思考
自分の部屋の扉を開けると、当たり前のことだけどいつもの部屋だった。
目が覚めてからいろいろなことがありすぎて、もしかしたら自分の部屋もなんか変なことが起こっていたりして、と身構えていたのに、実際にはいつもの自分の部屋で少し安心した。
部屋に掛けてある時計を見ると、意外なことに7時30分を越えたところだった。
てっきりもう10時ぐらいは過ぎているかと思っていたのに。
急ぐ必要が無いと知った私は、扉から真っ直ぐのところにあるベッドに腰掛ける。
座った途端、今までの疲れを吐き出すように盛大なため息をついた。
……いろいろなことがありすぎたな……。
今日私の目が覚めてから起こったこと。
それはいつもの私の日常からしてありえないことだらけで、心身ともに疲れてしまった。
もう今日は学校を休んでこのまま寝てしまおうか、と一瞬思ったが、首を横に振ってその考えを打ち消す。
――……学校には行かなくちゃ。
そう考える自分が可笑しかった。
なんでこんなに私は学校に行こうとしているんだろう、と疑問に思う。
別に学校なんてたいして面白くもないじゃない。
なのに、なんで私はここまで…………?
「痛っ……」
頭が痛み出した。
ジクジクとした痛みがする。
まるでその痛みがこれ以上私の思考を続けさせないようにしているみたいだった。
ああ、そういえば私頭に怪我をしているんだった。
そう思って、部屋のあまり背の高くない本棚に手を伸ばす。
本棚の上の縁ギリギリのところにある救急箱をなんなく取って、ベッドに戻る。
小さい箱から消毒液を取り出して、どうしようか迷う。
手とか足とか、まだ慣れているところに消毒液を塗るのはいいんだけど、
頭とか、怪我したことのないところに塗るのって、相当勇気が……。
しばらく悩む。
うんうんうなった後ようやく決心がついた私は、ガーゼに消毒液をつけて一気に傷口に当てた。
その時悲鳴を上げそうになったが、なんとか堪える。
そういえば傷口を水で洗ってなかった、と今更思い出して、でも消毒してるからいいかと勝手に自己完結をする。
包帯は、本来なら巻かなきゃいけないんだろうけど、学校に行くので止めた。
目立ちたくないし。
救急箱を元のところに戻して、時計を見る。
さっきより10分進んでいた。
これ以上家にいたら学校に遅刻すると思い、クローゼットから制服を引っ張り出す。
着替えようと服に手をかけて、自分が今着ている服がなんなのかに気付く。
――……そういえば、私パジャマだったんだ……。
その事実に、その場で恥ずかしさにしゃがみ込んだ。
上下おそろい水玉模様のパジャマ姿は確実に司さんに見られていたはず。
あの時は精一杯だったから、自分がとても恥ずかしい格好をしていることを忘れていた……。
司さんはそのことに気付いていただろうに、何も言わなかった。
私と歩いている間絶対恥ずかしかっただろうな、司さん……。
もしかしたら心の中で私を笑っていたのかもしれない。
それは嫌だなぁ……。
軽く泣きそうになりながら、このまま座り続けていてもしょうがないので着替える。
制服に着替えた後、今日私は目が覚めてから何も口にしていないことに気付く。
少し小腹が空いたかもしれないと思い、学校の鞄の中に必要な教科のノートや教科書を詰めてリビングに向かった。
リビングでパンをオーブンにいれて待っている途中、司さんを外に置いていったままだ、ということを思い出して、急いで礼の品を探す。
もしかしたらもう司さんは玄関のところにいないかもしれない。
それはそれでいいかな、と身勝手な考えが浮かんだ。
「あった」
リビングを探していると、都合の良いことに和菓子の箱があった。
重みがあるから中身はちゃんとあるだろうことがうかがえる。
きちんと包装もされているし。
包装紙に張ってあるシールを見てみると、賞味期限は切れていなかった。
すぐに礼の品を、それも家に置いてあったものを渡すのは礼儀知らずかもしれないが、なんでだか今渡さないともう司さんに会えないような気がしてこれを渡そうと思った。
紙袋に和菓子の箱を入れていると、チンッ、という音がオーブンから鳴った。
中のトーストを取り出して、何も付けずに口に銜える。
片手には鞄。もう片方には和菓子の箱。
少し重いかもしれない。
トーストを手を使わず器用に食べながら玄関の扉を開ける。
そこにはさっきと同じ場所に立っている司さんがいた。
私はそのことに少なからず驚いた。
まだいたなんて。
若干失礼なことを考えているな、と思い司さんの顔を見る。
司さんは私の格好に顔をしかめていた。
「……なんだ、その格好」
「…………」
口にトーストを銜えているので、喋れない。
喋ったとしても理解が出来ない言葉が出てくるだろうし、何より私が口に何かを銜えている状態で喋りたくなんてなかったので、無言で和菓子の箱を司さんに差し出す。
「ん?」
司さんは不思議そうな顔で差し出された和菓子の箱を受け取った。
手に荷物が無くなった私は、トーストを口から離す。
「なにこれ」
「ここまで送って下さったお礼です。家に置いてあったもので失礼ですが……」
「いや別にいいよ。…………ふ~ん……、礼、ねぇ……」
そう言って紙袋の中の箱を興味ありげに見ている。
そういえば、この人と同じ名前のつかさちゃんは和菓子が嫌いだったっけ。
司さんが和菓子嫌いだったらどうしよう。
「和菓子は、お好きですか?」
そんな不安から出た言葉。
それに司さんは「好きだ」と答える。
私はそれに安心して「それ、和菓子なんですよ」と言うと、司さんは「ふ~ん」という興味なさげな声を出した。
この興味なさげな相槌はもしかしたら司さんの癖なのかもしれない。
まだ紙袋を見ている司さんを見て、もう一つのことも思い出す。
そうだ。口止めもしておかないと。
「あの……司さん」
「何」
「私がパジャマでここらを徘徊していた、ということはご近所さんには言わないで下さいね」
私がそう言うと、一瞬間の抜けた顔をして、それから微かに笑った。
微かに笑った顔が優しいものだから、私は不覚にもそれにドキッとした。
「あぁ、パジャマね。分かった。誰にも言わない。そういえばなんで制服に着替えてるんだ? パジャマの方が俺は似合っていると思うんだけど」
遠まわしなからかいに、私はムッとする。
他人にパジャマの方が似合うって言われて嬉しがる人なんていない。
「ともかく、ご近所さんには言わないで下さいね? でないとその和菓子返してもらいます」
「貰ったものを返せなんて、酷いな」
「パジャマが似合うと言われても、嬉しくありません」
「そう。悪かったな」
意地が悪そうに口の端を持ち上げる司さん。
ここまで私を送ってくれたんだから、この人は優しい人なんだと思う。
けど、その意地悪そうな笑みに私はこの人のことを苦手だと感じた。
そんな笑みでもカッコよく見えるからちょっと悔しいが……、苦手だ、苦手!
「あの、私これから学校なんです」
「学校?」
「はい、だから……すみません」
何よりも優先するべきことは、学校。
私は学校に行かなくちゃならない。
ここで話をしていたら確実に遅れてしまう。
私は申し訳なさそうに――実際申し訳ない――頭を下げて司さんの横を通り過ぎる。
小走りの私の後ろから、声がかかる。
「友達、いるのか?」
「…………」
振り返って司さんの顔を見てみると、無表情。
私を送ってくれているときと同じ顔をしていた。
本当にそんなことを思っているんだろうかこの人は!
「……友達の一人や二人ぐらいいますよ!」
思わず声を荒げて司さんに言う。
それに、「そうなんだ。いるんだ」という呟きをもらしたもんだから、私はもう一回「います!」と叫んで学校へ行く道を走った。
さっきまで優しい人だ、良い人だ、と思ってたけど、前言撤回。
あの人はムカつく人だ。