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4 賊

 マディーヌは耳をすました。


 ドガドガと足音が聞こえる。

 バン! と扉が開いて、

「わしは急用ができたので屋敷に帰る! お前はこのまま仕事を続けろ!」

 父親のこめかみが引き攣っていた。

「屋敷に賊が入ったと知らせが来た。お前たちも帰るぞ、手が必要だ」

 扉の前にいた体格のいい男たちが微妙な顔をする。彼らは護衛という名前のマディーヌの監視役だった。

「よろしいのですか?」

「今回は逃亡の心配はないだろう。マディーヌは弱りきって歩くことさえよろよろしている上に、この別邸の周囲は全て森だ。危険な獣が多い。それに、わしには追跡魔法がある」


 言いたいことだけ言って出て行った父親の、あまりの礼儀知らずに老人がぽかんと口を開けている。

 部屋にはマディーヌと老人だけ。つまり弱い者しかいないので父親の態度は横柄なのだ。父親は、身分の上の者にはへつらい羨望の目で見上げ、下の者には嘲笑の目で見下す、権力を振り翳す典型的な貴族だった。


「父が申し訳ありません」

 頭を下げるマディーヌの傷だらけの手を見て、老人が憐憫の表情を浮かべる。

 老人は枯れ木のように細い手を伸ばして、マディーヌの傷と内出血で色の変わった手を労るように取ると、優しく包み込んだ。


 マディーヌは、じんわり熱が生まれた重なった手を見た。

 手から老人の労りが伝わってくるようで、家族より他人の方が温かいと思った。


 父親が帰った日の夜、セリアンがマディーヌに与えられた部屋の窓から、しなやかな猫のように静かに入って来た。セリアンは、ニッと悪い笑みを口元に刻みマディーヌに近づく。


「会いたかった、セリアン。無事でよかった」

 マディーヌは顔をほころばせ、セリアンの開かれた腕の中へ飛びこんだ。

「遅くなってごめん。男爵家の方は上手くいったよ。男爵の秘蔵の金庫も夫人たちの宝石も根こそぎ盗ってきた。もともと全部マディーヌの報酬だし、でも、全部集めても今までマディーヌが稼いだ半分もなかった」

「いいわよ、お金は目的の二番目だもの。一番の目的は私の部屋の偽装だもの」

「うん。マディーヌの部屋には、もうマディーヌの髪の毛一本すら残っていないよ。部屋は似たような服や小物で偽装したし、部屋に落ちている髪の毛は別人のものにしたし。もちろん男爵の金庫に入っていたマディーヌの髪と血も別人のものに代えてきたし。男爵の追跡魔法はこれで使えない」


 男爵の追跡魔法は特殊魔法で、克明に辿ることができるのだが、追いたいものの一部がなければ後を追うことができなかった。


「よかったよ。男爵の追跡魔法が解明できて。一番の心配だったけど、体の一部がなければ役に立たない魔法だと、ようやく判明できて、ほっとしたよ」

「私もこれで安心できる。屋敷の混乱具合はどうだった?」

「うーん、俺の賊騒ぎとマディーヌの姉さんの縁談がまた破談になっていて、泣き叫んで凄かった」


「あはは、若い貴族の間で死神令嬢の不快感や忌避感を大げさに煽ったかいがあったわ」


 死神令嬢の噂の火種はあったが、ひっそり大火にしたのはマディーヌ本人であった。そして灰になるまで燃え続けるように油を注ぎ入れていたのも。

 マディーヌも爪弾きにされたが、バレン男爵家も排斥されるようにマディーヌが時間をかけて細工したのだ。


「死神令嬢最高! やっぱり悪名は利用すべしよねぇ」

 うんうん頷き自分で賛をする。貴族の娘にとって悪い噂は障りとなる、それが家族のことであっても。

 そんなマディーヌの様子を、セリアンは表情を少し曇らせて何かを探る目で見ていた。噂を利用するマディーヌ自身が傷付いていないか案じているようだ。

「お姉様にマトモな婿は来ないでしょうね。かわいそうに、せっかくの跡取り娘なのにねぇ」


「それで誰の髪の毛と交換してきたの?」

「公爵家にマディーヌと同じ髪の色の令嬢がいてね、忍び込んでブラシから」

 いたずらっ子のように明るく告げるセリアンに、

「公爵家!? 凄い!」

 ぱあっと花が咲いたみたいにマディーヌが表情を輝かせる。

「うわぁ! うわぁ! 逃げた私を追って公爵家に突撃しようとするお父様が想像できるわ。お父様は頭に血がのぼると考えなしになるから、絶対にやらかしちゃうわ。で、公爵家の怒りをかって興奮がさめて青ざめる、てところまで予想できて笑える~」

 

 くふくふ笑いながらマディーヌは柔らかな頬に片手を当てた。

「その上、この伯爵家からもゆすられるなんて~」

「そのことなんだけど、あの老人は伯爵の叔父じゃないぞ。スラムからちょうどいい感じの老人を拐ってきたみたいだ」

「……なんとなく、わかっていた。首の傷も身元を喋らないように喉を潰すためのものでしょうし。でも、そんなこと関係ないわ。死に貴族もスラムも関係ない。人間の育ちや生き方や人生に格差や差別はあるけれども、生まれる瞬間と死ぬ瞬間は誰もが平等だと思うの」


 凛とした眼差しのマディーヌに、セリアンの胸の奥がじわりと熱を持つ。

 ぽす、とマディーヌの可愛い頭を抱き込み、存在を確かめるようにぎゅっと力を籠める。セリアンの表情は、愛おしさ溢れ出し甘い蜜のようだ。

 セリアンの腕に籠めらた熱情と伝わる鼓動の激しさに、マディーヌは疼くように胸が締めつけられた。


「セリアン、大好き」

 もう何百回と告げた言葉に、

「俺も。俺もマディーヌが大好き。俺の青い目の子猫」

 と何百回目のいらえが返ってくる。セリアンの月色の瞳には怖いほどの恋情が燃えていた。同時に暗示をかけるように、何千回目の子猫とマディーヌを呼ぶ。

「俺の子猫。マディーヌ、愛している」


 息もできぬほどの強さで抱き締められ、マディーヌもセリアンを抱き締めかえす。


 くふん、と子犬のように鼻を鳴らしてマディーヌが顔を上げると、セリアンの腕にこもった力が緩む。

「セリアン、明日からおじいさんのお世話の手伝いをしてくれない? この別邸の使用人たちったら、私がおじいさんの介護ができるとわかったら、あからさまに押しつけてきて」

「うん。使用人たちに見つからないように、こっそりとね。俺の姿は見せない方がいいし。薬はどうする?」

「皮膚炎の薬が欲しいわ。私は痛みを消せるだけだから、おじいさんの荒れた手足に薬を塗ってあげたいの」


 セリアンは、空気の匂いを嗅ぐように今日通った森を思いうかべる。

 鬱蒼とした森だった。密に生い茂った木々が空を覆い、所々、天窓のように開いた空間から空が覗き、光の木漏れ日をつくっていた。


「つくりおきの薬もあるけど、明日森へ行って薬草を採取してくるよ」

「ありがとう、セリアン。あ、ところで、髪は公爵令嬢なのよね、血は誰のものと取り換えたの?」

「人間のものじゃない」

「え?」


「野良犬」


 マディーヌとセリアンは顔を見合せ、それから追跡魔法万歳と爆笑した。

読んで下さりありがとうございました。

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