魔境での生活
魔法。それは太古より受け継がれた神秘である。
ある者は魔法で国を創り、ある者は魔法で大陸を消し、ある者は魔法で神となったという。
だが、その強大な魔法の技は失われつつある。
今では魔法を形式化させた”魔術”によって我ら人族は力を保っている。
大いなる魔物や太古から続く種族にはまだ魔法を操れるものが居ると聞く。
未だ平穏を知らぬこの世界で、魔法という力を失った我らに未来はあるのだろうか。
ただそれだけが、私は心配でならない。
とある魔術師の手記
* * * * *
ザシ、ザシ、ザシ、ザシ…
雪を踏みしめる音が心地よい…何より周りが静かなのが素晴らしい。
魔境に墜落してから、地球の間隔からすると半年ほど経った。当時は鬱蒼とした群青の森だった景色が、今では一面雪で白銀の世界へと変貌している。間に木々が紅葉に染まる時期があったため、日本のような四季が再現されている。といってもまだ春を見れていない。無事に生き抜けたら桜を探してみるのも面白いかもしれない。
肩に背負った荷物の位置を直す。此処まで距離があったから流石にくたびれた。思わずため息を漏らすと白い息が目の前に広がる。
「早いなぁ…」
サバイバル生活を始めてからというもの、私の一日は常にやるべき事で一杯だった。確実な安全の確保。食糧問題。自己強化。魔境探索。生活の質の向上等々…。正直私は半年でどうこうできる問題では無いと最初は思っていた。だって、どう考えても人手が足りない。私一人ですべてをやらなければならないと考えていたから。
だが、暫くしてその問題は魔法によって解決してしまった。どうやって解決したのかって?結論から言おう。
ぞりゅんっ…うねうね…
黒いナニかが音を立てて掌から生える。艶消しを施したかのように光沢は無く、円柱を伸ばし先端になるにつれ徐々に細くなっていくような形。長さ、太さ、固さ、頑張れば色や質感まで変えられる。そして自由自在に動かせる。
どう見ても触手です本当にありがとうございました。最初発現させた時は驚き過ぎて悲鳴を上げちゃったよ。漠然と使いやすい手足が増えないかなーって考えながら魔力を練ったのが間違いだったね。まさかその結果が触手とは。
しかし人間というのは慣れる生き物だ。私は人間じゃないけど。私が必要としていたのは手数であって頭数では無かったから「別にいいか」と割り切ってしまった。千手観音みたいに背中に手が沢山あっても使いにくいしね。むしろ汎用性は触手の方が高い。
今では手足のように使いこなせるようになった。この短時間で成長し過ぎという気がしないでもないけど、そうでもしないと死ぬ方が先になっちゃいそうだったからね。使えるものは最大限使えるように準備しないと。いざという時に使える技が多いに越したことは無い。明日も命があるなんて保証できない世界だからね。自分の力が頼りだ。
始まりの洞窟まであと少しだけど周囲の警戒は怠らない。以前油断した隙に襲われて死にかけたのは記憶に新しい。最終的には勝ったけど次は無いかもしれないからね。
結局、特に異常も無く帰ってくることが出来た。よかったよかった。取り敢えず荷物を中に入れてしまおう。
私の基本的な生活スペースは元竜のねぐらである洞窟の奥だ。あそこが一番広いし、同じ空間に色んな物を置けるのは素晴らしい。一時期外でテントでもよかったけど雪が降ってきた時点で諦めた。
あれから私の生活も大分変わった。まず、洞窟内を掃除し溢れている物を整理整頓した。元日本人としてあのごちゃごちゃ感は許容できなかったからね。おかげで宝、武器、防具、薬品、その他消耗品と日用品などに大まかに分けて収納スペースを作ることが出来た。収納スペースは洞窟にわざわざ横穴掘って種別で作ったよ。
え、どうやって横穴掘ったって?そりゃあ魔法で物理的にゴリゴリっと。いやぁ掘削ドリルも真っ青の効率なんじゃないかな?天井が崩落しないように慎重にやったけど、念の為丸太を使って支えも作ったから多少は安心?私は穴掘り素人だからよく分からないな。もし崩れても死にはしないだろうし暫く様子見って事で。
後は寝床を改良したり台所やかまどを作ったり、食材や動物の皮なんかの素材を保管する倉庫を作ったりした。
倉庫は丸太小屋を意識して頑張って試作してみた物を使ってる。初めての建築だったから何度も建設途中で崩したよ。記憶にある完成型を真似て造ったけど、見た目簡単そうに見えてすごく大変だった。田舎で一時期暮らしていたことがあるから、古い家や小屋、家具なんかは結構な数を見てきた。狩りや農作業だけじゃなくて、どうせなら昔ながらの建築や工作ってものを教わればよかった。
倉庫の前で荷物を下ろした私は早速解体にかかる。今日の荷物改め獲物は狼だ。
狼と言っても、RPGのような雑魚モンスターでもなければ地球のように大型犬サイズの動物でもない。まさに”魔物”と表現するに相応しい姿をしている。
全長2メートルを超す巨体。雪のように白いふさふさした毛皮。大きく鋭い4つの目。丈夫で鋭利な牙と爪。大きく柔らかい肉球。モフモフな尻尾。引き締まっていて少し硬いけど食べごたえ十分な肉…おっとよだれが。
この魔境。巨大熊に遭った時から思っていたけどあらゆる生き物が大きい。生きる為、力を付ける為に体を大きくする。体が大きくなると大量の獲物が必要になる。大量に食べてさらに大きくなる。さらに強くなる。まあこんな感じで、食べる→強くなる→食べる…とループしているため、巨体=強者が魔境という世界での常識となっている。
その常識の中で言うと、私という生き物は非常に小さい。この狼だってまだ小さい部類だ。小さい=弱者な私はそんな小さい部類の魔物によく狙われる。おかげで食糧には困らないけどね!なにせ鴨が葱を背負って、いや、魔物が素材とお肉を背負って大量にやって来るのだから。
血抜きは事前に終わらせてあるから、まずは毛皮を剥ぐ。寒い時期に生きる魔物だけあってコイツの毛皮はとっても温かい。断熱性、保温性に優れているけど毛が燃えやすいから取り扱い上、火気は厳禁だ。
後は肉を切り分けて、骨をばらして、内臓は一部を残して燃やして埋める。後は肉を塩で揉んで部位ごとにまとめて保管して終了。
田舎のおじいちゃん、狩りの心得を教えてくれてありがとう。しっかり生かさせてもらってます。
一仕事終えた私は疲れた肩を回しつつ洞窟へ入る。何百キロあるんだあの狼…。
白銀の世界も、夜が近づけばその輝きは薄れ、代わりに闇が世界を覆う…。なんて臭い事を考えながら指を一度鳴らす。すると何という事でしょう。薄暗く見通しの悪かった洞窟内に明かりが灯ったではありませんか。といっても別に光魔法を使えるようになったわけじゃない。ある物を有効活用してるだけ。
あれから大量に光石を手に入れることが出来た私はそれを照明代わりに使っている。等間隔で壁に埋め込んだり、いくつかまとめて籠に入れて吊るしたり、棒の先に縛り付けたり。
火を起こす必要が無い分手間は省かれるし、燃え移りや煙が出ないから安全性も高い。代わりに魔力を与えなくちゃいけないけど、私からすればその量も微々たるもの。低コストで安全という素晴らしい道具として重宝している。
何度かの実験や訓練で魔力を操れるようになった私は、手を触れずに魔力を与える練習に励んだ。一個一個触れながら魔力を籠めるのは面倒だったからね。結果はこの通り、自由に魔力の行き来をさせることが出来るようになりましたとさ。
で、その際に気付いた事だけど。どうも魔法を使うにしろ魔力を使うにしろ、発声や動作があった方が効果が高かったり、動きがスムーズになる。イメージを言葉や動きで補うって感じかな。流石に言葉だけや動きだけで魔法は使えないし魔力も動かない。もしそんなことが可能だったら誤動作で悲劇が起きるから、その心配がない事に安心した。
そうそう。大量に光石が手に入った時、他にもいろんな石を手に入れることができた。これがまた便利な物が多くてびっくり。
まず色違いの光石。白や黄色なんかの照明向きの色から緑や紫なんかの怪しい色まで様々。普段生活してる場所では白色の光石を主に使ってる。
次に熱石。名前の通り、これは魔力を流すと発熱する真っ赤な石。熱の上限は石の大きさによって変わっていて、大きければ大きいほど温度を高くすることが出来る。温度調整や持続時間はある程度調整可能なのが嬉しいね。そして冷石。こっちは熱石とは逆で、魔力を通すと冷気を出す真っ青な色の石。他は一緒。
炒めたり煮込んだりするには熱石で十分だし、冷石は冷蔵庫の役割を担ってくれる。いやぁ便利過ぎて怖いね。
今日の晩御飯はその熱石を使った茸と狼の塩炒めだ。お米が無いのがとても悔やまれるけど贅沢な悩みだよね。
明日はもう少し探索範囲広げて臨時の拠点を作りたいな。