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計量 ~突然の婚約者発表~

国土の60%を畑が占める、農業が非常に盛んな国、テレクラン王国。

特に小麦に関しては、品種や生産量が多いだけでなく、その質の良さが高く評価されており、世界各国の要人御用達にもなっている。

近隣諸国に比べて紛争の数がぐっと少なく、それでも長年にわたり大国として平和を維持できているのは、おいしい食事が国民の心を豊かにしているからではないかとも言われ、しばしば「小麦王国」と称されることもある。

現在、夏を迎えるその国では、国中の麦の穂が一斉に黄金色に輝き、乾燥した麦の匂いで満ちている。

森に生える樹々の葉は青々とし、色とりどりの花々が国を鮮やかにするこの時期、夏の実りを神に感謝する感謝祭が各所で行われる。中でも、王都レスミンのそれは最も盛大で華やかなものだ。

街灯の一つ一つに国旗が飾られ、街にある商店の入り口や民家の軒先には、国旗にも描かれているホワイトレースフラワーの花冠が飾られる。

それらより目を引くのは、街の中心にある広場をぐるりと囲むように置かれている、麦の穂を箒の先にしたような棒を組んで作られた不思議なオブジェの方かもしれない。

これは、感謝祭を象徴する伝統的な物で、祭りの準備期間中も含めて、訪れる人々が好きなように飾り付けをする風習がある。

季節の花や果物を象ったオーナメント、夢や願いが書かれたメッセージカード、星やハートの形の小さなキャンドルなど、飾り付けは様々だ。

前夜祭から数えて7日間にも渡って催される大きな祭りのため、訪れる人は国の内外を問わない。

そんな稼ぎ時の準備に張り切る商売人の威勢のいい声が街に飛び交い、道行く人々の顔は祭りを待ち侘びてかキラキラと輝いて見える。

感謝祭に沸き立つその王都レスミンから馬車で30分程のところ、閑静な住宅街の一等地に、白と茶色を基調とした真新しい外観の屋敷が一軒。

薔薇の彫刻が施された玄関の扉を開き、そこからまっすぐ奥にある応接間のソファには今、一人の少女がティーカップを片手に座っている。

焼きたてのパンのようにきめ細かくしっとりとした白い肌、ペパーミント色の大きな瞳、チェリーのように瑞々しいピンクオレンジの唇、砂糖細工のように煌くウェーブがかった金髪。

まさに、地上に舞い降りた天使。

「えーっと、何ですって?」

ただこの天使、背後には羽の代わりに「あぁん?また何言い出してんだ、このおっさん」という文字を大きく掲げていることを注意書きにて添える。

「だーかーらー、お前にサークラヌス公爵子息との縁談話が舞い込んだんだ!喜べ、スティラ!」

ニコニコ…もとい、ニヤニヤしながら、正しく前言を復唱する目の前の男に、思わず半目をむける。

飾り気のない白シャツと動きやすさを重視した黒のスラックパンツというラフな服装、年齢を感じさせない逞しい体つきに日に焼けた浅黒い肌という一見すると船乗りのようなその男。

ただ、楽しげに細められたその瞳は、自分と全く同じペパーミントグリーンなのが忌々しい。

「いや、聞こえなかったって意味じゃないです。意味の分からないこと言い出すのはやめてよって意味です、お父様」

表情筋の麻痺だけでなく、言葉の理解力までも低下しているらしい父親に、正確な意訳を伝える。

「いやぁ、それにしてもまさか公爵子息とは…ほんっとにでかした!でかしたぞ!んにゃはははは!!」

皮肉を言われたことにさえ気づいていないのか、ついには壊れたように笑い出した父親を見て、夏だというのに寒気を感じる。

「寒っ…いや、怖っ!…えーっと、サークラヌス公爵の息子さんだっけ?会ったこともないし、全然知らないわ。そんな見知らぬ男との縁談なんてごめんです。どうぞ、お断りくださいませ」

途中で少々荒っぽい地が出つつも、最後は何とか令嬢らしく持ち直してにっこりと微笑む。

犬でも追い払うような手つきで「さっさと断ってこい」ジェスチャーをプラスして、この話が終わったことを暗に告げた。

目の前のテーブルに用意された紅茶を口にゆっくりと含んで一息つき、午後の穏やかな陽光に照らされた庭に顔を向けると、今日も世界は平和だ―とかやってみても、視界の端に未だ居座る父親が気になって集中できない。

目だけを動かして確認してみると、やはりまだニヤニヤ…もとい、鳥肌の立つようなニタニタ顔の彼と目が合ってしまう。

「な…なによ、その顔」

「その冗談笑えるなと思ってだ。もう、お受けしますと言っておいたぞ、お前の代わりに。でかしただろ、儂。プーーー!」

「ブーーー!」

こらえきれず吹き出したユルスダンと同時に、飲んでいた紅茶を父親の顔に向かって吹き出した。

「な、なんですってーーー!!ちょっと!何してんのよ!!!」

「お前こそ何しとるんだ!エレナ、拭きものを!」

「ポットごとかけとけば良かったと絶賛後悔中よ!それより、断ってきてよ!エレナ、布はいいから」

「何を言っとるんだお前は!公爵様だぞ?サークラヌス公爵様といえば、現国王の弟君にあたるお方だぞ?その息子と儂の娘との縁談!しかもあちらからの申し込み!これは間違いなく、天からの儂への褒美だ!跳ねっ返りの娘の未来を案じる優しき父への神のお導きだ!おいエレナ、とにかく布を」

スティラの侍女であるエレナは、ユルスダンに従うべきかスティラに従うべきか、布を持ったまま右往左往している。

両耳の下辺りで二つに結んだ髪型と童顔のせいもあって、迷子の子犬のように見える。

「何が褒美よ!娘を生贄にした対価の間違いでしょ?!お願いだから今すぐ断ってきてよ!エレナ、いいのよ。だいたい、もう殆ど乾いてるでしょ」

「アホなこと言うなっ!一度公爵様の申し込みを受けておいて、今更取り下げることなんかできるか?!そもそも、断わる理由なんて無いだろうが。エレナ、ちょ、もういいから貸せっ!自分で拭く!」

痺れを切らしたユルスダンは、エレナから布をひったくると、濡れた箇所を拭きながら続けた。

「お前も、もう18歳だ。結婚適齢期なのに、これまで全く、微塵も、欠片も色恋の気配がない。孫の顔を見ることなく儂の一生は終わるのかぁ…と悲嘆に暮れていたところに舞い込んできた幸運!ああ、神よ、そしてこれまでの儂よ、ありがとうっ!ううっ…」

ついには、目頭を押さえての泣き真似という熱のこもった小芝居まで始める始末。

いつもならここで氷の矢のような一言を突き刺してやるところなのだが、ひとまず自分に刺さった矢を引き抜くことにする。

「人聞き悪いわね!別に一生独身のつもりなんてないわよ!私だって、本気になれば恋の1つや2つ、結婚の1つなんて朝飯前で―」

「一応言っとくが、恋も結婚も、そんな『いっちょ喧嘩してきます』みたいなノリでするものじゃないからな」

そこで、さっきまで困り顔だったはずのエレナが、急にユルスダンの隣に立ったかと思うと、胸を張って得意気に言う。

「旦那様、仕方がございませんよぉ!お嬢様は18歳にして初恋もまだの珍獣…いえ、大変稀有な存在なのですから!」

「フフフ、エレナ、どうしてこのタイミングで突然あなたが元気に登場するのかしら?」

「そうだったな、エレナ。ついこの間も近所の子どもと喧嘩をした挙句、泥だらけで帰ってきたんだったな…18歳の娘が…儂が育てたのは実は息子だったんじゃないかと疑ったな。冗談抜きで」

「あれは、お嬢様が鳥かごを作って差し上げようとしたら『いや、スティラが作ったのだと、小鳥が死んでしまうかもしれない』と言われてしまったため、つい大人気なく怒っちゃっただけなのです」

「なるほど。その子ども、賢いな」

「フフフ、エレナ、あなたは私の味方なのよね?確認だけど、そこは間違いない?」

「とりあえず、このままではお前が一生独身という儂の心配は杞憂ではない。全くもって杞憂ではない。そう思うよな、エレナ?」

「旦那様のお気持ち、お察しします。確かにこのままでは…って感じでございますね。」

「フフフ、エレナ、いいのね?そっちに付いたと思っていいのね?」

「そんなお前に突然舞い込んだ素晴らしき縁談話!件の公爵子息ルーク様は、見た目も麗しいと聞くぞ~。砂糖菓子のようなあま~いマスクにあま~い物腰のお方だそうだ。そんな殿方の力をもってすれば、流石のお前も女であることを思い出すかもしれん」

「確かに!そんな王子様になら、お嬢様の鋼鉄の女心もくすぐられちゃうかもしれませんねっ!」

「フフフ、エレナ、後でちょっと今後についての話がありますからね?覚悟はいいのね?」

「「でも、全部本当のことじゃないか(ですか)」」

「………」

謎の連携プレーで責められ、思わず閉口する。

常日頃から変だとは思っていたが、今日は輪をかけておかしくないか。

「…あのね、忘れてるようだから言うけど、私には『力』のこともあるでしょ?」

確かに、18歳の乙女らしいエピソードがないのも問題ではあるが、見知らぬ男との縁談を簡単に了承できないのにはもう一つ大きな理由がある。

そのことはエレナも父ユルスダンも承知しているはずなのだが。

「そのことなら、今は心配はいらんだろ?その石があれば問題ないわけだし」

「そ、そうですよ!それのおかげで、今は絶好調じゃないですか!」

「…まあ…」

正しいことを言ったつもりなのだが、なぜかまた責められてしまい、再び閉口する。

戸惑いながら目を落とすと、胸元のペンダント―黒いレザーの紐に、親指大の薄紫色の石がついているだけの質素なもの―が「俺はお前の味方だぜ」と言っているように見えた。

「…とは言え、心配事項ではあるじゃない。公爵様の息子と結婚なんてして、何かあったら…」

「結婚後のことよりも、まずはお前の低い乙女力で本当に結婚まで漕ぎつけるのかを心配した方がいいぞ。絶対」

「そうですね、近頃のお嬢様の女子力は順調に低下の一途を辿っておりますからね」

「見た目はこんなに母親譲りなのに、誰に似たのか猛々しい性格に育ってしまって…ううっ」

「綺麗なランの花だと思って近づいたらハナカマキリだった、みたいなショックがありますからね…ランの花そっくりに擬態するカマキリのことです」

「うまい例えだ!博識が混じってるのも機知に富んどる~!」

「エヘヘ~。あ、でも!よく見るとハナカマキリにも愛嬌があるんですよ、お嬢様」

「もちろん、流石にカマキリよりは可愛いぞ、スティラ」

調子に乗って言いたい放題の二人に、ついに堪忍袋の緒が切れ…いや、堪忍袋自体が大爆発する。

カマキリて…!

「ふん!どぅあぁぁれ(誰)が、そんなあま~い男と結婚なんてするもんですかっ!!だいたい、私は菓子よりパン派なの!…そう、私はパンのような殿方と結婚するから!!断じて、そんな甘ったるいお菓子となんか結婚しないから!!」

二人に指を突きつけてそう宣誓をすると、猛ダッシュで部屋を出た。

そして、屋敷中に轟くように、わざと乱暴に足音を響かせて階段を駆け上がる。

「…パンのような殿方ってどんなだ。怖いわ…そんなのが義理の息子になったら」

「…私も、そのような方がご主人様になるのは怖いです」

そこで二人同時にため息をついた。

「はぁ…、どうせまたあそこに行く気だろう。エレナ、ついて行ってあげなさい」

「イエッサー!」

敬礼して部屋を出るエレナを見届けた後、ユルスダンは懐から封書を一つ取り出した。

「これをサークラヌス公爵家まで急ぎ届けてくれ」

傍から見れば独り言かと思われた一瞬の後、部屋の隅から人の動く気配がする。

空気に溶け込むように気配を消して控えていた、グラム家に仕える老年の家令スペンスだ。

「かしこまりました。すぐに届けて参ります」

彼は差し出された封書を恭しく受け取って一礼すると、まるで流れるように足音もなく部屋を出て行った。

向かったのはスティラたちとは逆側の、屋敷の裏口だ。

ユルスダンは一人になった部屋の中、ソファに深々と座り直すと、持ち歩いているシガーケースから葉巻を取り出して火をつけた。

ゆっくりと紫煙をくゆらせながら、これからのことに思いを馳せる。

「さて、孫の顔を拝めるのはいつかなぁー。ぐふ…ぐふふ…」

しばらくの間、その部屋からは、気味の悪い笑い声が響いてきていたという。

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