5 セリアンとマディーヌ
老人の寝室には大きな窓があり、清浄な光がさしこんでいた。
マディーヌとセリアンの、きびきびしく甲斐甲斐しい介護を5日間うけて、老人は夢見るように旅立った。喋れないはずなのに「ありがとう」の言葉を残して。
自分が何かのために利用されていることは理解していただろうが、老人は死を前に些細なことと全てを呑み込んで、穏やかな顔をしていた。
セリアンは森から腕いっぱいの花を摘んできて、マディーヌが一輪ずつ老人の枕辺に供えた。何度も何度も旅立ちを見送っても。いつもマディーヌは悲しくて涙をポロポロ流した。
最後に、月の光に照りはえる雪景色の白一色の何もない情景に咲くような美しい純白の花をベッドにおいて、マディーヌとセリアンは母国から姿を消した。
夕方から風がとまって、空一面を覆った薄い雲が月の輪郭をぼぅと霞ませる朧月の夜だった。
近づく夏の暑さが、大地から靄となって立ち昇るかのように空気に温度を含ませ生暖かかった。
月夜の下、真っ白い小花が房のように集まって咲く木の花がゆらゆらと、雪のように波のように月のように雲のように美しく、風もないのに白い花弁がひとひらふたひら落ちる様は風情があり可憐だった。
「花月夜だね」
「綺麗だね」
マディーヌとセリアンは、屋根の上から花を愛でながらお茶会をしていた。
母国を出て一年。
セリアンは、隣国の辺境の地で薬師としての名を確固たるものとしていた。
セリアンは質の非常に高い薬を作れる。そこにマディーヌの痛み止めの魔法をコーティングするように被せると、凄まじく効能の良い薬となった。それこそ日常の頭痛から末期の患者まで、あらゆるものに効き目があった。
今では他国からも商人が薬を求めてはるばるやって来るほどだ。
「ねぇ、マディーヌ。前世のこと何か思い出した?」
口を開けては閉じるということを繰り返し、セリアンが聞きづらそうに言葉を綴った。
「ううん。セリアンは私が前世をきちんと思い出した方がいいの?」
「否やだね。死の記憶だけでもマディーヌは辛い思いをしているのに、前世とやらが幸福であった確証はないし、もしかしたら怖いものかも知れないし」
「私もこのままでいいと思っているの。前世より今世を大切にしたいもの」
「そうだね。前世を思い出して、こんなはずではなかったのに、という考えになるかも知れないけど、こんなはずなんだよね。起こったことは現実なんだから。でもさ、例えば俺が負けて相手が勝っても神様からしたら同じことで、だから、萎まないうちに花を摘みたくて、だから、俺は、だから」
「セリアン、何が言いたいの?」
真剣な目でマディーヌを見つめながら、だんだんと言葉が縮むように小さくなり口の中でもごもご呟き出したセリアンに、マディーヌは首をかしげる。
「だから! だから! 愛している! 結婚してくれ!」
雲の濃淡によって光が増したり減じたりする月が、まるで笑うがごとき夜の求婚に、マディーヌもにっこり笑った。
〈セリアン〉
俺はずっと待っていた。
マディーヌが15歳の成人となる時を、ではない。
マディーヌが家族への情を欠片もなく失う時を、ずっと待っていたのだ。
だって、前世ではそれで失敗してしまった。
前世では、家族を恋いて俺のもとから逃げ出した彼女を殺してしまった。
転生してマディーヌを見つけた時は狂喜した。
前世の記憶が朧気なマディーヌに、人間であったことすら思い出すことがないように、マディーヌの青い瞳から子猫のようだと言い続けた。
死神令嬢の噂を流してマディーヌを孤立させようとした。もっともマディーヌは、逆にその悪名を価値あるものとして利用していたけど。さすがは俺のマディーヌ。
他にも思い通りにするために色々と策をねったけど。
それにブチ殺したかったバレン男爵家もちゃんと処分したし。本当に役に立ってくれたよ、マディーヌがとことん家族に幻滅するまで。
ああ、幸せだ。今世では、俺は優しく頼りになる幼なじみ。マディーヌの唯一の味方。
これからはずっと唯一無二の夫として側にいるからね。
〈マディーヌ〉
知っていても知らないふりをした方がいいこともあるってことを、セリアンを見ていると時々思うの。
全てを打ち明ける関係もいいけれども、一番大事な秘密は誰にも知られないように、天も地もなく心に大切に秘めたままでもいいと思うの。
だからね、セリアン。
あなたは前世も今世も私に酷いことをしているけれども、私はあなたを憎まないわ。
そのかわり、あなたが一番欲しいと思っている「愛している」の言葉はあげない。
ずっと側にいるわ。
でも。
許さないわ。
「愛している」の言葉は、ずっとずっと私の心の中にだけあるのよ。
賢いあなたならば何故言わないか、いずれ気づくでしょうね。
その時あなたは。
また私を殺すのかしら?
読んで下さりありがとうございました。