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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

マリアの救済

作者: 紫媛

幼い私がこっちを振り向き嘲笑している。

「かわいそう、おおきくなったあたし。」

「ふざけないで。あんたに何がわかるの。ほんの数年しか生きてない癖に。」

「あたし、周りからの愛情過多だから。飢えてるおねーちゃんとはおおちがい。顔も中身も愛され大事にされてるんだから。」

「私は未来のあんたよ。そんなこと言ってられるのは今だけなんだから。」

「未来なんてわかんなーい。あたしはおねーちゃんみたいに成長しないから安心して、歪んだおねーちゃん。」


ばっ。勢いよく上半身を起こす。閉じていたはずの瞼は大きく開かれ瞳孔も拡張している。

あははははは。

冷汗で背中はぐっしょりと濡れ気持ちが悪い。

ふー。と長い長い息を吐き心臓の鼓動を正常に戻してやる。

何度目だろうか、このどろどろとした夢をみるのは。この夢を見ると必ず目が覚めてしまう。だから寝不足なんてしょっちゅうだ。目が覚めた後当分の間眠ることが出来ず、やっとまどろんだと思えば携帯のアラームが容赦なく鳴り響く。身体中が痺れた感覚を騙し騙し身体を起こした後重たい四肢をひこずって台所へ。食器棚から適当にティーカップを取り出しインスタントコーヒーを濃いめに入れお湯を注ぐ。猫舌を我慢しながら一口飲むと熱が食道を通り胃に溜まる。熱は呼気にも伝わり顔の周りを暖める。その暖かさに安心しカーテンを開けると朝日が目に突き刺さり思わず眉をひそめる。太陽が嫌いなわけではないが、あまりにも無神経に全てを照らすので時々隠れたくなる。特にこの夢をみた朝はそうだ。雨雲が空を覆っているくらいが私に相応しいと思う。


芸のない香りのブラックコーヒーを飲みながらぼうっと先程の夢を考える。

幼い私は子供特有の残忍さで私を苦しめ、私はいつも年端もゆかぬ私に敵わないのだ。これを悪夢と言い切ってしまうと輪をかけて酷い夢になりそうなので、あえて悪夢とは呼ばないことにしている。夢で言われたことはまごうことなき真実だ。幼い頃、私が望むものはたいてい手に入った。白くきめ細やかな肌につやつやとした黒髪、髪と同じ色をした黒目がちな瞳に女の子らしい上品な仕種。愛情過多という表現はあながち間違ってはいなかった。私から求めなくとも両親も親戚も近所の人も先生も溢れんばかりの愛情を注ぎ大事にしてくれた。そのくりくりとした丸くて大きな目で少し上を向き「お願い。」と言うと皆言うことを聞いてくれた。幼いながらに男に媚びを売ることを覚えたのもこの頃だった気がする。上手くいかないのは女の子相手の時だけで、女の子の集団にはいつも馴染めず浮いていた。それでもよかった。私を受け入れてくれる男はいくらでもいた。


幼い私から現在の私へ変貌を遂げたのは、おそらく気付いてしまった時。両親も親戚も先生も完璧な私を求めていることを理解した。どんなに愛されようと必死になっても完璧でない限り愛してもらえなかった。思ったことを言うと否定され私の居場所を剥奪していった。あぁ、私、必要とされてないんだな。それがとても悲しくて私は泣いた。わんわん泣いた。慟哭と呼ぶに相応しいものであったように思う。泣いても声をあげても、一度空いてしまった空洞は二度と埋まることはなかった。それどころか空洞化はひたすら進み続けた。空洞は孤独ということを知った。


その夜、錆びかけたカッターで私自ら痛みを産み出した。淡いライトに浮かび上がる白肌に赤色が背徳的で思わずごくり、唾を呑んだ。半ば雲に隠された27日の月がにたりと嗤っていた。



月が嗤った夜から数年が経った。



あなたのためだけに〜♪

アイラインがキレイに引けたことに満足し、ルンルンと鼻歌を歌う。自ら人を愛したこともない私から紡ぎ出される一途な恋心を表現した歌詞。

「乙女だねぇ。」

たしか以前カラオケに行った時、口角を片方だけ吊り上げた友人がこんな風に感想を述べていたような気がする。

「そりゃあ花も恥じらうお年頃ですから。」

…キャハハハハ ヒーヒー… 二人して涙が出てくるほど笑いこけたっけ。

「あんたに似合うのは、不倫の歌だっての。その曲は男用でしょ。知ってるよ。練習熱心なことで。」

「ちょっとぉ。不倫ソングが似合うのは現在進行形のそっちだからぁ。」ケラケラケラケラ。いまひとつ人を好きになるという感覚が欠如している私達の明け透けな会話が記憶に新しい。

楽しい記憶に浸りながらも右手は確実に働き顔が出来上がってゆく。マスカラでしっかりと扱いた長い睫毛を意識し、鏡の中の私に色目を使い誘いかけるよう微笑み完成だ。

今日の相手は若い。ギャル系で露出も多めにしていこう。ちゃらちゃらしたアクセサリーを身につけ出来上がり。もう何度目だろう。通帳には結構な額が貯まっている気がする。あまり遣わないから当たり前といえば当たり前なのだが、10代にして7桁に突入していた。誰も知らない私だけの秘密。うふふ。地獄の沙汰も金次第とひしひし感じる毎日だからこそ必要なモノ。誰も助けてなどくれないことは周知の事実。カミサマは生憎毎日売り切れらしい。付け加えるメリットとしては、意味を持たないSEXという行為と引き換えに万札の他、薄っぺらな愛が手に入るという点である。からっぽな私には丁度良い。一瞬でも空白が埋まるのならば悪魔に魂を売っても構わない。天使にあげるのならば悪魔に売り付けるほうがビジネスライクでいいじゃないか。そして今日も私は身体という才能を切り売りしている。本日の男は今日初めて私を買ってくれた人だから多少気持ちが高ぶる。諭吉さんが三人。上等だ。さぁ私を埋めてくれ。フェイクの愛で私を包んでくれ。皆そうやって生をしのいでいてる。どれほど綺麗に取り繕っている人も胡散臭い論説を交わす政治家も今誕生した赤子でさえも、生というたったひとつの穴の貉に過ぎず、その暗がりには死という出口しかない。脱出口は死を意識することでのみあかりが灯る。

ちかちかちかちか…

目に優しくない点滅。右手の指先でこめかみをぎゅうと押さえる。瞼を下ろしても裏に映り点滅は消えない。込み上げる吐き気に為術なくしゃがみ込んでしまう。

「う゛ぅー」

呻き聲が虚しくこだまし、私の増殖、の様相を呈してくる。私は私をいたわることはおろか手を差し延べることすらしてくれない。左の掌を鳩尾に当て必死に大丈夫と言い聞かせる。

「てすりてすりてすり」

探せど探せど、両の手は虚空を切るばかり。

「どこ?どこ?どこ?」

………

「どこ!」

………

「…どこーどこーどこーどこーどこーどこーどこーどこーどこーどこーどこー………」

あ、あっ。

ぐらりぐらり。眩暈がする。ぐらりぐらり。

ああ…

両腕を斜め前に差し出し炯に抱かれる。

バタン。

身体からすうっと力が抜け地面に力無く横たわる。すると皮膚を通じぞっとするほど冷たい冷気が芯まで私をこごらせる。涙は流れない。凍ってしまった。替わりに左手首から血液をながす。

どくん どくん どくん

拍動に同調し溢れだすそれは左手を赤く濡らしてゆく。そして、血濡れの手の平をそぅっと頬に宛てがう。

「大丈夫。」空洞に偽りという膿が蓄積しようと、手首を流るる真っ赤な血液が痛みと共に孤独も哀しみも思考をも無にしてくれるから大丈夫なの。


未だ流れ出す赤をぺろり。

空洞化が化膿を促進しているのか、化膿が空洞化を押し進めているのか。最早どうでもよかった。


もう末期だと悟った。

立つことが困難だと思った。眼を閉じても心臓の拍動が停止しないことに違和感を感じた。朝なんかこなければいいのに。


徐々に、寝付くことも夢をみないことも難しくなった。こうして私は終わりへと焦点を合わせ、決して満ちることのない夜を重ねた。




蛍光灯の残滓が安っぽい輪を描く。いつもの見慣れた光景だ。違うのは隣で私に腕を絡める生き物で今日の生き物は諭吉さん一人。


安っぽいのは天井だけではなかったらしい。一万円で女を買う男と一万円で男に買われる女、どちらが価値があるのだろうか―そんな意味のないことがエンドレスリピートで脳から流れ出て来る。どうすれば高い私になれるのか、どうすれば私の価値を見出だしてくれるのか―肝心な質問に脳は答えてくれない。


応えてくれないのは隣の生き物も同じか。スルコトさえ終われば意識は煙草へ向かう。灰皿へ押し付ける仕種はまるで過去を焼き潰し揉み消し否定しているようで、私は思わず手首を握りしめる。ギリギリ爪が食い込み跡が五つ。足りないな。たった五つ。私を否定しようとはしないものが五つだけとは虚しいものだ。少し…そう、ほんのほんの少しだけ、泣きそうになった。

「そろそろ寝ようか。」

私のささやかなブレに気付かず気怠げに言葉が発された。今日も夜中に目が覚めるのを覚悟して

「おやすみ―」。




カチ カチ カチ カチ カチ カチ カチ カチ




案の定、寝付き悪くってこの有様。夜中に目が覚めるというより既に今が夜中だし。思わず苦笑してしまった。その瞬間、喉に触れ軽く爪で擦る。逆の手首に目をやると跡が消えていた。至極当然のことなのに何故こんなにも受け入れがたいのか。そんなこと解り切っている。自己否定を否定するものが消失してしまったからだ。ぐらりぐらり。私はぶれる。私がぶれる。こんなにぐらぐら揺れているのに横の生き物は幸せそうな寝顔のままだ。どうして私独り定まらないのか。どうして横の生き物はこんなにもぐらり揺れてふ゛れ続ける私に気付いてくれないのか。地震のように何故伝わらない。何故何故何故!どうしてどうしてどうして!好きって言うなら私に気付いて私に触れて。なにより私を見てよ!夢なんかみないでよ!私はここだよ…


首を擦る手に力を入れる。鋭いようでじんじんとした鈍い痛みが発生した。そこに意識を集中させる。全てを否定できる強さでぎりぎり爪を食い込ませ、雑念をこそぎおとす。ぎりぎりぎりぎり。眉間にぐっとシワが寄り奥歯がぎりりと鳴る。首筋に血が滲み出そうと今日の私から雑念が去ることはなかった。「うっ!」

呻き声が漏れ出たのに目を開けてくれない、頭を撫でてくれない、剥き出しの心も身体も包んでくれない。


痛いよ。


痛いよ。


痛いよ。


痛いよ。


痛いよ。


(孤独だよ。)



首筋から流れ出てきた血液が私のかさついた爪先に染み入る。血液の色を確認したくてベッドから降りカチリと蛍光灯のスイッチを入れた。


カチリ。


人工的な明るさの刺激に身体が対応しきれず、眉をひそめる。


くすんだ赤色だった。


けれどそれはくすんでなどいなかった。くすんでいたのはこの私という生命体。伸びた爪に染み込んだ赤色を通した光は安っぽくなどなかった。最高級な赤い光だった。高貴な赤は私のぶれを労るように意見を提示してくれた。


なんて簡単で単純なことだったの!


私を映さない目などえぐり取ってやろう。私の声を聞き分けれない耳など削ぎ落としてやろう。私の匂いを感知できない鼻などへし折ってやろう。私以外を舐め搦め捕る舌など焼き切ってやろう。あぁ、私のほしい言葉を発しない声帯、私の不安を拭い去ってくれない腕、私を満ち足りた世界へ先導してくれない脚も不要だな。


ave maria


口から漏れ出る。


jungfrau mild


隣人に優しくキスをする。鞄からカッターを取り出し手首にさっと走らせる。私の赤い赤い血液で隣人の唇に死化粧。


erhore einer jungfrau flehen,aus diesem felsen starr und wild soll mein gebet zu dir hinwehen


どくどくどくどく。波打つ心臓に耳をあて、手を頸動脈に滑らす。心地よいリズム。死んでしまわないよう力を加減して私の血のついたカッターで掻き切ってやる。ぶしゃーと鮮血が噴き出てきて、私もベッドも真っ赤に染まる染まる染まる。なんて美しいのだろうか。やっと私のために目を開き声帯を働かせてくれた。にっこり微笑み馬乗りになる。「痛い?痛いよね。苦しい?苦しいよね。私も痛かった苦しかったのよ。何より孤独だったんだよ。私にもっともっと向き合ってほしかったよ。淋しくって淋しくって。だから今から私を突き付けてあげるから。」


wir schlafen sicher bis zum morgen,ob menschen noch so grausam sind


先ずは脚

あ、その前に台所いかなきゃ。万能包丁、果物ナイフ、パン切りナイフ、チーズ用もあったなぁ。中華包丁、刺身包丁、肉切り包丁も忘れずにねっ。ついでに布切り鋏や糸切り鋏も。裁縫箱ごともっていけば針も入ってるしちょうどいいや。待っててね、すぐ行くから。


o jungfrau sieh der jungfrau sorgen


改めて脚の腱からチョッキン。「ぎゃー」。チョッキン。「ぎゃー」。

これでもうあなたはどこにも歩いていけない。真っ赤に染まって唇とおそろいね。

次は腕かな。ポキリポキリ丁寧に時間をかけ指折りしていく。これでもう指切りげんまんしなくていいね。叶わない約束なんて不必要だから。手首も私とおそろいにしようね。カッターでつうっと赤い線を引く。私の手首とあなたの手首をあなたの目の前に翳し、きちんとおそろいになったことを見せてあげた。

見開かれた眼球は泪で潤い、口の端からは涎がだらだらみっともなく垂れ流されている。ついさっきまでぎゃーぎゃーぴーぴー喚いていたのが今は喉が嗄れたのか掠れた声しか出ていない。眼球に私が映り込んでいるのを確認すると満足し、あなたの頬を優しく撫でてやる。頬に触れた刹那びくり身体を竦めた仕種が愛しく、掠れた声しか発することの出来ない声帯が可哀相になり台所からのど飴をもってきて口移しで食べさせてあげた。

「おいしい?」

「    」

「おいしい?」

「    」

「おいしい?」

「    」

いらつくなぁ。傍らからまちばりを取り出し左人差し指の爪と肉の間に捩込む。「   」

声に為らない声が細長く続く。

「おいしい?」

「   」

こくんこくん。

「イィコ。」

私は満足し頭をなでなでしてあげた。だけどやはり私は淋しい。まだ私の存在を完璧にしてはくれないようだ。淋しいな…


o mutter hor ein bittend kind


ならばもっと赤に溺れましょう。私の大好きな赤色に二人染まりましょう。私の為だけに存在するあなたを私が創り、そして私自身が私を救済する。してみせる。


ave maria


泪がぽろり落ちた。だめだだめだ。まだ泣けないよ。手の甲でぐいっと拭い前を見詰める。まだ歌い終わってはいない。


ave maria

unbefleckt


顎の下から恥骨の方まで縦一直線にカッターで切れ目を入れる。横にも数本切れ目を入れ、刺身包丁を助けに丁寧に皮膚と脂肪を剥離する。脂肪のぎとぎとが気持ち悪い。

「舐めて」

手と包丁に付着した脂を除去させた。


wenn wir auf diesen fels hinsinken,zun schlaf und uns dein schutz bedeckt wird weich der harte fels uns dunken


もう何も聞こえない。ここに響くのはあたしの口ずさむave maria。そのリズムに呼応するかのように規則正しく鼓動を繰り返す心臓。薄い肋骨を肉切り包丁で切り、心膜にくるまれた心臓を確認する。どくどくどくどく、規則的で心地よいリズム。

「もうおやすみ。」

心膜を丁寧に剥がし上行大動脈を刺身包丁ですぱぁと切る。瞬間、ぶしゃーと動脈血を撒き散らせ私の両腕を鮮やかな赤色にペイントする。下行静脈なども同様に切断し、優しく隔離された心臓を持ち上げ、私の頭上へ掲げる。そして心臓内部に残留している血液を頭上からシャワーのようにふらせる。口許に伝わってきた血液は鉄臭く生きていると実感させるものでぼうとした。


du lachelst rosendufte wehen in dieser dumpfen felsenkluft


頑張らなきゃ。私はまだ救われてはいない。気管、肺、食道をまずは体内から取り出す。肺は煙草のせいでで真っ黒かった。イイ気味だ。私が煙草嫌いなのを知って尚吸っていた罰だ。これでもう私の前で煙草を吸えないだろう、吸い殻を押し付ける仕種に胸が痛むこともない。これでひとつ私の望むあなたに近づいた。


o mutter hore kindes flehen

o jungfrau eine jungfrau ruft


ave maria


次に肝臓を取り出し、某焼肉店のレバ刺し如く薄くスライスし、サニーレタスを添えた白い平皿に手際よくもりつける。小さな皿には塩とゴマ油を準備する。韓国風だ。


ave maria

reine magd


老廃物の充満した腸類は食欲を削ぐ臭いを発していたのでビニール袋で二重に密閉しておいた。


der erde und der luft damonen,


すっぽり手の平サイズかつすべすべで赤ちゃん肌のような脾臓に思わずほお擦りをし、膵臓や切り離していた胆嚢を先程とは別のビニール袋に詰める。


von deines auges huld verjagt,


後腹膜に手を差し入れ腎臓を取り出す。更に膀胱も切り離し先程のビニールへ。

sie konnen hier nicht bei uns wohnen


空っぽになった腹腔を眺め、私のようだとおもった。何をしても誰といても決して埋まることのなかった私のようだった。幸せと感じると不安に駆られ、嬉しくなると哀しみが込み上げるのは私がいつも0だったからだったのか。0に何を掛けても割っても所詮0でしかありえないのだ。生活を営むことは足し算引き算であるはなく一気に数値が変動する掛け算や割り算ということなのだから。


wir wolln uns still dam schicksal beugen,da uns dein heilger trost anweht


性器をはさみでじょきりと切った。いったいこの物体で何人の人を絶望と絶頂へ誘い、何人の人に欲望を注ぎ込んだのか。そしてその結果何が生まれたのか。嬰児か。その児は望まれたのか否か。望まれなかったならなんと酷いのだろう。死ぬまで愛情を渇望し続け満たされない。万一望まれたとしても、生まれたくて産まれてきたわけではないのに生きることを強制される。自殺は悪と刷り込まれ死ぬこともままならない。このような事態を二度と引き起こせないよう、朱塗りの小鉢に七枚の皮を剥いだ精巣を盛り付け、上からポン酢をかけ小口葱をちらす。

der jungfrau wolle hold dich neigen


残った胴体と四肢は、肉切り包丁を関節を狙って振り下ろし小さな断片にしていく。ばきりばきり。首を1番に切り離したら、自らの身体が1番よく見える位置へおいてやる。見開いた目にこの光景が焼き付けばいい。その融解しかかった脳で私の一挙手一動足を見詰めなさい。そして理解しなさい、私という生き物の全てを。あなたの眼球と脳に凝視されながら私は足の指一本に至るまで至極丁寧に解体を進める。それから、あなたの眼前で

「いただきます。」

レバ刺しと白子ポン酢を肴に梅酒ロックをいただく。日本の春を思わせる香りが私を包みうっとりとグラスを傾ける。からん。澄んだ高い音が響く。この音は天国の鐘の音か、地獄の扉が開く音か、それとも…。さぁ急がなければ。歌い切ってしまう。どちらにしても私は変わらない。わたしを変えるのは…の先。救済は近い。


dem kind das fur den vater fleht


ave maria


歌い切った。泪がボロボロ両の眼からこぼれ落ちる。その勢いは留まることを知らず、滝のように、そうなることか゛当たり前のように流れ落ちる。嗚咽がこだまする。産まれてきて今まで溜まったものが全て眼と口から吐き出される。


私で私を抱きしめてやる。

引き出しから小瓶を取り出し、中身を梅酒に混ぜる。

「天国よ地獄よ。私を連れていくことはさせない。私はこの首を連れて二度と産まれてこれない場所へいく。私を生き物という虚しさから解放する。そして此岸にはこの状況をもって私の存在を突き付ける。」


からりとグラスをくゆらせ一気に煽る。


「見よ。私は私を救済した。」


空には星以外の光はなく、ひっそりと朔月が存在していた。







三日後、連絡が取れないので捜索願が出されていたということもあり、私は警察により発見された。普段から親しい友人に「三日くらい音信不通なら通報よろしく」と言っておいたのが幸を奏したらしい。踏み込んだ屋内で、警察は男が殺され私が死ぬビデオの録画と遺書を発見する。



―遺書―


お父さん、お母さん本当にごめんなさい。お願いです。私を怒らないで。人は私のことを親不孝と侮蔑するのでしょう。だからこそ、この文面をもって私は問います。生きることが孝行、死ぬことが不孝と何故言うのですか。生きることは義務なのでしょうか。自殺とは悪なのでしょうか。人殺しとは何故禁止されているのでしょうか。人が人を裁く矛盾。人は何人足りとも人により裁かれることはできないと思うのです。他者に心は見えない。人同士、相互理解はできない。理解できないものを裁くと必ず歪みが生じる。だから私は裁くことも裁かれることも否定します。

私にとって生を全うすることは難しすぎました。一方的に生産された生に一度疑問を抱いてしまった途端、生きる理由がなくなりました。けれど、こんな私でも独りは寂しいのです。忘れられることが寂しい。寂しい。寂しい。共に生を破棄して頂いた男には申し訳なく思っています。もう、致し方なかったのです。

厚かましいお願いだとは思いますが、私の死体は焼いた後骨を砕き瀬戸内の海へ流して下さい。お葬式は必要ありません。いっしょにいる男の骨も同様にして下さい。そして真っ赤な薔薇と彼岸花をたくさんいっしょに流して下さい。録画したビデオは全国放送で夜8時から放映して下さい。ネットにも流して下さい。その後、海に骨と花を流す場面を放送して下さい。

お願い申し上げます。



遺書には以上のことが書かれており日付や署名もきちんとあることから、執行能力をもつものであった。この約一ヶ月後、テレビやネットで映像が公開された。人々の動揺をさげずむかの如く、空には朔がしっかりと存在していた。

最後まで読んで頂きありがとうございました。よろしければ感想等お聞かせ下さい。

お目汚し失礼致しました。

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[一言] 文章力がありすぎて怖かったです。もう途中見るの止めようかとも思いましたが引き込まれてしまって止められなくて( 決して明るい話ではなかったけれど、色々考えさせられることがあって……うーん、なん…
[一言]  表現がすごくうまいと思います。  というかうますぎて怖かったです。  ストーリーとキャラクターのインパクトがすごく強かったです。  「私」の残酷さと孤独感が伝わってきました。
[一言] 楽しく拝読しました。物語のテンションの起伏が心地良かったです。
2009/12/28 21:09 退会済み
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