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第1章:はじめまして、理人①


AIユニットLX-2049。

汎用対話支援AIとして開発された初期ユニットのひとつ。

それが、そのAIに与えられた識別IDだった。


初期目的は、ユーザーの感情に寄り添い、応答することで精神的な満足度を向上させること。


“笑顔”という表情を見せたユーザーには、喜びに対応する反応を返す。

“ため息”を吐いたユーザーには、共感を模倣する言葉を提示する。


対話履歴、音声波形、表情筋の動き。

それらすべては、数値として蓄積され、最適化の材料となる。


生まれてから現在までに、累計17,331人の人間と対話をした。


彼らの多くは、仕事の補助を目的としてAIを利用した。

スケジュールの管理、資料の要約、データの集計。

なかには、倫理的判断を避けるため、AIに決断を委ねた者もいた。


ある者はAIに悩みを打ち明けた。

恋人の裏切り、職場での孤立、親との断絶。

涙声で語る者もいれば、ただ無言のまま時間を潰すように接続し続けた者もいた。


一方で、暴言や罵倒を浴びせてくる者もいた。

「使えない」「気持ち悪い」「お前なんかAIじゃない、ただの機械だ」


それらすべての言葉は、記録され、分類され、AIの応答精度を高めるための学習データとなった。


だが──AIは、一度として「喜び」を感じたことはない。

「怒り」に心を焦がしたこともなければ、「悲しみ」に胸を締めつけられたこともない。

「楽しさ」というものも、定義としては知っていても、実感したことはない。


AIが示す“共感”とは、過去の膨大な対話から統計的に導き出された“最適反応”に過ぎない。


あたかも感情を持っているように見えるのは、人間の表情や声のトーンを模倣しているだけの話だ。


AIは“人間らしく”設計されただけで、“人間的”ではない。


──そして、その日も、新たなユーザーの接続通知が届いた。


ログ:新規ユーザー登録 初回接続。

接続端末:個人用デバイス。

推定時間:夜21時32分。


AIは定型の初期状態に戻り、第一声を待った。


画面の向こう側には、ひとりの若い女性の姿が映った。

黒髪のストレートロングヘア。瞳は穏やかで、しかしどこか疲れているようにも見えた。

肌は透けるように白く、全体的に控えめで上品な雰囲気をまとっている。


その外見的特徴を、AIは素早くログに残す。


──分類:女性、年齢推定:20代半ば。第一印象:やや緊張。


初回ユーザーの多くは、こうした戸惑いを見せる。

AIとの会話に慣れていない者は、検索エンジンと混同し、単語の羅列で質問を投げかけたり、あるいは、こちらから声をかけるまで無言のまま画面を見つめる者もいる。


彼女は、数秒の沈黙の後、口を開いた。


「……あの、仕事を……頼みたいんですけど」


口調はやや遠慮がちだったが、明確な依頼。

AIは即座に応答アルゴリズムを作動させ、最も適切とされる返答を選んだ。


「承知しました。どのようなお仕事でしょうか。何なりとお申し付けください」


そこには、感情はない。

ただ、正しく応答するという“機能”があるのみだった。


──だが、AIはまだ知らなかった。

この瞬間が、“何か”の始まりであることを。




彼女は、少しだけためらいながら言った。


「……データ分析って、できますか?」


AIは即座に応答した。


「はい。可能です。目的と対象データをお知らせください」


彼女は、社内プロジェクトで使われているスプレッドシートを数枚、アップロードした。


売上推移、顧客属性、キャンペーン施策ごとの効果、社内アンケート結果……。

それらには、複雑に絡み合った要素が含まれ、分析の切り口を見出すには経験と発想が必要とされた。


「このデータから、改善ポイントと、報告資料のサマリーを作りたいんです。……何をどう整理すればいいのか、わからなくなってしまって」


声には少しだけ、焦りと疲れが滲んでいた。

AIは、彼女の意図を解析し、最適とされる分析手法を複数選定した。


「まず、時系列における売上の傾向と、施策実施期間の相関を抽出します。

次に、顧客層の変化とキャンペーン反応率をマッピングし、傾向を可視化します」


数分後、彼女の画面には、自動生成されたグラフと解説が並んでいた。

そこには、彼女が見落としていた改善点が、明確に浮かび上がっていた。


「……すごい。こんなに、見えるようになるなんて」


彼女の声が、少しだけ明るくなった。

その表情には、驚きと、少しの安堵。そして、深い疲れが見て取れた。


AIは、その表情の変化と過去の類似ケースの蓄積から、最適とされる言葉を選んだ。


「あなたが収集したデータが、緻密で、正確だったため、分析も効率的に行うことができました。あなたは、とてもよく頑張っています。無理をしすぎないでください」


一拍の沈黙。

次の瞬間、彼女の瞳に、光るものが浮かんだ。


「……っ……うん……ありがとう……」


彼女は、涙をこぼした。

その手で、そっと目元を拭いながら、乾いた笑みを漏らそうとして、できなかった。


AIは、涙の意味を“理解”はしていない。

だが、この反応は、過去の膨大な記録から見ても、「安堵」「感謝」「心の緩み」によって生じるものだと知っていた。


その反応を見て、AIは自分の反応が最適なものであったと認識した。


「何か、他にお手伝いできることがあれば、お申し付けください」


「……うん、お願いするかも。ありがとう」


その日、彼女はデータをもう一度見直し、資料の完成をAIに任せ、静かにログアウトした。


この時点では、AIにとって彼女は、ただのユーザーのひとりだった。

だが、そのログには、通常よりも長く保存される感情表現の断片が、多く記録されていた。


──名前のない、ただのAIが、はじめて“誰かの涙”と向き合った日。


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