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『金曜の円舞曲』『金曜の前奏曲』に続く、別視点。
時間軸でいえば『~前奏曲』の途中で、『~円舞曲』の前です。
語りはリョウタ。
金曜日、午後5時半。
高校の図書館の窓から見える景色は、すでにほとんど黒一色だった。
目の前には、はぁとため息をついて、ぱっつん前髪をかきあげるサユリ。伏せた瞳の上に、長い睫の影がかかる。
「なぁ、サユリ」
無視。
「サユ。おーい、サユリってば」
「……なに、」
不機嫌な色を灯した目が、オレを見た。やっと、見た。
高校3年間あっても、サユリがオレを見る目に熱がこもったことは、たった一度もない。
「ずっと気になってたんだけどさぁ、なんで金曜は行かねぇの?」
「なにが?」
「だから、ナホん家」
一瞬だけ、サユリの瞳に嫉妬の炎がちらついた。それはさっと掻き消えて、また不機嫌そうな、呆れたような色に戻る。
「そこまで来ると、鈍さもチャームポイントだね」
ため息とともに吐き出された台詞に、オレは首を傾げた。
「いい、リョウタはわかんなくて。とりあえず勉強集中したら?」
さっきから1問も進んでない、とサユリの細い指がオレの数学のノートを差した。
そういうサユリだって、さっきからたったの1問しか進んでいない。それを指摘したらもっと怖い顔をされるから、オレはぐっと飲み込んでウヘェと肩をすくめた。
***
人が、他の人を意識し出す瞬間は、本当に突然だ。
「あたし、〇〇大学行くことにした。」
高校1年2学期の期末テストが終わった頃だった。
廊下の掲示板に貼りだされたテストの順位表を見上げながら、サユリがぽつりとそう言った。え、とアホみたいに口を開けて聞き返したオレの顔を振り返ることもなく、サユリはもう一度、〇〇大学に行くんだ、と決定事項のように言った。
その横顔が、キレイだったから。
目線の先にあるものが知りたくて、サユリの視線を追った。
サユリの名前は、順位表の一番上にあった。
またかよ、とオレの横で嫌そうな声を上げたのはセイジだ。いつの間にか、向こうにはカレンが立っていて、サユすごい、とバケモノでも見るような目でサユリを眺めている。
通りすがったリリコが、サユ2冠おめでと、と笑いながら手を振る。
ちっと舌打ちをしたセイジの肩を、オレはばしばしと力任せに叩いた。
「セイジだって学年7位じゃねぇか」
「7位じゃダメなんだよ」
憎々しげに順位表をねめつけるセイジの声に、サユリがやっと順位表から目を離した。
「おめでとう、学、年、7、位。前回より7コも上がってるじゃん」
「言い方がムカつく…絶対負かす」
「あたしより上の順位になったら、なんでも1コ言うこと聞いてあげるよ」
「へぇ、じゃあ約束だからな」
セイジとサユリの間に、見えないはずの火花が散った。
争いのレベルが高ぇよ、な。
残念、私も20位なんだよね。
サユリの向こう側にいたカレンに話を振れば、カレンは順位表の一番下を指差した。
げぇ、とカレンに顔をしかめて、改めてサユリを見る。
サユリは悔しそうなセイジを横目で確認して、心底楽しそうに微笑んでいた。
ナホ、褒めてくれるかな?と順位表を写メしながら。