アウローラ伊勢FC
「神都」の名称を持つ三重県の都市、伊勢。
そんな伊勢市に『アウローラ伊勢FC』がJリーグに上がったのは、わずか三年前のことであった。
1998年、当時伊勢神宮の神主をしていた宮下正真がかつての旧友を募り、結成したのがきっかけとなり生まれたクラブが『アウローラ伊勢FC』だった。
クラブ名の由来は、アウローラはラテン語で夜明けという意味で、日本のサッカーの夜明けとなるようなクラブにしたいという意味を込めてつけられた。
だが、クラブは地域リーグ加盟後も成績は振るわず、宮下の友人たちは次々とサッカーから離れて行った。しかし、その友人の一人で、株式会社オウルのオーナーを兼任していた田島良が本格的に経営に着手し、GMとして秋田都を呼び、そして元日本代表DFで、当時横浜・J・マリンズから戦力外通告を受けた岩城 剛造を獲得し、更に若手選手を多く獲得する。
スタジアムは『オウル伊勢陸上競技場』を使用していた。
すると、その若さ溢れるアグレッシブなプレーを強みに、三年でJFLまで昇格する。
そこで二年苦戦するが、若手の選手たちが覚醒をし、見事JFLを優勝しJ2への切符をつかんだ。
J2初年度は、ヴィルロ神戸から李 秋正を獲得し、中盤を強化。さらに監督に宮下を呼ぶなど、初心を忘れないことをスローガンに選手が一丸となり、10位の好成績をおさめる。
次の年には、ユースから西木 正を昇格させるなど、若手選手を多く獲得。成績は12位と中位に終わってしまったが、トップ下の雅 祐介、左サイドMFの鬼柳 憲陰は著しい活躍を見せ、雅はシーズン終了後イングランドの二部のストークシティACに移籍した。
そして、新井が引退した今シーズン。チームは鬼柳を中心に、中盤を補強、J1経験の長い実力派MF由谷 太郎、瀬田 光樹を獲得し、大卒ストライカーの剣田 健を加え、足元の技術が高くフィジカルの強いフランス人DFブリジェヌも獲得し、戦力は強化された。
しかし、鬼柳が大不調に陥りチームも低迷、その責任をとって監督の宮下、GMの秋田も辞任し、チームは新たな境目を迎えることになった。
「そこで選ばれたんが、かわみ、お前ってゆうことや!」