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私が○○と呼ばれるまで。

作者: 雨後の筍

 私は、間違っていたのだろうか。

 筆を取る手が震えている。私は、怖いのだろうか。

 死ぬ事が怖いわけではないし、己の人生が間違えていたかもしれないという事が怖いわけでもない。

 間違いかどうかなんて、この期に及んでは、最早どちらでもいいのかもしれない。

 これから辿る道は一つなのだから。

 それよりも、私が遺していくものたちが、これからどうなっていくのかが恐ろしいのだ。

 私がいなくなった後、私がどうにか守ろうとしたものたちが、無惨にも蹂躙される事のないようただただ祈る事しかできないのが歯痒く、何より恐ろしい。

 どうせこれは燃やしてしまうが、心残りを全て無くす為にも、最後に一つしたためておく。

 私が、◯◯と呼ばれるまでを。



 世界が大きく変わったのは、一人の科学者のせいだった。

 科学者と名乗っていたにもかかわらず、彼が世界に名を轟かせたのは、魔法の発見だった。

 体の中には、ある不思議なエネルギーがあり、それを彼はオーブと呼称していた。

 それが、媒介を通じて外の世界に影響を及ぼす現象を発見した。

 炎が出たり、水が出たりなんていう直接的なものもあったが、重力や、慣性など、この世の法則と呼べるものに干渉するものもあるらしい。

 これが、彼の見つけた魔法というものだ。

 初めて発見された時は、皆にわかに信じがたいといった様相だったが、私はその存在にすぐ合点がいった。

 そして、これは私にとって、非常に重要な発見だという事もすぐに理解した。


 私は、とある国の端っこの町で医者をしていた。

 大きな病院で働いているわけでもなく、王国仕えをしているわけでもない、その辺のどこにでもいる町医者の一人だった。

 風邪をひいた患者に薬を渡し、病気で衰弱した者には滋養強壮に効くものを処方したりと、特段変わったことは何一つしていなかった。

 ただ一つ、私達ではなく、町の方に原因があることを除いて、私はごく普通の医者だった。

 そんな私が、魔法をすんなり受け入れることが出来たのは、その町の原因に他ならない。

 それは、病だ。

 この町の人々にだけ起こる不思議な病。

 体の一部が変形し、異形な姿となってしまう病、人はこれを終の病と呼んだ。

 その名の通り、これを発症した人間は、三ヶ月経ったら死んでしまうからだ。

 終の病にかかった者は、皆その姿を恐れ、遠ざけられた。

 友人や親せき、飼っていた家畜や実の家族でさえも、終の病にかかった者は、最も忌み嫌うものの様に扱われた。

 町の中でさえその有様だ。町の外から見たら、町の人間全員がそう見えるのは言うまでもない。

 そんな、終の病に罹った人々の、最後の拠り所が、私の病院だった。

 中には、私の事も終の病の患者の様に毛嫌いする人もいたし、医学生時代の友人からは、憐れみを受けたりもした。

 しかし、元々虫も殺さぬ様な性格だったからというのもあってか、他者に何かを言われたりしても特別不快に感じる事はなかった。

 それどころか、終の病で苦しい思いをしてきた人々が、この病院で安らかに過ごせることを考えたら、畏怖や憐憫など安いもんだと思った。


 当然私も、腐っても医者の端くれである。

 終の病なんて到底、あぁそうですかと受け入れられるはずもなく、徹底的に調べ尽くした。

 腕から足が生えてきた人の、足の爪を採取し、胸のあたりから刃の様な鋭い物体が生えてきた人の組成をくまなく調べたり、家畜に至っては生えてきたものを全て切除した。

 が、しかし、爪はその人の爪そのものであり、物体の組成は明らかに人で、家畜は何の効果もなく、あっさりとこの世を旅立った。


 そんな日々の中、一人の患者が私の元に話をしに来た。

 両腕が鎌の様に変異してしまった、通称カマキリさんと呼ばれている人だった。

 彼は、ここに来て二ヶ月が経っており、あと一か月の命だった。


 彼は、私に会うなり、「僕の体がおかしいんです」と言い出した。

 そりゃ、終の病だからおかしくなっているのは仕方のない事だろうとも思ったが、どうやらそういった話ではないらしい。


「体の内側から、何かが蠢く様な感じがする」


 そう訴えてきたのだ。

 カマキリさんは優しく、穏やかな人で私の病院の中でも、人気があった。

 そんな穏やかな人が、血相を変えて言ってくることに、私は少々驚いた。


「私の体を隅々までいじりつくしていいから調べてほしい」


 そこまで言われて、カマキリさんの体の中を調べたが、何も異常は見つからなかった。

 カマキリさんは、不服そうな顔をしていたが、その時の私には本当にどうしようもなかった。


 なぜこんな結果が出るのか、そして、何故この者達はもれなく死んでしまうのか、最初は町に原因があると考えた。

 何らかの菌の様なものが、体を侵し、組織構造そのものを変えてしまうのだと。

 しかし、特別にこの町がおかしい点は見つからなかった。

 それに、菌が原因なら他の国や地域でも出ていてもおかしくないはずなのに、一切報告がない。

 隠蔽しているとも考えられたが、隠蔽するにしても本人は恐らくこの町に運ばれてくるはずで、やはり出ていないと考える方が自然だった。

 私は、焦っていた。

 私が原因を究明できずにいる間にも、一人また一人と旅立ち、一人また一人と患者は増えていく。

 病院にいる異形の患者達は、皆私に感謝の意を伝えてくれる。

 穏やかな日々をありがとうと。

 私は、そのお礼と、皆の穏やかな笑顔を見る度に心がズキズキと痛んだ。

 明確な答えが出ずに、頭を抱えていた時に、彼の世界的な発見が、私の耳に飛び込んできた。

 そのオーブとやらが、彼らの身体を蝕んでいるのではないか。

 私は思い付いたらすぐ様、発見者に向けて筆を取っていた。

 さまざまな異形が生み出されている事、町の中でしか発生しない事、発生した者は必ず三ヶ月で死に至る事をつらつらと書き殴って、祈る様に郵便に投函した。


 彼の名を、ドロワーと言った。

 ドロワーは、私の手紙にすぐに返事をくれた。

 綺麗な円形の蝋がど真ん中に付けられた手紙は、彼の几帳面な性格を窺わせた。


 祈りが届いた。

 私はクリスマスプレゼントの包装紙を開ける子供の様に蝋の周りを避けて手紙を破り開けた。

 これまた丁寧に折り込まれた手紙を開くと、長々とお行儀の良い文章が並べられていた。

 最初から最後まで読む事は、私には憚られたので、ざーっと流し読む。


「やった!」


 思わず声が出てしまった。

 ドロワーは、要約すると、非常に興味深い出来事だ、是非そちらに伺いたいと申し出てくれた。

 この手紙が着く頃には、王都から駆けつけてくれるらしい。


 私は、この事をすぐさまカマキリさんに報告した。

 今のところ、体の内部の異常を訴えてくれたのはカマキリさんだけだったからだ。

 カマキリさんは、ようやくか、といった表情で私の肩に鎌の裏側をそっと乗せてきた。

 カマキリさんの目は、いつも以上に穏やかだった。


「この間は何もできずにすみませんでした」

「いや、いいんです。そんな事より、今度こそ私を使って原因を究明してくださいね」

「え、いや、その為に呼んだわけじゃ……」

「いいんです。私がそうしたいんです。これからの人の為に、これまでの人の為に……私達は数多くの犠牲と苦しみを産んできた忌むべき存在でした。それが、こうする事で少しでも価値が残せるのなら、喜んでやります。私達の未来のためなら、私一人なんて安いもんですよ」


 カマキリさんの顔には、強い決意が滲み出ていた。

 私はひどく迷ったが、カマキリさんの提案をのむことにした。

 そうでしか、私はカマキリさんの意志に応えてあげられないと感じたからだ。


 数日後、ドロワーが私の病院に駆けつけた。

 走って王都からここまで来たかの様に息を切らしながら、私に握手を求めると、すぐさまドロワーは、患者の元へ案内する様に言った。


 私も、待ってましたと言わんばかりに、真っ先にカマキリさんのところへとドロワーを案内した。

 カマキリさんの病室に着くと、カマキリさんがいきなり鎌を振り上げてシャーと奇声を上げた。

 私は、カマキリさんが気を遣って場を和ませようとしたのだとすぐに分かったが、ドロワーはそんなのお構いなしに鎌の部分を触診し始めた。


「あの……どうですか?」


 沈黙に耐えかねたカマキリさんが、恥ずかしそうに聞いた。


「素晴らしい、もう少し研究させてもらえれば、きっと……」


 ドロワーは、部屋を一つ貸してくれと言った。

 何に使うかなんて聞かずとも明白だったので、私はつい最近空いた病室を一つ貸し出した。

 ドロワーを、部屋に案内した少し後に助手らしき女性が大きなカバンを持ってやってきたので、ドロワーの場所を教えると、スカートのすそをつまみ上げ丁寧にお辞儀をして部屋に消えていった。

 ドロワー一行は、どこまでも丁寧だなと感心していると、カマキリさんが僕の元にやってきた。


「あの人が例のオーブを見つけたという科学者さんですか」

「えぇ、そうです。なかなか礼儀正しくて、期待できそうです」

「……そうですか。ならいいのですが」


 カマキリさんの言い方には含みがあるように聞こえた。

 恐らくさっきのコミュニケーションの齟齬があったから不安になっているだけだろうと、思っていた。

 しかし、このとき、きちんと話を聞いておけばよかったと、寂しそうに去っていく、カマキリさんの背中と共に思い出し、後悔の念が、いつまでも私を攻め立てる事になった。


 ドロワーは、その後、ずっと病室にこもって何かの作業をしていた。

 たまに、カマキリさんを呼んでくれと言われ、連れて行っては半日出てこないという日が何回もあった。

 そして、私の血液も採取させてほしいと言い出した。

 私としては、断る理由もないので提供したが、正直焦っていた。

 そろそろ、カマキリさんも三か月目を迎えてしまう。

 私としては、もう犠牲は出したくない。

 ドロワーの研究は何をしているのかは分からないが、たまに見るドロワーの表情はとても晴れやかだったので、恐らく研究は順調なのだろうと感じていた。

 私は、焦りを心のうちにぐっとこらえ、いつもの様に外来の患者に対応した。

 それしか出来ない事が腹立たしかった。


 そんな悶々とした日々の中、私の病院の前に、とんでもない落とし物が入院患者によって発見された。


 赤子だった。


 すぐに調べてみたが、外傷もなく、栄養状態が悪いわけでもない、健康的な赤子だった。

 生後二か月といったところか、まだ自分じゃ何もできない様な年齢だ。

 こんなひどいことが出来る親がいたなんて、と思いつつ、心のどこかでもしかしたら、という思いが巡っていた。

 しかし、私には、何もしてやることが出来ない。

 私はまっすぐドロワーのいる病室へと向かった。


「どうしました? ミスターフォード」

「病院の前に、この子が置かれていたんです」

「ほう、見せてもらっても?」


 ドロワーは、赤子から血液を抜くと、大きな機械にそれをかけて何かを分析していた。

 注射の痛みに泣き叫ぶ赤子を必死になだめていると、ドロワーがぽつりとつぶやいた。


「これは、誰かが()()()いったんでしょう」


 嫌な予感が当たってしまった。

 終の病の患者は、人として扱われない。

 私は、赤子を強く抱きしめた。

 まだ、二分ほどしかたってないが、注射の痛みが消えたのか、気が付けば泣き止んでいた。


「ちょうど良い、これには私の研究を手伝ってもらいましょう」


 ドロワーは、目を輝かせてそう言った。

 私は、この時の彼の目を一生忘れないだろう。

 純真無垢な子供の様に、目の前にいる赤子を舐めずる様な視線を私は許容する事ができなかった。

 赤子に対し、これと言ったのは恐らく彼の本心が出たのだろう。

 彼は、終の病の患者を人として見ていない。

 人に対しては礼儀正しいが、当然人として見ていないものに礼儀正しくする必要はないと彼は思っているのだろう。

 几帳面な性格が故に、そこがはっきりと別れている。

 カマキリさんがあの時言い淀んでいたのはこれの事だったのかと、この時私は激しく後悔した。

 もう二度と、こいつに患者は渡さない。そう誓った。


「その子は私が面倒を見ます」


 怒りをひた隠しにしながら、なるべく淡々とした口調でものを言った。

 その一言に、ドロワーはキョトンとした顔を浮かべていた。


「どうして? あなたが言うには、この子はあと三ヶ月で死を迎えるのでしょう? 喋りもしない内に死んでしまうのに何故?」

「いいから、その子は死ぬまで私が面倒を見ます」

「死んだ後なら良いんですね?」

「……お好きに」


 私がどんな声色をしていたのか分からないが、さすがのドロワーも何かを感じたのか、黙り込んだ。

 私は、後ろを全く振り返らずに、赤子と共に踵を返して部屋を後にした。


 啖呵を切って赤子を手元に置いたものの、親になった経験などあるはずもない。

 どうしたらいいだろうかと、手の中で健やかに眠る温かさを感じながら考えていると、カマキリさんと出会った。


「あら、可愛い。お子さんですか? 御結婚なされてましたっけ?」

「いえ、この子は病院の前に置かれていたんです」


 この一言で、全てを察したのか、カマキリさんはにこやかな顔から、陰鬱な表情に変わった。


「なら、この子は私達で、健やかに育てましょうかね」


 私は、不覚にも泣きそうになった。


「……ありがとうございます」


 人とは、こういう心の温かさを言うのではないだろうか。

 ドロワーは、患者を人として見ないが、それはもうある種の病ではないだろうか。

 私は、この人達を本気で治したい。

 人権を取り戻し、家族にお帰りと再び抱きしめてもらいたい。

 それを望まぬ人は、私の病院で住み込みで働いてもらおうか。

 そんな妄想を抱いていたら、赤子が元気よく泣きだした。


「わわ! 先生! 赤ちゃん泣いてますよ! どうしたんでしょう!」

「分かりません! とりあえず、育児経験のある方を呼んできてもらえますか?」

「分かりました! 確かオダンゴさんにはお子さんがいたはずなので掛け合って見ます」


 カマキリさんが、バタバタと廊下をかけて行った。

 赤子は、そんな事など気にしないと、元気に今も仕事をまっとうしている。


 しかし、この子含め、患者達を彼の元へ行かせないと研究が進まない。

 研究が進まないという事は、終の病が無くなる事がないという事だ。


 私ならいくらでも実験台になるのだが、他の人達にはどうしてもしてほしくない。

 わがままなのは分かっているが、私にはどうしてもドロワーの態度が許せなかった。


「先生! オダンゴさんを連れてきましたよ!」

「あら、まぁ! 可愛いじゃない!」


 頭に三つ大きなコブがついた女性が私を完全に無視して手の中にいる赤子に目を輝かせている。


「それじゃあっと……」


 そう言いながら、慣れた手つきで泣き喚く赤子をあやしながら抱き上げた。


 その姿はまさに母親そのものだった。


「じゃ、先生、あとは任せてちょうだい!」

「よろしくお願いします」


 残されたのは、私とカマキリさんだった。

 私は、とっさにカマキリさんに、声をかけた。


「あの、カマキリさん」

「はい? なんでしょう?」

「この前、言っていた事、分かりました。ドロワー氏の事」

「あぁ、その事ですか」

「本当にすみませんでした」

「大丈夫ですよ。あぁいう扱いには慣れてますから。それと、今後もあの人の研究に私が協力させてもらいますね」

「えっ、いいんですか?」


 私は、どこかホッとした自分がいた事に気がつき、心底腹が立った。

 結局のところ、カマキリさんに頼む事しかできないと分かっているくせに、白々しい言い訳を並べて、声をかけた自分が心の底から嫌だった。


「私は、皆さんの為にやるのです。あの人の為じゃありません。だから、大丈夫。もちろん先生の為にもやりますよ!」


 そう言いながら、カマキリさんは、鎌をカチンと合わせてみせた。

 気合を表現する時にカマキリさんがよく使うポーズだった。


「本当に、ありがとうございます」


 それしか言えない自分に腹が立って仕方がない。

 しかし、今は人の力を借りるしかない。


 カマキリさんを研究室に送り出すことしかできない己の無力さを悔いながら、研究の成果が出ないかと数日待っていると、ドロワーが目を輝かせて私の元へと駆け寄ってきた。


「フォードさん! すごい発見がありました! すぐ来てください!」


 その言葉に応じて部屋に行くと、何やら特大の機械を助手の人が準備をしていた。


「フォードさん! 本題にすぐ入りますが、大発見というのはですね、オーブの事なんです!」

「オーブって、あの、魔法を起こす元のやつですか?」

「そうです! それに、性質がある事が分かったんです!

 従来の考え方は、オーブという一つのものが外界に出る間になんらかの変異をして、火や水に姿を変えるという認識だったんですが、オーブそのものに、火や水の性質がある事が分かったんです!」

「そうなんですね」


 私は、それだけ聞いても、何がすごいのかさっぱり分からなかった。

 さっぱり分からない事が伝わったのか、ドロワーは、もどかしそうにしながら私に説明をしてきた。


「いいですか? オーブに性質があるという事は、オーブそのものに外界に質量を与える力を持っていたという事です。つまりそれは、終の病として人の表面に現れてもおかしくないという事です!」

「それは……つまり!」


 私のピンときた顔を見て、指を鳴らしてにこやかに微笑んだ。


「オーブに、終の病の原因があるって事です! フォードさん大正解でしたね!」


 私は、思わず拳に力を込めた。


「よしっ!」


 呟かずにはいられなかった。


「いやー、これで世界の科学力は十年、いや、五十年は先に進んだんじゃないですかねー! いやー、本当にすごい!」

「これからも、研究を進めて行ってください、元に戻す方法も見つけられたら最高です」

「まぁ、やれるだけやって見ますよ!」


 私は、その言葉を聞いた後、真っ先にカマキリさんの所へと向かった。

 あの人が研究に協力してくれたおかげでオーブというものの性質が分かったのだ。

 恐らく、普通の人間で研究をしていたのでは、オーブの性質なんてものまで着目される事はかなり先でないとなかったはずだ。

 それこそ、五十年はかかっていたかもしれない。

 しかし、終の病が出たが故に、こうして早々に見つける事ができた。


 カマキリさんの元へ行くと、オダンゴさんと、赤子も一緒だった。


「あ、先生! 見て下さいよ、オリーがとっても可愛いんです!」


 源、だとか原初の、とかの意味を持つオリジン、というところから、この赤子はオリーと名付けられた。


 オリーは、オダンゴさんの指を嬉しそうに手で追いかけながら笑っている。


「いい笑顔ですね」


 胸にちくりとくるものが少なくなった。

 これもきっとドロワーが性質を見つけてくれたおかげだろう。


「カマキリさん、ついにいい成果が得られましたよ」

「本当ですか!」


 オーブに性質がある事、それがカマキリさんの研究協力のおかげで五十年は早く見つかった事を、私は最大限の身振り手振りで話した。

 その甲斐あってか、カマキリさんは、嬉しそうに笑ってくれた。

 私は、カマキリさんの笑顔がこの時は何よりの救いの様な気がした。


「本当に、ありがとうございました」


 これで、オリーも救われるかもしれない。

 オリーに明るい未来をもたらせるかもしれない。

 全ては、ドロワーとカマキリさんのおかげだ。

 私は、ここしばらく上機嫌に仕事をこなしていた。

 薬をもらいにくる嫌味を吐き散らかしていく老婆にも優しく接したし、泣き喚く子供に対しても根気強く治療の説明をした。


 終の病で死ぬ患者はしばらくいなかった。


 するとある日、ドロワーがこれまで以上に目を輝かせて私の元に訪ねてきた。


「カマキリさんを元に戻す実験をしましょう!」


 私は、今すぐ突っぱねてやろうかと思った。

 上機嫌は一瞬にして冷めた。


 しかし、ドロワーの言いたい事も分かるし、実証実験をやらないと進まない事も分かっている。


 ドロワーの目の輝きがひたすらに鬱陶しい。

 私は、こくりと頷いて、すぐさまカマキリさんの元へと向かった。


「カマキリさん……」


 オリーに向かって鎌を器用に使っていないいないばぁをしているカマキリさんに渋々声を掛けた。


 オリーの楽しそうな笑い声だけが響いている。


「最後の、ご協力をしていただけないでしょうか」


 カマキリさんは、何をするのか分かっているかの様に、今まで見た事もないくらい真剣な表情で、「はい、喜んで」そう、言った。


 実験室に移動すると、助手がまた、見た事もない様な機械をいじくっていた。

 その横でドロワーがソワソワしながら私達を丁寧にお辞儀をして出迎えた。


「お待ちしておりました。さて、それでは準備が整い次第行いましょうか」

「今から一体何をやるのです?」


 至極当然な質問が、私の口からするりと飛び出した。


「まず、今からやる実験の前に終の病とオーブの関係をおさらいしましょう」


 そう言って、どこから運び込んだのか分からないホワイトボードをテキパキと私とカマキリさんの前に持ってきた。


「まず、オーブですが、これは私が発見しました、魔法の素となる物質です。これらが生物の体内から外界に出る際、あらゆる形に変化し、魔法が起こると思っていましたが、今回のカマキリさんのオーブを検出する実験でどうやらオーブにはそれぞれ性質があるらしいというのが分かりました。そこで、体外に変異が生まれてしまう性質を持った人々が終の病であると考えられます」


 私達は、黙って説明を聞いた。


「まぁ、何故死を迎えるのか、何故この街のみでしか出ないのか、というのはさておき、まずは、オーブの変質を取り除く実験を今回行いたいのです。そうする事により、変異の性質から変異を取り除けば、オーブはノーマルの状態に戻り、終の病は治ると私は見ているのです。それが可能なら、オーブの性質は、好きな様にいじることができ、好きな人に好きな性質を望むがままにつけることができます! そうなれば世界はもっと豊かに……コホン、失礼」


 抑えきれない科学者の情熱には、本当に敬服するが、非人道的な思考はやめてもらいたいものだ。

 助手さんが、準備が整った様でドロワーに耳打ちをしている。


「では、カマキリさん、この機械の前に立って下さい」

「はい」


 淡々とした口調でカマキリさんは言われた場所に移動していく。

 謎の装置を取り付けられ、配線まみれにされたカマキリさんは、まさしく実験体というに相応しい様相だった。


「では、カマキリさんの体内にあるオーブに直接、介入する為に、まずカマキリさんのオーブの性質を確認します」


 機械に何かを打ち込みながら、ドロワーは、何かを呟いていた。

 それを横目に、カマキリさんは平然とした顔で立っている。

 内心、恐ろしくてたまらないはずだろう。

 よく分からない機械に配線を張り巡らされ、おまけに目の色の変わった科学者にそれをいじられているのだから、怖くないわけがない。

 けれども、そんなカマキリさんに私は、任せる事しかできなかった。

 無力な自分にいつでも腹が立っていたが、この瞬間ほどむかっ腹が立ったことはなかった。


「やはり、変位系でしたね。終の病の患者はやはりみんなそうなのかも」


 私達に説明しているようで、していない様な、独り言をぼさぼさ言いながら、今度は、別の機械をいじりだした。

 一体何個機械を持ち込んでいるんだと訝しげに思いながらも、じっと様子を見守る。


 ドロワーが、何かを意気揚々と押した瞬間だった。


 ビーッという警報音が室内に響き渡った。


「何事ですか!」

「今、確認します」


 助手さんが、慌てて機械の傍らで操作を開始する。

 しかし、間も無くもしない頃に異変は起こった。


「ぐぁぁ!!」


 突如としてカマキリさんが苦しみだした。

 頭を抱え、うずくまるようにしてその場にしゃがみ込んだ。

 カマキリさん自身が鎌を制御できていないのか、抱えた頭からは切り傷ができて血が出ていた。


「カマキリさん!!」

「原因究明! 早く!」

「今、やってます」


 響く警報音の中、鳴り止まないカマキリさんの悲鳴と助手さんの原因を探るキーを打ち込む音がけたたましく私の耳を突き抜ける。


「カマキリさんを早く助けてあげてくれ!」


 私は叫びながら、近づいてカマキリさんについていた配線を引き抜こうと試みた。

 どれだけ必死になって抜こうとしても一向に外れる気配がない。

 外れろ、早く外れてくれ。

 私は力いっぱい配線を引っ張った。


「フォードさん! 危ない!」


 ドロワーが叫んだ次の瞬間、突き刺す様な痛みが腹部を襲った。


 そして、幾ばくもしないうちに私は気を失った。


 つぎに気がついて、視界に飛び込んで来たのは自分の病院のベッドの上だった。

 視界がはっきりしたら、すっと起き上がる事ができた。

 体の中におかしな違和感があった。

 けれども、あの時に走った腹部の強烈な痛みはどこにもなかった。


「お目覚めになりましたか」


 声の方へ向くと、助手さんが立っていた。


「あの、私は一体……」

「今、ドロワーを呼んで参ります」


 淡々と言うと、助手さんは何事もなく部屋を出ていった。


 私は、あの時どうなったのだろうか。

 そして、何故無事なのだろうか。

 この体内にある違和感は一体なんなのだろうか。


「フォードさん! 良かった! 目を覚まされたんですね!」


 息を切らしながら、ドロワーがバタバタと入ってきた。


「いやー、一時はどうなるかと思いましたが、あんな奇跡あるもんなんですね!」

「奇跡? 私はあの時どうなったんです?」

「おや、覚えていらっしゃらないですか。無理もない。あんな大怪我を負ったんですから」


 大怪我? 確かに、腹部に強烈な痛みが走ったが、今は何事もなくピンピンしている。

 ドロワーの話がよく見えてこなかった。


「フォードさん、あなたカマキリさんの鎌でお腹をバッサリ切られたんですよ。もう、血まみれで、間借りしていたあの病室は未だに掃除をしたのに血の匂いがこびりついているほどに」


 そうだったのかと納得すると同時に、カマキリさんの安否が気になった。


「心配いりません、カマキリさんは無事でした。まぁ、あの後三日三晩寝てましたがね」

「三日三晩? 私は一体何日寝ていたのです?」

「一週間です」

「一週間?」


 長い様な短い様な、腹を切られたにしては短いし、何事もなく復活したにしては長い。


「あの、どこも痛くないんですけど、私に何をしたんですか? 体内に違和感があることと何か関係あるんですか?」


 私の質問攻めに、ドロワーはなんと言ったらいいかとしどろもどろだった。

 しかし、逆に私に聞きたいことがある様で、目は爛々と光り輝いていた。


 私は、なんだか嫌な予感がした。


「落ち着いて聞いてくださいね、ドロワーさんの血液型はpg型でした。これは非常に珍しい血液型で適合者はあまりいないのです。しかし、この病院に一人だけ適合者がいました」

「……誰ですか?」

「オリーです」

「まさか! そんな事!」

「えぇ、そのまさかです。オリーの血液をあなたに輸血しました。そのせいでオリーは死にました」


 私は、カッと頭に血が上って、思わずドロワーの胸ぐらに掴み掛かった。

 私たちは、オリーの将来の為に動いていたはずなのに、オリーを踏み台にして私が生き残るなんてあっていいはずがない。


「自分が何を言っているのか分かってんのか! 子供の命より大事なもんはないだろ! 何やってんだ!!」

「でも、あの子は後三ヶ月の命です。それに、あなたならそんな赤子をたくさん救える技能をお持ちだ。私は、間違った決断をしたとは一切思わない」

「ふざけんな! 出ていけ! 顔を見せるな!」

「いいえ、出ていきません。あなたの怪我が完治しているのは、恐らくオリーの性質のおかげです。それを調べるまでは、オリーの為にも、あなたの為にも私はあなたを診ますからね」


 オリーがいなくなった。

 オダンゴサンや、カマキリさんにどんな顔をして会えばいいのだろうか。

 私のせいでオリーが死んでしまった。

 私があんな実験に協力させたからカマキリさんは痛い目に遭ってしまった。

 私はどうにも消えてしまいたかった。

 海に浮かぶ小さなチリのように、何もせず、何にも干渉されずにただただ自戒の念だけを持ってひたすらに自分を責め続けていたかった。

 けれども、私にそれは許されるはずがなかった。

 ドロワーは癪だが、言っている事は正しかった。

 私は、真剣な彼の目に怒りを覚えながらも、大人しく腕を差し出した。


「採血したいならどうぞ、お好きに」

「ありがとうございます」


「フォードさん、あなたの性質がわかりましたよ」


 耳障りな内容だった。

 今更そんなこと聞いたって良い事なんかひとつもない。

 私は返事もせずに、じっとドロワーを見つめていた。


「ふぅ、随分と嫌われてしまったものですね。命の恩人に対してなんていう目を向けてくるんです」

「オリーの命を使ってまで助けてくれなんて頼んでません」

「はいはい、この話はこれくらいにしときましょう。それで、性質なんですが」


 間をおいて、ドロワーは興味深そうな顔で言った。


「復元、みたいなんです」

「復元? 復元ってあの、元に戻すとかの?」

「その復元です」

「みたい、というのは?」

「機械が正しく表示をしなかったのです。こんな事は今までにない。誤作動かもしれないし、何かを表しているのかもしれません。なので、みたいという表現です。もう少し詳しく調べてみますが……」


 ドロワーは、やけに訝しげな表情を浮かべていた。


「そうですか」


 しかし、その言葉を聞いて、本当にそうかという疑問符と、嫌な思いをしてまで聞いておいて良かったという安堵感が生まれた。

 この能力があればあるいは……。


「つまり、私の能力を使えば、他の人達を元に戻せると?」

「それを試してみたかったんです」


 辟易するほど見たドロワーの輝いた目の色を再び見ることになるとは思いもしなかったが、今は存外悪い気分でもなかった。

 私は、仕方なく実験に付き合う事にした。

 私の体は今すぐにでも動けるくらいに回復していた。


 まずは、魔法の出し方から実験する事にした。

 オーブの性質を外に溢れ出すイメージで使うのだという。

 しかし、人によって魔法の出力に大小があるらしく、ドロワーも、助手さんも性質は物を動かす事らしいが、動かせるのは二人ともせいぜいマグカップくらいらしい。

 しかも、マグカップを動かした後は、どっと疲れてしまいすぐに眠ってしまうのだという。


 それを聞いたら、人を復元する事なんて途方もない話のように聞こえたが、私はドロワーが実験の為に割ったマグカップをいとも容易く直してしまった。

 自分でも驚いた。

 体の感覚的に、一割も力を使っていないのにマグカップが急いで元の形に戻ろうとしていくのを見て、私は確信めいたものを持った。


 私の性質は飛び抜けて強いかもしれない。


 その後も、少しずつ直すものを大きく複雑にしていった。

 ただ大きいだけの机から、精密な人形、果てはドロワーがわざわざ壊した実験用の機械まで、苦労もなく直せてしまった。

 ものの元々の形を思い浮かべ、その様に繋ぎ直す感覚をものに伝えてやると、すぐにものは元通りになった。

 私は、もうこの時すでに違和感の正体などとうに気にならなくなり、とにかく物を直す事だけに集中していた。


 そして、人並みサイズのバラバラになったぬいぐるみを直した後に、ドロワーが言った。


「そろそろ本番と行きますか」


 私は、まず一番初めにカマキリさんを呼んだ。

 罪滅ぼしも兼ねて、まず真っ先に治すべき人はあの人しかいないと思ったからだ。


「カマキリさん、お久しぶりです」


 呼び出したカマキリさんに、私はバツが悪そうに言った。

 実際、バツが悪かった。

 申し訳なさでいっぱいの胸中での精一杯の平静だった。


「お久しぶりです。あの時はすみませんでした」


 カマキリさんは深々と頭を下げた。

 もしかすると、お互い同じ様な気持ちだったのかもしれない。

 確かに、暴れたのは不可抗力だったとはいえ、カマキリさんの性格なら、私を傷つけた事に大きなショックを受ける事は想像に難くない。

 中々、顔を上げないカマキリさんを見て、私は更に心が痛んだ。


「いえ、私の命はオリーが守ってくれましたので大丈夫です。お礼ならオリーに」

「……オリー君、すまない」


 カマキリさんらしいと、強く思った。


「それでは、カマキリさん、実験にもう一度付き合ってもらいますね」

「えぇ、どうぞ」


 私はカマキリさんにそっと手をかざした。

 今までは、直すもののイメージを思い浮かべていたが、今回は何か少し違う様な気がした。

 まるで、異物となってしまったカマキリさんのオーブを取り除くかの様な、そんな感覚。

 私が手をかざした数秒後、カマキリさんの鎌は突然発光し、みるみるうちに普通の手に戻った。


「わ! 戻った!」


 カマキリさんは、自身の手を閉じたり握ったりして、感覚を大事そうに確かめていた。


「やった! これでみんなの元に帰れる! フォードさん、本当にありがとうございます!」


 カマキリさんの瞳は、キラキラと潤んで輝いていた。

 私は複雑な思いが胸中を満たしていた。


 本当にカマキリさんを捨てた人達に、受け入れてもらえるのかはわからないからだ。

 カマキリさん自身も、気付かぬうちに捨てられた事を思い出して辛い思いをするかもしれない。


 終の病が消えたからと言って、全ての遺恨が晴れたかといえば決してそうではないのだ。


「良かったですね、これであなたはもうカマキリさんじゃなくなりました」


 その後、彼は嬉しそうに深々とお辞儀をして、この病院を後にした。


 それから私は、オダンゴさんの元へと向かった。

 オダンゴさんは、目元を赤くして、俯いたまま、私の説明を聞いていた。

 一切返事をせず、私が元に戻してもいいかと聞くと、少し迷った様な表情で、コクリと小さく頷いた。


 元に戻し、病院を後にする時、オダンゴさんはこれで再び息子に会えると喜びを噛み締める様に小さく呟いたのが強く印象に残った。


 どうしてみんな、自分の事を真っ先に考えないのだろうか。

 オダンゴがあったはずの頭をさすりながら、本当は治った事が嬉しくて、安堵しているはずなのにそんな姿を微塵にも見せないオダンゴさんの後ろ姿を見ながらふと思った。

 私は閃いた。


 閃いてしまったのだ。


「そんな悲しい事があっていいのか?」


 思わず、膝から崩れ落ちた。


 人の優しさが、人を思いやるその心が、オーブの性質に変異を与えるのだとしたら。

 もしこの街が、そういった人達の性質に何らかの悪影響を及ぼしているのだとしたら。


 私は、考える事をやめた。


 そんな非道な事は、あってはならない。

 それに、終の病はもう不治の病ではなくなった。

 私がいる限り終の病は治せるし、復元の性質を持つ人達が医者にいれば普通の病院でさえ治せる。


 私は、その日から通常の病院の業務に加え、終の病の人達を治す業務も加わった。

 風邪の治療をする傍ら、性質を利用した終の病の治癒にひたすら従事した。

 終の病を治すと、治した人はもれなく喜び、家族の元へと帰っていった。

 私は、それがイマイチ理解しきれなかった。

 どうして自分を捨てた家族の元にあんなに意気揚々と帰れるのか。

 治ったらそれでいいのだろうか。

 中には、指一本腕から生えてきただけの人もいる。

 そんなの麻酔して切り落とす事だって出来たのに(寿命には影響はないものと思われるので三ヶ月後には死んでしまうが)それを選ばずに捨てて来られたような人だって、満面の笑みでこの病院をさっていく。


 受け入れてもらえる事を疑わずに。

 自分の異質を受け入れてもらえなかったのにも関わらずだ。

 確かに、感染の恐れだとか、地元の風習の様なものもあるだろう。

 しかし、それを差し置いても、身内にここまでの対応が出来てしまうのは、人の恐ろしい性としか言いようがない。


 私は、ここを笑顔で去っていた人達が受け入れて欲しい人達にちゃんと出迎えてもらえる事をひたすら願っていた。


 そんな、息苦しい日々を送っていると、ドロワーに急に呼び出されたので、私は、ドロワーの部屋へと向かった。


 部屋に入ると、突如として私は後頭部に強い衝撃を食らった。

 がくりとその場で膝をつく。

 意識が朦朧としてうまく体が動かせない。

 何が起きたのか分からないまま、床に這いつくばっていると「今だ! 取り押さえろ!」という聞き慣れた声が響いた。


 バタバタと複数の足音が聞こえた後、私は両腕を持たれ無理矢理に起こされた。


 ドロワーが血相を変えて私の方を見ていた。


「ドロワーさん、これは何事ですか」


 私は、朦朧とした意識の中でなんとか声を出した。

 両腕の方を見ると、国の騎士団が私の腕を抱え込んで離さなかった。

 どうして国の騎士団が、辺境の地の医者である私にこんな扱いをしてくるのだろうか。

 疑問に思っていると、ドロワーがゆっくりと口を開いた。


「手荒な真似をして本当に申し訳ないと思っています。私だってこんな事はやりたくなかった」


 ドロワーは悲痛な表情を浮かべていた。


「あなたの性質、復元と言いましたが、あれは嘘です。厳密に言えば嘘ではないのですが……」


 ドロワーは言うか言わまいかと言った表情を浮かべ、しばらく黙った後、決意した様な顔をした。


「おそらく、復元はオリーの性質です。あの子、注射の傷の傷の治りが異常に早かった。恐らく、ここに来る前、何か事故にでもあったのでしょう。それこそ、死を覚悟する様な事故。それでもあの子は平然と生き残った。だからここにきた」


 復元の能力がオリーの能力?

 それなら私は、オリーの能力でみんなを治していたと言うのか。

 なんて罪深い事をしていたんだ。

 鈍痛が頭に走る中、私は眩暈がする様な罪悪感に苛まれた。


 でも、待て。なら何故オリーはこの世を去ったのだろうか。

 私に血をあげたとしても、オリーの復元なら血も元に戻せるはずだ。なのに何故。


「オリーは何故死んだのです」

「あなたなら、真っ先にそう言うと思ってましたよ。なんて罪深い」


 ドロワーの言った言葉の意味がよく分からなかった。


「あなたがオリーの性質ごと持っていったからですよ、あなたの性質でね」

「私の性質……?」

「そう、あなたの性質は奪う事だったんです。相手の性質を奪う。つまり、あなたは、患者をオリーの復元で治していたわけでなく、相手の性質を奪う事で治療していたのです。今複数の性質をその身に留める危険人物なんです」


 あぁ、だからこういう扱いなわけかと思うと同時に、私はオリーをその手で殺めてしまったのだという罪悪感から、体の力を抜き、抵抗しない意思を見せた。


 すると、それを感じ取ったのか、騎士団も私をポイと床へ投げ捨てた。


「あなたは、私の実験に付き合ってもらう上、危険人物なので勾留させてもらいます。もはや、あなた一人で国をも転覆しかねない」


 散々だと思った。

 私はただの町医者なのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないのか。

 私はただ人々を治したかっただけなのに。

 しかし、オリーの命を奪った私には、お似合いな末路だと思った。

 私はこのままずっとドロワーの元で実験道具として生きていく事になるのだろう。


 そう覚悟した時だった。


 私の両手は突如として鎌に変化した。


「おい! 何故突然、変異した! 今すぐその鎌の変身を解くんだ!」

「おい、ドロワー! もう変異できるなんて聞いてないぞ」


 ドロワーに何か言われた様な気がしたが、何も耳には入らなかった。

 眩暈がした視界はいつの間にか良好で、体の痛みも取れていた。


 どうして変異出来たのだろうか。

 自分の性質じゃないものを自由に選んで取り出すことなんてした覚えもないのに。

 そう思った時、私は気がついた。

 これは、私の意思じゃない。

 そうなると誰がこうしたのかは明白だった。


 カマキリさんだ。


 カマキリさんが私に逃げろと言っているのだ。

 カマキリさんだけじゃない、オリーも私を支えてくれている。


 私は力を振り絞り、鎌を振りかざした。

 おののく騎士団を見て、私が未だに何を隠し持っているのか理解できずに近づきかねている様子だった。


「どけー! 邪魔だー! 殺されたいのか!」


 私はここまで強い言葉を使ったのは初めてだった。

 鎌を振りながら近づいてくる私を見て、騎士は腰が引けていた。

 私は、からがら部屋を逃げ延びた。

 部屋から飛び出した私は、高鳴る心臓の音を聞きながら、私の治療を待っている人々に申し訳ない気持ちを抱えながら病院を飛び出した。


「まずい、私の実験材料が!」

「まずいぞ! そいつを逃したら世界の危機だ!」


 病院から飛び出してきた騎士とドロワーの叫び声が聞こえる。

 私は後ろを振り返らずに、近くにある森に向かって全力で走り出した。


 しばらく走り続けた。

 枝が腕を切っても、肺が潰れそうになっても構わず森の中を走り続けた。

 痛みを感じないのは、アリーのおかげなのか、逼迫した状況がそうさせるのかは分からなかった。

 いよいよ倒れそうだとなった時、追っ手が来なくなったのを確認して私は木の影に腰を下ろした。



 薄暗い木々の隙間から漏れる一筋の光が妙に綺麗に見えた。


「ついに私もお尋ね者か……」


 ポツリと呟き、ハッと慌てて周囲を確認する。

 本当に追われているのだと私は改めて実感した。


 その後、私は今まで治療してきた人々からどんなものを奪ってきたのか確認することにした。


 基本的には変異するものを奪っていたつもりだったが、意外とそうでもないものが多かった。


 便利そうなので言えば、火を出す性質や、ドロワーや助手さんが持っていた物を動かす性質、体から球を射出する性質なんていうのもあった。


 私はすぐに思い立った。

 水さえあれば、この森の中で生きていけるのではないだろうかと。


 私は、カマキリさんの鎌を使い、近くにあった木を切り倒した。

 カマキリさんの鎌はとても鋭く、木を切るのに一分ともかからなかった。

 それを人が住めるくらいのサイズに細切れにし、物を動かす性質を使い組み上げる。

 一時間もせずに、それっぽい拠点が出来上がった。

 私はここでこれから死ぬまで生きていくのだ。そう心に決めた。

 どれだけ緊張していても、追われる立場であっても腹は空く。

 腹が減ったので、近くにあった木の実を適当に食べることにした。

 食べながら、ふと思いつき、木の実に復元の能力を使ったら木の実が元に戻った。

 私のお腹は満たされたままだった。


 性質さえあれば、何があっても死ぬことは無いのだと私はこの時悟った。

 あとは水辺を見つけて飲料水を確保するだけだった。




 私が、森の奥に住み始めて一週間が経った。

 程なくして、近くに川が見つかり、何不自由なく暮らしていた。

 しかし、追われている身故に、川の近辺からはあまり動かない様にしているが、拠点ごと移動しているので、今は、もう、自分でさえ森のどの辺りにいるのかさっぱりわからない。

 しかし、森はよかった。

 鳥のさえずりや、風に木々が揺れる音は心を穏やかにしてくれるし、生きる為に体を動かすことは無心になれる。

 街の喧騒や、追われている事を考えなくて良い事は、私にとっては、とてもありがたかった。


 森の生活にも慣れ、一人で生きていく事にも慣れ始めていた最中、ある事件が起こった。

 足跡があったのだ。

 明らかに野生動物ではない、靴を履いた人の歩いた足跡。

 昨日は雨が降っていたので、今日ここを通ったのだという事はこの時すぐに理解した。

 それと同時に、追われている人間としての立場を強く自覚した。


 まずい、見つかる前に去らなければ。

 水辺を気にして、近くをうろうろしすぎたか。

 あれこれ反省しつつ、私は慌ててその場を走り去ろうとした時、後ろから大きな声がした。


「あ、やった! 見つけましたよ! 先生!」


 私は、瞬時に手を鎌に変形させたが、直ぐにその変身を解いた。

 先生、と呼び、見つけた事を喜ぶ人なんて、私の知っている中で一握りしかいなかった。


「カマキリさん……いや、ネルドさんと言った方が良いですか」

「あはは、カマキリでいいですよ。もう、そう呼ばれないとむずがゆいので」


 カマキリさんは、右手で頭をかいた。


 私は、カマキリさんを拠点に案内すると、一部始終について話をした。

 カマキリさんは、終始真剣な顔で聞き、私の話を全て信じてくれた。


「そんな大変な事になっていたんですか。いやね、先生に終の病を治して欲しいって人が病院にたくさん来ていて、先生は指名手配されたなんて聞くからもう、みんなびっくりしていて」


 指名手配、という言葉に私は妙に納得してしまった。


「指名手配ですか。そんな大層な事になっていたんですね。それで、何故ここが分かったんです? こんな誰も来ない様な森の奥なのに」

「それは、簡単ですよ。私のものをあなたが持っているから、辿って来たのです」


 性質の事かと、私は直ぐにピンと来た。

 元の持ち主と、性質は切っても切り離せない関係にある様だ。


「そうだ、私がこの森に患者を連れて来てもいいですか?」

「ここに……ですか?」


 正直、二つ返事ではいというには難しい提案だった。

 大きな動きをすればそれだけここに潜伏しているのがバレる危険が高まる上に、私は今の生活が案外気に入っていた。

 しかし、患者を見殺しにする事は、私には出来なかった。

 汗ばんだ手をぎゅっと握り締め、私は短く「お願いします」と呟いた。


 カマキリさんと話し合った結果、私の拠点自体は今まで通り点々とさせる事、とある木の下に日が一番高く登った時を目印にして終の病の患者を連れてくるから治して欲しいとのことだった。


 それを聞いたカマキリさんは、嬉しそうな顔で森を後にした。

 複雑な思いがめぐると同時に、また患者を助けられるのは私にとって良い事だった。

 それから毎日、集合場所に行った。

 暫くは何もなかったが、ある日ふと人影があるのを見つけた。

 普戒しながら近づいていくと、どうやら本当に患者の様だった。

 遠くから誰かが来ないかカマキリさんが見張ってくれているのも見えた。


「お願いします。家族のもとへ帰らせてください」

「……はい、分かりました」


 私はこの言葉を聞くたびに胸が痛んだ。

 本当に皆、家族のもとに帰れているのだろうか。

 私はそっと患者に手をかざし性質を取り除いた。


「やった、これでまた一緒に暮ちせる」

「良かったですね」


 私は呟くように言った。

 手に入れた性質は水を操るものだった。


 それから、二日に一度くらいのペースで、患者が来る様になった。


 連れてくるのはいつもカマキリさんだったが、どうもカマキリさん一人でやっているわけではないらしい。

 患者を治した後、私は意を決してカマキリさんに尋ねてみることにした。


「あれからどうですか、ご家族とは良い関係を築けていますか?」


 その言葉に驚いたのか、カマキリさんは一瞬戸惑うような顔をしたが、すぐに口元が笑った。


「ええ、とても順調ですとも」


 それ以上の言葉はなかった。

 それを見る限り、家族のもとにはきちんと帰れなかったのだと容易に想像が出来た。せっかく治してくれた私に申し訳が立たないとでも考えているのだろう。


 優し過ぎるのだ、この病の患者は皆一様に。


 私は強い憤りを感じた。この世界に、真っ当に生きていきたいだけの人達を、家族だった者でさえ、蔑ろにできてしまうこの世界の常識に腹が立って仕方がなかった


「カマキリさん、本当のことを話してください」


 真剣な顔でそういうと、カマキリさんは観念した様にポツリポツリと話し出した。家族のもとに帰ったが、腫物のように扱われている事、そのせいで、家族とは同じ空間にいるのに絶縁状態になっている事、そして他の人たちも同様で、みんなで協力して、新たな患者を国にばれないように手を尽くしてここに連れてきてくれているという事。


「そうですか」


 私は、全て聞き終えた後、そう言う事しかできなかった。

 その日、拠点に帰ってじっくりと考えてみた。

 増える一方の終の病の患者、罹ったら元の生活には二度と戻れない。

 私しか治せるものはおらず、私の元へ来られるのは二日に一人だけ。

 カマキリさん達がやっとの思いで連れて来れる一人だけなのだ。


 このような状況で、なんでもできてしまう私が取るべき行動は、一つしか無い様な気がした。

 そして、それをやろうと決めるのに一秒とかからなかったと思う。

 この勇気がいる決断をすぐに出来たことを、私は生涯で唯一誇りに思うだろう。


「カマキリさん、ここに私達の国を作りませんか?」 


 きょとんとした顔を浮かべるカマキリさんに、私は続けた。


「ここに、終の病にかかった人達の国を作るんです! そうして、みんなで暮らしましょう! 病は私が治しますし、脅かす奴らからも私が守りましょう」

「それは嬉しい提案ですが、先生の負担が大きいのでは?」


 カマキリさんはどこまでも優しかった。

 本気で私の身を案じてくれているのがすぐに分かった。


「大丈夫です、全て私に任せてください」


 追われる立場である私が、国を作るという事は、すなわち国と国との戦争になるという事だ。しかし、私はどうしても終の病に罹った人々を放っておくわけにはいかなかった。

 それに、私ならどんな相手が来ても、なんとかできるような気がした。


 それから、ひっそりと世の中から、終の病の患者や元患者たちの失踪が相次いだ。

 カマキリさんや、オダンゴさんもその中にいた。

 もちろん私のところに来るためなのだが、思った以上に騒がれる事なく人が次々に来るのが、ありがたい様で、悔しかった。


 私は、家を作り、川から水をひき、木の実を増やした。

 人々は喜び、こぼれる笑顔には幸せが見て取れた。

 穏やかな森の木々の隙間、凪いだ風が頬に優しく当たる。

 ついに理想の楽園を作ることに成功したのだ。

 後は、国が私の事を忘れてくれれば、穏やかな日常は約束されていた。

 これでようやくこの人達にも安心して暮らせる場所が出来た。

 そう喜んでいた矢先だった。


 森からいきなり火の手が上がったのだ。

 ごうごうと音を立て、森の木々がバチバチと燃え盛っている。


「火事だー!」


 だれかが大きな声で叫んだ。

 周囲がざわめきだし、今にもパニックが起こりそうだった。

 皆一気に不安の色が渦巻いている。

 恐らく、私の事を待っているのだ。

 私が何かをしてくれる事を願って、私を信頼してパニックにならずに待ってくれているのだ。


 私は、超音波を発する性質を使い、周囲に状況を調べた。


 人はいないが、火が恐らく周りを囲んでいる。

 木々が私たちの周囲約一キロ先を囲うように倒れているのだ。


「ふざけるな!」


 私は、誰に言うでもなく怒鳴り散らした。

 私もろとも、終の病の患者達まで焼いて殺そうとするなんて。

 ここまで正確に居場所を知られている理由は一つしかなかった。


 内通者だ。


 恐らく、終の病の患者に化けた国の軍の手先が紛れ込んでいたのだろう。

 もっとしっかり管理しなければいけなかった。

 理想郷を作ったことで満足していた私が愚かだった。

 これは、私と国の戦争なのだ。

 作った後に、しっかりと管理し守らなければいけないはずなのに、私はそれを怠った。

 まるで、私に対する罰の様に、みるみる炎は私達に迫ってきた。


 私が叫んだ事で、動揺が生まれてしまった。


「こっちへ来てください!」


 私は、家を一つ持ち上げ、水の中に放り込んだ。

 再び持ち上げ、住人たちを全てその中に押し込んだ。

 火を突っ切って逃げ出すのだ。

 幸い、火で死ぬと思ってくれている様で、あたりに人はいない。

 国が私の事を、思った以上に過小評価してくれているのが助かった。


 私は、一キロもの距離を走った。

 ごうごうと燃え盛る炎は思った以上の規模だった。

 樹齢八十もありそうな木が、バタバタと倒れ、いぶされた匂いと煙で辺りは人が立っていられるような状態ではなかった。

 しかし私は、躊躇う事無く突っ込んだ。

 灼熱の熱さが身を焦がし、その度に私は、オリーに助けを求めた。

 体を復元し、再び焼かれながら歩き出す。


「ぐあぁ!」


 叫びにならない叫び声が体から捻り出されては、業火の中に消えてゆく。

 痛みと熱さそれでも私を襲う事を止めなかった。


 これが、私の決めた道なのだ。

 そう言い聞かせるように、私は身を焼き、復元した。

 家に燃え移りそうになるたびに、自身の復元を止め、家を直した。

 どのくらいの距離を走ったのかわからない。永遠の様にも感じる時間だった。


 火の手から逃れた後、私はばたりと倒れこみ、意識を失った。


 気が付いた時には、私が作った家の中に寝かされていた。


「やっと気が付きましたか」


 カマキリさんが、濡れたタオルをそっと私の側に置いてくれた。


「みんなは? 大丈夫ですか?」


 どのくらい寝ていたか分からない。

 私は身体を起こし、すぐ様カマキリさんに確認した。

 カマキリさんは震える手で私の手を取り、そっと頭を下げた。


「大丈夫ですよ、先生のおかげでみんな無事です」

「そうですか、良かった」

「先生も無事で何よりです。オリー、ありがとう。先生、ありがとうございます」


 カマキリさんは、私の手を拝む様にして呟いた。


「いえ、今回の件は私が招いた失態です。皆さんを危険な目に合わせたのは私の責任です」

「いいえ、先生。我々は誰一人として、先生のせいだなんて思っていませんよ」


 カマキリさんの目は今にも泣きそうな目だったが、その奥には強い芯の様なものを感じた。


「先生、私今回の件で決意しました」

「何をですか?」


 握っているカマキリさんの手が震えだした。

 恐らく、相当な決断を私が寝ている間にしていたのだろう。

 カマキリさんの俯き加減だった顔が、勢い良くこちらを向いた。


「私が、先生の国で軍を作ろうと思います」

「軍……ですか」


 なるほど、と私は思った。

 いくら私が万能でも、カバーしきれない部分はどうしても出た来てしまう。

 そういった部分を患者、もとい私の国にいる人達でまかなおうという話だ。


 そうすれば今回の様なことは起こらなくなるし、国として今以上に患者を集めやすくなるだろう。


 また、カマキリさんに甘えてしまう事になるのが少し嫌だったが、もう二度とあんなことを起こさせない為には、それが最善だと思った。


「分かりました。今すぐそうしましょう。私も、造れるものは全て造りましょう。」


 私は、すぐ様自分の城と、全員分の寝床と宿舎を作った。

 その際、嘘を見抜く性質を手に入れたので、スパイが誰かを炙り出して追放した。

 まったくノーマークだった、14歳の少年だった。


 その後は、交代で森の入り口を見張った。

 一週間は患者だけの出入りだったが、少年を返したせいか、頻繁に国の軍が様子を見に来るようになった。

 その度に私は出向き、手に入れた性質でしか消せない炎を使って威嚇をした。


 私達は、武装も整え、訓練も開始した。自分たちの理想郷を作る為なら、最早血を流す事さえ厭わない、という者まで出てきた。

 国の人数が三桁を超えた頃、きな臭いうわさが上がってきた。

 私達が、正式に国家反逆罪の罪人として扱われるとのことだった。

 私は、望むところだと、真っ先に考えた。私の頭は、戦って民たちの自由を勝ち取る事しか頭になかった。


 国を興してから、一か月ほど、森の中で平和に暮らしていた時、私達の事を魔族と呼んでいるという話が上がった。

 体が変異したものだけを集めて、異形の軍隊を作ろうとしているのだと。

 私はひどく憤慨した。

 お前達がのけ者にするから、彼らにとっての理想郷を作ろうとしているのだろう。

 もう放っておいてくれ、こちらから攻めることはないから、二度と私達に関わるなと。


 そんな噂が流れてから少し経ったある日、大きな軍がこちらに向かっているとの報告を受けた。

 ついに私達を、始末しに来たか。


 私は、真っ先に一人で出陣した。

 大軍がいた、と言われるところに向かうと、そこには四人だけが立っていた。

 話しが違うと訝しく思いながら、飛行の性質を解くと、四人の先頭にいた、ごつごつとした鎧と大剣を手に持った青年がこちらへ歩み寄ってきた。


「お前が、魔王か」


 魔王? 魔族の王だから魔王なのか?

 私は、ぶしつけにもそう呼んでくるこの青年を、一捻りにしてやりたい気持ちだったが、ひとまず話を聞くことにした。


「あぁ、そうだ」


 話を合わせ、魔王を名乗ると、後ろにいた戦士風の男や、修道士の様な女達が、臨戦態勢を取り始めた。


「どうしてこんなことをするんだ?」

「私達の理想郷を作るためだ」

「ふざけるな! 私達だなんて! 囚われた人達を開放しろ!」


 私は、話がかみ合っていない事に気が付いた。

 囚われた人達、という言葉からして、私と民達の意向があっていないと思っている。

 もしかすると、こいつは魔族と呼ばれている私達の本当の仕組みに気が付いていて、私が自身の理想郷を作る為に、嘘をついて性質を集めていると思っているのではないか。


 そんな事が言える人物に心当たりは一人しかいなかった。

 ドロワーが、自身の利益の為にこいつに何かを吹き込んだに違いない。

 私を始末して、検体として回収するだのを条件にこうしてはるばるこいつらを出向かせたのだ。


「君、名前は?」

「勇者、それだけで十分だろう」


 勇ましい者で勇者、なかなか言い得て妙だと思った。

 そして私は、こいつは利用できると、すぐさま考えた。

 こいつがいれば、私達の理想郷は完成する。


 勇者は、剣を構えると、私にとびかかってきた。


 私は、ただの医者だ、手慣れている人間の斬撃など受け止められるはずもなく、無残にもバッサリと切られた。


「やったか!」


 後ろにいた戦士が叫んだ。

 しかし、すぐさまオリーが、私の事を治してくれた。


「何! 蘇生ができるなんて聞いてないわよ!」


 後ろにいた修道女が叫んだ。

 かなりの動揺が相手に生まれている。

 私は、すかさず手を鎌にして切りかかった。

 しかし、素人の動きで当たるはずもなく、ひらりと華麗に躱された。


「そんなこともできるのか」


 私は、内心してやったりの表情を浮かべていた。

 そのまま私の事を怖がっていてくれ。


「今日のところは見逃してやる、今すぐ帰れ」

「そうはいくか! どうせ逃げるんだろう!」

「逃げはせん。私の理想郷の為には、お前たちの性質も利用したいからな」


 薄ら笑いを浮かべると、勇者たちは明らかに尻込みをした。


「明日、またここに来い、その時私に殺される覚悟があるならな」


 そういって、高笑いをしながら、私は宙を舞い、城へと戻って行った。

 椅子にどっかりと座ってため息をつく。


 私は、今こうして文章を書いている。

 どうして人はこうも争わねば生きていけないのだろうか。

 私は、人というものに辟易していた。

 私はただ、患者を助けたかっただけなのに。

 しかし、あの勇者とやらのおかげで、私の理想の世界は完成する。

 終の病の患者が、もう二度と差別されずに元の場所に戻れるように。

 私が魔王となって死ぬことで、あの人たちの世間の目は一気に被害者へと移り変わる。

 後は、時代が終の病を不治の病でなくしてくれるのならば、彼らは本当の意味で元の場所に帰れるはずだ。

 オリーにもらったこの命、上手く使い切れているだろうか。

 オリーさえ生きていてくれれば、それだけが強く悔やまれる。

 私は明日死ぬ。そしてこの手紙も、性質でしか消えない炎で燃やしてしまうから、誰の目にも残らないだろう。

 私が魔王と呼ばれ、死するその時、世界はようやく一つになるのだ。

 世界最悪の存在に、私はなる。


 その為なら、私は喜んで魔王になろう。


 私が魔王と呼ばれる日、世界は平和になるだろう。

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