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平行世界  作者: 返歌分式
三日目
33/34

夜中

 自分にあてがわれた部屋の中、私はベッドに座っていた。

 なかなかに豪華な部屋だ。私の部屋が6個ぐらい入りそうなぐらいに、広い部屋だった。

 自分の部屋の狭さに慣れている私にとっては、この広さは少々苦痛だ。無駄な広さに、手持ち無沙汰な気分がする。

 私はベッドの縁に腰かけながら、真っ暗な部屋を見渡す。

 私から見て右側にテラスに出ることができる大きな窓があり、その窓から月の光が差しているおかげで部屋の中は十分見渡せた。


 優しくもある月の光は、だけど寂しさしか生まずに部屋を照らす。

 しん、と静まり返った部屋の中。

 誰もいない。孤独感。孤立感。

 その静寂に息苦しいと思った。

 私はこの息苦しさから逃げるように部屋を出た。

 

 部屋から出ると、廊下が右も左も薄暗くて少し怖くなる。

 壁に貼り付けられた燭台が申し訳程度に辺りに光を与えているが、心強くは思えない。

 冷たい空気が漂う中、私は自分を抱くようにして両腕をさする。本当に、夏とは思えない寒さだ。

 それとも箱庭では、今は夏じゃないのだろうか。季節ごとの独特の空気というもので分かりそうものだけど、ここでは判別しにくかった。

 なんというか、人工的な寒さというのか、よく考えてみればどことなく違和感を覚える気候なのだ、ここは。

 

 私はしばらくの間右か左どちらに進もうかと悩んで、義呂絵君が中庭から部屋に案内してくれた道を逆戻りすることにした。

 ベッドから降りる時に靴を履き忘れたので、今は裸足だ。絨毯が敷かれているので冷たい床に足をつけることは無かったけども、少し心許ない感じがした。

 心の縁から溢れ出してきそうな不安感を振り払うようにして、私にだけ聞こえているであろう絨毯を踏みしめる音、それに感触を楽しみながら歩き続ける。

 

 進む先はほの暗い。

 何かが出てきそうだ。

 この屋敷内にも、何かは出てくるのだろうか。

 出てきたら嫌だなぁ。

 

 長く続く廊下を歩き続けるのは嫌だなと思い、それよりももっと自分にあてられた部屋にいる方が嫌だと思った。

 極力無心を心がけながら歩いていると、中庭に辿り着いた。安堵に息を吐く。

 風が無いのか、中庭に生えている木や芝生などの植物は一切音を立てることを無く、月の光を子守唄に眠っていた。

 

 

 ギィ、

 

 

「……?」

 

 

 中庭から聞こえてきた木製の何かが軋む音。

 静まり返った庭ではその音はとても大きく聞こえた。

 私は首を傾げ、恐怖に身を固くするよりも興味に身体を動かした。

 廊下を進んで数歩。私は驚きに目を見開く。

 庭に置かれたテーブルを前に、老人が安楽椅子に揺られていたのだ。

 

 夕暮れ時に見た姿のままそこにいる人物に、私は数瞬迷い、だけどやはり好奇心には勝てずに老人の傍に寄る。

 俯けた顔を下から覗き込んでその目が閉じられていることを確認する。私は疑念に再度首を傾げた。

 この老人は、ずっとここにいたのだろうか。

 ずっと同じ体勢で。こんな寒空の下で。

 

 逡巡し、私は一言「すみません」と謝って安楽椅子の肘掛に置かれた手に触れる。

 年を刻んだ手は、思わず手を引っ込めてしまうほどに冷たかった。

 

 

 ギィ、

 

 

 椅子が鳴る。

 今風は吹いていないのになんで安楽椅子が揺れたのだろうか。

 規則正しく胸を上下させている老人。

 

 

 ギィ、

 

 

 数分の間そこに立ち尽くしていた私は、椅子が規則正しく上下する胸と同様に一定の速さで揺れていることに気が付いた。

 ……この老人は、いつ起きるのだろう。

 揺れる椅子に身を任せている老人。まるでここが暖かさに包まれている場所であるように、まったくの無防備に眠る姿。

 老人は、起きないのだろうか。

 

 

「そこで何をしてるの」

 

「っ!」

 

 

 幼い声に驚いて振り返った。

 子供用のパジャマに身を包んだ義呂絵君が廊下から私を見ていた。

 老人と私を交互に見やった義呂絵君は、何か考える素振りを見せた後こちらに歩み寄ってきた。

 

 

「もう寝る時間だよ」

 

「…………」

 

「何。眠れないの?」

 

「あ、いや……」

 

「はっきりしなよ。眠れないのなら眠れない、他に理由があるんだったら言えばいいんだ。なんで由宇はそうやって一々口ごもるかな。白い猫には普通に接してるみたいなのに。何? 僕は除け者なの? ホント由宇のくせして生意気だね」

 

「……ごめんなさい」

 

「もう何君ホント嫌。君の『ごめんなさい』なんて聞きたくないんだよ僕は。なんで二言目には『ごめんなさい』なの? 僕は君に何かした? なんで僕は君にそこまで怖がられてるんだ。不愉快だよ、そういうの」

 

「うぅ……ごめんなさい……」

 

「…………はぁ。もういいよ」

 

 

 義呂絵君は私の態度に心底疲れたように目頭を軽く揉んだ。

 私は彼の行動に少し傷ついた。自分でも不思議になる程に、私は彼が怖かった。

 最初に思った時と同じで、多分口調のせいなのだろう。高圧的に、私を全力で見下した物言い。私はそれが怖かった。

 義呂絵君と何を話したらいいのか分からず、どうしようと視線と辺りに彷徨わせていた私は、近くの老人に目を落とした。

 

 この老人のことを聞いたら、流石に不躾だろうか。

 私はちらりと義呂絵君を見る。彼はずっと私を見ていたようで、睨むような半目と目が合ってしまい思わず逸らしてしまった。

 

 

「聞きたいことがあるのなら聞けば?」

 

「…………え、うん…………」

 

「…………」

 

「あの…………」

 

「何」

 

「………………ごめん」

 

「だぁーっ! もう! 聞き飽きたよそれは!」

 

「ご、ごめん!」

 

 

 だって私を見る目が怖いんだもん義呂絵君!

 本人は意識してないみたいだけども、私から見たら完璧に睨んでるし! 腕を組んだりしてなんか怖いし! 思わず謝っちゃうんだよ!

 自分よりも背の低い、明らかに年下の子供相手に随分と情けないなとは思うけども、仕方が無い。

 条件反射のように謝ってしまうのは義呂絵君のせいだ!

 

 

「……なんで白い猫には普通に話すのさ、由宇は」

 

「う……」

 

「僕がそんなに怖いわけ? 何が怖いの。たかが子供になんでそこまで怖がるの。それとも由宇の目から見たら僕は化け物と同じような存在に見えるの? ねぇ、そうなの?」

 

「い、いや……」

 

「そう。じゃあなんでそこまで怖がるの」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………なんで、だろ……」

 

「……うん。もういいや。この話は置いて次に移ろうか」

 

「ごめん……」

 

「うん。いいよ。許してあげるから無闇に謝らないで」

 

「ごめ、……いや、うん。ありがとう……」

 

「……べ、つに……。お礼を言われることでもないし……」

 

「うん。……ありがとう」

 

「…………ホント由宇のくせに生意気だね!」

 

「ごめん!」

 

 

 義呂絵君が分からないよ私は!

 口をすぼめてぼそぼそと言っていた義呂絵君の、いきなりの声に私は謝るしかなかった。

 私は若干涙目になりながら、いつの間にか気をつけの姿勢になっていた自分に気が付いて自嘲した。

 義呂絵君が私の顔に眉をひそめながらも「まぁいい。いいンだそれは」と仕切り直すため一つ咳払いをして、私を見据える。

 

 

「話が進まないからもう僕が言うけどさ、由宇が聞きたいのはそこの老人のことだよね?」

 

「うん」

 

「そうだよね。で、大方何時起きるのかとかここに放置してていいのか、とかを聞きたいンでしょ」

 

「そう」

 

「それじゃあ答えるけど、その老人は起きないよ。少なくとも僕がこの屋敷に住み始めてからは一度もね、僕はその老人が目を覚ましているところを見たことがないんだ」

 

「え……?」

 

「それとここに放置しているのは、別に放っておいても死にはしないからだよ」

 

「え、ちょ?」

 

「質問? いいよ、聞いてあげるから言いなよ」

 

 

 不遜に腕を組んで私を見る義呂絵君だが、その目は先ほどよりも幾分柔らかくなっているような気がする。

 私は尻すぼみする自分を心の中で叱咤しながら、勇気を振り絞り言った。

 

 

「一度も、目を覚ましたことがないって」

 

「うん。無いんだよ。僕は一度も見たことが無い」

 

「じゃあ、ご飯とかは?」

 

「知らない。目の前にケーキを置いて僕がどっかに行っている内に食べるかどうか実験してみたけど、食べた様子は無かったからね」

 

「え? 食べないの?」

 

「どんな料理で実験しても無駄だったよ」

 

「……食べないんだ……? じゃあ、あの、毛布とかはかけてあげないの?」

 

「最初はそうしてやってたけどね。途中で止めた。どうせ死にはしないし、労力の無駄だって気付いたから」

 

「…………」

 

 

 戸惑う。

 無駄だからといって止めるものなのだろうか。

 いや、確かに一般的には無駄を止めるというのはいいことで、それは当たり前のことなのだろう。けども、それは物とかに対しての時だ。

 人間に対して、毛布をかけるのが無駄だから止める、というのは……少し……人道的にどうなんだろう……。

 義呂絵君は私の心境を正確に汲み取ってくれた。

 

 

「うん。分かるよ。由宇が考えてることは。人間に対してそれは酷いんじゃないかと思ってンでしょ」

 

「……うん」

 

「いいんだよ。それが死んだところで僕は一切構わない」

 

「…………」

 

「……君が来るまではそう思ってたんだけどね……」

 

「え?」

 

 

 小さな呟きに、義呂絵君を見る。

 義呂絵君はバツが悪そうに顔を顰めていた。

 私が来るまでは、ってどういうことだろう。

 言葉に乗せることなく目で問えば、義呂絵君は私の目から逃れるように顔を背けた。さっきとはまるで逆だ。

 義呂絵君は答える気が無さそうだったけども、すごく気になる。

 私は今度は言葉で言うことにした。

 

 

「あの、私が来るまでって、どういう……」

 

「別に…………。…………君が、その老人のことを可哀想だと思うんだったら、毛布ぐらい持ってきてやってもいいよ」

 

「え?」

 

「だから、さっき君は人間に対してその仕打ちは酷いんじゃないかと思ったんだろう?」

 

「うん」

 

「それで今僕がその老人に何もしないで帰ったりなんかしたら、由宇は気分が悪いだろ? もしかしたら自分の部屋から毛布を持ってくるような慈悲を見せるかもしれない。けれどね、各部屋の一つ一つに毛布がいっぱいあるわけじゃないんだ。どうせ老人に毛布をあげて、自分はベッドの上で凍えてガタガタ震えるンじゃないの? そんなことになったら僕が気分が悪い。客人に寒い思いをさせるなんて、たまったもンじゃないね」

 

「え、あの……」

 

「由宇は他の部屋から毛布を引っぺがしてくる、なんて考えもつかないだろうし、もし考えついたとしても卑屈でしかも遠慮の塊であろう君がそんなことをするわけがない。だから君自身の選択は二つしかないと言うわけだ。老人を放って胸糞悪い気分になるかガタガタ震えるか。あーやだやだ。なんで僕が君にそんな思いをさせなくちゃいけないんだ。客人は客人らしくぬくぬくベッドで寝てろよめんどくさい」

 

「……ごめんなさい……」

 

「だから謝らないでってば」

 

 

 器用に片眉を上げて呆れた表情で私を見る義呂絵君に、二重の意味で心底申し訳なく思う。

 条件反射で申し訳なく思うのと、もう一つ。

 私は義呂絵君が言っているほど優しくはないのだ。

 義呂絵君は、私が老人を放っておいて気分の悪い思いをするんじゃないかと言っているが、まぁその時は少し嫌だなと思っても、結局のところどうでもよくなって自分のベッドでぬくぬくと寝るのだ、私は。

 自分の毛布を持ってこようかと考えても実行には移さない。なんでか結構な高評価をしてくれる義呂絵君には本当に申し訳なくなった。顔を地面にへと向ける。

 

 

「……ごめん」

 

「え?」

 

 

 私は俯けていた顔をあげた。

 義呂絵君が、私の方に顔を向けながらも目を背けたまま、小さくぽつりぽつりと言う。

 

 

「……君、僕の口調が怖いんでしょ」

 

「…………」

 

「態度も、かな……」

 

「え、えと……」

 

「どうなの?」

 

「え、えと、……はい」

 

「やっぱり……」

 

 

 がっくりと肩を落とす義呂絵君。

 私は慌てた。どう言葉をかけたらいいのか分からなくて右往左往としていると、「いいって」と義呂絵君が笑いを含んだ声で言った。

 

 

「まぁ、うん。君の喋り方は一々ムカツクからね。僕がこんな態度になっちゃうのもしょうがないんだ」

 

「うぅ……ごめ」

 

「ごめんはいらないよ」

 

「うぐぅ……」

 

「……ははっ。ホンット馬鹿みたい」

 

 

 そういって、義呂絵君は年相応の子供のように笑った。が、純粋な笑顔から滲み出る嘲りがとても怖い。

 私は自身に恐怖を与えている存在から逃げるように後退った。

 それを目敏く見つけた義呂絵君は笑みをさらに深くする。……なんてことだ。

 私はこのまま義呂絵君に弄り倒されてしまうのか。

 新たに出てきた恐怖に、私は自分の顔が引き攣るのが分かった。

 

 

「まぁ、話はここらへんにしよう」

 

「う、うん」

 

「そんなに怖いの? 僕の方が年下なのに、情けないよね由宇は。老人のことは後は任せておいて。毛布とか適当にかぶせておくから」

 

「…………かぶせてってもしかして……頭から?」

 

「うん、そうだよ? よく分かったね」

 

「なんとなく、しそうだなと……。そんな彫像みたいな扱いじゃなくて、せめて椅子にくくりつけるとかにしてあげて」

 

「それはそれで散髪屋さんみたいだね。由宇が言うならいいけど。それじゃあもう遅いから由宇は寝なよ」

 

「あ、うん」

 

 

 私が頷くと、義呂絵君は今まで見たことがないぐらいに優しい笑みを私に見せた。

 その笑い方はやっぱり子供にしては大人びていて、ギャップに怖くて眩暈がしそうだった。

 そんなことを考えているなんて思ってもいないだろう(もしかしたら勘付いているのかも)義呂絵君は私に向かって手を振る。

 

 

「じゃあおやすみ、由宇」

 

「うん。義呂絵君も、おやすみ」

 

「…………うん」

 

 

 義呂絵君がそっぽを向く。

 私何かいけないことを言ったかな。不安になって、その場に立ち続ける。

 いつまで経っても立ち去らない私に、義呂絵君が顔をしかめて振り返った。

 

 

「早く戻りなって」

 

「…………うん」

 

 

 流石にここまで言われたら戻るしかない。

 最後の最後で義呂絵君を不機嫌にさせてしまった自分に自己嫌悪しながら、私は自分の部屋に戻ることにした。

 振り返ることなくとぼとぼと廊下を歩く私の背中を、義呂絵君が複雑そうな顔をして見ているなんて、私は知る由も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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