第4話「激突する天と地」
その頃、地区のはずれ付近の路地裏には、生前好きだった歌を口ずさむアントーニョの姿があった。学校なんていう場所にも、戻るべき家にも彼の居場所はなかったと、そう思い込んで自ら命を絶った彼自身の過去。目覚めた時に見えた天界の門のぎらついたような光は吐き気を催すだけで、腐った肉の臭いとクロバエの羽音のやかましい地獄の方がよほど居心地がよよいと思えた。
やはり天使は嫌いだ。と、そんなことを思い歩く彼の前に、突如どすん、と重厚な鉄の塊のような二足歩行の影が舞い降りる。
「……ひ、ぇ」
それは鉄塊を乱暴に打ち砕いてまた組み合わせたといった煩雑な構造の鎧を身にまとう何かのように見えた。あまりの重さにそれが着地した地面は大きくへこみ、その際に舞い上がった土埃でアントーニョは咽返る。しかしそんなことには構わず、それは背中からいびつな金属音をさせて、刃をでたらめに組み合わせた翼のようなものを広げ、腰と思われる部位に提がっていた棍棒のような剣のような獲物を振りかざして、不快な電子音に似た音を出した。
『異端ノ者ヲ殺スベシ』
鈍い風切り音をさせて、アントーニョめがけて振り下ろされる鉄の塊。アントーニョは悲鳴を上げることもできないまま縮み上がることしかできず、あわやぺちゃんこ、という瞬間だった。
「ふんッ」
大気を切裂くような鋭い勢いで叩き込まれた拳は、巨大な鉄の塊の腕の部分を根元からぼっきりとへし折った。
「プロフェッサー!」
「緊急事態です。天使モドキの襲撃だと地区の皆に避難を促してください。すぐに」
「は、はいッ!」
指示を受けて、地区の中心に向けて駆け出すアントーニョ。その背中を見送ったエミリオは、先ほどの重い一撃を再び放つべくぐっと体勢を低く構える。
『殺スベシ、殺スベシ』
片腕を落とされ、傾いた姿勢のまま、びかびかと眼球のような部位から光を放つそれは電子アラートのような音で繰り返し物騒な言葉を放った。すると、それを合図にしたかどうかは定かでないながら、既に上空には同様の形状をした鉄の翼を広げた物々しい塊が、隊列を為して地上を狙っているようだった。
「おいおい! どんな数だってんだよ!」
エミリオの後ろから、十数人の仲間を連れ立って駆けつけたリンクスも、雲霞のごとき巨大な鉄塊を見上げて苛立った声を上げる。その集団の中には、何とあの堕天使マリウスの姿もあった。
「……天界への穴が開いているのか」
「だな? どんどん出てきてやがる。連中、よっぽどお前を消したくて仕方ねえってハラだぜ?」
くつくつと人の悪い笑みを浮かべるリンクスの言葉に、マリウスは沈黙した。彼はこの時に悟った。もはや、沙汰を覆すことも、ましてや天界へ戻ることなどは出来ないのだと。そう思わないわけはには、もう行かなかった。この時に、ふつふつと、彼の腹の中に熱くどろりとした意識の結びつきが渦を巻く。
「ミスタ・エミリオ。俺は、俺の決断に後悔はしない」
「おや」
鉄剣を引き抜いたマリウスはその刃で腕の一部を切りつけると、流れ出た血を親指の腹に塗り、そしてあの羊皮紙にべったりと掠れた署名をした。
「誇り高き正天使マリウスは今この時より、くそったれな地獄で生きることを誓うとも!」
その半ばやけっぱちのような宣誓の直後、彼が手にしていた羊皮紙には赤黒い炎が点火し勢いよく燃え盛り、彼の純白の翼を漆黒に染め、彼の腕には激しい勢いで十三地区、の焼き印が刻まれた。
刻印の痛みに呻くマリウスの表情を見て、エミリオは清々しい笑みを浮かべ、そのてのひらを力強くぎゅっと握る。
「おめでとう友よ。今日よりはこの地獄が、君の楽園となる」
その瞬間、エミリオが一撃を食らわせた鉄塊は耳に痛い電子音を響き渡らせた。
『総員 突撃 皆殺シニセヨ』
それを合図にするように、上空を漂っていた同型の鉄塊が激しい勢いで舞い降りる。ここに、大規模な暴力のぶつかり合いは起きた。
「人の話をきかない。だから、天界は嫌われるんですよ」
「上等だぜ! 端からぐっちゃぐちゃのスクラップにしてやろうぜお前ら!」
怒号逆巻く1987地区のはずれ。地上から舞い上がる地獄の住民と、天の遣わした鉄の軍勢。そこかしこで激しくも重苦しい音が響き、外れた腕や降り下りた得物が落ちては周囲の建造物の屋根に穴をあけた。