カリニャスの躍動と離脱
見事先制に成功した伊勢イレブン。エースストライカーの剣田のゴールに活気づいたはいいが、少し浮き足立ってしまった。そのため、試合再開後は押し込まれる展開となった。
試合再開後すぐの前半15分にマツモトの左サイド中心の攻撃に遅れをとり、マツモトのFWシシーニョのシュートを許した。これを機にマツモトの攻撃陣は流れを手にした。もちろんその中心となったのは後半戦初めてスターティングメンバーに名を連ねたカリニャスだ。
「コータ!パスミー!」
ボランチの岩上からパスが出る。この日、カリニャスのマークに着いたのは今最も好調である西木だった。西木はカリニャスがパスを受けたらすぐにボールを奪おうと距離を詰める。しかし、ここはカリニャスの方が一枚上手だった。パスをトラップで西木の後ろのスペースに動かし、詰めてきた西木と場所をスイッチするように抜いたのだ。
「くっ!なんつうトラップだよ!」
出し抜かれて思わず相手を褒める言葉を口走ってしまう西木。カリニャスはすでにボールを右サイドに展開していた。右サイドには今夏にマツモトに加入したFWのシシーニョがいた。このブラジル人は傑出したスピードを持っており、サイドに流れるとその真価を発揮した。相対する西貝をスピードだけでぶっちぎると、ゴール前へ鋭いグラウンダーのクロスを出した。クロスが船坂に渡る寸前で岩城が懸命に足を延ばし、クロスを弾く。
「颯!クリア!」
「アイアイ!!」
岩城の声に反応した颯がこぼれ球をクリアするが、またこのボールがマツモトの選手の下に収まる。カリニャスだ。カリニャスの長所の一つにこのセカンドボールへの反応の良さが挙げられる。セルビア代表でボランチを務めるのは、この長所と視野の広さを買われての起用なのだ。この場面でもその二つの長所が作用する。クリアボールを拾ったカリニャスは今度は左サイドへのロングパスを出した。ここに顔を出したのは左WBを務める秋。思い切りのいい抜け出しでパクとのマッチアップに臨むかと思われたが、ここはそれを避け簡単にフォローに来た岩上へとパスを出す。
「さあて早めに追いつかないと、な!」
パスを受けた岩上は伊勢の選手が寄せに来るのを危惧してか、早めに前線へのロブパスを出した。ターゲットはアタッカーの尾上。テクニックも上背もある万能な尾上によるポストプレーで、前線でボールをキープすることに成功する。そこへ走りこんできた選手がいた。
「よっしゃ!後頼むわ、カリニャス!」
走りこんできたのは上がってきたカリニャス。尾上はカリニャスへとボールを預けて、自分は更に前へと走りこむ。
「クソッ!8番頼んます!俺が奴を止める!」
「オーケー!カリニャスに何もさせんなよ!」
尾上のマークについていた颯がカリニャスを止めに入り、走りこむ尾上を今度はカリニャスを追いかけてきた西木がマークする。西木の厳しいマークにより、前を向かせないことには成功した。が、カリニャスは止まらない。
『撃てないなら、撃たせるまで!』
一度言ったことだが、カリニャスは驚異的な視野の広さを持つ選手だ。この場面でもファーでフリーになっている船坂が見えていた。岩城の裏を取った船坂へカリニャスから絶妙なロブパスが出る。
このパスを船坂はフリーでジャストミートする。しかし、ここは巣山が読み切っていた。ヘディングでのシュートをがっちりとつかみ、相手の得点機をふいにした。
「くそ!ナイスパス、カリニャス!」
この絶好の得点機を逃した船坂は、パスの出し手のカリニャスに親指を上に突き出すハンドサインでナイスパスを伝えた。言葉こそ通じないが、カリニャスも同じく親指を上に突き出すハンドサインで答えた。
「やはりカリニャスは違いますね、監督」
「ええ、存在感がずば抜けている。同点される前にもう一点欲しいですが、押し込まれてますね」
ベンチでは新井と黄田が話している。やはり話題は久々のピッチで躍動する相手のエース、カリニャス。ピッチで巣山のゴールキックから試合が再開された。残念ながらボールはキープできず、マツモトにボールが渡った。
「少し先制したのが早かったのかもしれません。選手達が前線と後ろで意見が分かれているように見えます」
試合を眺める黄田がそう言ってから「西木!もっと厳しくプレスだ!カリニャスを自由にするな!」と大声で注意した。それを聞いて西木はボールを持つカリニャスに厳しくマークに行く。新井も黄田と同じ考えを持っていた。どうも前と後ろがちぐはぐなのだ。前の選手達は早い展開で攻めに行きたそうであり、実際何度も素早いパス回しからトラップミスを拾われたりしている。逆に後ろはこのリードの状態を保つため、厳しいプレスを徹底していた。
(このままでは前も後ろも疲弊してしまいますね。攻めの中心になっているのは雅くん、ポジションを変えますかね)
新井もベンチのエリアギリギリまで出る黄田の隣に並んだ。そして船坂がシュートをふかし試合が止まったのを見計らって近くにいた西貝を呼んだ。
「西貝くん、中盤の構成を変えます。西木くんを底に置くダイヤモンド型を意識してください。前の3人のポジションは問いません。ただ攻めることを念頭に置いてください。守備陣もリードを保つことは忘れて攻めを思い出せと言ってください、いいですね?」
「了解っす」
新井の指示通りにポジションを変更する面々。攻守の意識が変わり、あたふたとする場面は少なくなったが、流れまでは取り返せなかった。前半32分、ついに均衡が破られる。
「フナ!モアレフト!オーケー!」
場面は伊勢陣内のフリーキックだ。西木の厳しいマークが災いしファウルを取られてしまったのだ。攻めに行った結果のピンチのため、誰ひとり西木を責めるものはいなかったが、全員が感じ取っていた。この場面で同点にされてしまうのは絶対にダメだと。もちろんキッカーは絶好調のカリニャス。今も仲間たちに壁の指示を英語混じりの日本語で伝えている。
「もっと右寄れ!剣田!でけえ図体生かせ!」
「ウス!!」
伊勢の方も巣山のコーチングで壁を整えていた。ゴールまでは36メートル。少し遠いが、フリーキックの名手であるカリニャスにとってはちょうどいい距離であった。
審判の笛が吹かれ、カリニャスがゆっくりと助走をスタートさせる。セットされたボールめがけてゆっくりと、ゆっくりと歩いてくる。壁を構成する伊勢の選手たちにはあまりにも長く感じただろう。そして、ドンドンと近づいていったカリニャスの振りかぶった左足がついにボールにミートした。打ち出されたボールは外から巻いていくようにゴールの左スミへと突き刺さった。巣山は読んでいたシュートの方向こそあっていたものの、ゴールの枠外から巻いて枠内へと入ってくるボールになすすべはなく、懸命に伸ばした手も届かずに同点弾を許した。
「クソッ!」
悔しそうに地面をたたく巣山を傍目に、カリニャスは仲間とともにサポーターの前でマシンガンを乱射するかのようなゴールパフォーマンスを披露するのだった。
そしてここから更にマツモトの攻勢は激しさを増していった。
「西木!もっと厳しくプレス行け!」
「ジョー!打ってくるぞ!」
シシーニョをマークする岩城が巣山に声をかける。と同時に西木のマークに晒されながらもカリニャスは前を向き、ミドルシュートを打った。
「ぬぅあ!」
このミドルシュートは巣山がギリギリでなんとかゴールの枠内から弾き出した。しかし、マツモトの勢いを表すかのように船坂が詰めており、シュート体勢に入る。
「入れっオラッ!」
「入れさすかよ!!」
船坂がボールを蹴る前に颯がスライディングタックルでボールを刈り取った。ピッチの左サイドにボールが出る。マツモトのスローインで試合は続く。既に時計は45分を指しており、ロスタイムに入っていた。ここまでシュート数は伊勢が3本、それに比べてマツモトが13本とかなりの差がついていた。それでもスコアが変わっていないのは伊勢守備陣の踏ん張りのおかげであった。2トップの二人を残しての全員守備でマツモトの猛攻になんとか耐えていた。
スローインでボールがピッチに戻される。左サイドでボールを貰ったのは秋。この日、左WBに抜擢されたこの選手は、再三いい上がりを見せていた。この場面でも秋は好調ぶりを見せつけた。相対したパクを今度は左右の揺さぶりからの急加速で出し抜いた。
「チッ、上手いじゃないか」
「そりゃどうも!カリニャス頼んだ!」
パクの素直な称賛の言葉を受け取り、秋はアタッキングサードでボールを要求していたカリニャスへとマイナス方向へのパスを出す。
すぐにシュート体勢に入るカリニャス。これに焦ったのは西木だった。
(この場面、この時間帯で得点される訳にはいかない!)
焦りを感じていたが、西木は持ち前の冷静さを忘れなかった。ぴったりとマークについていたのをやめ、少し距離をとってカリニャスの懐に入るだろうボールとの距離を目測を測った。そして、カリニャスがトラップした瞬間に狙い済ましたスライディングタックルでボールをかっさらった。このタックルが悪質ではないことに気づいていたカリニャスはジャンプでこれを避けた。しかし、この時、カリニャスは古傷のことが頭に過ったのか、右膝を庇うように左足から着地してしまう。
『っ!!グアアッ!』
おかしな着地をした際に左足首を痛めたのだ。と同時に笛が鳴り、カリニャスはピッチへと崩れ落ちた。ファウルの警告ではなく、前半終了を告げる長い笛だった。マツモト側のスタッフが急いで担架を持ってくる。場内は騒然とし、マツモトと伊勢は一触即発状態であった。カリニャスへのファウルを訴えるマツモトの選手。西木へと詰め寄る選手、それを宥める選手。審判団は判定を覆すことはなく、伊勢・マツモトの両監督が選手達を引き離し、ベンチへと戻って行った。残された観客達はただただ心配と興奮の入り交じった声でざわめくだけだった。