間章 唯の特訓と恋への覚悟
ちょっとした第三章までの間の話になります。
side天宮
「特訓だと。いったい何のために。」
遠井先輩より嵯峨会長の見合い話を聞かされた帰り道、唯と一緒に道を歩いている時のことだった。
「そうだな。
私は強くなる必要があると思う。このまま蓮に守ってもらうばかりなのは性に合わないし、特訓しようと思うんだ。」
確かに『絶』の血縁であることをいつ誰に悟られるか分からない以上、最低限の自分自身を守る実力は必要だと思っていた。そのために唯が特訓するというのも分かるのだが、
「どうして俺に言う必要がある?自分でやればいいだろう。」
唯はため息をつきながら、俺の意見を否定する。
「あのな、私より強い奴に稽古をつけてもらった方がいいだろう。それなら蓮が適任だ。実際に私よりかなり強いし、蓮は私が八族であることも知っているから、私も全力で戦える。
他の相手には頼めないし、万里の奴も蓮に頼むべきだと言っていたからな。」
正直に言わせてもらうと面倒だ。俺は弟子など持ったことがないため、特訓の方法など知らないし、俺自身も実戦の中で戦闘技術を磨いていった。
だから、唯を鍛えることはできないと断ろうとしたのだが、
期待する目でこちらを見る唯の姿
「分かった。実戦稽古なら出来ると思うから明日の朝に早めに家に来てくれ。
先に言っておくが、基礎特訓ぐらいは自分でやれよ。俺はあくまで戦うことが仕事だから、他人に教えることは専門外でしかないからな。」
あんな目で見られたら、俺に断ることはできない。
行動が唯らしくなかったので、たぶん遠井先輩による入れ知恵だろう。全く、こっちの都合を考えないで、俺に仕事があったらどうするつもりなのだろうか。
「本当か。明日は6時に蓮の家まで行くからな。
放課後に学校でやってもいいんだが、それは不味いのだろう。」
「当たり前だ。元々の方針が八族とは裏から日本を支配することを絶対にしている。
八族のことを表に出そうとするなら、間違いなく八族より刺客が送られてくる。八族の刺客は確実に相手を殺すまで諦めないし、少なくとも日本では生きていけなくなるぞ。」
分かれ道まで来ると、唯は女子寮の方に走って帰った。
それにしても朝6時からか。起きる時間をいつもより一時間も早めておかないといけない。
「面倒だが、仕方ないか。」
冷蔵庫に入っているはずの明日の朝食用の食材を思い出しながら、追加の分を買いながら帰った。
唯は宣言通り、次の日の6時に家に訪れた。俺の方は準備しておいたので、唯のためにすぐに特訓を始めることになった。
「く、」
「はい、死亡。おめでとう。死んだのはこれで12回目だな。」
「はぁはぁ。私じゃ、蓮に触れることもできないのか。」
「言っただろう。元々キャリアが違う。俺は経験上、どういう動きをしたらいいのか分かっている。」
確かに戦ってみると、唯の筋は悪くない。むしろ、かなり戦いのセンスは良い方であると断言してもいいぐらいだ。
しかし、まだまだ戦いではなく、唯の武道はスポーツの域を出ていない。これは実戦においては大きなハンデになる。実際に実戦とスポーツは天と地ほどの差が存在する。
「唯は本格的な武道を習ったことがあるのか。」
「いや、習ったことはない。全部我流に近い。学校とかで簡単にやるやつぐらいだな。そこから自分でどうすればいいのか考えてきたから。」
それならば、無駄な特訓は止めておいた方が無難だな。唯のは完全に本能から武道がにじみ出ている。
「初代、『絶』みたいだな。」
俺はボソッと唯には聞こえない程度の声で呟いた。
初代の『絶』は最も格闘戦を得意としていた。
他の『絶』は武器を使って絶ち切っていた『絶理』、初代だけは『絶理』を流し込むことで相手の魔法術式などを破壊できたと聞いている。『絶』が八族入りしたのも初代をトップにおいていたためと言われている。
初代の血筋は一番最初に絶えたと聞いていたが、先祖帰りというやつか。つくづく唯の才能には驚かされる。
「今日のところはここまでにするぞ。
まぁ、5分から6分は持つようになってきたからな。一瞬でやられた最初から比べたら格段に進歩しているぞ。」
「最初のは不意打ちだったじゃないか。いきなり打ち込んできやがって。」
「実戦に不意打ちも正々堂々もないぞ。殺るか殺られるかの二つに一つだ。
とりあえずここから出るか。
俺は今から朝食の準備してくるから、それまでに唯は着替えたりしておいてくれよ。」
side橘
蓮によって、特訓で見事にボコボコにされた身体を引きずって、私は登校していた。身体中が痛むが、これも自分で決めた道だ。引き返すつもりはない。蓮もまだ本気でやっていないようだし、絶対に一撃を入れてやるまでは諦められないし、少なくとも勝つまで特訓を止めるつもりはない。
「お、おはよう、橘さん。
って大丈夫なの。身体を引きずってるけど。」
「大丈夫だ。
ただ朝からちょっと蓮と頑張り過ぎたかもしれない。さっきから身体中がダルくてな。今日の授業は寝て過ごすことになりそうだよ。」
笑いながら、応じると観月は全く笑っていなかった。それどころか、殺気まで放出している。
「朝から頑張り過ぎた。ってことは昨日の夜も。昨日はまだ橘さんは誘拐から解放されたばかりだったし、橘さんを救ったのは実は蓮くんで、隠すためにわざと嘘をついたの。どうせなら私に手を出してほしかったな。でも、私じゃ橘さんほどの魅力はないし、橘さんは大人の階段を登ったんだ。」
言った後で、私がどれだけややこしいことを言ったのか理解したが、観月は盛大に勘違いしているようだな。
放っておいてもいいが、尋常じゃない観月の様子に周りの目が私たちに集まり始めている。
「ちょっと待て、観月。ここでそれ以上はヤバい。
それは観月の勘違いだ。私が蓮のところに行ったのは格闘戦の特訓のためだ。第一、私と蓮はまだそんな関係じゃないぞ。お前が想像しているようなことは全くない。」
「なんだ。それならそうと言ってくれたら良かったのに。」
言う前にお前が勝手に勘違いで暴走していただろうに。意外と嫉妬で怖いのは観月が一番かもしれないな。遥は分かりやすい暴力に出るし、秋帆はまだ分からない。万里は興味なさそうだったからな。
少なくとも二人には蓮の家に泊まったなんて、口が裂けても言えない。
「あれ、橘さん。まだってどういうことなのか、教えてくれないかな。」
ヤバい。怖い。今日の観月は何かが違う。後ろに黒い何かが見えそうだ。
つい、蓮の家に泊まったときの恥ずかしさから余計な言葉を付け加えてしまった。観月は聞き逃さなかったらしい。
「たぶん観月が思っている通りだよ。
おかしいか、私がそういうことを考えていたら。」
「ううん、おかしくないです。
はぁ、ライバルが多いなって今さらになって、すごく実感しただけ。」
「それもそうだな。」
私が引っ越してから同じ時間を過ごしてきたであろう幼なじみ、嵯峨家の神童とまで呼ばれる生徒会長、観月は自覚してみたいだが、二階堂に次ぐ魔法の実力と魔法工学における大学クラスの能力、ライバルとして手強いのばかりだ。
「なぁ、観月。これからは橘さんじゃなくて、私のことは唯って呼んでくれ。」
ライバルとして、観月とは向き合う。
確かに手強いライバルは多いが、最後に蓮と共にいるのは私だ。
今度こそ、私は逃げない。全部と向き合って手に入れてみせる。
「それじゃ、これからはよろしくお願いします、唯。
でも、わ、私も誰にも負けるつもりはありませんから。」
一歩一歩でいいから進んでいく。何も走る必要はない。
これからは『歩くような速さで』も前に進めばいいのだ。
それを教えてくれた人がいる。
「全く、私をここまで夢中にさせたのだからな。お前には絶対に責任は取ってもらうぞ。」
空は青い。
次は秋帆が困っている。たぶん、蓮は助けてみせるだろう。そんな確信めいたものが私の中にはある。
私らしくないことを考えているな。
藤宮だろうと嵯峨であろうと蓮や私たちの邪魔をするなら容赦なく叩き潰してやる。それが今の私にできることだ。