麗しのウェイトレス
喫茶「米騒動」開店以来、初のウェイトレスとなった秋川陽菜さん。彼女の仕事ぶりはまだたどたどしいが、制服を着た若き美女が料理を届けにきてくれる……それだけで我々常連客には衝撃的な事件だった。
「お待たせしました佐伯さん。バナナジュースです」
微笑みながら俺のテーブルにコップを置く彼女。バナナジュースの入ったコップには水滴がついており、冷えて実に美味しそうだった。しかし俺にとっては、ジュースよりも秋川さんの制服の袖から伸びる、白くて美しい手首の方がよほど重大だった。その手をみているだけで、彼女が自分より遥かに年上で、恐ろしく魅惑的な美女に思えてしまうのだった。
「ありがとうございます。ところで秋川さんはどこの大学に在籍してらっしゃるんでしょうか……。よければ教えてください」
「私の大学ですか?」
不思議そうな顔で俺を見つめる秋川さんのつぶらな瞳のプレッシャーに堪らず、いきなり釈明に追われた。
「急な質問ですけど誤解しないでください。僕は来年受験なので。あくまで受験生としての!非常にアカデミックな質問なんです」
「そうなんですか?」
彼女の顔に明らかに警戒の色が浮かぶ。マズイ!ここは理屈で押すのはやめて自分の気持ちを正直に語るべきだろう。
「違う……かもしれません!もうちょっと俗な意味合いも含めてアカデミックな!ようするに、貴方のことを知りたいという俗な気持ちを堪えられない自分を正すためにも大学に進学したいという……」
新米ウェイトレスさんは「意味が分からない」という顔で中村さんの方を見る。中村さんは目一杯スパゲッティを頬張りながら、彼女にアドバイスを送った。
「あんまエロ学生の相手にしられんな。もはや何を言っとるんがか本人も分かっとらんがやろ」
「やめてくださいよエロ学生でぶった斬るのは!見も蓋もないじゃないか」
秋川さんの個人情報を得ようと、強引に会話を試みた俺だったが早くも心が折れかかっている。どうにか挽回しようと次の会話を見つけるべく頭をフル回転させている最中に、店内で西田さんと林さんのどうでもいい喧嘩が再び勃発してしまう。
「だから大川寺遊園地にしたってノーカンだろって!当時は富山市じゃないでしょう」
「おいおいノーカンってなんだ。市町村合併を無視するなよ!」
恋路をいきなり邪魔された俺は叫ぶ。
「うるさいなっ!もう遊園地対決はいいだろ。今、重要なのは秋川さんが何学部なのかという問題であって……。あ……秋川さん!ちょっと待って!」
喧嘩がはじまったので秋川さんは慌てて、女性客中村さんの傍らへと避難してしまった。
「喧嘩してますけど!あの人達は大丈夫なのでしょうか?」
「西田さんと林さんのこと?いつものことだから心配しられんな。はやくも収まってきたやろ?飽きっぽいのよ〜。ところで大きなったねえアンタ。小さい頃に会ったきりだったけど、こんな美人になって喫茶店に戻ってくるとは思わんかったわ~」
「やだっ。やめてください中村さんっ」
秋川さんは少し照れた。銀色の丸いトレーを両手で縦に持ち、顔の下半分を隠すような仕草をしている。
「それにしても可愛いちゃねえ~その制服。よう似合っとるわ」
秋川さんは制服のスカート部分を掴んで広げてみせた。水色のチェック柄のスカートを広げる仕草はまるでカーテシーのようだ。
「これですか?可愛いですよね」
そのあまりに可憐な仕草に、喧嘩中の2人も思わず秋川さんの方をみてしまう。一方、俺は顔を単語帳に向けつつ「俺はそういうの興味ないから感」を限界まで演出しながら、目一杯目を右に動かし彼女を見つめている。
──くっ。ウェイトレス姿の破壊力は尋常じゃないぞ。
セミロングの髪を縛ってポニーテールとなっているだけでも、衝撃的な可愛らしさである。その上、白いカチューシャが頭上に乗っているときたもんだ。これはもうマスターを褒め倒したい。私服の秋川さんも大人っぽくて素敵だったが、制服姿の彼女はもはや「可愛い界隈」のファンタジスタと言っても過言ではなかろう。いくらなんでも逸材すぎないだろうか。
「私も、そういう服を着てみたかったわぁ~。今からでも着れるかね?どうマスター?」
コーヒーメーカーに豆をセットしていたマスターは、中村さんがウェイトレスの格好をしてる姿を一瞬想像してしまった。そしてブルっと体を震わせた。
「いやっ!中村さんは、今の服が似合ってるよ。その大きな虎の顔がプリントされた黒い長袖シャツが、とてもいい味を出していると思うな」
「これがお世辞の上手なマスターながやちゃ~。オホホホホホ」
秋川さんも何度も頷きながら同調する。彼女は恰幅の良いこのオバサンに好印象を持ったようだ。いつだって中村さんはどこか高岡大仏のような、ドッシリとした安心感を漂わせているのである。時々、後光が射しているように見える時もある。
そんな世話焼きな中村さんは、常連客達を秋川さんに紹介することにした。
「えっとね。カウンターでチキンカレーを食べてるのが、魚津市民の西田さん。そんで向こうのテーブルでトマトジュースばっかり飲んでるの富山市民の林さん。覚えれた?」
「はい。西田さん、林さんですね。子供の頃に1度だけ会ったことがありますから」
するとさっそくテーブル席の林さんが手を上げる。実はこれが8度目である。
「あの……。その林です。さっそく注文すいませ~ん」
秋川さんは微笑みながらも少し不安な表情を浮かべる。そんな彼女を中村がからかった。
「確かにあの人も異常者の側面もあるけれども。まあ基本的には普通のオッサンだちゃね。安心しられ、あっはっはっは」
気合を入れて林の席に向かう秋川さん。林さんの口の周りにはかなりのトマトジュースが付着しており、若干ドラキュラを彷彿させる姿をしている。
「お待たせしました林さん!ご注文をどうぞ」
耳をポリポリと掻きながらオッサンはメニューを見つめている。
「えっと……。何度も悪いね。やっぱりトマトジュースを追加してください」
「かしこまりました。トマトジュース1つお願いしまーす」
秋川さんが一時カウンター裏に消えたのを確認し、俺は後ろを振り返って林さんに小声で注意する。
「林さん、もう8杯目ですよ。だいたいトマト好きじゃないでしょ貴方」
「そうなんだよ、トマト苦手なんだよなぁ~僕。でもカリウムを摂取したいんだよ。ついでにリコピンも」
「過剰摂取でしょ!っていうかオッサンの下心が見えすぎですよ。勢いよく飲んでもモテないから」
『トマトジュースを勢いよく飲み倒す中年って、若い女子から羨望の眼差しで見られるんじゃなかろうか?』という謎の計算を見抜かれてしまった中年は、俺の言葉に怒った。
「うるさいな!君なんぞに言われる筋合いは微塵もないぞ!だいたいなんだよホットココアの後でバナナジュースって。その組み合わせの方が絶対おかしいだろっ。エロガキめ」
「なんだとトマト中年!今どきの高校生はココアの後はバナナジュースを頼むもんなんだぞ。なんとか映えですよ!」
カウンターの中でマスターは笑っている。
「いやいや。こちらはどれだけ注文してくてくれても構わないからね」
秋山さんに近づきたい一心で、財布と胃袋の限界まで注文してしまおうとする我々は、マスターの術中にハマってるのだろうか?