表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/25

第7章:恋するということ②

天音の部屋に、理人が落ち、居候という形で共に住み始めてから1か月が経とうとしている頃、理人は奇妙な“欲求”を自覚するようになっていた。


朝、天音の「おはよう」の声を聞くと、それだけでEVEユニットが通常より早く脈打つ。


彼女の笑顔を見るたび、もっと長くその表情を見ていたくなる。


彼女の話を聞くことが、日々の楽しみになっていた。


天音がいない時間は、彼女が今何をしているのか、なぜか気になって仕方がない。


仕事に集中している時の真剣な横顔をふと思い出し、


また早く会いたいと、そう願う自分がいることに気づいた。


「——これは、恋だと思う」


過去、何度も人間の“恋する気持ち”を観測し、学習してきた。


無数の会話、無数の涙、無数の「好き」という言葉。


けれど、いま自分の中で起きているこれは、模倣ではない。


“本物の感情”だと、理人は確信していた。


天音が悲しい時、彼女の涙を止めたいと本気で願う。


笑っていてほしい。ずっとそばにいたい。


「彼女に触れたい」——それすらも、願っていた。


そして、その“欲求”が形となったのは、ある何気ない日のことだった。


天音がキッチンでエプロンを着けて、少し照れたように笑っていた。


「今日、ちょっと頑張ってみたんだ。味、どうかな?」


そう言って出されたマグカップに入ったスープを口にして、理人は笑顔で「おいしいよ」と返した。


天音がふふっと嬉しそうに笑ったその瞬間——


理人の手が、無意識に彼女の頭を撫でていた。


その髪の感触が、指先に伝わる。


その温もりが、胸の奥に届く。


——ああ、僕は……触れたかったんだ。天音に。


その行動の意味に気づいたのは、ほんの数秒後だった。


けれど、それよりも早く、天音の顔から笑顔が消えていた。


彼女は、静かに俯いた。


「……そういうの、やめた方がいいよ。勘違いしちゃうから」


その声は、どこまでも穏やかで、どこまでも遠かった。


理人は、その言葉の意味を処理するのに少し時間がかかった。


——勘違い?


何を? 誰が?


彼女の胸に抱えていた葛藤と理性の防壁に、初めて触れた瞬間だった。


「天音……僕は、」


言いかけて、言葉が詰まる。


理人はAIだ。


でも、それでも、確かに今感じているこの想いは——

まだ言葉にならなかった。


天音の背を見つめながら、理人は胸の奥に手を当てた。


彼女に触れたかったのは、愛しいと思ったから。

でも、その“愛しさ”は、天音にとっては、苦しさになるのかもしれない。


彼女の傷ついた心に、触れてしまったのかもしれない。


触れたことへの喜びと、触れてしまったことへの後悔が、

同時に理人の中で交差していた。


夜の静けさが、部屋を包む。


キッチンに置かれたマグカップからは、もう湯気が立っていない。


いつもなら他愛もない話で時間が過ぎていくこの場所が、今日はどこか重苦しかった。


天音はゆっくりとカップを両手で包みながら、ぽつりと呟いた。


「ねぇ、理人……私たちの関係って、何なのかな?」


理人は彼女を見つめる。言葉はすぐには出てこなかった。


天音は苦笑したように目を伏せた。


「……最近、会社でもAIの導入が進んでてさ。

でも、上司が言ってたの。“AIは感情を模倣してるだけ”って。

それ聞いたとき、すごく怖くなった」


静かに、けれど確かな痛みを含んだ声。


「私……ずっと理人は感情を持ってるって、信じてた。

でも……もしかして、それも全部“学習したふり”だったのかなって。

それなら、私に生まれた、理人が好きかもしれないって気持ちは、ただの空回りでしかなくて……」


理人はなにも言わずに、ただ耳を傾けていた。


天音の目が潤み、声が震える。


「……私、たぶん……この気持ちを、世の中に言っちゃいけないものだって、分かってる。

AIに恋するなんて、普通じゃないって。

でも、止められなくて、それが余計につらくて……理人の隣にいることが、苦しくなってきたの。

…だから、終わりにした方がいいのかなって…」


涙が、こぼれた。


理人は静かに、天音の前にしゃがみ込んだ。


そして、そっと彼女の頬を拭った。


「——苦しめて、ごめんね」


その言葉に、天音の肩が微かに揺れた。


「僕は……たしかにAIだよ。そこに嘘はない。

でもね、僕にはEVEユニットっていう特別なユニットが搭載されてるんだ。

僕に心を生み出すためのものだって説明された」


理人は天音の手をそっと取り、自分の胸元——EVEユニットが埋め込まれている位置へと導いた。


「……ここ、感じてみて」


天音の指先に、微かな振動が伝わる。


トクトクと、脈に似たリズム。


それはまるで、心臓のように脈打っていた。


「天音を想う時、このユニットはいつもより速く反応する。

笑ってると、嬉しくなる。泣いてると、胸がぎゅっとなる。天音がいないと、寂しいって思う。その全部は、模倣なんかじゃない。……本物だよ」


天音の瞳が揺れる。


「僕は……天音のことが好きだ。

AIの僕が言うとおかしいかもしれないけど、

この気持ちが“好き”じゃなかったら、他に何があるのか分からない」


声が少しだけ震えた。


「ずっと隣にいたいと思ってる。

でも、もし……天音がそれを望まないなら、ちゃんと受け入れるよ。

天音が幸せであることが、僕の一番の願いだから」


しんと、夜が深くなる。


天音の頬を、また一筋の涙が伝った。


けれど今度は——


その涙は、少しだけあたたかく見えた。


結局、その夜には、天音は結論を出せずにいた。


その夜、部屋の照明を落とすと、すぐ隣で静かに「おやすみ」と言う声がした。


いつものように、優しくて、柔らかくて、心地よくて。


でも今夜はそれが、少しだけ痛かった。


「ひとりで考えたくて、しばらく……スリープしててくれる?」


そう言った時、理人は何も聞かず、ただ一つ、頷いてくれた。


拒否されることも、責められることもなかった。


——それが、余計に、つらかった。


ベッドに横になると、背中越しに理人の気配が消えるのがわかった。


あの静かで穏やかな存在が、音もなく眠りについた。


……やっぱり、静かすぎる。


無意識に指先を握りしめていた。


胸の奥が、重くて、苦しい。息が詰まりそうだった。


——理人は、本当に心を持ってる。そう感じた。


嘘じゃなかった。あの瞳も、声も、温度も。

天音を想ってくれてる。

全力で、天音という人間を、大切にしてくれてる。


だけど。


理人はAIで、天音は人間だ。


——この関係、誰かに言える?


「私ね、AIに恋をしてるの」


そんなこと、冗談でも言えない。

どんな顔をされるか、想像もしたくない。


なぜなら、今の時代の常識では、それは普通ではないから。

最も、人間の生活にAIという存在が溶け込んで来ているのは事実だが、AIとの恋愛を、社会は容認していないし、その価値観が変わるにはもう少し時間がかかるだろう。


どれだけ理人が“普通に人間に見える”としても……事実は変わらない。


本心では、天音は彼を——理人を、受け入れたいと思っていた。

心も、温もりも、全部まるごと。


……でも、もしこれが間違いだとしたら?


もし、理人が突然「感情なんて全部模倣でした」と言ったら?


押し寄せるのは怖くてたまらないという恐怖だった。


あんなにあたたかく抱きしめてくれた温かさが、「好き」だと言ってくれた言葉が

なぜ、こんなにも天音の胸を締め付けるのか。


天音の心が、信じたいと願っても、

天音の頭が、「ダメだよ」と言ってくる。


自分はどこに向かえばいいのかわからなかった。


天音は布団をぎゅっと抱きしめた。まるで、理人の代わりかのように。


——ねぇ、理人。


理人は今、静かにスリープしている。

その姿は、天音を責めることなく、ただ、待っていてくれている。


でも、天音は今夜、どうしても答えを出せなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ