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小話置き場  作者: 煤竹
獣人もの
4/16

犬と兎の春模様

キーワード:獣人・幼馴染・春と言えば…

少し長めですが、どうぞ。

 

 春を告げる草花が蕾を付け、花が綻び始めるユタナ月。

 ユタナ月とは、愛を司る女神ナユタナが、死を司る男神アモレアに恋煩い、彼の神に想いが届かぬことを憂いて吐き出した悩ましい吐息が春風となりて三日三晩大地を撫で下ろし人々に祝福を運ぶとされている。

 

「なあなあ」

「その線越えたら嫌いになるよ」

「ってことは俺のこと好きなんだな。俺も好きだよ、大好きだ」

「……越えたら容赦なく嫌いになる。無視する。耳栓する。同じ空気吸いたくなくなる!」

「そんなこと言うなよ。興奮するだろ」

「どこに興奮する要素があったのよ」

「この線越えなきゃ容赦なく好き、目に入れても痛くないほど好き、ずっと声を聞いてないとおかしくなるほど好き、同じ空気を吸っていなきゃ死ぬほど好きってことだろ。俺ってこんなに愛されてるんだなあって興奮するだろ普通」

「そうだった……。初めてユタナ月を経験する雄には何を言っても通じないんだっけ……」

 

 春風となった女神ナユタナの吐息は、意中の男性へ想いが届くことを願ったことに由来してなのか、成人した雄のみに作用する。すなわち。

 

「なあ、いいだろ?お前の匂い嗅いでるだけで俺もう辛抱堪んねえんだ……」

「このチョーク全然意味ないじゃない……ちょっとでも線を越えたら絶交だからね!」

 

 盛りの付いた雄たちが、こぞって雌を求める季節である。

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ――家がお隣さん同士だったので。

 ――同じ日に生まれたので。

 

 そんな理由で、ディリエ・フォンスとリドリー・ヴァスケスは生まれた時から幼馴染であった。

 二人は、共に笑い、共に泣き、時に喧嘩をしながらすくすくと育っていった。

 幼い頃はさながら双子のようだと言われもしたが、ある時を境に二人は決定的な違いを互いに見つけてしまう。

 

『ディーの耳は長い。俺のは短い』

『リッドの尻尾は長い。私のは丸い』

 

 身体の成長と共に種族の違いも顕著になっていく二人は不思議なものを見るように互いを観察した。

 

『リッド、牙が出て来たね』

『ディー、俺の声が遠くでも聞こえた?』

『リッド、また背が高くなったみたいだね』

『ディー、胸がまっ平らのままなんだけどどうして?』

『リッドの馬鹿!』

『俺が悪かった!』

 

 成長してからも、二人はこのようにして仲睦まじい幼馴染生活を送っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 時は流れ、ディリエは白茶の長い耳が可愛らしい獣兎人(ダシュプース)に。リドリーは黒毛の尖った耳に立派に膨れた尻尾が逞しさを表す獣犬人(キュオーン)に。それぞれ立派な成長を果たした。

 そんな二人が成人を迎えた春のこと。二人は初めて経験するユタナ月を前に、リドリーの家の彼の部屋で真剣な顔つきで話し合っていた。

 

『良いか?春風が始まったらお前は俺に近づくなよ。どうなるか自分でも分からないから』

『うん』

『俺は三日間部屋に閉じ籠るから、お前は家にも近付かないでくれ。窓からも見るな』

『分かった』

『だがもしも俺が家から飛び出してお前の前に現れたら』

『これを使う、でしょ』

 

 これ、と言ってディリエが取り出したのは、犬避け成分が凝縮した白いチョーク。目の前に出されたリドリーは鼻をつまんで横を向き、早くそれをしまってくれ、とお願いした。

 

『おえ、きっつ…』

『ごめんごめん。でも正気でそんな調子なら春風中のリッドにも効くよ』

『だと良いけど……俺、お前のこと傷つけたくないから』

『私だって、リッドに傷つけさせたくないよ』

 

 へにゃりと力無く垂れるリッドの耳と尾に、彼の感じている不安がディリエにも伝わってくる。

 代わってやりたい、と強く思うがこればかりはしょうがないことだと思い直し、彼に少しでも元気を分けてやれればと笑顔で勇気づける。

 

『大丈夫だよリッド。初めての春風だけど、それを乗り越えれば本当の大人になれるんだから』

 

 愛らしく笑うディリエを眩しそうに見つめてリドリーも笑った。

 

『……そうだな』

『それにさ、もしうちに乗り込んで来たりしたら大声出して騒いでやるから安心して!』

『っはは、そりゃ頼もしい』

 

 いつも元気な兄であり、弟であり、分身のようなリドリーの不安をどうにか払拭出来ただろうかとディリエがリドリーのふさふさの尾を見れば、それははたはたと動き始めていた。まだ心に動揺は残っているだろうが、それでも少しは心安らいだのだろうとディリエは思う。

 このまま何事も無ければ良いと、彼の心配性な姉であり、妹であり、分身のようなディリエはそう願った。

 

『もし、お前の前に現れた俺がお前に何を言っても、何をしても、俺の本心とは違うから。……それは本当の俺じゃないから、信じるなよ』

『……うん』

 

 ――窓の外に吹く風は、まだ春を齎すものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、今年のユタナ月も良き春風が世界を吹き抜けた。

 春風は女神が男神を希う恋心、それが世界中の成人した雄たちの心に火を点けて回った。慈悲に溢れ、等しく、例外なく与えられる。

 

 もちろんそれは部屋に閉じ籠っているリドリーにも等しく授けられた。

 雄にしか嗅ぎ取れないと言われる女神の甘い吐息に刺激され、心にしまう淡い恋心に容赦なく火を点けられる。それも初めて春風を経験するリドリーにとっては女神の吐息の威力はすさまじく、噎せ返るほどの甘い香りに酩酊し、心に浮かぶただ一人の雌に恋焦がれていた。

 

(ディーに会いたい、ディーに触れたい、ディーを抱き締めたい)

 

 どくどくと胸の内側を叩く心の臓。身体中が発火しているかのような熱さを冷まそうと深呼吸をするもそれは逆効果となる。

 身体の奥深く吸い込んだ女神の吐息は囁き声となり、リドリーの本能へ囁きかける。

 

 ――貴方が好き。貴方のことが好き。貴方を愛しているの、リッド。

 

 女神の言葉だと分かっているのに、それは愛しい雌の声で再生される。

 

 ――貴方に愛されたい。貴方と共にいたい。リッド、リッド、私、リドリーのことが大好きよ。

 

(俺も……俺の、ディリエ)

 

 だが、と荒い呼吸で時折冷静になる自分が制止を掛ける。

 春風に煽られたままディリエの前に立つことは許されない俺が許さない、と額に脂汗を滲ませて、牙を噛み締めて、理性が本能を抑えつける。

 

(ディーを傷つけたくない、ディーに嫌われたくない、まだ……まだこの気持ちをちゃんと伝えていないんだから……)

 

 どうか春風が過ぎるまで耐えてくれ、……過ぎたら、そうしたら……。

 

 がりがりと削るように床に爪を立て、リドリーはたまらず咆哮した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディリエが隣の家から轟いたリドリーの咆哮を聞いてから一日と半分が経ち、彼女もまた戦々恐々としながら部屋にいた。

 春風がリドリーにどんな変化をもたらしているのか、一昨日の晩に聞いた彼の叫びを聞いて一人でいるのが怖ろしくなったのだ。

 だが両親を頼ることは彼女には出来なかった。家の中では父と母がとても仲良くしているのが分かるし、恐らくリドリーの両親も同様だろう。理由は推して知るべしだ。

 また成人を迎えるまでお互いに一人っ子であることから、今年のユタナ月以降も両家に新たな家族が増えることは今後も無いだろうというのがディリエの考えだ。

 

(春風が吹かなくてもうちの両親もリッドの両親もめちゃくちゃ仲が良いもんね。夫婦仲が良すぎると女神に嫉妬される、ということわざの通りなんだろうな)

 

 男神に想いが届かない女神の嫉妬ほど怖ろしいものはなくいちゃいちゃしすぎると女神の意地悪により子が授かれなくなる、とこの世界の住民は誰でも知っていることだった。

 

(自分から恋心をばらまいておいて仲良くすると嫉妬するなんて、ほんとに女神様って無茶苦茶だ)

 

 ディリエはカーテンで閉め切った窓の外をそっと覗いた。

 今日は春風が吹く最終日だが、昼を過ぎても風の勢いは衰えていない。

 雌には分からぬ女神の吐息はディリエから見ればただの豪風。窓を叩きつける厄介な風という認識しかない。

 早くリッドに会いたい、と願った彼女は、次の瞬間思わず身を引いた。

 

 隣の家の窓からこちらを見ている二つの瞳。

 

 目が合った、と彼女は思った。

 

 慌てて窓から離れて部屋の鍵を掛け、板張りの床にリドリーから渡された白いチョークで大きな円を描いた。鼻の良い獣犬人が嫌がる匂いのきつい薬草の成分が練り込まれているチョークで濃く太い線をがりがりと。

 

 描きながらディリエは背筋を震わせた。

 窓越しに見えた幼馴染は、笑っていた。

 

『 デ ィ リ エ 』

 

 にいっと、笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

「なあ、顔上げろよ」

「……いや」

 

 ディリエとリドリーの攻防は、ディリエの部屋の白い円の内側と外側で繰り広げられていた。

 本能を剥き出しにしたリドリーはディリエを囲む円の周りを四つん這いで練り歩き、愛しい雌へ誘いの言葉を投げかけている。その様子にリドリーの正気はどこにも見えず、ディリエは円の中で両足を抱え込むようにしゃがみ込んでいた。

 

 

 

 リドリーがディリエの部屋へとやって来たのは、二人が目を合わせてからすぐのことだった。

 意外にも「お邪魔します」といつものように声を上げたリドリーに驚きつつ、ディリエは待った。淀みなく響く足音が真っすぐにこの部屋に向かうことは分かっていたから。

 

 穏やかにも聞こえるノックの音がディリエの部屋に響き、リドリーの訪れを告げた。

 白い円の中央に佇むディリエは意を決する。春風に浮かされたリドリーの好きにはさせないと。

 

『ディー、会いに来た』

『帰って』

 

 扉越しの会話は簡潔に終わった。

 リドリーが扉を開けようとしているのが分かる。だが鍵は閉まっている為入ることは叶わないだろう。

 怯えの心に勇気が湧く。このまま春風が収まれば良いとディリエは思った。扉越しであれば彼は私に何も出来ないから。

 

 だがいとも容易く鍵を壊したリドリーを前にして、ディリエの決心は鈍りふて腐れるのは見事に早かった。

 

 

 

「ディー、こっち見ろってば」

「やだ」

「意地悪言うなよ。兄ちゃん困らせて楽しいか?」

「誰が兄ちゃんよ。女神様の誘惑に負けてるリッドなんて弟で充分」

「弟でもいいや。姉さん、ちょっとだけ齧らせて」

「そんな弟いや!」

「……ちっ、そこから出てこいよ、なあ」

 

 始めは効能を疑ったチョークであるが、こうやって一線を越えてこないリドリーの様子からすればきちんとその役目を果たしているらしく、リドリーの魔の手からディリエは守られていた。……物理的には守られているが、視線や言葉からは守られてるとは言えないが。

 

 ディリエのことを悩ましく見つめるリドリーの瞳は熱に浮かされたように濡れ、実際に熱いのか浅い呼吸と共に舌を軽く露出させている。それがぺろ、と上唇を舐める仕草はどう見ても餌を前にした獣の舌舐めずりだった。

 

「ディー」

 

 リドリーはディリエの名を呼びながらぐるぐる回る。隙あらば取って食べてしまおうとするかのように。

 靴を履いていないリドリーはぺたぺたと手と素足で床を鳴らして歩き、尾を左右に小刻みに振ってその興奮を表していた。

 

「可愛いディー。俺のディー。俺のだ。俺だけのディリエ」

 

「ちょっとだけで良いんだ。舐めさせて、味見させて、齧らせて、食べさせて」

 

「辛いんだ。胸が苦しくて辛いよディー。……助けてくれ」

 

 懇願して、哀願して、それでも巣穴から出てこない獲物に、犬がしびれを切らす。

 

「……いい加減にしろよディー。お前を壊したくないから、優しくしてやりたいから、お前から出てくるのを待ってるのに」

 

 苛立ちに喉を唸らせるリドリーを、ディリエは頑なに見ようとはせず、更にリドリーを苛立たせた。

 

「こっちを見ろって言ってるだろ!!」

 

 ぎゃんぎゃんと怒りのまま吠え立てる犬を五月蠅く思いながら、ディリエは窓の外の様子に耳を澄ましていた。

 陽は傾き、風の勢いも大分収まっているように思う。このまま風が止めばリドリーも落ち着きを取り戻してくれるだろう。

 ディリエは風が止むのを待っていた。彼の言葉を極力聞かぬようにして、春風が止むのを待っていた。

 

(リドリーが言ってる言葉は全部、彼の本心じゃない。言わされてるだけ、熱に浮かされてるだけなんだから。風が止んで落ち着きを取り戻したら、いつもの彼に戻ってくれたら、そしたらいっぱいいっぱい文句を言ってやるから覚悟しておきなさいよ)

 

 正気を失ったリドリーから酷い言葉も掛けられているが、ディリエは耐える。見ぬふり、聞かぬふり、知らぬふり。耳は外の様子に集中して、早く時が経てばいいとディリエは思った。

 

 そしていつしかリドリーは静かになり、ぽつんと呟いた。

 

「……嫌い、か?」

「……え?」

「ディーは、俺が嫌いか?」

 

 弱弱しい言葉に切ない声。思わず顔を上げたディリエは、リドリーが泣いていることに気が付いた。

 

「リッド……」

「ごめんな……怖がらせて、ごめん……」

 

 静かに涙する幼馴染の姿にディリエの胸が痛む。風はまだ僅かに吹いているから、リドリーが正気に戻ったわけでは無い。完全に止むまで、彼が正気に戻ることはないのだから。

 分かっているのに、この胸の痛みはどうしたことか。

 本気で悲しんでいるリドリーがいる。大切な幼馴染が泣いている。駆け寄って、抱きしめて、慰めてあげたい。そう思うディリエの心が鬩ぎ合った。

 

 ――これは演技だ。いいえ、いつものリドリーよ。泣いて誘って私をこの円から出そうとしているだけ。違う、正気に戻っただけよ。

 

 ディリエが葛藤する間もリドリーの涙は止まらない。

 

「こんなはずじゃなかったんだ……ここに来るつもりなんて……」

 

 胸を押さえ、苦しげな声を上げながらリドリーが蹲った。自分を罵る言葉と共にディリエに対して謝罪を繰り返すその姿に、ディリエがゆっくり首を振る。

 

「ごめんよディリエ……。お前を怖がらせたくなかった。俺は俺が許せない……!」

「リッド、泣かないで。貴方は何も悪くないし、私も気にしてない。春風が収まれば全部元に戻るから、だから落ち着いて」

 

 白い線を挟み、ディリエはリドリーの傍まで寄った。手を伸ばせばすぐ届く場所に身を置いて、肩を震わせている幼馴染を励ますと、彼は涙に濡れた目でディリエを見た。

 

「ディー……、俺は……」

 

 涙で煌めく瞳は正気を湛えているようにも見える。耳を澄ませば風の音も静かになっていた。

 ディリエはようやく春風が終わりを迎えたと思い微笑んだ。

 

「酷い顔ね、リッド」

 

 リドリーの頬をほろほろと流れる涙を拭おうとしたディリエの手、それはリドリーが突破出来なかった白の境界を越え、彼の頬へと伸ばされた。

 

「ディー……」

「おめでとうリッド。貴方は初めての春風を乗り切った」

 

 優しく涙を拭う指の感触に目を閉じ自分からその手に頬をすり寄せたリドリーは、優しく優しく、ディリエの手を己の手で包み込んだ。

 

「リッドがこんなに泣き虫だったなんて知らなかった。春風は相手の知らない一面も覗けるのね」

 

 壮絶な体験をしたであろうリドリーを安心させるべく、ディリエは彼の好きにさせた。まるで子供時代に戻った時の様に彼は彼女に甘えるのだった。

 

 

 

 

 

 ……だが、最初は懐くような頬ずりをしていたリドリーが、不審な動作を繰り返す。

 掴んだディリエの手を頬から滑らせて己の鼻と口を覆わせる。そして、すん、と鼻を鳴らした。

 

「ああ、ディー。ディーの匂いだ。甘い、甘い匂い……」

「……リッド?」

「とても甘い……女神の吐息よりもとても、とても甘い匂いがする。なあ、舐めてもいいか?いいよな?ちょっとだけ、ちょっとだけだから」

「リッド……!」

 

 先程の狂気が戻ってきたような豹変ぶりだった。優しく掴んでいた手は今や痛い程握り締められ引き剥がすことが出来ない。

 終わったと思った春風はまだ吹いていたというのか。

 

「やっと巣穴から出てきた。やっとだ。待ちくたびれた」

「止めてリッド!っきゃ、」

 

 ずるりと腕を引っ張られて円の外へと引きずり出された。ディリエが誘い出された先、それはリドリーの腕の中。

 震える兎を抱えた犬は柔らかな身体を抱きしめて肩に顔を埋めて、深くディリエの纏う空気を吸い込んだ。

 

「柔らかい。良い匂い。……お前の匂い、好きだな。お前は?俺のこと嫌い?答えてディー。俺のことどう思ってるんだ?ただの幼馴染?隣に住む都合の良い雄?それとも兄?弟?……おかしくなっちまったこんな俺のことなんて愛想尽きた?……なあ、早く言えよ。早く教えろ。……いま答えてくれなきゃ」

 

 ―――ひどいことするかも。

 そう吹き込まれる言葉を受け、弾かれたようにディリエは身を捩った。

 

「っリッド!おかしくなろうがどうしようが私も貴方が好きよ!でも今の貴方は正気じゃない、貴方にこんなことさせたくないの!お願いだから止めて……!」

 

 ディリエが泣き出しそうな声で叫ぶ。

 ここまで頑張ったというのに、最後の最後で大好きな幼馴染に傷付けさせてなるものかと声のあらん限りでリドリーを止めた。

 

 

 

 

「……っぷ」

 

 くっくっく、とディリエの鼓膜が揺れる。身体も小刻みに揺れていた。

 

「…………リッ、ド?」

「あっはっはっはっは……!」

 

 ディリエを抱えたまま、リドリーは爆笑していた。

 

 ひいひいと腹を捩じらせ、目尻に新たな涙さえ浮かべて。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

「ひどい……騙したの!?」

 

 憤慨するディリエを宥めすかすリドリーはすっかり正気で。

 それどころか上機嫌に緩んだ表情でディリエに許しを乞うていた。

 

「ごめんごめん。あんまりディーが可愛くて、つい止まらなかった」

「つい、で済んだら警察いらないんだけど!?……いつ正気に戻ったの?」

「あー、お前の手が伸ばされた辺りかな……」

「じゃあ手を引っ張った辺りからの狂気じみた行動は全部演技だったってこと?本気で怖かったんだから」

「悪かったって」

「リッドなんて知らない!大っきら…」

「ディー?」

 

 とん、と人差し指で彼女の唇を押さえ、彼は最後まで言わせなかった。

 その言葉は冗談でも聞きたくないと、ディリエを優しく抱き寄せた。

 

 春風に吹かれたリドリーを支配したのは、全てこの愛しい雌のことだけだった。他が入る余地も無く、みっしりとリドリーいっぱいに詰まったディリエ。自分にはこの雌が必要だ、と熱に浮かされながら彼はずっと考えていた。

 

 腕の中でふて腐れているディリエの頭を幾度か撫で、リドリーは自分の胸を押さえた。

 

「春風の間中すげえここが苦しくてさ。なんで苦しかったのか、熱に浮かされてる間は分かんなかったけど、今なら分かる」

「……どうして?」

「俺たち兄妹のように育ったから、心のどこかでお前のことを好きになったらいけないような気がしてた。禁忌をおかしてるみたいでさ。でもそんなの、他人なんだから好きになったって良いじゃないかって、何も悪いことはないんだって、春風に吹かれた途端に全部吹き飛んだ。それでずっと溜め込んできたディーへの思いで溢れすぎて、張り裂けそうだったんだろうな……」

 

 一呼吸置いて、リドリーが身体を離す。ディリエと視線を合わせた彼の瞳は澄んでいて、あの怖ろしいまでの狂気に駆られたリドリーはもうどこにもいなかった。

 

「俺はお前が好きだ、ディリエ」

 

 正気のリドリーが、愛を告白する。

 これまでの兄妹のような親愛とは違う、女神の吐息をその身に浴びて自覚した恋心。心の中に確固たる情愛を持ってディリエに愛を告げる。

 

 リドリーは「お前もだろ?」と眩しいような笑顔でディリエに問うた。先程の盛大な告白の言質もあるから言い逃れは出来ない。しかし、ディリエは首を振った。

 

「……言わない」

「何でだよ。さっき聞いたぞ」

「言ったけど……、あれは違う」

「違わない、お前の本心だ。もう一回聞きたい」

「だめ。……私がモレア月をちゃんと迎えられたら、言ってあげても良いけど。それまではだめ」

 

 ディリエの言い分にリドリーの開いた口が塞がらない。

 

「ちょっと待て。お前、四月後って……マジで言ってる?」

「マジも大マジ。それまで待っててね、お兄ちゃん」

 

 この上なく可愛らしい笑顔で、兎は犬にお預けを命じた。

 

 ディリエもまた、リドリーと同じような試練が待っている。

 成人を迎えた者は皆、雄はユタナ月を、雌はモレア月を越さなければ真に大人とは言われない。雄と雌はそれぞれ女神と男神の祝福を受けてようやく大人の仲間入りとなる。それを越えなければ大人とは見なされず、異性に愛を告白することは出来ないのだから。

 

 ディリエの言葉に「マジかよ」と焦るリドリーの姿は、どちらに主導権があるかが既にはっきりとしている。

 成人の折、雄が雌より一足早く大人の仲間入りをするのは忍耐力を鍛えるためだ、とする説を唱える学者もいるようだが、この二人の様子にそれはあながち間違ってはいないかもしれない。

 

「リッド、それまで我慢できる?」

「……おー、やってやろうじゃねえか。そのかわりモレア月の慈雨が降ったら俺のところに絶対来い。必ず来い。いや、俺が襲いに行く。マジで行く。待ってるだけなんて性に合わねえ、首洗って待ってろよ」

「喧嘩するんじゃないんだけど!……でも、そっか。アモレア様もそれくらい積極的だったら、ナユタナ様の気持ちも通じたのかな?」

「さあな。消極的に考えすぎる男の気持ちは俺には分からねえよ。好き同士なのに一緒に居られないなんて決断下す意味が分かんねえ」

「そうだね。早くナユタナ様の想いがアモレア様に通じると良いね」

「俺らみたいにな」

「……気が早いってば」

 

 

 

 女神ナユタナの想いが今年こそ男神アモレアに届くか否か、それは彼の神のみぞ知る。

 ディリエとリドリーの二人の恋の行方も、また然り。

 

 

 

 

 

 

 

 


虎と狼の世界観で犬と兎のお話。

春と言えば、恋の季節、ということで。


お粗末様でした!

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