叩き ~思い切りが肝心~
ルーク達が帰った後、スティラはエレナと共に急いで屋敷に帰った。
「お父様ぁぁーーーーーーーー!!!」
玄関を開けるなり大声で父を呼んだ。
ルークは会がどうの言っていたが、もちろんスティラには全く心当たりのない話だ。
ただ、父は知っていたに違いない。
絶対だ。
そもそもルーク達にスティラの居場所を教えたのも父に違いない。
もう、絶対だ。
ところが、玄関でスティラを迎えたのは、老年の家令スペンスだった。
確か60歳近いはずだが、どう見ても40代にしか見えないのは、その凛とした立ち姿のせいだろう。
「おかえりなさいませ、お嬢様。残念ながら、旦那様は先ほど外出されました。お戻りはいつになるか分からないそうでございます」
「逃げたわね、あんのクソ親父ぃぃぃぃーーっ!!絶対こうなるって知ってたんだわーーー!!」
「お嬢様、お言葉遣いが少々乱れておいでかと」
「おかげでこっちはね!心臓止まりかけたわよ!!許さん!ぁんのクソじじいーーー!!!」
「お嬢様、お顔が悪魔も慄く装いになっておいでかと。僭越ながら、私が事情をお伺いいたします、閣下」
「あの狸がやりやがったのよ!そして、ルークってあの男も…くっ!乙女にあんな仕打ち…!!」
「今のお嬢様は乙女というか、さながら漢と言う雰囲気であることを注釈させていただきたく」
「ちょ、とりあえず私に話をさせてよ」
スペンスにルゥ・デューブルでの出来事を話した。
というよりも、腹立たしい思いなどをまくし立てた。
「―なるほど。お嬢様がルーク様のご友人を盛大に踏みつけたということは承知いたしました」
「こんだけ話して、重要なのはそこかい!」
スティラが膝から崩れ落ち、両手を床についたその後ろで、スペンスとエレナが目だけの会話を交わす。
『ナイスです、隊長!』
『ひとまず、敵の気力は奪いましたよ』
『では、荷物を持っていきますので、後は頼みます!』
『承知した』
以上、コンマ5秒。
エレナがスティラの鞄を持って2階に上がるのを目の端で見届けると、スペンスはスティラに声をかける。
「お嬢様、生まれたての仔馬の真似はそれくらいにしていただき、とりあえずサロンでお休みください。お茶をご用意いたしますので」
「…誰のせいで仔馬になってると…でも、そうね…」
「では、失礼して」
スペンスに両脇を抱えられ、引きずられるようにしてサロンに入った。
倒れるようにしてサロンのソファに腰掛けると、見計らったようにティーセットと焼き菓子が運ばれてきた。
ティーカップに注がれたアールグレイの色は濃く、適度に湯気が立っていることから、前もって準備されていたことが分かる。
この絶妙なタイミングは、主人に従順な家令と、事件に免疫のある使用人たちの連携プレーのなせる技。
つまり、「奔放な父親とそれに振り回され荒れ狂う娘」という光景は、このグラム家では日常茶飯事だということだ。
「…段々、熟練感が増してるわね」
「恐縮でございます」
そんな彼らに胡乱な目を向けながら紅茶を一口含むと、ベルガモットの香りが鼻腔にふわりと広がり、嫌でも心は落ち着いてしまう。
どこか素直に喜べない気持ちを抱えつつも、もう一口だけ飲んでからスペンスに目をやる。
「…それで?もしかして、お父様は私のことで、何か言ってたんじゃないの?」
「流石は察しの良いお嬢様でございます。こちらをどうぞ」
恨みがましくスペンスを見ると、彼は懐から白い封書を取り出してスティラに差し出した。
しっかりとした厚手の紙の中央にはホワイトレースフラワーと剣が描かれた、真っ赤な封蝋がしてある。
「げ…その紋章って…」
「これをお嬢様にお渡しするよう、仰せつかっております。そのようなお顔をされても、なかったことにはできませんので、今お受け取りになるのが賢明かと」
「ちっ」
渋々それを受け取って、汚いものにでも触る手つきで恐る恐る封を切る。
嫌な予感しかしない。
『ユルスダン・グラム男爵家ご令嬢 スティラ・グラム殿
来る、7月24日火曜日の午後6時より
テレクラン王国小麦品評会をアッシュタロテ宮殿の宮廷にて催すこととなりました。
多忙のこととは存じますが、ご来臨賜りますようご案内申し上げます。』
そこまで読んだところで、たまらず紙を床にポトリと落とす。
「ぐはぁぁ…!や、やっぱりね!」
「お嬢様、女性がそのような顔になるのはいかがなものかと」
そりゃ白目も剥くだろうよ。
この時期、街のあちこちで目にするそのデザインを見たときから、嫌な予感はしていたけども。
「旦那様の言伝は『これに参加しろ。絶対逃げるなよ!』でございます」
「…スペンス、わざわざお父様の口真似しないで。似てるせいで腹立つから」
「恐縮です。」
「はあぁぁぁぁぁ…王宮、よりにもよって王宮に招待ってどういうことよ?まずは公爵家で、とかじゃないわけ?いや、公爵家でだろうと嫌だけど。」
「むしろ、公爵家だから、かと存じます。」
「は?」
一瞬スペンスが言った意味がわからずにポカンとしてしまったが、すぐにルークの顔が浮かんでピンときた。
「はいはい、なるほどね…」
ルークの父であるサークラヌス公爵とは、現国王ルーベンスの異母弟だ。
サークラヌスの母親は彼が幼い頃に病死してしまったが、その後の再婚相手、現皇后カトリーヌはサークラヌスと実子であるルーベンスに等しく深い愛情を注いだ。
その甲斐もあり、サークラヌスとルーベンスは非常に仲が良い兄弟として知られており、「現国王の御代においては権力争いの心配など皆無」というのが、国内外でも有名だ。
カトリーヌの教育方針やサークラヌスとルーベンスの心温まる話などは、もはや語り草にもなっており、テレクラン王国の平和の象徴かつ国民の誇りでもある。
「要するに、公爵家子息の婚約者としてふさわしい娘か、親族一同で値踏みしてやろうってことね。めんどくさっ。」
「しかしお嬢様、こうして王家より直々に招待を承ったのです。お断りするのはいかがなものかと」
「あー…」
スペンスは、これがその辺の下っ端貴族からの呼び出しではないのだと強調しているのだ。
そんなことは百も承知だが、父やルークの顔を思い出すと、やはり行きたくない気持ちの方が強い。
意地に近い。
「…えーっと…着ていくドレスがないような…」
「先日、お嬢様が「突然の体調不良により行けなくなった」テランス伯爵夫人の夜会用に設えたものが、装飾品含め一式ございます。」
くぅっ…!あんな嫌味ババアのところに行かなかったしっぺ返しが今になって…!
「ああ、そうね…。…んー…そういえば最近体調が…」
「おや。では、今すぐ侍医を呼び、非常に強くて苦い薬湯をもらわねばなりませんね。以前お嬢様が泣くほど嫌がられていた物などいかがです。効き目は間違いございませんし。」
げぼっーー!!あんなの元気なときに飲むなんて無理ーーーー!!
「き、気のせいだったみたい!おほほほ!あー…そう!私一人では心細いのよ!」
「公爵家御子息ルーク様より、お迎えにいらっしゃるとの電報をいただきましたが。」
ぐはっ!!あの男、店に来る前に出してたわね!手回し良すぎでしょ!
「…そもそも、私は婚約を承認したつもりなんてないんですけど。」
そう言って口をとがらせてそっぽを向く。
自分でも子どもっぽい態度だとは思ったが、少しくらい味方してくれてもいいのではないかという不満の方が勝った。
すると、それまで淡々と返していたスペンスの口調が少しだけ優しさを含んだものになる。
「僭越ながら申し上げます。旦那様からサークラヌス公爵様にご了承の意を伝えられ、両家で合意がとれている以上、現時点では簡単に蔑ろにできる話ではございません。このままお嬢様が晩餐会をご欠席なされますと、会に参加される方々の中には謗られたと不快に思われる方もいらっしゃるはずです。お嬢様のお気持ちは十分理解しておりますが、いずれ順序立ててお断りするとしても、会に欠席されるという方法は適切ではございません。」
「……分かってるわよ。」
スティラは、頭の回転が悪いわけではない。
むしろ、商家で育った時間の方が長いこともあってか、一般的な貴族令嬢よりも世間擦れしているだけ分かることも多い。
だから、スペンスが言わんとすることも十分なくらい理解している。
ただ、今回は「結婚」という自分の人生において大きな事を、周囲の人間が勝手に決めてしまっていることに納得がいかないのだ。
「…晩餐会にはマリー様もご出席なさるそうですよ。」
「え!!マリーが?!」
驚きと嬉しさで俯いていた顔を上げると、安堵したように眉尻を下げるスペンスが目に入る。
それには申し訳なさで胸が詰まった。
「…ごめんなさい、スペンス。あなたを困らせたかったわけじゃないのよ。」
「はい、承知しております。」
「…マリーが来てくれるなら嬉しいわ!てっきり、階級が限定されたものかと思ったけど、違うのね。」
「はい。ルーク様からの電報にそのように書いてございました。ルーク様のご友人である、ジラルダン様がエスコートなさるそうです。」
ご友人…って、もしかしてあの黒ずくめの方かしら?
「ご友人…って、もしかしてあの黒ずくめの人かしら?えーっと…ジラルダン様ね!あ、彼には後で謝罪の手紙を書かないと…」
「お嬢様が盛大に足を踏んだため靴まで凹ませたという件の謝罪でしたら、私が後ほど対応いたします」
「…ありがとう。赤っ恥を鮮明に思い出させてくれたことも含めて」
「通常業務でございますので」
「…ありがとう。いつも騒ぎを起こしているって思い知らせてくれたことも含めて」
それから紅茶をもう一杯と、用意されたゴーフレットを完食した。
すると、品評会とやらに対して少しだけ前向きな気持ちが湧いてきた。
「よっしゃ!暗いことばっかり考えてても仕方ないわよね!とりあえず、その品評会に行ってやろうじゃないの!」
「その心意気でございます、お嬢様。それでこそ、乙女の中の漢でございます」
「ちょ、色々間違ってるからね?!とりあえず、この気持ちが変わらないうちに、返事を出しておいて!」
「承知いたしました」
「…あと、返事は出したから、ちゃんと帰ってくるようにお父様に伝えることを許すわ」
「そちらも承知いたしました」
どこかホッとした顔のスペンスに夕飯はいらないと伝えて自室に戻った。
鞄を持ってくると共に、部屋の片付けもエレナが済ませてくれていたので、すぐにベットに横になることができた。
「やっぱり、熟練感が増してるわ…それにしても、今日は疲れた…」
いつもに比べればそんなに動いていないはずなのに、精神的な疲れが溜まったせいか、身体が重かった。
婚約についてはそのうち何とかするとして、とりあえずは目の前のことよね。品評会って何だろ…ってそれ以前に行くってだけで…気が重いけど…マリーも…来てくれるってことだし…。
重たくなってきた瞼をそのまま閉じると、スティラはあっという間に眠りに落ちていった。