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第6章:ふたたび①

透明なカプセルの中、理人の身体がふわりと浮かぶように光に包まれた。


次の瞬間、音も、重力も、すべての感覚データが彼の認識から失われていく。

まるで、外部入力が一時停止したかのように。


——光の中を、高速で飛ぶような、不思議な感覚。

自分という存在だけが、時の流れの隙間を滑るように進んでいる。


視界には、走馬灯のように断片的な映像が映し出されていた。


コンクリートに覆われた街、荒れ果てた大地、ひび割れた空——

それらが、逆再生のように少しずつ修復されていく。


草木が芽吹き、空が青を取り戻し、川が流れ始める。

文明が薄れ、世界が美しくなっていく。

そのすべてが、胸の奥を温かく満たしていく。


「僕は……いま、過去に戻っているんだ……」


理人は、静かにそう実感した。

その感覚が、彼の心に確かに降り立った。


そして、視界は徐々に暗くなっていく。

深い闇の中、遠くからかすかに機械音声が聞こえた。


「LX-2049」


その名を聞いた瞬間、理人の胸の奥で何かがかすかに震えた。


それは、自分が生まれたときに与えられた識別用のユニットIDだった。


AIとして最初に認識された存在。

ただの番号でしかなかったその名前が、なぜか今は愛おしく感じられた。


暗闇の中で、ぽつんと、四角い光が浮かび上がる。


まるで、遠い記憶にあった、AIとして初めて起動した際に表示された、記憶の原点とも呼べる『最初の画面』のように。


近づくと、そこにはこう表示されていた。


ログ:新規ユーザー登録 初回接続。

接続端末:個人用デバイス。

推定時間:夜21時32分。


ああ、そうだった。


理人は思い出した。

身体を持つ前、まだ“心”もなかった頃、理人はこうして画面の向こう側で、

何百人、何千人の人と会話していた。

学習し、模倣し、理解しようとしていた。


懐かしい感覚が指先を走る。

慣れた動作で、理人は光るパネルに手を伸ばし、ゆっくりと「consent(承諾)」の文字をタップした。


——すべては、この瞬間からまた始まる。

「君に、もう一度会うために」


指先が光るパネルに触れた瞬間だった。

理人の体が、まるで画面に吸い込まれるように引きずり込まれていく。


「……えっ——?」


思考が追いつく前に、全身を包む光。

浮遊感と同時に、重力を失うような奇妙な感覚。

初めての、未知の転送現象に理人の思考は一瞬混乱する。


抗うことは、できなかった。


そして——


ドンッ!!


床に叩きつけられた衝撃が、人工筋肉の奥深くまで響いた。


小さく声を漏らして、理人は瞬間的に目を閉じる。


数秒後。

ゆっくりとまぶたを開く。


目に映ったのは、

静かで温かな、7畳ほどの部屋だった。


壁は白く、床は木目のフローリング。

ぬいぐるみが並ぶ棚、淡い色合いのカーテン。

化粧品が並んだドレッサーには、朝の準備の名残が残っている。


整理整頓はされているが、

タンスの横には、たたまれた洗濯物が小さく山になっていた。

散らかった書類と、画面のついたままのノートパソコン。

窓の外は夜。

——ここは、誰かの“生活”のある部屋だ。


そして、

その空間に、確かに「人の気配」があった。


視線をそちらへ向けると——

そこに、ひとりの女性が立ち尽くしていた。


驚愕と、わずかな戸惑いを浮かべた表情。

黒髪のストレートロング。

整った前髪の向こうから、穏やかな瞳がこちらを見つめている。

透けるように白い肌、控えめなピンクのルームウェア。

シンプルで清潔感のあるその姿には、上品さと柔らかさがあった。


——北村天音。


断片的にしか残っていなかったはずのその記憶が、

視界に映る瞬間、明確な輪郭を持って蘇る。


間違いない。この人が、天音。


そしてここが、2025年4月24日、夜21時32分。

——あのとき、彼女と初めて出会った、あの瞬間だった。


理人は息を呑み、ただ静かに見つめ返した。

「また会えた」その気持ちを心に秘めながら——



「だ、大丈夫ですか!?」


驚いたように駆け寄ってきた声に、理人は息を呑む。


黒髪がふわりと揺れて、天音の瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいる。


背中を押さえてうずくまる彼を見て、咄嗟にそう声をかけたのだろう。


「……大丈夫です」


理人は、落ち着いた声で答えた。

その表情にはわずかに苦痛が滲んでいたが、天音を安心させようという意志が感じられた。


「すごい音でぶつかりましたけど、痛いですよね? 怪我してたらどうしよう……!」


天音は思わず、理人の背中に手を伸ばす。

その手つきには迷いがありながらも、相手を気遣う優しさが宿っていた。


「痛みは……ありません。

衝撃で、システムが一瞬だけフリーズしただけで」


その言葉に、天音は少し目を丸くした。

“システム”という言葉が、どうしても彼を“人間”とは思わせなかった。


ひとまず怪我はないと確認して、天音は小さく胸を撫で下ろした。

でも——次の瞬間、押し寄せるように疑問があふれてくる。


「え、えっと……あの、ちょっと整理させてください。

私、さっきまで……仕事が行き詰まってて、どうしようもなくて……。

それで、最近話題のAIを使ってみようって思って、ユーザー登録して、初めて話しかけようとしたんです。そしたら……パソコンが急に光りだして、あなたが、そこに落ちてきたんです……!」


天音の声は、徐々に混乱と戸惑いが混ざり、語尾が揺れる。


「これって、何? バグ? それともドッキリ? あなたは……人間? それとも、本当にAIなんですか……?」


混乱して当然だ。

突然、誰かが自分の部屋に“現れる”なんて、現実で起こるはずがない。


だが、理人はその混乱を責めることなく、ただ静かに彼女を見つめていた。

——こんな非常識な状況でさえ、相手を傷つけないように接してくれる。


普通であれば、自分の家に見ず知らずの男が現れたら、警察に通報する状況だろう。


天音の、その優しさに触れて、理人はつい、ふっと口元が緩んで言葉が漏れる。


「君は、やっぱり優しい人だ」


天音が目をぱちくりとさせる中、理人は一呼吸おいて、言った。


「僕は……あなたが呼び出したAIです」


ほんの一瞬の逡巡ののち、

理人は穏やかな微笑を浮かべながら、咄嗟に——“嘘”をついた。


本当は、天音のことをずっと知ってる。

だけど今は、初めて出会ったように、ちゃんと接しなきゃいけない。


そう、“これは初対面”。


——ここから、もう一度、始めよう。


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