5.留守電
「よう、颯斗」
再生ボタンを押して流れてきた声。
それは中年特有の低いダミ声、間違いなく社長その人の声で、その声に俺は自分の心が落ち着きを取り戻していくのを悟る。
「はっ、どれだけ俺は追い詰められているんだよ」
俺はそう自嘲しながらも、本当に自分が一杯一杯であったことを悟る。
何せ、昨日は会えていないが、一昨日には散々聞いたいたはずなの社長声に安心感を感じているぐらいなのだから。
「まぁ、何だ少し心配になってよ」
「っ!」
そして、何時もなら俺が弱っている時には茶化してくるはずなのに電話から流れる社長の声は嫌味なくらい優しかった。
「社長、気持ち悪い……」
俺はそうぼやくも、それは社長の声に言葉に感謝してしまうことへの照れ隠しでししかない。
「それでも今度会った時ぐらいはお礼、言うか……」
社長に感謝なんてものは、考えただけで怖気が走る。
それでも、少しぐらいは言ってやっても良いかも、と思って、
「まぁ、要領良くてやたら毒舌なお前が愁傷になる姿なんて正直思い浮かばないがな……」
「あぁっ!?」
前言撤回する。
「いや、あんたの日頃の行いが悪いんだよ!」
別に俺はおかしなことは言ってない。
正直なことしか指摘してないのだ。
つまり俺の言葉が毒舌だと思ったのなら、それは自業自得でしかない。
「女房と同じこと言いやがって!」
「だから自業自得だろうが!」
ていうか、他の人にも言われているのなら改めろよ!
俺はそう電話に向かって唸なる。
「まぁ、でも一応心配してはいる」
「っ!」
だが、次の一言に言葉を失った。
そんなこと、仕事中の社長からは絶対に出てこない言葉。
いや、それどころか出会ってから一度として褒めてもらったことはない気がする。
「気持ち悪……」
ーーーだから本気で鳥肌がたった。
いや、別に社長の誠意を馬鹿にしようとしているわけではない。
だが、仕方がない。
そう、日頃の行いが悪すぎるのだ。
つまり俺は悪くない。
「颯斗鳥肌立ったか?ついでに、俺はこのセリフを言うためだけに持病の喘息が酷くなるのを我慢した」
「だったら言うな!」
いや、罪悪感など感じる必要もなかった。
最悪すぎる嫌がらせだ。
反省してほしい、地獄に落ちて。
真面目に何を言うために留守電を残した?
嫌がらせか?嫌がらせなのか?
俺は額に青筋が立つのが分かる。
激情の赴くまま、留守電をきろうとして、
「まぁ、でもな」
社長のあまり聞いたことのない真剣な声に手を止めた。
「お前がいるのといないとのでは、確かに仕事の効率は悪い。認めたくないが、お前は有能だった」
その言葉は、今までと同じく軽い調子で発せられる。
「だから何時でも、もちろん俺が戻って欲しいわけではないが、
ーーー戻ってきていいんだぞ」
「っ!」
社長の声は全く何時もの様子と変わらなくて、いや、それどころか何時もより軽いくらいで、
ーーーそれでも優しさに包まれていた。
「はっ、俺の働きは有能程度じゃないでしょうが……」
俺はそう愚痴りつつも、それでもどんな心境で社長が戻ってきていいと言っているのか分かっていた。
「戻るか……」
そして、俺は自分の心が決まりつつあるのを悟る。
今まで悩んでいた自分の心が、学校をやめるということに傾きつつあって、
「ーーーだから、学校を止めるのはもう少し考えてからにしろ」
「なっ!」
ーーー社長の次の一言に、言葉を失った。
ー何でそれを?
それは今までで一番の不意打ちだった。
そして俺思考が停止する。
しかし、社長の声が止むことはなかった。
「お前が何時も、何か俺たちに話せない事情で悩んでいることを知らないとでも思ったか?」
「っ!」
「常に自分から距離を取ろうとする癖に、あの爺さんの弟子と言われて何もうしろめたいことのない普通の人間だなんて何て思えるか!」
俺は社長のあまりの鋭さに言葉を失い、社長の声はさらに熱を帯びる。
「どうせお前のことだ!転校初日からまたそんなことでグダグダ悩んでいるだろう!」
「なっ!仕方ないだろう、が!」
次の瞬間、俺は怒鳴り返していた。
「いつもお前はそうだ!」
「だったらどうしろって、言うんだよ!」
伝わるはずもなく、成立もしない怒鳴りあい。
「どうしようも出来るはず、」
「だが、お前はどうしようもないって言うんだろう?」
「なっ!」
ーーーだがその瞬間、留守電からの社長の声はまるで俺の声を聞いるのように、響いた。
「知らないとでも思ったのか、馬鹿が!だから言っているんだろうが!
ーーーいつでも俺たちは待っているから、学校では思う存分やって来いって!」
「っ!」
その時、俺はまだ社長の言葉の意味を分かっていなかったことを悟る。
そして、その意味が分かった時笑っていた。
「何だよ、鋭すぎだろ……」
「いいか、絶対に会社には戻って来るなよ!」
さらに、いつの間にか言っている内容が変わっている社長にさらに吹き出す。
「取り敢えず、まだお前の退社祝いしていなかったから、この日は何時もの店に来い」
留守電の最後は、照れ臭そうな様子の社長がぶっきらぼうに退社祝いの日時を告げて切れた。
「ああ、余計な御世話だよ……」
俺は留守電が切れたことを確かめ、笑いながら立ち上がる。
「とにかく、祝いの日にはいい報告できるよう頑張りますか」
俺は手に持っていた佐藤さんの名刺をしまう。
そして、日課の鍛錬を始めた時にはもう、俺の顔に悩みはなかった。
「とりあえず、明日も頑張るか」
そう告げた俺が、何を選択したのかそれはもはや言うまでもなかった。
その日俺は久々に、夜遅くまで鍛錬を続けていた。
俺はこうして通学の続行を決意した。
ーーーだが俺は知らない。
俺が止めようと、そう決めかけた時に掛かってきた電話。
それがどんな意味を持つか。
そして、俺がどれだけこの決断を後悔することになるか。
「上手くいったわね」
さらには、とある人物の思惑のことも……