ミックスコール ~混ざり合う想い~(スティラとルークの場合)
晩餐会当日の夕方、スティラはエレンに手伝ってもらって準備を進めていた。
ただいまの時間、絶賛コルセットとのタッグマッチ中だ。
「んぎぎぎぎ!ギ、ギブ!ギブアップ!!…はぁはぁ…本当にコルセットって必要なの?!みんな本当にこんな思いをしてるの?!」
「王宮での晩餐会なんですから、もちろん皆さん付けておいでです!!!」
「こんなんじゃ、食事もできなくない?!」
「淑女は人前で、そんなにガツガツお召し上がりになりません!!」
「えっ、嘘?!じゃあ、今までの私は淑女らしからぬ様子だったってこと?!」
「むしろそんなにガツガツしておいでだったんですか?!お嬢様、もう少しですから、もう少し引っ込めてください!」
「んぎぎぎぎぎ…ぎ…こ…こんにゃろっーー……!!」
「はい!!!これで完璧です!!」
く、苦しい…!!
こんなんじゃ、確かにほとんど食べられんではないか…!!
それからエレンはスティラにドレスを着せ、髪を結い上げ、化粧を施し、最後にドレスと一緒に仕立てられたチョーカーとイヤリングを付けた。
それから、「完成です」の声がかかったので、姿見に自分の姿を映して見る。
「本日のテーマは、「王宮に咲き誇るスミレの花の妖精現る」でございます。」
「妖精ねぇ…つまり、詐欺ってことじゃないの?」
確かに鏡には、いつもの自分とは違う姿が映っている。
レースが施された胸ぐりはやや広めに開いているが、ドレスと同じスミレ色の大きなリボンが真横に付いているチョーカーと、ふんわりとした両肩のパフスリーブのお陰で、いやらしさより愛らしさが際立つデザインなため、色気のない自分には合っていると思う。
腰周りはスッキリとしたデザインで、銀色の糸でバラの蔦が刺繍されている。
腰元までのシンプルさとは対照的に、裾に向かって幾重にもゆったりとしたドレープがかかっており、いつもよりも腰がきゅっと細く見える。
金色の髪は複雑に編みこまれ、所々に小さな真珠の髪飾りが挿してあるため、光の加減で髪がオーロラに輝いているようだ。
おまけに、化粧をしていつもより血色が良くなった頬と唇は艷やかで、普段はノーメイクで街を駆けまわっているようには見えまい。
「毎回思うけど、エレナに手伝ってもらうと変装の領域よね。」
「何を言ってるんですか。お嬢様の持ち味をそのまま生かしたにすぎません。」
「いや、この姿の90%強はエレナの装飾力で出来てるでしょ、どう見ても。ほんと、身内びいきが甚だしいんだから…。」
ここで注意点が一つ。
実は、スティラは自分の容姿が人並み以上に美しいことを自覚していない。
というのも、「高嶺の花」だと最初から諦めて寄りつかない男か、彼女の見た目と相反する中身に慄いて逃げ出す男のどちらかしかいなかったからだ。
したがってスティラを褒める人間は、グラム家に関係するいわば「身内」だけだ。
「はーっ、どうでもいいけど、コルセットはきついわー。ドレスは重いわー。もう、行く前から帰りたいわー…。」
「またそんなことをおっしゃって…当初よりもお嫌ではないのでしょう?」
どこか面白そうに問うエレナの視線が、部屋の端に置かれたチェストへと注がれるのを見て、顔が熱くなる。
「い、嫌だなんて言ってないでしょ?!ただ、こういうドレスとかを着慣れないって話を…」
「ええ、そうですわね。」
クスクス笑うエレナを睨んでみるが、顔が真っ赤な自覚はあるので、さぞかし迫力のない顔だろうと思う。
「ぜひ楽しんできてくださいませ。」
「こんなに苦しいし動きにくいんじゃ、美味しいものがちゃんと食べられるか心配よ。」
「…私は、お嬢様が最後までそのお姿に相応しい態度でいられるのか心配でなりませんが。」
「…どういう意味よ。」
真顔でエレナを見返したちょうどその時、タイミングを見計らったように扉がノックされる。
一拍置いて、扉の外から聞き慣れた声が聞こえる。
「お嬢様、ルーク様がお見えです。」
「え、早くない?!」
「王宮での晩餐会出席が初めてのお嬢様のために、少し早めに行って案内されたいと。お手紙でもそのように書いたとおっしゃってましたが?」
「…」
ええ、完全に失念しておりました。
とは言えないので、スペンスにはすぐに向かうことを伝える。
間に合ったのでセーフだ、セーフ。
向かう前にもう一度鏡の前でおかしな所がないか確認する。
それから、気合を入れるために両頬を軽く手で打つと、パンッという小気味良い音が響いた。
「さて、いっちょ行ってきますか!」
「…そういうところが心配でございます。」
エレナのつぶやきは聞こえないフリをして、階下へと向かった。
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先触れの通りにグラム家の屋敷に到着すると、執事と思しき男に「どうぞ中でお待ちください」と言われて広間に通された。
それから間もなく、目の前に姿を現したのは、青いドレスを身にまとった妖精だった。
「本日は、どうぞよろしくお願いします。」
話しかけられているというのに、驚きのあまり言葉が出ない。
「…や、やっぱりどこか変ですか?!」
「……え?」
言われた意味が分からず、間抜けな顔になっていたと思う。
「自分でも詐欺かなとは思っていましたが…まさか、そんなに絶句させる程だとは…」
「え、ごめん。どういうこと?」
「え、私の見た目が前と違いすぎて、絶句させてしまったのでは?そうですよね…「よく化けたな!」みたいにおっしゃっていただいていいですよ、もう。」
「いや、決してそんなことはないよ!」
「え、じゃあ、大丈夫そうですか?嘘臭すぎるとか言って、王宮で門前払いされません?作りすぎてるとか言ってご列席の方々に笑われたりしませんか?」
どう考えても心配すべきことが斜め上を行っている気がするのだが、どうやら彼女は本気で心配しているらしい。
察するに、彼女は自分の美しさが人に与える衝撃を全く知らないようだ。
ますます面白いな…。
にやけてしまいそうになる口は手で隠しつつ、彼女の心配は全くの杞憂であることを伝えてやる。
「全く問題なく可愛い…いや、綺麗だよ。ただ、本物の妖精に間違われて捕まえられてしまいそうだから、今日は僕から離れないことを約束してほしいね。」
「…っ?!」
言葉にならない声を発した彼女の肌が、たちまちヒメリンゴのように赤くなる。
赤い肌の中で一際目立つようになったエメラルドグリーンの瞳は、これでもかというほど大きく見開かれたままルークを凝視している。
「そういうリアクションもいちいち可愛いから困る。」
「そ、そういうセリフでからかうのは止めてってば!」
「からかってないんだけどなぁ。」
「それ素なの?!普通なの?!」
気付けばスティラだけでなく、後ろについてきていた侍女も真っ赤になっている。
そんなに恥ずかしいことを言っているつもりはないのだが、目の前のスティラの赤さも極限まできているようだし、この辺で止めておくのが得策か。
「じゃあ、外にうちの馬車を停めてあるから、そろそろ行こうか。」
赤みが引く気配のない彼女の手を取って先導する。
手を取っただけでガチガチなのは、自分の前科のせいなのだろうか。
玄関を出るところでようやく正気に戻ったスティラが、後ろに控えていた執事と侍女に声をかけた。
「あ、二人とも行ってきます!」
「行ってらっしゃいませ。ルーク様、お嬢様をよろしくお願いいたします。」
「お任せください。」
「お嬢様、楽しんできてくださいませ。」
侍女が最後にお腹の辺りを抑えて何かを伝えていたようだが、スティラはそれに「分かってるわよ」と呟いただけだったが。
ただ、この短いやり取りだけでも、スティラがグラム家でいかに愛されているのかが分かった。
それを思うと、後ろめたさが胸に落ちる。
それから馬車に彼女をのせ、自分はその向かい側に腰を下ろしてみたが、正面から見なくても彼女が緊張しているのは明らかだ。
その緊張は晩餐会を思ってか、この狭い空間に二人きりという状況を思ってかは分からない。
多分、その両方だろう。
「とって食べたりなんてしないから、ご安心を。」
「へっ?!いや、そんなこと思ってませんけどっ?!」
いや、絶対ちょっとは思ってたな。顔にバレたって書いてあるもんな。
「…えーっと…ルークは、王宮には何度も行かれてるんですよね?」
「…うん、まあそうだね。行った回数を意識しない程度には。」
「じゃあ、今日は安心ですね。王宮で迷子なんかにはならなそうで。心配してたもので…。」
そんなことを心配していたのかと思うと、微笑ましくなった。
「婚約者なんだから、もっと気軽に話してくれていいんだよ。いや、もっと気軽に話して欲しいな。僕のことはルークって呼んで。僕もスティラって呼ぶから。」
「…はい。でも、私未だに下町言葉が抜けてないので、気を抜くと…その…この前のように…ふしだらな?ふしんな?ふしんじん?あれ、なんだっけ…えーっと、つまり下品な言葉遣いになってしまうかもしれないのです。…って言いたかったんです。」
この前というのは、ジラルダンの足を踏みつけた時のことを言ってるのだろう。
彼女はあの時のことを思い出していたのか、また赤くなったり青くなったりして、おそらく「はしたない」と言いたかったであろう言葉が出てこなくなってしまったようだ。
それにしても、こんなにコロコロと感情が表に出てきている人間をルークは今まで見たことがなかった。
愛しい。
彼女を見ていると、そんな今まで感じたことのない感情が心に広がっていくのが分かった。
「いいよ、そんなこと気にしなくて。僕の前では、ありのままの君を出してくれればいいよ。」
「…」
彼女はその言葉を聞いて、しばらく驚いたようにルークを見つめていたが、徐々に頬と目の周りがほんのりと色付き、瞳に涙の膜がうっすらと貼られた。
「え?!あれ?もしかして気分を害してしまった?全然そんなつもりはなかったんだけど…!ごめん!」
まさか泣かせてしまうとは思わず、スティラのその様子を見て完全に動揺してしまった。
しかし、彼女はフルフルと首を横に振る。
「ち、違います!あの…その…。嬉しくて…。」
「え?」
「その…私自身を、ありのままで良いなんて言ってくれる人がいることが嬉しくて…。ごめんなさい。」
その言葉を聞いてルークの胸に痛みが走った。
さっき言った言葉に偽りはないが、「グラム男爵令嬢」を利用している自分がいるのも確かだからだ。
しかし、自分の言葉一つでこんなにも感動してくれている目の前の愛しい存在を今すぐ裏切れる人間などいないのではないかと思った。
ルークは、自分が急速にスティラに惹かれ始めていることを感じていた。
今も本当は抱きしめたいくらいだしな。
いや、だってあの顔は反則だろ。
しかし、彼女の恋愛経験から言って(ルークの推測だが)、そんな強硬手段に出れば彼女は絶対にルークから離れていくだろう。
しばらくは、ルークの理性をもってして我慢することが必要だ。
「言ったことは本当だよ。だから、これからは普段通りの君で接してくれ。僕もそうするから。」
「…うん。…ありがとう、ルーク。」
そう自分の名前を呼んではにかむ姿は花のように可憐だった。
…まずいな。
いつまで理性が保つかわからないな。
ルークはこれからやらねばならない「仕事」のことと、目の前の美しく愛しい女性との今後を考えて、苦しいような楽しいような複雑な気分になった。