9.女狐
「はぁ、はぁ、」
まるで酸欠になったかのように佐藤さんは喘ぐ。
決して俺は彼女の呼吸器官に影響を与えるような毒を与えたわけでも、摩訶不思議な術を使った訳でもない。
ただ、殺気を彼女に向けただけ。
ーーーだが、今理事長が俺に向けてきている威圧など比にならないほどの。
これほどの殺気を喰らえば普通の一般人は昏倒する。
それを考えれば涙を流し、よだれを垂らし、薄い化粧が全て取れてしまう惨状になって喘いでいても、意識を失っていない佐藤さんはやはり魔術組織の一員ということか。
見るからに佐藤さんはもう限界だった。
例え俺が殺気を込めるのをやめても、一時間程度は脱力して何もできないだろう。
「続きを」
ーーーだが、理事長はそう一言告げただけだった。
顔色も変えず、ただそう一言。
まるで佐藤さんを人と思っていないかのような一言。
「酷いですね」
だが、俺は淡々とそう告げるだけだった。
そしてそれがこの組織の上部に属する人間であることを俺は知っている。
いや、上に行くほどさらに酷い人間になっていくことを知っているのだ。
「あら、貴方が桜をこんな状態にしているんじゃない」
そして、理事長は俺に微笑みかける。
まるで自分の命令を佐藤さんが聞くのは当然であるかのように。
「あ、あずま、くんは……」
「なっ!」
ーーーそして、その言葉に佐藤さんは途切れ途切れではあるが、理事長の言葉に応えるよう口を開いく。
そして俺はその様子に言葉を失う。
確かに、佐藤さんは生徒たちからはまさしく格が違う、相当な魔術を使える人物だろう。
丈夫であるはずの制服を、遊び感覚で焦がす明らかに歪んだ怪物である生徒を超える魔術師。
それだけで普通の人間の尺度など超えた人間だと言える。
「この状態でまだ声を発するのか!」
ーーーだが、こんな状態に陥ってもなお狂信的に組織に尽くす人間だとは思っていなかった。
確かに彼女は能力的には人間を超えているのかもしれない。
だがそれでも、俺の様子を見て取り乱してくれたりするくらいにはこの組織に毒されていないと俺はそう勝手に思い込んでいた。
それは明らかな俺の失態。
「だが、もうそれ以上は話せない」
しかしそれだけだった。
「ーーー!ーーー!」
俺は何かを話そうと口を開閉する佐藤さんを見つめる。
殺気とは自分の殺しのイメージを気を介して相手に伝えること。
つまり心へ攻撃する技術で、巧みなものほどその殺気が真に迫って感じられる。
しかし、普通何か心の支えを持っていたり心が強い人間には、相手を過呼吸に陥らせたりなどの効果は期待できない。
ーーーだが俺の殺気は普通じゃない。
俺はただ単純に殺すという意思を持った気を、相手にぶつけるだけ。
それは相手が動いただけでも、ひどい力量差がないと成功しない力業。
そしてだからこそ、その殺気の中心に囚われた佐藤さんは今何かに押しつぶされたように感じ、呼吸さえ出来ないだろう。
最初なんとか声が出せたのは肺に最後の空気が残っていたそれだけのこと。
「ーーー!ーーー、ー!」
「つまり、今の状態で声を出すことはもう不可能だ」
俺はそう、理事長へと告げる。
「続きを」
「なっ!」
だが、理事長はそう告げるだけだった。
そのあまりにも淡白な態度に俺は言葉を失う。
もう佐藤さんは何も声を発せない、それは見ただけで明らかだ。
確かに佐藤さんの言おうとしたことは俺が自分の力の少しを示してもなんとしてでも止めようとしたくらいの情報だ。
だが、このままいっても情報を得られないどころか、佐藤さんは窒息死しかねない。
なのに、どう……
「っ!」
その時、俺は全く表情の変わっていないはずなのに理事長のて拳が強く握られてることに気づく。
血が滲むほど強く。
「そうか……」
まるでどこか意地になっている理事長の様子を見て俺は笑う。
「これですべてうまくいく」
その笑みは勝利を確信したかのような、力強い笑みだった。
ーーー高すぎるプライドで収まりがつかなくなっている。
それが俺の理事長の今の状態の推測だった。
見た所理事長はまだかなり若い。
多分二十歳ちょうど程度の年齢。
だが、今は理事長として学校を建てることが出来るほどの成功を収めている。
「そして、俺の体験からすると若くして成功してきたこの手の組織の奴らはプライドがとんでもなく高い」
つまり、もしかすると理事長は佐藤さんが死んでもなお止まらない可能性がある。
ーーーしかし、今完全に理事長の心を折れば理事長は俺に刃向えなくなる。
「それが今からの最善の道」
そう俺は笑って、
「ー、」
もう一段階殺気を濃くする。
佐藤さんがさらに顔を苦しそうに歪め、
「っ!」
理事長までもが顔に焦燥の色を浮かべる。
「ねぇ、理事長もう佐藤さんは調子が悪そうだし無理をさせるのはやめましょうよ」
俺はそうにこやかに微笑む。
そしてその俺の笑顔に、理事長の顔に恐怖が刻まれる。
「桜、早く!」
だが理事長はそう叫ぶことをやめない。
いや、やめられない。
何故なら俺の誘いに乗ることは彼女の敗北を意味するのだから。
ーーーそういう風に俺が仕掛けた。
そして彼女が俺にプライドを折られ敗北を認める時、その時俺は晴れて自由の身となる。
「っ!」
だから俺はもう既に意識を奪われ、さらに苦しめることとなる佐藤さんに謝りつつもさらに殺気を濃くする。
その瞬間理事長は苦しげな顔で呻き、水温が室内に響いた。
俺は理事長か佐藤さん2人のうちどちらかが失禁したことを悟り、
「ふぅ、」
そして勝利を確信する。
「やっぱり貴方って強いのね。想像以上だわ。
ーーー悪魔を素手で殺しただけあるわ」
「なっ!」
だが、俯いた理事長から響いてきた声は酷く冷静だった。
さらにはその顔にもどこにも恐怖は刻まれていなくて、俺は状況が理解できず混乱する。
「な、何が、」
「ほら、」
「っ!」
だが理事長が手を、つまり俺が見えていた自傷した手の反対を差し出した時、俺は全てを悟った。
ーーー理事長が差し出していた手は傷一つ付いていなかった。
「ああ、そういうことか!」
そこでようやく俺は理事長が、怯えるふりをしていたことを、
ーーー自分が嵌められていたことを悟った。
理事長は最初、佐藤さんから話を聞き出そうとしていたが、それは全く意味のない行為だった。
ーーー何故なら、理事長は既にことのあらましを佐藤さんから聞いているのだから。
なのに何故俺の前で躍起になって、佐藤さんから聞き出そうとしたか。
その理由は俺の実力を確かめるためだろう。
そしてそのことに俺は全く気づいていなかった。
ただただ俺は最初から理事長の勝利が決まった勝負で、
ーーー俺の実力を図られていた、それだけなのだ。
「畜生、女狐が……」
俺はそう憎々しげに罵倒を漏らす。
だが、このやり取りは俺の完璧な敗北で、
ーーーそして俺は最悪の状況に陥ったことだけが確かだった。
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