第5話「陰鬱な祝福は続く」
しかしながら――はじまったその喧噪と騒乱は、一時間も持たず、しばらくする頃辺り一帯には鉄くずの天使モドキだった残骸がそこかしこにうず高く積み上げられていた。
「あーーッつまんねえ!」
がらん、と残骸の一部を蹴り飛ばすリンクス。彼もそこそこに傷を負った姿ではあったが、しかしまだそんなように毒を吐く元気がある分だけその力量は底知れない。彼が引き連れてきたごろつきの集団もまた、筆頭であるリンクスに続くように動かなくなった天使モドキを転がして遊び始める。
「終わりのようですよ」
額の汗を拭うエミリオが天を見上げながら呟く。僅かに生き残った鉄の塊たちが吸い込まれるように渦を巻いた天の穴に吸い込まれていく。そうして、その穴はまたゆっくりと渦を巻きながら閉ざされていき、最後にはそこには何も無かったかのように消滅してしまった。
「んッだよ! 逃げやがんのか!」
掴み上げた鉄塊を空に向かって投げつけ怒鳴るリンクスだが、当然応答はない。その横で、握りしめた鉄剣を鞘におさめたマリウスは、自身の手が震えていることに気付いた。あらためてこの瞬間に彼は思い知ったのだ。天に反旗を翻した以上、二度とあちらへ戻ることはできないと。
「マリウス君」
そんな彼に、エミリオは普段と変わらない様子の穏やかな声をかけた。
「パブへ帰りましょう。ね」
・・・
ぼろぼろになりながら「腐乱死体」へ戻る彼らの表情は脱力したようでありながらも明るかった。がらんごろんとドアベルが鳴り、アントーニョをはじめとした店に残っていた者たちがわっと出迎える。その奥のカウンターでは、またシャローネが不機嫌そうな顔で電話を受けていた。
「承知いたしましたわ。ご都合主義のクソ野郎」
がちゃん、と半ば棄てられる受話器。エミリオとリンクスは顔を見合わせる。
「どうしました、ママ」
「さっきかけてきた天界のお偉い方よ。“マリウスなんていう天使は存在しなかった”“交渉役の派遣があったかもしれないがそれはすべてが手違いだ”ですって」
吐き捨てるように述べられた事実に、リンクスもがしがしと頭を掻きむしる。
「あれが交渉役かよ!」
「なんとも、彼ららしいではないですか」
それからは、彼ら一同いつもの席について、運ばれてきた廃油まみれの酒を飲みかわした。
「あんた、羽……」
黒く染まったマリウスの羽をまず目にしたアントーニョは、言葉に詰まったように目を伏した。しかしそれに対し、マリウスの方もやや気まずそうに微笑ってみせる。
「ああその。そういうわけだ。まあ、何だろうな。仲良くやれるかはわからないが、俺もお前にぶつけた言葉について、少しは、反省するよ」
「……その言い方がもう傲慢なんだよ!」
ふふん、と笑ってアントーニョは自分のジョッキをマリウスのそれにぶつける。
「僕はあんたが嫌いだけど、あんたにも僕にも、この地獄はよくしてくれるよ」
「ええ。それに天の蓋も案外簡単に開くようなのですから、また行き来できる日がこないとも限りません」
励ますように微笑むエミリオに、マリウスは自嘲するような吐息をもらしてジョッキをあおった。
「どうせ戻れないんだ。だったらせいぜいこの臭くて汚い空気に慣れてやるさ」
「おうおうそれがいいぜ! それに、あんた最初からこっちのが向いてんだよきっと」
酒を飲み干そうとしている最中のマリウスの背中をリンクスが叩く。タイミングは最悪で、マリウスは咽返りながら酒を吐き出した。きったないなあ、などと言いながら笑うアントーニョ。うるさいこいつが、とマリウスはリンクスの肩を押し、やんのかよ、とリンクスはその手を取って腕相撲へ持ち込もうとする。そんな様子を眺めながら微笑むエミリオ。カウンターではシャローネが気だるそうに酒をかき混ぜていて、従業員だかお客だかわからない連中がグラスや皿を運んでいく。
がらごろとドラベルが鳴って、賑やかな声が往来する。十三地区には、いつしかいつもの空気が戻っていた。半壊した区域は誰がいつ掃除するのか? きっとそんなことは、明日考えればよいことなのだ。
ある世界における地獄の特定区域をおさめるちょっと物騒でご機嫌な奴らの物語でした。