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平行世界  作者: 返歌分式
一日目
15/34

知らなければならない知れ走れ走れ

 それって結局、何を守りたかったからそうなった?















 走っていた。

 年端もいかない少女。

 胸には大事そうに抱えた小さい箱三つ。

 汗をたらしながら、息を切らせながら走っていた。


 何をそんなに急いでいるのか、その少女にとっての全速力で走る姿は、はたから見て異様。

 全速力で走る子供ならそこらかしこにいる。

 けどそれは『鬼』と役付けされた子供が、走って『人間』を追う遊びであるから走るのであって、その少女は別に『鬼』でも『人間』でもない。


 じゃあなぜ走るのか。

 遊ぶ子供のように笑顔を張り付かせているわけでもない。

 少し休憩、といって身体を休ませることもしない。

 走りづらそうにスカートをはためかせて走る姿は、異様。


 それのどこが異様なんだ、と問われれば口を噤む。

 他の人間から見たら異様。

 ただそれを他の人間が気付かないだけで。

 見逃しているだけで。れっきとした様。


 少女は望んで走っているわけではない。

 走らなければいけないから走るのであって、少女が走りたいと思って走っているわけではない。




 ゼィゼィ、ヒュウヒュウ、




 喉から漏れる空気。

 咳き込むなんてことはしない。

 速度が落ちるから。

 微かに涙を浮かべた瞳は、目的の場所を見ている。


 少女が見ているのは、自分の家。

 自分の住んでいる、自分が住んでいる家。

 目的の場所が近づく。

 胸が痛い。痛む。身体に、精神に。




 ギリギリ、キリキリ、




 どこから漏れている音か分からない。

 早くしなければ、早く行かなければ、そんな思いが如実に表れた顔で走る少女は、鬼気迫るものがあった。





 どうしてそんなに急いでる。

 別に少しぐらい速度を落としたっていいんじゃないか。

 そんなにその箱が大事なのか。


 その問いに少女は頷く。

 そう、と興味なさ気に納得する。


 ようやっと着いた、自分の家の扉の把手に手をかけて、引く。


 世界が、暗転した。








 ぼんやりとしていた意識が一気に覚める。

 少女はキョロキョロと辺りを確認する。

 体育座りをしている自分を不思議に思ったのか、しきりに首を傾げている。

 どうやら少女がいる場所は学校のようだ。


 少女と同じ年齢の子供が遊んでいる。

 その光景を、これまた不思議そうに見ている少女。


 輪の中に入ればいい。


 少女は、立って遊んでいる子供達に向かって走り出す。

 その顔は笑顔。

 これから起こることを、起こすことを予期して浮かぶ顔だ。


 この場面はそのまま。








 少女から成長した姿。 それを誇らしいとも思わず、それが当たり前と言わんばかりの顔で生きる少女。

 本当にこの少女は大人に近づいたのか?

 違う。『これ』は他の人間より成長が遅い。

 まだ『少女』の域から脱していない。


 身体は大人に。

 精神は子供で。


 別に少女が悪いわけじゃない。

 少女ばかりが悪いわけじゃない。

 他の人間より成長が遅いということを気付かないその姿は、いっそ哀れ。

 だからといって同情はしない。


 そんなことは少女は望んでいないだろうし、そもそもなんで同情されるのかが分からないだろう。

 同情をする価値も無い、というのも理由の一つ。

 自分の今の状態にも気付かない哀れな少女。

 おやすみ、とも言わずに覆われた視界に、気付かない。


 その目は何を見ている。

 どうせくだらないものを見ている。

 見たくないものを見ないくせに、見たいものだけを見る。



 ギリギリ、ギリギリ、



 どこから漏れる音か分からない。

 もしかしたらそこら中に蔓延している音かもしれない。

 少なくとも少女はその音に気付いていない。


 他の人間より気付かないものが多すぎる少女。

 じゃあ侮蔑しようか。して何になる。




 結局それは、何がどうなったから結果がそうなったんだ。




 少女の口からは、日常用いる挨拶が紡がれる。

 何も気付いていない少女は日常を愛する。

 だから、少女は変わらない。変われない。それはきっと必然。

 変わろうとすらしないだろう。


 結果はどうだからそういうことをする。

 それを行ったから結果がそうなってしまった。


 そういうことなのか、と無理矢理納得する。

 悟ることはできないけど、悟ったフリはすることができる。

 悟ったフリをしておこう。

 もうその少女を見ないようにしておこう。


 もう会うことはないでしょう。

 こんな茶番には終止符を打たなければなりません。

 最初から面と向かって会ったことはないけど、もうそろそろ少女と会いたくありません。










 誰もいない、廃墟と言っていいようなビルの階段を、少女は一歩一歩確認するように上がる。

 速度は一定。

 速くなることもないし、遅くなることもない。


 やがて屋上。

 このビルにとってのゴールはここ。

 ゴールしたからテープを用意しようか。用意なんてできるものか。

 テープが無いのなら、せっかくゴールしたのに達成感を感じない。


 それを切るから、ああゴールしたんだ、と思えるのであって、それが無いのならどうやって達成感を味わえばいいんだろう。ここはゴールじゃない。


 じゃあ、と言って、言葉はそれ以上出てこない。

 何を言おうとしたのかを忘れてしまった。いや、これでいい。

 日常がおかしいことにすら気付かない少女だ。

 言うことも無いか。忘れてしまったならそれでいい。

 忘れたままでいよう。


 少女は歩く。

 もう走らない。

 走る必要は無い。

 それはとっくの昔に終わった。

 だから走る必要は無い。


 一歩一歩、噛み締めるように歩く。

 それ以上は歩いちゃダメなんじゃないだろうか。別にいい。

 ビルの端っこ。

 そこで歩みを止めて、下を見下ろす。


 高い。

 これは、すぐに死ねる。何をしたから死ねる。



 それ以上はダメだ、と言って少女の背中を軽く押した。



 羽のように軽い身体は、いとも簡単に落ちていく。

 空気がおいしいような感じがする。

 汚くてまずい排気ガスがそこら中にあるような場所なのに。

 空気が澄んでいるような、そんな感覚。

 あぁ、これでいいのか。それでいいんだ。


 さようなら、と少女が呟いたような気がした。


 うん。さようなら。もう会えないね。

 会いたくなかったよ。もう会わないでね。


 ありがとう。さようなら。苦しかったよ。

 痛かったよ。泣かないで。泣くな。気持ち悪いから。


 満面の笑顔で言うさようなら。





 ぐしゃり、と嫌な音が聞こえた。







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