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小話置き場  作者: 煤竹
その他
9/16

素肌にパーカー

異世界トリップ・トリップ一家・パーカー

 私はかなり特異な体質であるらしい。


 初めての一人暮らしを始めるに際して、家族、とりわけ母親から何重にも念を押された事柄がある。

 それは極めて可笑しな、『決してすっぽんぽんでパーカーを羽織るんじゃないよ』、というものだ。


 あんたはものぐさだから本当に心配だ。一人暮らしも本当なら止めて欲しいけど、仕事の関係上仕方がないと諦める。だから、これだけは守って欲しい。お願いだから、と厳しい顔で言う母が、普段穏やかなあの人とは違い、別人のように見えた。


 すっぽんぽんでパーカーなんて、そうそう羽織るものじゃあるまい。


 私はへらりと笑いながら、分かった分かった、と生返事をしたのだが。全く分かっていなかったのだと今、痛感している。



 お風呂上がり、下着類を脱衣場まで持って来るのを忘れたことに気付き。あるのは大判のバスタオルとお気に入りの白いパーカーだけ。衣服はすでに洗濯機の中でじゃぶじゃぶと洗われている真っ最中だった。

 まあ衣装タンスはすぐそこだからとバスタオルで水気を拭いただけの素肌にモコモコのパーカーを羽織り、チャックを閉めた瞬間だった。


 母の教えを無視した代償は斯くも重いものなのかと、見慣れぬ光景が広がる目の前に、冷えていく足元に震えが走ったのだ。





 わいわいがやがやと野太い男たちの喧騒が私の耳を脅かしていく。ついさっきまで私は自分の自宅にいて、ユニットバスで思う存分半身浴を楽しんだあと、着替えを取りに行こうとパーカーを羽織ったばかりだった。今の部屋に暮らし始めて約半年、一人暮らしなのだから私以外に誰もいないはずの六畳二間の私の家に、屈強な男たちが居るはずがない。

 そも、私は高性能で選んだ無駄にデカイ洗濯乾燥機が鎮座する狭い脱衣場にいたのだ。ざっと数えて二桁はいるだろう男たちがあの脱衣場で寛げるはずがない。


 なんだ、これは。


 私は知らず知らず止めていた息に気付いて呼吸を再開した。なるべく細く、男たちに気取られないよう静かに。


 聞き慣れない言葉に外国なのかとも思うが、万国共通の笑い声というのは伝わるようで。ゲハハという下品な笑い声に、こう言ってはあれだが、現代人の品性というものは感じられなかった。


 黒髪、金髪、茶髪に白髪。肌の色も黄、白、褐色とまちまちだ。顔立ちも東洋から西洋まで取り揃えた風貌で、ここは一体どこのスラム街だろうかと思う。

 彼らの品性云々というものを語るには私も現代人の知性が足りず。男たちが話す言葉が義務教育時代から学んでいた外国語と同じものかも解らない。巻き舌のような早口で喋る彼らは、ひょっとしたら別の国の言葉で話しているのかもしれない。


 つまり、言葉が通じない人々に私は多大な恐怖を感じている、ということだ。


 幸いというべきか、これまた不思議なことだが。彼らは私にどうやら気付いていないらしい。それぞれが思い思いの席につき、だらだらと周囲にいる仲間と喋っているようだ。


 私が立っている場所は男たちの座る部屋の隅っこで。とはいっても、もしここを教室だと例えるなら黒板のある方の壁の隅っこだ。一度注目が教壇に集まれば必然的に誰も彼もが私に気付く位置に立っているのだから、さっきからチビりそうになっているのも仕方がないことだろう。


 どうしよう、どうしよう。


 今は誰も私に気付いていないようだが、もしこの部屋から出ようと動き出したら気付かれてしまうのではないか。こんな痴漢も真っ青な姿を曝す痴女を目にしたら、いくら風貌が下の上である私でも、まかり間違って襲われるかもしれない。仮にそんな犯罪めいた事態に陥ったそのときは、まず間違いなく私が悪いだろう。

 こんな、むさ苦しい男たちの中に単身、真っ裸にパーカーなんていう軽装で現れた私が悪い。


 そう。

 母の教えを破った私が悪いのだ。




 訳の解らない罪悪感が私を襲う。いやいや、素肌にパーカーを着たからってどうして瞬間移動しなければならないのかという心の強がりはすでに死んでいた。あれだけだめだと念押しされたにも関わらずしてしまったことに対しての罪悪感が半端ない。そしてその半端なさに、罪悪感がぐるりと一周をして振り切れてしまった。


 私が悪いなら、気の済むまでとことんまでやってやろうじゃないか。


 私は開き直ることにした。






 そろりと一歩を踏み出した。

 素足に木の床が冷たく感じる。埃っぽいし、砂粒も感じるから掃除されていないのかもしれない。

 パーカーの裾を押さえながらの第一歩は、誰に気付かれることなく踏み出せた。

 外に繋がるだろう扉まで、私の大股で恐らく二十歩ほど。

 恐ろしく遠いと感じる二十歩だ。


 部屋を歩き回る男に合わせ、なるべく音を立たせないよう慎重に歩いた。


 二歩。五歩。十歩。

 そろりそろりと歩いて部屋の半分まで来たところで私は確信する。男たちは私のことが見えていないのだと!


 ここまでやって、誰一人として思わしげな視線を送らないのはそうとしか考えられないだろう。いくら平々凡々な私だからだとしても、露出狂を疑ってもおかしくない姿の女が部屋を歩いていたらそれはお前、騒がないはずがないだろうそうだろう?!


 心の余裕を無くし、羞恥心メーターを振り切った私に最早敵は無く。

 スタスタと残りの歩数を歩ききって一安心したとき、勝利の女神の微笑みか、はたまた死神の用意した悪戯か。

 それまで閉じていた目の前の重そうな扉が私に迫り、そのままべチャリと部屋の内側に私を押し潰したのだ。





「………!!」


 よくぞまあペッタンコに貼り付かなかったと痛みに堪えながらいれば、怒声とも思える大声が室内に響いた。

 一際よく通るド低音に、少しチビったかもしれない。


 そろりと扉越しに男たちを見れば、誰もがたった今入ってきた男に視線が釘付けだった。私も恐る恐る男を見て、また恐る恐る視線を逸らした。

 が、眼帯とか。顔中の傷とか。ここはもしかしたらどこかの国のマフィアのアジトかもしれない。おっかない。おっかなすぎる。


 もじもじとパーカーの裾を握り締めながら、開けっ放しだった扉から私は逃げ出した。

 もうやだ。帰る。帰りたい。

 ぐずぐずと袖で鼻水を拭きながら帰りたいその一心で走った。

 もう誰に気付かれてもいいやとバタバタ荒い足取りで長い長い廊下を走ったけれど、やはり誰も私に気付くことはなかった。


「出口、出口はどこ……」


 知らず声に出しながらあてどもなく建物内を走り続け、いつしか


「トイレ、トイレはどこ!!」


 気付けば地団駄を踏むような足取りで、私はトイレを目指して走っていた。





「……ふ、ぁ……」


 我慢の限界まで来たところで、今度こそ勝利の女神が微笑んでくれたのだ。

 もう無理だと諦め掛けたその時、ちょうど真横の扉が開いて中から男が出てきたのだが、まさに其所こそ私が求めていたパラダイスだったのだ。


 明らかに男性専用だが、迸り掛けているこの尿意を解放するには女性も男性も関係ないのだ。

 誰にも気付かれないのだし、誰もいないのだから。


 私は人生で初めての立ちションを経験した。


 連続した水音が断続的になり、全て出し切り安堵する。人生でここまでの満足感は体感したことがない、と思いながらブルッと体を震わせた。


「紙、紙……」


 濡れて気持ち悪い下半身をもて余しながらトイレの中で紙を探す内、パーカーが汚れることを危惧した私は「ええい、ままよ!」と最後の砦であるパーカーのチャックを開ける決意をした。

 裸パーカーだろうが裸エプロンだろうがすっぽんぽんだろうがここまで来たら何でも一緒だこのやろう!という謎の開き直りがここでも発揮された訳なのだが。


 私がチャックを開ける音と同時にがちゃりと扉が開く音がして。


「えっ、何で」


 という、驚いたような男の声で私の母国語が聞こえたと同時。

 チャックが完全に外れた瞬間、私の耳はゴウンゴウンと回る洗濯機の音を拾い。目は素肌にチャックを開けたパーカーを身に付けた間抜けな格好で間抜けな表情をしている私と目があったのだ。

 鏡だ。私が毎朝見ている洗面台の鏡。


 私はぺたりとその場に座り込み。腰が抜けたようにへたりこんだ。


 帰ってきた。私の部屋に!


 ふええと年齢も考えずに声を上げて泣いた。


 白昼夢にしては何とも生々しい。

 だって。


 夢を見ながら漏らしたはずなら、水溜まりが出来ているはずなのに。

 私の座る床は乾いていて、私の股は湿っているくらいにしか濡れていなかったのだから。









「そう、言いつけを守らなかったのね」


 深刻な表情の母と父。

 そんな二人を前にして、私は深い罪悪感を抱いていた。素肌にパーカーを羽織ったことで経験した白昼夢のような馬鹿げた話を、あの日その場で母へと電話したら次の休みに帰ってきなさいと言われた。話さないといけないことがあるのよと言われて。


 まさか二人がこんな悲しげな表情でいるとは思っていなかったから、怒られるという思いと悲しませたという思いで私はすでに泣きそうだった。


「お母さん、私……」

「仕方のない子ね、本当に。だから一人暮らしはさせたくなかったのに……」


 怒られると思った。

 けど、母は苦笑いをしながら「でもしょうがないわね。兄妹だものね」と、父の強烈なデコピン一発で許してくれたのだ。



「兄ちゃんがどうしたの?」


 私よりも五年早く独り立ちをして今頃都会で一人、社会の歯車となって働いているだろう兄のことを何故今言うのだろうと首を傾げれば、母は神妙な顔でこう言い切った。


「隆正もね、あなたと同じ体質なのよ」

「え?」

「すっぽんぽんでパーカーを着ると、異世界に行ってしまうの」


 いせかい。

 イセカイ。

 伊勢かい?

 異世界!?


「お、お、おと、おとーさ」

「ほんとの話だぞ」

「おとーさん!?」


 話せば長くなる。

 そう呟くように語られた内容は、到底信じがたいものだった。


「元々私の体質があんたたち兄妹に引き継がれたのね」


 遠い過去を思い出すようにしながら母が語った若き日の思い出。

 それはひょんなことで素肌にパーカーを着た母が異世界へと渡り、素肌にパーカーを着たままで異世界を救った救世主となり、救った異世界で恋仲となった父と素肌にパーカーを纏った姿で結婚をして、父と共にこの世界に戻ってきたのだという。


「お母さん、病院行こう?」

「まっ、失礼なことを言うわね」

「おとーさんもお母さんの妄想に話を合わせないでちゃんと病院に連れてってあげなきゃ駄目じゃん!」

「いやだから、ほんとの話なんだぞ?」


 二人は話にならなかった。

 そりゃまあ、あんな不思議な夢を見た後だから、信じてしまいそうになるかと言われたら。


「いやいやないわー」


 自分の頭の心配だけでも精いっぱいなところ、まさか二親の頭の心配もしなくちゃいけないなんて。


「このこと、兄ちゃんも知ってるの?」

「もちろんよ」


 兄は知っていたのか。二人の頭の病気のこと。知らずは我ばかり、というのはかなり切ないものがある。腹立ち紛れにポケットから取り出したスマホで兄へと電話を掛けると、極めて電子的な音声が兄の端末が電波の届かない場所にあるか電源が入っていないことを告げてきた。


「兄ちゃん、こんなときに限って留守なんて!」

「隆正に電話は通じないわよ」

「へあ?」


 お母さんとお父さんは、真面目な顔で、こう言った。


「悠布、隆正はな」

「貴方たちのお父さん、この人の故郷を救いに行ってるの」


 だめだ。完全に私の両親は、だめだった。








例のごとく続きは無いです。


変なトリップのスイッチを模索したら、裸にパーカーを羽織ってチャックを上げきったら飛ぶ、となりまして。逆に帰りたい時は、チャックを全開にすればいつでも帰れる、とそういう訳です。


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