え、仲間を庇う男の姿……
――赤い炎を纏う、耳の長い少女の横顔……
――巨大な黒い影と、雷光に包まれる戦場の光景……
――そして、場面が切り替わる。
――息を切らし、駆け寄る焦った自分?……
「……これ……誰だ……? ボルト……?」
《……あの時も……間に合わなかった》
深い声が、ぽつりと漏れる。
《レイ……すまない。守れなかった》
胸が締めつけられるような後悔の響き。
《だから、今度こそ……》
声が震えていた。それは軽口とは程遠い、痛みを抱えた男の声だった。
『おい、相棒! 目ぇ覚ませ!!』
《俺は――失わせはしない》
二つの声が、重なったまま耳に響く。頭が割れそうだ。
「ボルト……? いや……お前、誰だ!?」
最後に、深い声がはっきりと告げた。
《――お前の身体を取り戻すまでは》
その言葉が、胸の奥に焼きついた瞬間――
◆ 覚醒 ◆
現実に戻った瞬間、俺の身体から雷光が弾けた。
天が裂けるような轟音が鳴り響き、炸裂する雷鳴が戦場を包み込む。地面が砕け、紫電が辺り一帯を飲み込む。
空気が焦げ、鉄の匂いが鼻を突く。
地面に張った氷が一瞬で蒸発し、白い蒸気が立ち上る。
ヴォルグの魔法は霧散した。
村人も敵兵も――誰もが呆然と立ち尽くす。
それは、怒りと絶望が呼び起こした――暴走の雷。
誰も制御できない。
誰にも止められない。
ただひたすらに、咆哮する力。