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掌編置場

刻まれるもの

作者: 須藤鵜鷺

 柱時計が午後三時であると音で伝える。実際の時間は午後三時十五分だけど。

 手動で時計の時刻を合わせるなんていう面倒なことを、この家の家主こと私の父は長年の間やっていたらしい。スマホを買ってからはスマホの時間を見て。それ以前は腕時計の時間を見て。その腕時計には自動で時間を合わせる機能がついているから、アナログだけど正確な時間を知ることができるそうだ。どうせならこの柱時計にもその機能を付けてほしかった。だって時間を合わせる人がいない今、この柱時計はトンチンカンな時間に時報を鳴らし続けているのだ。

 ガンが見つかり、数か月入院していた父は先日、亡くなった。初七日を終えて、バタバタとした葬儀からやっと一段落したところだ。バタバタしすぎて、自分がいま悲しいのかどうかもはっきりしない。実はまだ入院しているだけのような気がしてしまう。少しずつ時間のずれていく柱時計だけが父の不在を証明しているようだった。

 少なくとも私が物心ついてからこれまで、この柱時計の時間を合わせるのは父だけだった。元々は父の祖父、つまり私の曽祖父にあたる人がこの家を建てたときに購入したものらしい。子どものころは、この大きな柱時計が怖かった。常に動き続ける振り子とか、やたら響く秒針の音とか。まだ幼かった兄がふざけて柱時計に触って、存命だった祖父からこっぴどく叱られたこととか。とにかく私にとっては不吉の象徴みたいになってて、すすんで近づく気にはなれなかった。最近になって昭和レトロが流行って、うちにあるのと似た柱時計を映像とかでよく見かけるようになった。でもそれが実際に家にあるのは別に嬉しくもないし、私にとっては単に古い時代の残り物でしかない。

 形見分けをしたとき、父がいつも身につけていた腕時計は兄が持っていった。でも普段はつけないらしい。スマホで時間がわかる今、腕時計はなんだかセレブを気取っているようなちょっと嫌味な品になりつつあると思う。実際高価なものらしいので仕方ないと思うけど。そんな良いものを父が身につけていたというのはちょっと意外な気もする。うちは別に上流家庭ではないし、家の敷地が広いのは昔農家だった名残だ。そのころの畑はとうに売ってしまって、今では昔倉庫があった跡地を使って母が家庭菜園をやっているだけだ。

「お母さん、この柱時計どうするの?」

 現在この家を取り仕切っているのは兄ではなく母だ。兄は自分で家を建て、そこで今の家族と暮らしている。気持ちはわかる。この家は古すぎて、いろいろのことが今の生活には合わないから。

「そうねぇ」

 ただその肝心の母も、考えているようないないような曖昧な返事しか返さない。こんなに早く父が亡くなるとは思ってなかっただろうし、喪主やらなんやらで私なんかよりずっとバタバタしていたから、疲れているのだろうとは思うけど。それでも今後のことを思うと心配が頭をもたげてくる。いつまでも心ここにあらずでいるわけにはいかない。遺された者には遺された者の生活があるのもまた事実なのだ。

「こういうことって勢いでやっちゃわないと、なぁなぁにしたままずっと放置することになるよ」

「でもねぇ」

「なに?」

「思い出のあるものだから、そう簡単にはねぇ」

 思い出。この柱時計の話でそんな言葉が出てきたことに衝撃を受けた。

 てっきり母も私と同じで、この柱時計の存在を疎んじているのだと思っていた。それでも踏ん切りがつかないようだったから、背中を押すつもりでいた。もはや正しい時刻を刻めないかわいそうな歴史の遺物には引退してもらった方がいいと思っていた。

「あなたはこの時計、あまり好きじゃなかったものねぇ」

 母にとっては違ったのだと、今このときになって知った。

 この柱時計が刻んできたもの。それは時間だけではなく、なにか大切なものもあったのかもしれない。

 あぁなんで。今このときに父がいないのか。

 柱時計の奥に浮かぶ幻の父の姿に、私はようやくひたひたと悲しみが迫ってくるのを感じた。

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