12.罠
理事長との交渉を終え、部屋の外に出た時もうすでに日は傾き空は真っ赤に染まっていた。
先程の極度の緊張を強いられる交渉が終わったからか、俺の目には何故かその夕日がやけに見える。
そして窓から入る光に朱色に照らされた廊下を見つめる俺の心にあったのは
「何が狙いなんだ?」
ーーー恐怖にも似た理事長に対する気味の悪さだった。
俺は失神した佐藤先生を保健室に連れ往くと、先に出て行った理事長も思い出す。
その時の理事長の様子は最初に出会った時とまるで変わらない笑みで、そこに不自然な様子は見受けられなかった。
「だが、俺の殺気を受けた時笑っていた」
俺は殺気を理事長にぶつけた時を思い出す。
普通魔術師とはこの学院の授業を見るからに身体能力が発達しているわけではない。
そして俺の殺気はそんなもやしどもには特に堪えるはずなのに、それでも理事長は笑っていた。
ーーーまるで俺の実力を喜ぶように。
しかし、数ヶ月で退学出来るのなら理事長は俺を自身の手先にしようとしているわけでもない。
もしかして学院から出た後あれを手駒に加えるべく干渉してくる気なのかとも考えたが、それなら理事長のものであるこの学院から出さない方が効率がいい。
生徒達の様子を見るからには、理事長直々に認めた転校生というだけであれだけ特別扱いされるし、おそらく転校初日に男性教諭に向けられた嫉妬の視線も理事長関係だろう。
つまりこの学院は理事長の手駒が揃っているのだ。
だったら理事長は何を企んでいるのか?
「情報が少なすぎる……」
そしてそこで俺は理事長の思惑を探るのを諦める。
流石にこんな状態で理事長の狙いなど分かるはずもない。
とりあえず今はあと数ヶ月この生活を続ければ、この組織から抜け出せるそれで十分だ。
「そう言えば、今日は社長達との飲み会か、早く帰らないと……あ、」
そう俺は気持ちを切り替え、家に帰ろうとして、自分の手に何も持っていないことに気づく。
「教室に荷物を忘れた……誰もいるなよ……」
思わぬミスにより再度教室へと戻ることになった俺の足取りは見るからに憂鬱なものだった……
「よし、誰もいないな?」
教室に戻った俺はそのことを確認して安堵の息を吐くと、素早く教室の中に入る。
そして急いで机の上に置いてあったカバンを手にする。
「軽い……」
まだ教科書を貰っておらず、鞄の中にはいつも朝に作ってくるお弁当と、ノート、そして筆記用具しか入っていない。
つまり軽いのは当たり前なのだが、俺は不安になって一度カバンの中を確認する。
「杞憂か……」
そしてその中身がきちんと揃っていることを確かめ、俺は直ぐに教室を後にしようとして、
「あ、あの、」
「っ!」
ーーー扉のところに1人の少女が立っていることに気づいた。
何処かモジモジとした様子の少女、彼女はまさしく美少女というべき容貌だった。
理事長と同じく、艶やかな金髪、そして凛とした気の強そうな鼻すじ。
だがその少女を前にして、俺には自分が少女の接近に気づかなかったという動揺と、クラスメイトに鉢合わせしたという恐怖以外感じる余裕がなかった。
「ええと、何かな?」
俺はそう少女に答えつつも、少女の他にクラスメイトの姿はないか素早く確認する。
「その、」
他には誰もクラスメイトがいないことを確かめる。
「あ、ごめん少し急用が!」
そして俺は目の前の少女だけしか居ないのならば逃げ切れると判断して、全力で扉の外へと出る。
そのまま俺は脇目もふらず、靴箱まで全力で走り抜けていく。
「あ、」
ーーーそしてだから俺は気付かなかった。
突然走り出した俺に反応できず1人教室に取り残された少女は俺を見下すことがなかったことを。
その時はまだ、俺にとってその少女は他のクラスメイトと同じ存在でしかなかった。
「では、この馬鹿を祝って乾杯!」
「乾杯!」
そして数時間後俺は、会社の飲み会にと参加していた。
もちろん未成年である俺は飲酒できない。
だが、それでもこの場所にいるだけでどこか楽しくなる。
ーーーしかし今日の自分は明らかに周囲から浮いていた。
理由は言うまでもなく、理事長。
俺が敵対すれば容赦無くこの場にいる人を人質にすると言い切った理事長の言葉が、俺の気を重くする。
さらに、明日からもあのクラスメイトや教師によるいじめを受けなければならないということも俺の胸に重くのしかかっていた。
「あぁ、本当にどうして上手くいくなんて思っていたんだろう……」
そして俺は学校に行けると浮かれていた時に社長に
「そう思い通りにならないかもしれないぞ」
と、そう警告されたのを思い出す。
「せめてあの忠告を頭に入れておけば、明らかに怪しいって気づけたのかもしれないのに……」
俺はもう過ぎたことだと分かりつつもそうボヤく。
「それにしても、どうしてあのタイミングで社長は電話を寄越したんだろう?」
そしてその時、俺が通学を続けようと思ったあの電話を思い出す。
「本当に間が悪い……」
俺はそう八つ当たりだと分かりながらも、苦々しく呟いて烏龍茶が中に入ったクラスを傾ける。
「よぉ!久しぶり!」
「グボァ」
そしてその瞬間、肩を叩かれて吹き出しかける。
「やめて下さいよ、諏訪さん……」
俺が涙目で抗議するも、俺の肩を叩いた中年の男性はからからとまるで話を聞いてなさそうに笑う。
「ごめんごめん、」
「本当に……」
そして俺もその態度に毒気を抜かれて笑う。
「そう言えば、颯斗お前学校はどうだ?」
だが次の一言で俺の余裕は消えた。
吹き飛んだ。宇宙の果てに。
「まぁ、まぁまぁ楽しいですよ」
流石にいじめや魔術学院の事実を言うわけには行かず俺はなんとかそうごまかす。
「そうか、それなら良かった!そう言えば社長から電話掛かってきただろう?」
「ええ、驚きました……」
俺はあの時の社長の一言がなければ、なんていう八つ当たりの言葉は心の奥にしまい込んで、そう笑って答える。
「だろぉ、俺も急で驚いたんだけど、
ーーーあれ何でも社長が颯斗の学校の理事長と電話で話した後、かけるって、聞かなくなってさ」
「なっ!」
そしてその諏訪さんの一言で、和やかな空気は消え去った。
「ん、どうした?」
俺はこちらを心配そうに見つめる諏訪さんの視線など全く気づくことなく唇を噛みしめる。
「嵌められた……」
ーーー何故なら、俺が通学を決めた社長の言葉、それさえも理事長の罠だったのだから。
「本当に何が狙いなんだ……」
その時やっと俺はあの理事長の前に、受け身でいることの危険性を理解し始めていた……
理事長、意地が悪すぎる……




