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捏ね ~ルークの思惑~

パン屋を出てから、向かいの通りに停めておいた公爵家の馬車に乗り込み、馭者に行き先を告げる。

ガタンと大きく一つ揺れて馬車が進み始めると、聞こえてくる一定のリズムと揺れが眠気を誘う。

報告しなければならないことがあるので王宮に立ち寄らなければならないが、今のルークにはそれがひどく億劫だった。

肘掛けに右肘をついて頬杖をつき、開け放った車窓から入る風を受けながら、見るともなしに外を見ていた。


「噂に違わぬ娘でしたね。」


頬杖をついたまま、目線だけを向かい側に座る男に向けた。

この男はいつでも冷静かつ無表情で、その様が崩れることなど滅多にない。

幼少の頃より兄弟のように育った自分がそう思うのだから、間違いない。


「ああ、そうだね。君のあのときの顔、ぜひともトーマス達にも見せたかったな。」


ジラルダンの切れ長の目にある黒い瞳が微かに動いた。

どうせ人前で取り乱したことを、しかもそれが、よりにもよってルークの前だったことが悔しいのだろう。

根っからの軍人気質である彼は、人前で取り乱すことを良しとしない堅物だ。


「そんな顔をするなよ。僕は君の人間らしいところが久しぶりに見られておもしろ…良かったと思ってるよ。」


「…」


何か言いたげなジラルダンに目だけ笑って見せてから、外を流れる街の風景にまた視線を戻す。

夕暮れの少し湿った、草の香りが混じる風を頬に受けていると、先ほど出会った妖精の姿を自然と思い出した。

確かに、「美しい少女だ」とは聞いていた。

ただ、これまで夜会やらお茶会やらで散々見てきた(正確に言うと見せられた( ・ ・ ・ ・ ・))「美しい」「可愛らしい」等のキャッチフレーズが付いた女性が、自分の記憶に残った試しはない。

誰も彼も同じようなドレスに、同じような会話、同じような態度で、「またか」と辟易した記憶ならあるが。


たしかに、噂通りというか…いや、あれは噂以上だ。


突如目の前に現れたそれは、透き通るような白い肌と、腰まである長く波打つ金色の髪が日差しに照らされて、全身が淡く光輝いているように見えた。

まるで感謝祭につられて現れた花の妖精か女神か、はたまた地上に舞い降りた天使か、とにかくそういう類にしか見えない美しい生き物を目にしたような衝撃だった。


まあ、その美しくも愛らしい生き物は、自分たちに大変ブチ切れておられたのだが。


チェリーのように赤くぷっくりと艶のある口から威勢の良い言葉を吐き、宝石のように輝くエメラルドグリーンの瞳は怒りのせいで爛々としていた。


右手に持っていたあの珍妙な武器はなんだったんだろう。

怒ってても愛らしさはそのままだったけど。


ジラルダンにあんな顔をさせた女性は過去にはいなかっただろうと思うと、知らず口元が緩んだ。

それに、その後の言葉と態度も興味深かった。


『ご、ごめんなさい!!』


自分の知る貴族という階級の人間は、みだりに感情を外に出さない奴ら(・ ・)が多い。

妬み・嫉み・皮肉・陰謀の渦巻く世界の中で、迂闊に自分をさらけ出すことは、己の立場を危険にさらすこともあるからだ。

「昨日の敵は今日の友」と謂うが、貴族の世界では常に「昨日の敵は今日も敵、昨日の友も今日の敵」だ。

そして、そんな世界を生き抜く人々というのは、往々にして非常にプライドが高くていらっしゃる。

自分を大きく見せていないと、危うい世界は渡っていけないのだろう。


だが、彼女は違う


躊躇いもなく自分の非を詫び、人に頭をさげることのできる、貴族階級においては稀有な人間だろう。

少なくとも、あの場面での彼女には、身分や計算なんてものは頭になかったように見えた。

状況からすれば彼女の謝罪は至極真っ当かつ自然なのだが、果たして自分の知る貴族連中の中で、彼女と同じ状況になって同じことができる人間が何人いるだろう―片手で数えるほどだろうか。


しかも、まさか結婚の申し込みを断られるとはね…。

公爵って肩書きにさえ興味はないってことなら…本当に面白い。


まさか彼女に断られるなどとは思ってもいなかったので、あの後の行動には少々()が出てしまった。

あんなに分かりやすい反応が出るとまでは予想していなかったが、まずは彼女に近づくことが要だ。

今は、どうしても「グラム男爵令嬢」と親しくなる必要がある。


それに、あのまま別れてしまうのは勿体無いと思う程度には興味が出たし。


「その、新しいおもちゃを手に入れたような顔はやめた方がいいですよ。本性がバレますので。」


どうやら考えていることが顔に出ていたらしい。

にやけた口元を隠しながら、不信感を隠そうともしない友の目を見返す。


「人聞きが悪いな。それじゃまるで、僕が表裏のある人間みたいじゃないか。いつだってありのままなのに。」


「白々しいですね。先ほども令嬢にあのような振る舞いをして、怖がらせてしまったらどうするつもりだったんです。」


「知ってるかい、ジラルダン。噂によると、僕は砂糖菓子のように甘~い貴公子なんだそうだよ。そんな僕を怖いと思う女性がいると思うかい?」


「それは、見た目に騙される人間がいかに多いかという話ですか。それとも、貴方の人を欺く能力がいかに長けているかという話ですか。」


「どっちでもない。それこそ、どういう話なんだよ。」


「本当の貴方を知っても、なおそんなことを言う方がいれば、ぜひお目にかかりたいですね。聖女か何かでしょうから。」


「君の中での僕は悪鬼か何かかい?」


「いいえ。悪鬼も泣いて逃げ出すでしょうね。」


冷静かつ無表情だが、口だけは減らない。


「…あっそ。せいぜい気を付けるよ。念のために言っておくけど、僕は身内に()ちゃんと甘いんだよ?」


「そうですか。敵への容赦のなさしか思い出せず、申し訳ありません。」


今ジラルダンの頭には、自分のこれまでの所業が次々と浮かんでいることだろう。

しかし、身内にそれらをやった記憶はない。…はず。


「それは置いておいて、例の姉弟の行方は何かわかったのかい?」


ルークは頬杖をやめて、体ごとジラルダンに向き直る。

急に真面目な話題を振ったにも関わらず、ジラルダンは冷静に答える。


「やはり、ダリアナを出国後は、セルグルを越えてテレクランに入っているようです。セルグルとの国境付近で二人と思われる人物がテレクラン領土に入るのを見たという情報が入っています。」


「そうか…。それにしても、よくもまあ、あの大河を渡れたものだね。執念としか言いようがないな。」


「はい。よしんばセージ河を渡れたとしても、その後に続くセルグルの国境付近は砂漠地帯です。…やはり、グラム商会に?」


「それを調べるのが僕たちの仕事だろう?ただ、十中八九そうだと踏んでる。河を渡り、砂漠の広がる国を越えてくるなんて…彼らのような人間にはさぞかし辛かったろうね…。そうまでしてテレクランに入る理由など他にないだろ。」


「では、これからどのように?」


「君は引き続き二人の行方を追ってくれ。あと、この数ヶ月間でグラム商会と繋がりを持った人物を知りたい。膨大な数になるだろうが参考程度にはなるかもしれない。」


「承知しました。」


「やはり、二人の姿絵がないのは苦しいな…。多産家系だったとはいえ、一枚もないなんて予想外だった。」


「姫君の方は幼少から病床に臥せり、王子の方は他国に遊学していたため、でしたね」


「表向きは、ね」


「裏があると?」


「さあ…今はまだ何とも。」


探し人の背景や生い立ちは分かってきたものの、人相はおろか、体型や身長さえも未だに分かっていない。

しかもタイミングが悪いことに、今は感謝祭の時期で他国からの出入りが最も多いときた。

干し草の中で縫い針を探す、とは正にこのことだ。

胸に苦い思いが広がるのを感じつつ、気分を切り替えようとジラルダンに笑顔を向けた。

ジラルダンの眉が、何かを身構えるようにピクリと動く。


「そうそう、良い忘れてた。今度の夜会、君は先ほどのマリー嬢を誘うように。どうせ誰も誘ってないんだろ?」


「…何を言い出すかと思えば。私は警備に行くのであって、遊びに行くのではありません。よって、誰かを誘う必要などありません。」


「でも、それじゃつまらな…僕やスティラ嬢に何かあった時に反応が遅くなるかもしれないだろ?」


「つまらないってはっきり聞こえてますが。」


「半分は冗談だよ。でも、スティラ嬢に安心して出席してもらうためにも、マリー嬢を誘うのは悪くないだろ?それに、君がマリー嬢と共に私たちの側にいれば、「あちらの国の方々」も警戒を解くかもしれない。」


「…」


わざとらしく「あちらの国の方々」を強調して言う。

追っている二人のことだけでなく、他にも厄介なのがいて気が狂いそうなのだ。

何か一つくらい面白いことがあってもいいだろう。

もちろん、「自分にとって面白いこと」が。


「ああ、マリー嬢の心配をしてるのかい?君ってば、優しい男だな。でも、エトワルト家は小麦関係で他にも事業を展開していて、裕福な家なんじゃなかったかい?まあ、こちらが無理を言うんだから、ウチで必要なものを一式用意してもいい。今度の夜会は貴族限定なわけじゃないし、特に問題はないと思うけど?」


「……」


「もちろん、君にも特に問題はないよね?」


「………」


「まさか、こんなに効率のいい作戦(・ ・)を私情から逃すなんてことをする君じゃないと信じているよ。」


「…………承知しました。」


ジラルダンの敗北宣言を聞いて、つい口の端が上がってしまう。


「貴方のそういう腹黒さがバレないことを祈ってます。」


「そうならないように、君がいるんだろ?」


再びおとずれた沈黙の中、ゆっくりと目を閉じる。

瞼の裏には、数日後の舞台となる王宮と、そこに立つ一人の女性の姿が浮かび上がる。

ルークは生まれて初めて、夜会が少し楽しみになっていた。

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