25.真実
「もしもし?」
電話のコール音の後、少し気怠げな佐藤さんの声が受話器から流れてくる。
「あの、東ですが……」
未だ仕事なのだろう、俺はその声に含まれた疲労にそうぼんやりと考えながらそう佐藤さんに告げる。
「えっ、あ、東くん?」
その声には前よりはマシとはいえ、明らかな動揺が含まれていて理事長の嘘をまだ彼女が信じていることを俺に伝えてくる。
それは前々なら俺を酷く苛立たせただろうに、今の俺は全く何も感じなかった。
いや、感じる余裕など無かったというべきか。
「えっと、早退したって聞いたけど体調は大丈夫なの?」
「いえ、体調に関してはもう大丈夫です。この電話は少し質問があって掛けさせて頂きました」
「そうなの?答えられる範囲なら……」
佐藤さんは俺の様子に少し疑問を抱きつつもおずおずと頷く。
俺は喉が緊張でカラカラに乾く不快な感覚に、一瞬口を閉じて、そして意を決したように開く。
「ーーー俺が退学を望めば許可はおりますか?」
保健室の養護教諭のまるで退学には理事長の言っていた手続きなど要らないような発言の後、俺は彼女を問い詰めた。
そして、養護教諭曰く魔力が規定以内であると自主的に退学しなければならないらしい。
それも数日以内にこの学院から荷物をまとめて出て行かなくてはならないらしい。
それが養護教諭のこの学院に通っていた時、6年前のの規則で、
ーーー俺が理事長から聞いた規則とは全く違っていた。
もちろん理事長がこの学院の理事長として就任したのはおそらく6年以内で、つまり理事長の交代と共に規則が変わった可能性も捨てられない。
だがもし、まだ養護教諭が教えてくれた規則が今もこの学院の規則であるとすれば、
ーーー俺はこの学院からの退学を理事長に認めさせる方法を知っている。
「あっ、」
と、そこで俺はあることに気づく。
それは致命的な失態。
理事長と1番仲のいい、あの交渉の時にも理事長と一緒に居た教師にこのことを尋ねても真実を教えてもらえないのでは無いかというか今更すぎる失態。
「えっと、東くんが望むなら規則上は可能だけども……」
「っ!」
だが、佐藤さんはそんな俺の心境を知らず、なんでも無いことのようにそう告げる。
そしてその佐藤さんの言葉は、理事長が今まで俺を騙していたそのことを示していた。
俺は転校初日にかかってきた社長からの留守電を思い出す。
理事長が裏で仕組んでいた、俺の退学を妨害することとなった留守電。
そしてその時から俺はずっと理事長に言われた通り、本当に数ヶ月経たないと退学することは出来ないと思い込んでいた。
わざわざ裏から仕組んでいたのだと、そう思わされていた。
だが違ったのだ。
理事長の狙いは決して俺の退学を防ごうとした訳ではなかったのだ。
自分自ら出向いて、社長に俺の退学の妨害をさせたように振る舞ったのは、
ーーー俺に、数ヶ月後でないと退学は出来ないと思い込ませるためだったのだ。
つまり、その数ヶ月で理事長は俺を使って何かをしようとしていたのだ。
そのことを確認した俺の背に怖気が走る。
このまま俺が気づかなかったならば俺はどうなっていたのか。
「っ、なんなんだよ……」
そして俺は理事長の底知れなさに思わずそう漏らしていた。
理事長が何をしようとしているのかは分からない。
だが、このまま俺がこの学院にいれば絶対に理事長の手のうちからは逃げられない。
「どうしました?」
その時、受話器から佐藤さんの心配げな声が流れだした。
受話器から口は離して呟いたはずなのに、どうも俺の独り言が耳に入ったらしい。
そしてその瞬間、俺は佐藤さんも理事長に騙されていたことに気づいた。
あの理事長との交渉の場、あそこで佐藤さんは意識を失っていた。
そしてそれを理事長はまるで俺の殺気のせいであるかのように言っていたが、それも間違いだろう。
失神に、失禁、そして記憶があやふやになるなどの症状、それは俺の殺気の所為ではない。
ーーーつまり、佐藤さんの意識を奪ったのは理事長だろう。
確かに俺の殺気で失神に失禁、または記憶喪失などはありえる。
だが、失禁などほぼ無い現象である上に、記憶があやふやになるなど見たことがない。
記憶喪失とは普通、その事柄を恐怖により脳が意図的に忘れる働きだ。
だが、佐藤さんはある程度記憶が残っていた。
確かに、俺は知らないがそんな記憶喪失もあるのかもしれない。
ーーーしかし佐藤さんの症状は殺気に当てられたというよりも、薬に近い症状だった。
つまり理事長はおそらく魔術組織の思惑と反する何かを行おうとしている。
そして、佐藤さんは理事長の仲間では無いのだろう。
だから理事長はあの時、意識を奪い口封じすることを選択した。
「はっ、唯の間抜けじゃねぇか……」
ーーーそして俺は全くそんなことに気づいていなかった。
俺はそう唇を噛みしめる。
本当に全く気づかなかった。
おそらく養護教諭との話がなければ俺はまだ何も気づかずのうのうとしていただろう。
だが、まだ手遅れでは無い。
これだけわかればどうとでもやりようがある。
「明日、動くか……」
そして俺はそう呟き、この学院を辞めることを決意した。
「っ、」
ーーーだが、その瞬間1人の少女の姿が脳裏をよぎった。
アイラ・ハルバール、この学院ただ1人の俺の友人。
この学院を止めることは彼女との別れを示している。
「魔術師になりたく無い……」
喫茶店で漏らした言葉と表情。
俺はその理由を未だに知らない。
だがこのままこの学院にいると最終的には魔術組織との敵対、アイラとの敵対という最悪の事態を引き起こす可能性がある。
「あの、本当に大丈夫ですか?」
そして俺は受話器から流れてきた佐藤さんの声に決めた。
「少し、頼みごとをしても良いですか?」
「え?ああ、良いですよ」
「明日、理事長と話したいことがあります」
その一言は、そして震える拳は、俺がアイラとの別れを決意したことを物語っていた。
ここからようやく一章の後半になると思います。




