家中
血が舞った。
どこが出所か分からない。
壁に飛び散り、天井にまで届く血飛沫。
自分の身体にもそれは飛び散って、服に染みを作る。
私の視界に入ってくるのはただただ凄惨な光景。
人間『みたい』な物が狂ったように踊っている。
白い? 黒い? 透明? ダメだ。見えない。
人間『みたい』な物、と認識しているのに、『それ』が見えない。
ああ、これはなんだ。
いきなりのことすぎて思考がついていけない。
家の中から悲鳴が上がった。
甲高い、耳が痛くなるような声――いや、これは音かもしれない――に顔をしかめる。
玄関先で何者かに斬られているように踊る人間『みたい』な物。
よく見たらそれは笑っているように見える。
身体が無い、不透明な存在が笑っている。
顔は無い。身体も無い。手も無い足も無い。
人間のパーツが全部無い人間『みたい』な物。
そんな存在が私の玄関先で踊っている。
意味の分からなさに笑いが込み上げてくる。
ゾンビや気持ち悪い犬の時とは全然違う。
恐怖を感じているのかさえ分からない。
口から漏れて出そうになる声を抑える。
さっきから踊っている人間『みたい』な物のせいで、私の視界に入る全ての床と壁が見えなくなった。
赤色のペンキで塗りたくったように、赤い床、壁。
それのあまりの血なまぐささに、吐き気を覚える。
赤色の液体が玄関から溢れ出す。
それは私の足元を濡らして、外に流れ出る。
液体に浸っている足元が生ぬるい。
人間『みたい』な物が何かを持っていた。
包丁。
それを振り回して何かを切っている。
さっきまで血を撒き散らしていたのに、今度は切りつけている何かから血が噴き出す。
私はそれを恍惚と感じた。
うすぼんやりとした存在に、色がつく。
赤色で着色された存在。
赤色が少しずつその人間『みたい』な物の輪郭をかたどっていく。
それは、笑っている。喜んでいる。楽しんでいる――――私の顔だった。
「おい、どうしたんだ」
その声に、私はゆっくりと顔を後ろに向ける。
目の前、とはいわないけど、予想以上に近い距離に居る司さんが怪訝そうに私を見ている。
なんで家の中に入らないんだ、とその目が言っている。
私はしばらくその場に立ち尽くす。
「お前の家じゃなかったのか?」
何も言わない私にイライラした風に聞いてくる。
私はその雰囲気に少し怯えながらも、首を横に振った。
「私の家です、けど…………」
「けど?」
司さんにはこの凄惨な光景が見えないのだろうか。
そう思って顔を玄関に向きなおすと、そこには何も無かった。
私の家だ。
壁にも天井にも赤色が無い。
玄関先で踊っていた人間『みたい』な物も無い。
足元を見下ろすと、生ぬるい感覚も無いし、さっきまで浸っていた血の跡も無い。
変だな、と足を上げたり下ろしたりする。
あんなに赤色が噴き出ていたのに……。
なんでだろう。
そこまで考えて私は我に返った。
なんでだろう…………?
私は何を考えているんだ。あんなことが日常的にあるわけがない。
そうだ。あんな事が日常にあるわけがないじゃない。
なんでこんなにも普通に受け入れようとしていた?
なんで私の足に血が付いていないことに疑問を持った?
それにさっきの人間『みたい』な物の顔はなんだ?
私だった。楽しそうに笑っている自分だった。
何かを切って愉快そうに笑っていた自分。
すとんっ、と私の中で何かがはまったような感覚がした。
なんだか分からないけど、あれを見た時に妙にスッキリした自分が怖かった。
それに、なんで私は『あれ』を人間『みたい』な物と思った?
人間らしい部分も何も無かったのに、見えなかったのに、なんで私はそう思ったんだ?
そう考えてみたら変だけど、でもあれは確かに人間『みたい』な物だった。
見えなかった。でも見えていた。
確かにそこに居ると思った。
実際そこに居た。
けどその姿は見えなかった。
でも私には見えていた。
……あぁ、矛盾だらけだ。
家の中を見てみる。
何も無い。
さっきまでの痕跡が無い。
私が昨日寝る前に見た光景そのものだ。
私が外から帰ってきた時に一番最初に入るところ。
昨日と同じ風景。
だけど静かにそこに在ることが不気味に感じた。
私は少しだけ考える。
家に入るべきか、入らないべきか。
このまま入らないでおこうか、と後ろに退ろうとした瞬間、頭に痛みが走る。
その微かな痛みに、私の足はその場に留まる。
……というか、家に入らないと学校に行けない……。
なんでここまで学校に執着しているのか自分でも分からないけど、とりあえず家には入ることにした。
改めて家の中を見てみると、電気が点いていなかった。
私の家の玄関には日の光が入るような窓が無いので、少し薄暗い。
一歩足を踏み入れてみると、外の温度より少し暖かい気がした。
「お母さぁーん…………?」
ただいま、と声を上げても返事は返ってこなかった。
それに寂しさを感じながら再度声をあげる。
返事は返ってこない。
寝ているのかもしれない。
出かけているのかもしれない。
どっちにしろ無用心なことは変わりないけど。
そもそもお母さん自体がここにいるのかどうかさえ……。
そんな不吉な考えが過ぎる。
いや、お母さんはいる。
変なことが起こってばっかりだけど、ちゃんといる、よね……?
私は靴を脱いで、近くに置いてあったスリッパを履く。
今脱いだ靴以外の靴がない。
やっぱりお母さんはでかけているんだろうか。
でも、こんな朝早くになんの用事があって外に出かけたんだろう。
大丈夫なのかな。
お母さんを捜しに行こうかな。
……でも、学校を休んだら怒られるし……。
違和感。
私、誰に怒られるんだろう。
お母さんは温和な人で、めったに私に対して怒ったりしない。
昔はそれを少しだけ寂しいと感じたけど、今はそうでもない。
それに、お父さんは亡くなっている。
だからお父さんに怒られる、ということは無い。
私、誰に怒られることを怖がっているんだろう?
……別にいいや。
今は学校に行くことだけを考えよう。
私は躊躇なく2階にある自分の部屋に向かった。