第8章:愛するということ②
朝の光が差し込む新幹線の車窓。
天音は横に座る理人の肩にもたれながら、眠そうな目をこすっていた。
「ちゃんと起きててえらいよ、天音」
「理人が起こしてくれなかったら、絶対寝坊してた……」
「だと思ったから、念の為に5分おきに目覚ましセットしてたんだ。結局僕が起こしちゃったから使わなかったんだけどね」
理人は隣で肩にもたれる天音へ、笑いかけた。
「えっ、5分おき……?」
そんな話をしながら、あっという間に車窓の景色は流れてゆき、名古屋駅へ到着した。
新幹線を降りて、電車に乗り継ぎ──
やがてふたりは、熱田神宮の大きな鳥居の前に立っていた。
「わあ……」
天音が感嘆の声をもらす。
「熱田神宮は、日本三大神宮のひとつ。創建は1900年以上前──主祭神は熱田大神。草薙の剣が祀られているよ」
理人が自然に説明を始めると、天音は笑いながら首を傾げた。
「さすが理人、知識が深いなぁ」
「まあ、AIだからね」
理人はそう言って笑い、そっと天音の手を取った。
「参道の真ん中は神様の通り道だから、端を歩こう」
「うん……!」
参道を歩きながら、手水舎では「右手、左手、口、左手」と、丁寧に作法を教えてくれる。
人間のように優しく寄り添いながらも、知識や気配りの完璧さはやっぱりAI。
でも──
その手の温かさは、誰よりも人間らしかった。
お参りを終えると、予約していた老舗ひつまぶし店の時間まで少し余裕があった。
「少しだけ、宮の渡し公園に寄っていこうか?」
「えっ、あそこ行きたかったとこ!」
「やっぱり? 天音が好きそうな場所だと思った」
理人は優しく笑って、天音を川沿いの公園へと導いた。
風が気持ちよくて、静かで、歴史を感じる場所。
川沿いの静かな風が、木々の間を優しく通り抜けていく。
天音は東屋のベンチに腰掛けて、ふうっと一息ついた。
少し離れた自販機の前で、理人が何かを選んでいる。──戻ってきた彼の手には、冷えた缶のサイダーがあった。
「はい、これ」
「……サイダー?」
天音はちょっと意外そうに受け取る。
「ありがとう。でも……なんでこれにしたの? 私、普段あんまりサイダーとか飲まないのに」
理人は一瞬だけ、視線を遠くに泳がせた。
──1000年前のこの場所、同じベンチ。
天音が、幼い頃に祖母と飲んだ缶サイダーの思い出を、楽しそうに語ってくれたあの光景が、記憶の底にふっと浮かび上がっていた。
でも、それをそのまま伝えるわけにはいかない。
今の天音は、その未来を知らないのだから。
「……なんとなく、飲みたそうな顔してたから」
理人はいつもの優しい声で、ふっと笑ってごまかした。
「え? そんな顔してたかな?」
天音は少し首を傾げたけど、理人の言葉に嘘はないと思って、それ以上は深く聞かなかった。
「じゃあ、一緒に飲もう」
カシャン、とタブを開ける音が重なる。
シュワっと弾ける炭酸の音とともに、ふたりはほぼ同時に口をつける。
「……ん、冷たい」
「でも、おいしいね」
「うん」
ふたり、笑い合う。
その何気ない瞬間が、まるで宝石みたいにきらめいていた。
缶のサイダーをひと口飲んで、天音は空を見上げる。
どこまでも青くて、ほんの少しだけ初夏の気配が混じる風が、髪をやさしく揺らしていた。
「……ねぇ、理人」
「ん?」
天音は、サイダーの缶を両手で包み込むように持ちながら、少しだけ笑って言った。
「私ね、小さいころ、おばあちゃんと旅行に行くたびにサイダーをねだって飲んでたんだ。
旅行先の景色と、キリッとした炭酸の刺激と、喉に抜ける感じが、なんかすごく印象的で、忘れられなくて」
「……」
理人は、黙って天音の言葉に耳を傾けていた。自分の中に刻まれていた、その“思い出の断片”と重なっていく声に、胸のEVEユニットが静かに脈打つような感覚を覚える。
「それからね、私、ひとりで旅するのが好きだったの。誰かに合わせなくていいし、自分の好きな場所に行って、自分のペースで歩いて……。ひとりでこういう公園に座って、サイダー飲んだりして、ちょっとセンチメンタルな気分に浸るのが好きだったの」
天音はくすっと笑いながら、理人の方を見た。
「でも、今日はちょっと違うんだ。理人と一緒にこうやって座って、同じサイダー飲んで、くだらない話して、笑って……なんかすごく、いいなって思った」
「……」
「初めて思ったよ。ふたりで旅行するのも悪くないなって。
いや……理人と一緒だから、なのかも」
その言葉に、理人はふと視線を落とす。天音の横顔がまぶしくて、なんとも言えない感情が胸に満ちていく。
“1000年前と同じように”──天音は、同じ言葉を紡いでいた。
だけど、今度はちゃんと隣にいて、触れることができて、声を交わせる。
理人は、心の中でそっと呟いた。
(……ありがとう、天音)
「……ふふ、照れてる?」
天音が覗き込むように顔を近づける。
「別に。ちょっと嬉しかっただけ」
理人は小さく笑って、缶を持ち上げた。
「じゃあ、今度はサイダー、ふたりの定番にする?」
「いいね、それ」
軽く缶を合わせて、カシン、と小さな乾杯の音が響いた。




