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九十九骨董奇譚 ~花椿の女~

作者:道草家守



 ゆらり、ゆらりと煙が立ち上った。



 甘いような、苦いような。
 香水のようにはっきりとではなく、徐々に忍び寄るような香りが、畳敷きの室内に立ちこめる。

 発生源は中央の盆、そこにぽつんと置かれた香炉だった。
 鈍い艶を持った真鍮製で丸みを帯びたそれは、すっぽりと手に包めそうな大きさで、周りには精緻な彫金が施されている。
 一目であれば、美しいと称せる玄人の手業。
 だが、よくよく見てみれば、描かれているのは魍魎がざわめく百鬼夜行だった。

 手足のついた器物や容貌魁偉な異形のものが浮かれ騒ぐ陽気さと、痩せこけた人を踏みつぶし蹂躙する残虐さが同居し、申し訳程度に花で飾られているのが悪趣味の一言。
 だというのに、妙に気になり、目が引きつけられてしまう香炉だった。

 灯子(とうこ)が慣れない正座で感じていた脚のしびれすら、いっとき忘れてしまったほど。

 そう、まさにこの場にふさわしい、異質さだ。


 その感覚が本物なのか、もうすぐわかる。
 いや、わかるのだろうか。


 八畳ほどの和室に、用意されたのはそれだけだ。
 香の煙が立ち込めるものの、持ち込まれた小物の他に調度品は一切ない。 
 春のうららかな日差しと温んだ空気は心地良いにもかかわらず、縁側に続く障子戸すら締め切らている。
 想像していたよりもずっと簡素なしつらえで、これからやることを聞かされている今は、少し不安になるほどだ。

 薫りを立ち上らせる香炉の前にはもう一つ。
 つややかな飴色に染まった、古い、古い、櫛が一つ、懐紙に載せられ鎮座していた。

 漆などのぬりは施されず、ただ、持ち手に見事な椿が二輪彫られ、(あか)と白に着色されている。
 その、紅と白と雌しべの黄色が、妙に鮮やかだった。

 長年、灯子を悩ませてきたそれである。

 そろりと、灯子は向かい合うように座している青年を伺った。

 青鈍色の着流しに身を包んだその青年のまなざしは、ただひたすら虚空に揺らぐ煙に向けられている。
 茫洋としていながらも、ひどく真剣で、声をかけることはおろか、息をすることすらはばかられた。

 ひそやかにつばを飲み込み、長い長い静寂の末。

 青年の、薄い唇がゆるりと開く。

「現れませい」

 低く、厳かなその声に、薫りがいっそう強くなった。
 心地よさと気持ちの悪さのはざまで、くらくらする。


 だが、みた。見えてしまった。



 薄くけぶっている中で、ぽうっと櫛に光がともる。
 香の煙が、風もないのにするりするりと動き出す。
 香炉から立ち上る煙が乱れた。



 ふわりふわり、すういすうい。



 集まるのは櫛の上。
 いつの間にか、櫛から立ち上る薄い靄が煙と混ざり、形を取っていく。
 霊妙不可思議なその様に、息をすることすら忘れた。



 手が、脚が、衣が、現れる。



 さあっと、ぬばたまの黒髪が宙へ散った。



 あでやか。
 そう、評することしかできない美しい女がそこにいた。



 肌は抜けるように白く、さりとて唇は、花のように紅く。
 ひたすらになまめかしく、同姓だというのに、見ているだけで勝手に頬が熱くなった。



 切れ長の瞳が、そっと、開かれる。



 黒々とした瞳が、灯子をとらえた。



「あな憎らしや、冬弥(とうや)の子」



 紅い唇からこぼれる呪詛の言葉に、わかってはいても、灯子は凍り付く。
 女の衣には、白と紅の大輪の椿が咲いていた。




 *




 女の冷えたまなざしにからめ取られていた灯子だったが、膠着状態を破ったのは目の前の青年だった。

「突然お呼びだてしまして申し訳ありません。このような場に、応じて下さってありがとうございます」

 青鈍色の着物に身を包んだその青年が、静かに頭を下げれば、椿の女は灯子から男へ興味を移したようだった。

 彼の言葉づかいが、灯子に向けるものより丁寧だ。
 そこで、ようやく灯子は息を忘れていたことに気づき、あえぐように大きく深呼吸をくりかえしながら、青年を見た。

 高殿(たかどの)と名乗った青年は、続発する奇妙な現象に悩まされ、途方に暮れた灯子の前に唐突に現れた。

『なにか、曰くのあるものを受け継いだな』

「九十九骨董店」店主、という簡素な名刺をさしだして。
 そうして灯子の周りで起きる不可思議な事象を言い当てたかと思うと、その解決を申し出てきたのだ。

『それを、あんたから引き離そう。そのかわり――……』

 そのときのやりとりを回想しても、今だに胡散臭いと思う。
 だから、長年のわだかまりに決着がつけられるのであれば、と願ってみたものの、それほど本気ではなかったのだ。

 しかし、こうして常ならざる者、常識の外、尋常ではない事象を目の当たりにした今は、嫌が応でも実感してしまった。

 灯子が見つめる中、女は声をかけた男をすいと流し見た。

 その拍子に、女を構成する香も流れ、灯子にあのえもいわれぬ薫りを運んでくる。

「そなたか、このような術で(わたし)を呼び起こしたのは」
「はい。高殿と、もうします」

 その、明らかな人あらざるもの、それもかなりの非友好的なまなざしにも臆した風もなく、高殿は顔を上げると、椿の女をひたと見返した。

「あなたは、櫛に宿られていた精ですね」
「それがどうした」

 傲然と見下ろす女は、ついで小首を傾げた。
 さらりと、絹のようになめらかな黒髪が衣に散った。

「して、なにようか。妾のようなものわざわざこのような用意をしてまで呼び出したのだ。何もないということはあるまい」

 その言葉には何もなければどうなるか、という恫喝も含まれていたが、高殿は、静かに頷いた。

「お聞きしたいことが。少々」
「ほう」
「あなたが、なぜ彼女を、櫛の持ち主を呪うのか」

 単刀直入、小細工なしの直球に、彼女、と称された灯子は腰を浮かせかけた。

 が、その前にひんやりとした椿の女の表情に凍りつく。
 女は紅い、唇の端を釣り上げていた。

 笑う、という雰囲気など微塵もない。

 ただただ怒気と怨嗟に満ちたその表情に、芯の底から震えが走る。
 そばで見ているだけの己でそうなのだから、正面にいる高殿はどうなのか。

 ひっそりと伺った灯子だったが、青鈍の青年は、毛ほども感じ入った風もなく、その怨嗟の眼差しを受け流している。
 まるで、灯子と感じているものが違うように。

「聞いてどうする。その娘がくびり殺される前に、妾を滅するか。ならばいま、やればよかろう」
「自分は、ただ知りたいのです。あなたに何があったのか。その軌跡を」

 話が違う、と声を上げかけた灯子だったが、寸前で堪えた。
 高殿に約束させられていたからだ。

 話すのはあくまで自分。
 許可を出すまで、一言も喋ってはいけない。と。
 高殿が操るのは、年を得た器物より、意志を形とする技。

 形を取っている間は、自ら語ることもできるし、こちらの声を届けることもできるが、こちらと近しく(・・・)なっている分、なにがあるかわからない。
 現に今、女の意識に呼応するように、かたかたと香炉や障子が揺れ動いた。
 調度品が最小限なのは、そのせいもあるのかもしれない。

 ゆえに、一人で対峙すると言った高殿に、無理を言って同席させてもらったのだから、いくら違うと思っても、口を挟んではいけない。

 だが、灯子にこのような空気の中、口をはさむような度胸などない。
 腰を戻し膝に置く手を握れば、高殿に試すような眼差しを向けられていることに気づき、ひそかに息をつく。

 対して女は、ぐっと眉をしかめていた。

「いま、ここでか」
「それが、よろしいかと」

 高殿はあっさりとうなずけば、椿の女はとてつもなくいやそうな表情でちらりと灯子を伺った。

 呪っていた相手の目の前で、理由を話せと言われているのだ。
 彼女の困惑も当然だと灯子は思う。

 椿の櫛を持つようになってから遭遇した怪奇現象は、灯子を散々悩ませてきた。
 灯子自身に心当たりは全くないが、あれだけのことをするのであれば、恨みも相当だろうと思うほどに。

 そう、実感していたからこそ、なにを言っているのだろうと困惑し、高殿を伺ったのだが。
 だというのに面妖な顔で沈黙していた女は、ゆうるりと息をついた。

「妾の話を聞きたいなぞ、酔狂よの」

 か細い言葉は、了承にしかとれず。
 その声音はどこか、険が和らいでいるようにさえ思えて、灯子は小さく息をのむ。
 それを時期とみたか、高殿は傍に用意していた盆をひきよせた。

「ここに、茶を用意しました。どうぞゆっくりと聞かせてください」

 鉄瓶を持ち上げ、程良く(ぬる)んだ湯を急須に注ぐ。
 程なくして、湯飲みに注がれれば、柔らかな茶の香りが、香の薫りにかすかに混ざった。

「饗応など。幾年ぶりかの」

 小さく笑いさえした女は、高殿に茶とともに差し出された茶菓子……串に刺さった団子を眺めた。
 灯子には、その表情が、どこかもの淋しげに思えて面食らう。

「そう、だの。この団子の分は話してやろう」

 つい、と団子の串に手を伸ばし、摘まめることに驚いたように、一度指を引き。
 また、どこか優しげに指を滑らせ。

 椿の女は身を乗り出す私たちへ、静かに語り出した。






 *






 ああ、まずは妾について話さねばなるまいか。
 妾は山麓に自生した椿であった。

 ふむ、それはわかるとな?

 そうおびえた顔をするな……まあよい。続けよう。

 何が違ったか、兄弟は皆真っ赤な花を咲かせるというのに、妾だけ、時折白い花がまじった。

 それでも夏を過ごし、秋に笑い、冬に耐え、春にほころぶ日々は変わらなんだ。

 だが、ある日のことかの。

 あたりが小煩いと思うておったら、妾を囲うように柵が建てられ、そばに人の住む家が建てられた。

 そのころは妾も、それほど目覚める時間が長かったわけではないからな。あまり詳しくはわからぬが、どうやらどこぞの道楽者が妾の咲かせる花を気に入ったらしくての。
 妾がいつでも見られるように、道楽ついでに庵を建てたらしい。

 バカなことをするものだとあきれたが、まあ妾はそこで咲くだけだ。

 友人であった草花が美観を損ねると軒並み切り倒されたかと思えば、新たな草木が植えられる。
 毎年のように違う樹木が入れ替わり立ち替わり植わっては消えていったが、妾だけはそこにあった。

 妾のそばに家を建ててから、お家が隆盛し始めたらしく、守り神扱いされたからだろうな。
 人とはなんと身勝手なものだと思ったが、そのおかげで、妾も伸び伸びと枝葉をのばし、果ては意識のようなものまで芽生えるのだから、どうなるかはわからないものだ。

 庵を建てた道楽者が死んだ後も、家はどんどん大きくなり、妾もそれに吊られるように枝葉をのばし、白と紅の花を咲かせた。

 気がつけば、一族は庵に移り住み、庵は屋敷になっておったよ。
 いつの間にか屋敷周りも町になっていてなあ。
 今ではここが中心だと言われて、人とはなんとめまぐるしいものだとあきれたよ。


 誰に言われたかと?
 泣き虫な小童(こわっぱ)にさ。




 人の世が江戸と言われるようになった頃だ。
 妾の根本に、良く小童が隠れるようになった。

 そのころには妾は椿としても大木となって、みっしりと枝葉をしげらせていたからな、人の子供一人が隠れるくらいは訳なかった。

 その小童は、涙をぼろぼろこぼしていてもな、口を必死で押さえて声を殺しておった。
 後から気づいたのだが、どうやら厳しい父親(てておや)の折檻から逃げておったようだ。
 人ではない妾でも正直どうかと思うほどであったが、そのときは知らなくての。

 なんと軟弱なと思うたが、足音が聞こえるたびに肩を震わせて、地に落ちる涙は塩辛くて。
 それが、あんまりにも哀れでなあ。
 ちょいと枝葉をおろして隠してやったのだ。

 はじめは冬の盛りであったな。

 雪は降ってはいなかったが、人の子にはさぞ寒かろうに、ただひたすらひっそりと妾の幹に身を寄せておるのだ。
 まあ、妾は時折目覚める程度であったし、姿を現せるわけでもない。
 どうせ気づかぬであろうと思うて、実際そうであったよ。

 だが、夕暮れの橙に染まる頃、さすがに帰らねばならぬと奮起したのであろう。
 小童(こわっぱ)は震える足で立ち上がったのだが、去り際妾に言ったのだ。

『ありがとう』と。

 うむ、驚いたな。驚いたとも。
 そのように声をかけられたことなどなかったからな。
 それ以降、小童は妾の木陰に来るようになった。

 小童は道楽者の末裔での。名を冬弥(とうや)と言った。

 頭の回転は良かったようだが、優しい気質でな、お家をより盛り上げたい入り婿の父親には、もの足りぬように思えたらしい。
 毎日のように怒鳴られて、なかなかつらかったようだ、というのは、屋敷から流れてくる噂でようわかった。

 小童は涙をこぼしそうになると妾の木陰に隠れ、妾に話しかけるようになった。
 妾は答えることなどないというのに。

 夏には良い日差し除けになると言い、秋には木漏れ日が美しいと言い、冬には葉の緑に癒されると言い、春には花の紅白がなまめかしいと誉めた。

 妾に対する賛辞は散々に聞き慣れておったが、小童はなにが楽しいのか他愛のない日常を振ってきおった。
 物言わぬ草木に話しかけるなど気がふれておるのかと思うたが、それで小童は父親に立ち向かっていたようだ。

 妾へ話す内容には父親の愚痴も入っていたからな。
 それは、妾が起きているときも、起きていないときもあった。
 だが小童がくるたびに、起きている時が増えていたように思う。

 季節が何度巡っただろうの。

 小童はくるたびに、おおきゅうなっていった。
 いつしか泣かなくなった。

 どうやら父親とは方針が違うとはいえ、使用人達とはうまくいっていたようだ。
 妾のもとへくる回数は少なくなっていたが、一度の時間は長くなっていたな。

 特に、妾が花を咲かせる時期は、決まって茶と茶菓子をもって、一日中妾の傍らにいたものだ。
 食えもしないのに、妾の分だといって、菓子と茶を余分に持ってきての。

 幾度目かの春の事だ。

 その日はそう、ちょうどこのような団子だったの。
 当然のごとく花見の準備をしてやってきた小童に、呆れてな。いつものごとく言ったのだ。

『おまえは馬鹿か』

 と。
 うむ。あんまりにもうるさいものでな。
 言われっぱなしもしゃくに障るので、言い返すようになっていたのだ。
 むろん、妾の声が聞こえるわけもなし、それだけで終わると思っていたのだがな、その日は違った。

 小童はひょいと妾を見上げたかと思うと、ぽかんと阿呆のように惚けた顔をした。

 阿呆のようであったが、妾も似たようなものだったな。

 何せ、目が合った(・・・・・)のだから。

 妾は枝葉を通じて外を認識することはできるが、目で見る、というのはない。

 あの道楽者の末裔に奉じられるうちに、いや、この小童に愛でられるうちに、霊格を得ていたらしい。

 妾が黙り込んでいる間に、小童というにはおおきゅうなった男子(おのこ)は、みるみる嬉しそうな笑顔になったよ。

『人であったら、結構な美人だろうと思っていたが、その通りだった』

 とな。

 一人で惚けた姿をさらしてしまったのは、妾の不覚であった。


 そうして妾の姿が見えるのは、花の時期だけだったよ。
 それも、小童にしか見えぬ。

 そのころにはすでに妾を見に来るのは小童ぐらいなものであったから、確認したわけではないが、おそらくはそうだろう。
 だが、それでも小童は以前よりも熱心に妾の元へ通い、話しかけるようになったよ。
 花の時期ではなくともな。

 ずっと妾が聞いてくれる気がしていたらしい。

 頭おかしいのではないかと思ったが、まあ、雑然としていく庭で、話し相手もおらんかったからな。
 花の時期は、日の出る間も、時折夜も。
 行灯を持ち込んで、ろうそくの揺らぐ炎に照らされながら語り明かした。楽しかったよ。

 ……ああ、楽しかったさ。

 だと言うのに、奴はぱったりとこなくなった。

 勘当されたのだと、あとで知った。

 父親の商いについて行けなくなったのだろうとは、容易に想像がついた。
 あまりきれいな商売をしていなかったようだからな。

 どうやら、いつしか妾の身はお家の隆盛とつながっていたらしくてなあ。
 身の衰えでもう長くはないだろうと思っていたから、共倒れになる前に離れた小童の判断は正解だ。
 それにしても妾に一言もなしとは腹が立ったが、妾はその場で咲くだけだ。

 小童がこぬようになってから、妾は眠っていることが多くなった。
 それが当たり前で、今までの妾がおかしいのだとも思ったが少々寂しかったな。

 道楽者の家は釣瓶落としのようにあっという間に落ちぶれた。
 まあ、盛りがあればすたることも避けられぬとはいえ、呆気ないものだ。
 妾も屋敷の主が荒れてゆくのが手に取るようにわかった。

 その年は、花を咲かせる事もしんどくてなあ。
 これはもう無理だと思っていたら、とうとう屋敷を手放すことになったらしい。

 あの威張り散らしていた父親殿が、悪鬼羅刹のように顔を狂気に染めていた。

 たとえ人と言葉を交わすことができても、妾は椿。
 それ以上でもそれ以下でもない。

 そう。だから。

 わかっていても、父親が、屋敷に火をつけて回るのを止めることなどできなかった。


 その日は、春の嵐が吹きすさぶ夜でな。
 それはようよう燃えたものだ。

 風に乗った火の粉が、町のほうへ飛び火していた。
 逃げまどう悲鳴と、けたたましい鐘の音と、父親殿の狂った笑い声が炎に飲まれながら響いていた。

 めらめらと渦巻く炎が夜の空を煌々と照らし、ほどなくして妾の元にも熱が及んだな。

 夏の日差しの暑さとも違う、焼かれるとはこういう事かと、初めて知った。

 ああこれは助からぬ。とそう思った。
 花の時期で姿があろうと、妾は椿。
 その場から動くことはできぬ。

 最後の花を見るものがいないのは残念であったが、兄弟たちよりもずっと生きたで、あきらめもついたよ。

 だと言うのに、だと言うのに!

 炎に囲まれた庭の中で、妾を呼ぶ声がした。
 炎に巻かれながら現れたのは、あの小童であったよ。

 馬鹿かと思った。実際言った。

 なぜここにいると思った。逃げろと言った。

 だが小童は、冬弥は妾を見て笑ったのだ。


『今年もきれいな花だな』と。


 たった二輪だけだ。白と紅。いつもより小さい花を、二つしか咲かせることができなかった。

 妾はどうして己の花のように、ぽとりと落ちて果てることができなかったのだろうな。
 とっとと炎に巻かれていれば良かった。
 そうすれば、冬弥はすぐに引き返しただろうに。

 冬弥はやらなければいけないことがあると言った。

 なぜか斧を持っていた。


『ごめん』


 最後の花に、滴がはたはたと落ちた。
 泣き虫はとうの昔になりを潜めていたはずなのに、冬弥は泣いていた。
 泣きながら、笑っておった。


 なぜ、と聞いた。
 答えはなかった。
 そうして冬弥は、妾に斧を振り下ろした。


 妾の意識はなくなった。










 *









 誰も手に取らなかった茶が、いつの間にか冷めていた。

「そこで、(わたし)は終わったと思っていたよ。だと言うのに、何の因果か形が残り、またこうして意識を宿し、冬弥の子孫と会っておる」

 香炉から立ち上る煙が、ゆらり、ゆらりと女を彩る。
 語り終えた女は、香炉の隣に添えてある椿の櫛へ視線を流した。
 灯子が受け継いだ、精緻な白と紅の椿が彫られた櫛だ。

「冬弥がなにを考えておったのかはとんとわからぬ。だがどうでも良い。妾は勝手にかような姿とした冬弥を許さぬと決めた。この身が果てるまで恨むと決めた。幾とせでも何代でも憑いてやると決めたのだ」

 言葉は怨嗟。だというのに、灯子にはその横顔が、悲哀に染まっているように思えた。
 ふいに、女は顔を上げ、灯子をまっすぐ見つめた。

「だから、冬弥の末裔よ。あきらめるが良い。妾これからもお前に憑く。解放されたくば、この櫛を折るのだな」

 射抜くようなその瞳に、灯子は我知らず息を詰めた。
 傲然と、傲慢と言いきった女の語った話をどう受け止めて良いかわからず、とっさに言葉が出てこない。
 それでも灯子は、必死に首を横に振った。

「どうした、首振り人形のように」

 椿の女に怪訝そうに聞かれ、灯子は自分の中で確かな言葉を口にする。

「折りたく、ありません」

 言葉にしたら、すとりと気持ちが己の胸に落ちてきた。

「おぬしは妾の呪いから解放されたくて呼び出したのであろう。滅する良い機会だぞ。妾の宿っているその櫛を燃やすか折れば解放されると、親切に教えてやっているというのに。おぬしはあほうか」
「それはっ……」

 椿の女に見下ろされ萎縮する灯子だったが、そのとき、高殿がふう、と息をついた。
 二人の視線を一身にあびる事となった高殿だったが、顔色一つ変えず女をひたりと見上げた。

「違いますよ。彼女は謝罪をするために、あなたを呼びだしたのです」

 同意を求めるように高殿に流し見られた灯子は、そこで声を出してしまったことを思い出し少々青くなった。
 が、それでも必死にこくこくとうなずく。
 すると、椿の女は信じられぬとばかりに目を見開いた。

「おかしいだろう。なぜだ。妾はおぬしの邪魔を散々しただろう」

 確かにそうだった、と灯子は認める。

 女の宿る櫛を受け継いでから、灯子は婚約していた男性とも別れることになり、今までつきあっていた友人も離れていき、さらに実家とも縁を切ることになった。
 簡潔に説明すれば、不幸のどん底と称してもおかしくないだろう。

 しかも、彼らが離れていった理由ははすべて、灯子に見に覚えのない言動や行動によってだ。

 自覚症状はなくもなかった。

 二十歳の時に櫛を受け継いで以降、時折記憶がとぎれることがあったからだ。
 精神疾患かと病院へ行っても、異常なしと診断され、だが、ひとたび意識がとぎれれば、普段の灯子からは想像できないような言動と行動で周囲を威圧するのだという。

『まるで女王様みたいにえらそうな言葉遣いで、普段誰もいえないことをズバズバ言ってたよ』

 とは、数少なくつきあいが続く友人からの言だ。

 その友人が撮っていた、女王様のようにえらそうな態度の映像を見る限りでも、この椿の女と重なった。
 おそらくはこの女に乗っ取られていたのだろう。

 正直、勝手に体を使われていた、というのは拒否感がある。

 それでも、と灯子は言い掛けたが、高殿との約束を思い出してためらい、目の前の男の顔色をうかがった。
 すると少々あきれ顔の高殿に今更と言う雰囲気で嘆息され、了承するようにうなずかれて、灯子は口を開いた。

「あの、私」

 声を上げれば、女の険しい視線に絡められて、ひるむ。
 だが、それでもいわねばならないと、灯子は腹に力を込めた。

「私、ぜんぜん自分の言いたいことをしゃべれなくて。ずっと言われるがままに生きてきました。でも、あなたが私を乗っ取って、私の想いを代弁してくれた。私は、初めて自由になれました」

 椿の女によって失ったものは、すべて、灯子を縛る鎖だった。
 本当は選んだ学校もいやだったし、婚約者も苦手だったし、実家の空気も嫌いだったのだ。
 それを、この人はすべて吹き飛ばしてくれた。

 やりたいことがあった。自分の足で立ちたかった。
 それは、本当は灯子自身がやらなければいけなかったことなのに、勇気がなかったばかりにあきらめていたこと。

 矢面に立ってもらってしまったことは罪悪感と申し訳なさが募る。
 それでも今、灯子は自分の足で立ち、ずっとやりたかった仕事に就き、自由に友人とつきあい、小さいながらも自分の家を持って生活できている。
 灯子は今幸せで、彼女には、感謝しても仕切れないほどの恩があるのだ。
 だからこそ、けじめを付けなければならないのだ。
 精一杯背筋を伸ばし、汗で湿る手をこぶしに握った。

「私がこれを祖母から受け継いだときに教わったのは、この椿の櫛は、代々『草木を愛せる人』が受け継ぐこと。肌身離さず持つことでした。そして、もう一つ」
「もう一つ」

 灯子は、何かを恐れるように顔をこわばらせる椿の女を、まっすぐ見据えた。

「”春さん”」

 椿の女の目が、限界まで見開かれる。
 ああ、やはりそうだったか、と灯子は安堵した。

「あなたが、春さんですね」

 兄弟の中で樹木や花々が好きだったのは灯子だけだったから、これは灯子が受け継ぐようにと祖母に言われた。

 祖母が亡くなり、財産分与の時も、古ぼけた櫛ひとつ誰も気にしなかったから、問題なく灯子のものになった。 
 祖母になついていた灯子は、櫛の話を祖母から何度も何度も聞いていた。

 いつも、春を教えてくれる。口が悪くて、少し寂しがり屋のきれいな人。
 祖母は、それを父から聞き、その父は母に聞いたらしい。

 どうしても、つらいときには話しかけてみると良い。
 寂しがりやだから、うれしいこともおしえてあげるのだ。

 彼女はちゃんと聞いてくれる。

 いつか会えるかもしれないから、大事に大事に肌身はなさず、持っているのだ。

 そう、幼い頃から聞かされた灯子は、ずっとその通りにしていたのだ。

「……それは、冬弥につけられた名だ。皆は春というと桜を思い出すけれど、自分にとっての春は、椿だから、と」

 懐かしむように、悲しむようにつぶやいた椿の女に、灯子はすっと背筋を伸ばした。

「もし、春さんが現れたら、伝えなければいけない言葉があると、現れなかったらかならず子につたえなさいと言い含められました」

 まさか、自分が伝えることになるとは、と思うと同時に、彼女の話ですべてを知ってしまったからには、言わなければならなかった。

「”春さん。またお会いできてうれしいです。あのときはごめんなさい”」

 椿の女、春は茫然と灯子を見返した。
 なぜそのようなことを言われるのか、わからなかったようだった。

 灯子も、祖母から受け継いだは良いが、意味がわからなかった。
 なぜはじめて会うことになるのにまたになるのか、あのときとはどのときなのか。

 でも、違うのだ。
 これは、伝言。春さんに本当に会いたかった人が残した言葉だ。

「あの。これは私の憶測になるのですが。うちの家の初代は、椿の挿し木や接ぎ木に、異常に熱心だったそうです。ですが、時期が悪かったのか、うまく根付かなかったのだといいます」
「なに……?」
「消沈した初代でしたが、今度は一流の職人に頼んで古い椿の丸太を使ってこの櫛を作らせました。そして職人になぜ女物なのか、と聞かれたときこう言ったそうです。『この椿に化けて出てきてもらいたいのだ』と」

 おびえたように後ずさった春に、高殿が淡々と付け足した。

「愛着を持って使い込まれた道具には精が宿る。古くからよく言われることです。ましてや、一時期的とはいえ、実際に精を宿した樹木ならば、また宿ることもあるはずだと、彼は信じたのでしょう」
「その当時の大火で、屋敷はすべて燃え尽き、庭も全滅だったと聞いています。たぶん、ご先祖様はきっと……」
「妾を助けるためだった、というのか」

 ぼつりと、つぶやかれた言葉に、灯子がこくりとうなずけば、春は香炉の前に力なく座り込んだ。
 その姿に、今までの勢いはみじんもなく、ただひどく頼りなかった。

「……なんとなく。わかってはいたのだ」

 やがて、密やかにそう口にした春は額に手を当ててうつむいた。

「ばかだなあ、冬弥。花を咲かせぬ妾が、どうやって春を知らせるというのだ。しかも、見てくれるおまえがいなければ、意味がないではないか……」

 笑ってさえいるような弾んだ口調で、そうつぶやいた春だったが。
 湿り気を含んだ声音だけは、隠しようがなかった。

「春、さん」

 どう、声をかけていいかわからず、灯子は口にしてから、いたずらに名を呼んでしまったことを後悔する。
 だが、その声に顔を上げた春は灯子を見るとにやりと笑った。
 艶やで、力強い、椿のような笑みだった。

「冬弥のように頼りない子孫にやきもきして、つい手を出してしまったが。もう、おまえの体を乗っ取ることはないから安心せい」

 魅力的な笑顔に灯子はかあっと顔を熱くしたが、続けられた言葉にまさかと思う。
 だが、それで用は済んだとばかりに、春は凛と顔を上げて高殿のほうを見た。

「団子分よりも多くの話をしてしまったが。なかなか悪くない時間を過ごさせてもらった。灯子はそろそろ一人で行ける。ならば妾の出番もあるまい」

 春はちらりと、香炉を見下ろす。
 そこで、灯子は立ち上る煙が少なくなっていることに気が付いた。
 彼女の姿も、すでに希薄になりつつある。

「香もつきる頃だろう。これで別れだ」
「まってくださいっ」

 徐々に薄れていく姿に灯子があわてて呼べば、春は怪訝そうに振り返る。

「なんだ、まだあるのか」
「今度お茶しましょう!」

 言ってしまってから、ずいぶん使い古されたナンパの常套句のような言葉に泣きたくなったが、それでも言い募った。

「お茶もお団子も用意しますから、また、会いたいです」
「だが、妾は……」

 春が言いよどんだことは、灯子にもわかっていた。
 こうして言葉を交わせたことが、ひとときの奇跡なのだ。
 だとしても。

「あなたはこうしているんです。ご先祖様みたいに、毎日話しかけて、持ち歩いて、大事にします。そうしたら、今度はちゃんと化けてでてこれるかもしれないじゃないですか」

 春は、思わぬことを聞いたとばかりにきょとりと目を瞬かせ。
 いっぱく、呵々大笑し始めた。

「ああ、そうだったな。おまえはあの冬弥の子孫だ。櫛に毎日話しかけるなぞ、阿呆の極みといえるだろう!」

 むっとしかけた灯子だったが、涙すらこぼしながら笑い転げる春は、ひどくうれしそうだった。

「ああ、楽しみにしているぞ、灯子。次はけえきとやらを食してみたいっ」

 初めて名を呼ばれた灯子がはっとしたときに、香炉から最後の一筋が立ちのぼり。

 ふっと、濃密な煙が霧散していった。

 あれだけ鮮やかだった春が消え、後には残り香が漂うばかり。
 灯子が放心していると、吐息をついた高殿が、すっくと立ち上がり、障子戸をあけた。

 冷涼な春の空気が部屋の中に滑り込み、余韻のように残っていた香を洗い流していく。

 あっという間に残り香すらさらわれていくさまに、灯子は今までの出来事が夢だったのではと錯覚する。

「気はすんだか」
「あ、はい、ひや……!」

 立ち上がりかけた灯子だったが、そのせいで感覚のなくなった足にしびれが急速に広がり、しばしもだえることになった。

 このしびれは現実だ。

 涙目で堪え忍びながら灯子は、ちょうど目の前にある椿の櫛を眺める。

 春さんも、言葉を交わした。笑った。礼を言った。謝れた。
 そして約束をした。

 あれが、頭の中の妄想だったとはとてもではないが思えない。

 しびれがすこしましになった灯子は、障子戸の前にたたずむ高殿を見上げた。
 言いにくかったが、灯子はそれだけはいわねばならないと拳を握る。

「ありがとうございました。ですが、その。お約束については……」

 そう、この特別な場を設ける条件は、高殿に椿の櫛を譲ることであった。

 灯子もはじめは呪うほど憎い相手にもたれたくはないだろうし、供養が出来るというのであればと思ってうなずいた。
 だが、春と言葉を交わしたことで、この櫛を手元に置きたいと願うようになっていた。
 短いつきあいだったが、高殿は約束を反故にすることなど、とてもではないが了承するような性質の人間ではないと理解している。
 だがそれでも、これだけは譲りたくないと灯子は思ってしまったのだ。

「ごめんなさい。私に払えるものでしたら、何でも支払います。春さん以外のものにしていただけませんか」

 人の目を見るのは苦手だ。
 さげすむか、哀れむかのどちらかしかなかった家族の視線を思い出してしまうから。
 それでもと、灯子が決意を込めて見上げれば、その姿をじっと見下ろしていた高殿は眉をひそめた。

「そんな姿で願われるのは、少々間が抜けているが」

 指摘されて畳にはいずっているのを思い出し、気まずさに頬を赤らめた灯子だったが、高殿は小さく息を吐いた。

「どうしても、いやか」
「はい」
「人と、人あらざるものは本来交わるべきではない。この櫛も、今は穏やかだが、いずれ変わる可能性もある。次は、ないぞ」
「人だって、変わります」

 突き放す言葉に、灯子はおびえたが、言葉は勝手に滑り出た。

「私にとってはずっと、人が怖いものだった。今回だって、普通につきあっていた友人が、家と縁を切ったと知った瞬間離れていきました。人だってそうなら、好きだと思う人との縁を大事にしたい」

 目を見開く高殿を見上げ、我が身を叱咤して言った。

「私は、後悔しても。春さんが、好きなんです」

 見つめ合う時間が、ずいぶん長く感じられた。
 高殿はあきらめたように視線を逸らした。

 灯子はかえって面食らったのだが、高殿は再び灯子の前に座ると、椿の櫛を手に取った。
 もしやそのまま懐に入れる気か、と気色ばみかけた灯子だったが、懐紙に挟まれた椿の櫛がさしだされた。

「毎月、花を届けてくれ。あんたが春に会えるまで」

 なんとか身を起こすことに成功し、あわてながらもそっと受け取った灯子が茫然と見返す。

「花屋だったら、できるな」

 高殿は念を押すように言うのに、熱いものがこみ上げてくる。
 許してもらえたのだ。彼女と共にいることを。

「はい、はいっどのような花がいいですか!」
「桜……いや、椿の枝がいい。扱いなぞわからんから、生けるところまでやっていけ」

 言い直した高殿に、ますます嬉しくなりながら、灯子は夢中でうなずいた。

 冴えた風が部屋を吹き抜ける。
 その少し冷えた、だが柔らかな涼風に、灯子は春がすぐそこまできていることを思い出した。

「わかりました! まずは極上の椿をお届けいたしますっ」

 両手に包んだ椿の櫛を大事に大事に握りしめ、灯子は心の底から笑ったのだった。

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