対戦
期間空きましたが続くのじゃ。
魔物は悪である。
本能のままに人を食らう知性無き穢れた獣。
戯れに人を害し脅かす、卑劣なる魔の種族たち。
その存在は人と共にあったが、一度として共存したことは無かった。
魔物は排除すべき邪悪の根源である。
その存在の根絶こそが、神が人に与えた試練であり、人への願いである。
我ら人はその試練に立ち向かい、その願いを叶えることで楽園へと導かれる。
正教会聖書
* * * * *
青々と茂る木々は森の生命力の象徴。豊富な木の実や色とりどりの果実は食の宝庫。滾々と湧き出る清水は程よく冷えて、飲む者を心身共に癒す。人も獣も。勿論魔物も。
どうも。水は勿論空気すら凍り付く冬を乗り越えて、只今魔境は春?真っ盛りです。
私は相変わらず元気に生きています。毒で死にかけたり出血で死にかけたり寒さで死にかけたりしたけど、死んでないから元気ってことでいいよね。
寒さもすっかりどこかへ行ってしまった今日この頃。美味しそうな物が増えてきてウハウハです。魔境は食糧が豊富で、唯一餓死する心配がないのが嬉しい。
食にまつわる最近の発見では、自然の食糧が豊富な場所もしくは地域には必ず湧き水が存在している事が判明した。一応川や沼なんかの水源もいくつかあるのだけど、何故か湧き水とそれによって出来た池周辺に群生している。
湧き出た水は量次第で川にもなるんだけど、下流になるにつれて鬱蒼としたただの森になっていく。湧き出たばかりの新鮮な水に何か秘密がありそう。
まあそんな疑問はさておき。腹を満たして咽喉を潤すこの場所に、自分以外の生き物が寄り付かない訳がない訳でして。
「ゴォアァァァァァッ!!!」
「またお前か。久しぶりだったね?」
巨大熊再び。初めて出会った時と変わらない姿で巨大熊は私に向かって咆哮する。考察するまでも無く向こうは戦う気のようだ。
その証拠に、巨大熊は手近な5mほどの木を腕の一振りでへし折ると、こちらへと真っすぐにぶん投げてきた。
「おお!」
熊が投擲するという事実に驚くこと半分、投擲物の速度が想像よりも速かったことに驚くこと半分。お互いの距離はそれなりに離れているというのになんて剛腕だ。
だが、当たらなければ問題は無い。
私は大きく横方向へと転がるように回避する。木の幹だけじゃなく、枝葉もこの速度で当たれば痛い思いをする。
回避して終わり?まさかまさか。回避行動からすぐに中腰の体制に切り替え、今度は前方へと素早く踏み込む。その瞬間。
一瞬影が差し、次の瞬間背後からの大きな衝撃音。
すぐさま私は身体を反転させる、と同時に腰に下げている直剣を抜き放ち振り向きざまに巨大熊へと斬りつけた。
が、今度は巨大熊が前転回避。私の剣は巨大熊の後ろ脚を掠めるだけに終わった。反応早っ。
追撃をしようと思えば出来る。けど、私はあえてバックステップで巨大熊から距離を取った。
体勢を立て直した巨大熊が身構えるが、私が離れた位置で立ち止まっていることを確認して怪訝そうに唸る。
私も巨大熊も、お互いの目を睨みつけたまま動きを止める。私が今動けば向こうも動く。巨大熊が動けば私も動く。両者様子見と言ったところかな。
さて、少し気分を落ちつかせよう。体力は余裕。身体に痛みは無し。武器も問題は無し、掠っただけだしね。他の装備品も問題ないかな。
今の私は直剣を右手に、腰にはメイスと空間収納袋を装備している。背中には鞄を背負い、中には今日の戦利品とサバイバルの必需品が詰まっている。胸には投擲用のナイフが数本。太ももにもミスリルナイフを装備している。
服装は特に変わらず。少し草臥れたり表面が傷んでいたりするが、着心地や性能は抜群。これだけは邪神様に心から感謝してもいい。
もしこの世界に魔物の討伐を専門にする職があれば、きっと今の私のような姿をしてるんだろうな。
「グルルルル…」
ああ、忘れてない忘れてない。君の相手はしっかりしてあげる。
その後、私と巨大熊は何度も殴り合いと斬り合いを交互に繰り返した。ただ力任せに腕を振り、踏みつけ、噛み砕こうとする相手。私も同じだ。避けて、引いて、斬りつけて、合間にに蹴りを入れる。それを繰り返す。何度も何度も。
ルールも規則も無い、野生のぶつかり合い。生きるために殺す。正に弱肉強食の世界。
ああ・・・なんて素晴らしい世界なのだろう!
そう、思わずにはいられない。
私は平和な世界で生まれた。そして平和な日本で育った。戦争なんて遠い時代の遺物だと思っていた。そう教わった。
…それを不満に感じてしまったのはいつだったかな。
右手の直剣を一度腰まで引き絞り突き出す。狙いは眼前まで迫った巨大な牙と牙の間、喉の奥。
人間離れした筋力から繰り出される高速の突きは一切の躊躇なく、巨大熊の喉奥へその刀身を埋め込ませる。…はずだった。
がきぃん!!
堅い物同士がぶつかり合う鈍い音が響く。同時に突き出された右腕ががっちりと止められる感覚。そして腕に帰ってくる衝撃。
やべ、不味い。そう考えた時にはもうすでに手遅れ。
次の瞬間には私の身体は右方向へと殴り飛ばされた。トラックにでも衝突したんじゃないかと思えるほどの衝撃。左腕に走る鈍痛と何かが折れる音。同じように左脇腹にも激痛が生じる。あまりの痛みに咄嗟の声も出せない。
数メートル空中を飛び、何度も地面でバウンドしながらもなお吹き飛ぶ。やや勢いが弱まったところで倒木にぶち当たってやっと停止。この勢いはトラックじゃすまないね。レーサーカーだわ。
「あ、が…かっはぁ!………この、野郎め…」
肺からすべての空気が抜けたんじゃないかと思う、それほどの衝撃だった。激しい呼吸を再開しながら私を吹っ飛ばしてくれた相手を睨みつける。
巨大熊はのそっのそっ、とゆっくりと私に向かって歩を進めてくる。
結局、私は巨大熊に有効打を与えられなかった。剣は巨大熊の毛や皮膚は斬れても、その内側の肉まで刃が届くことは無かった。メイスも蹴りも、大きなダメージを与える事は出来なかった。決定打の無いまま体力を消費しただけとも言えると思う。
巨大熊も本来ならここで突進をかますなりして止めを刺そうとするはずだ。けど先の戦闘で大分向こうも消耗したらしい。力強い足取りだが荒い息がここまで聞こえてくる。あるいは興奮しているだけか。
まあ、私は左腕骨折に加え多分あばらにヒビまで入ってる。相手の体力が残りわずかだとしても圧倒的に不利。しかも直剣は先の衝撃で手放してしまって目視できる範囲には落ちていない。メイスも同様。
現状を確認して痛みに顔を顰めている間にも、巨大熊はどんどん近寄って来る。
…まったくもって、魔境は生きるのに厳しい世界だ。
並程度の人間の力じゃどう足掻いても勝てない相手がわんさかといる。ありきたりな武器じゃ傷を付けるのも一苦労。矢じりも刃も録に通さず、打撃すら意に介さない。
生きた人間が居ないのも納得だ。こんな危険極まり無い場所で生活仕様だなんて普通なら思わない。
…なんてね。人間でも、普通でも無い奴なら話は別だ。それは此処に居る。
がばっ!っと身を起こす。怪我や痛みは無視。どうせ生き残ればすぐ直る。
急に立ち上がった私に巨大熊は動きをビクッと止める。満身創痍だと思ったかな?残念でした。私はまだ余裕だよ。
「今のは効いた。次は私の番だね?」
ニヤリ、と口角が上がるのを感じる。我ながら性格が悪い。
—――刹那。私の身体は巨大熊の眼前まで移動していた。4足歩行していた巨大熊の丁度頭の真下あたりへ。
巨大熊は反応できない。無理もないね。私の今の動きは全力を出したものだから。
—――化け物としての、全力を。
頭上の顎めがけて右の拳を振り上げる。
ゴキャンッ!!
ぶつかる音。折れる音。砕ける音がほぼ同時に頭上から聞こえる。振り上げた拳を引き戻して3歩ほど後退。
すると、熊の巨体が一拍置いて傾く。そしてズシン!と重い音を鳴らしながらうつぶせに倒れ込んだ。
…死んだかな?いや、息はあるから気絶しただけか。顎は砕けたけど首の骨までは折れなかったみたい。確か顎を揺らすと脳も揺れるんだっけ?脳震盪でも起こしたかな。
ぷらぷらと右手を揺らす。魔法?でコーティングしても痛いものは痛い。
「人間として戦ってみたけど駄目だね。下手に手加減するとこっちが死ぬ。武器も手加減しないとすぐ壊れちゃうし、かといって武器を魔法でコーティングするのは難易度高いし…。人間の世界でやって行けるかなコレ?比較対象が分からないけど、怖がられるには十分すぎるでしょうに」
ぶつぶつと独り言を呟く。長い間だれかと言葉を交わしていない。こうして声を出しておかないと発声の仕方すら忘れてしまいそうで、最近は考えを言葉に出して整理するようになった。
まあそんな事はどうでもいいんだ。必要な物を回収しよう。
左腕は…もう少し時間が必要か。脇腹の痛みは引いたから問題ない。この丈夫さと回復力には本当に助けられる。
武器を回収して、目的の果実も入手。後は帰るだけなんだけど…。
「…熊鍋か。そういえば食べたこと無かったな」