猫の集う家
キーワード:猫又・風呂嫌い・大吉さん
人々が口を揃えて曰く、
その家がいつからあるのか。
その家の持ち主は誰なのか。
その家に何故猫が集まるのか。
それらの答えを知る者は誰一人としていないという―――。
***
ばたばたばたっ、ぎしぎしぎしっ。
朽ちかけの古民家を更に壊そうとしているかのような荒々しい足音が家中のあちこちから響いている。
「やあ、今日はあの日じゃったか」
「賑やかしいことこの上ないねえ」
「まったくまったく」
好々爺然とした三つの声。これまた朽ちかけの縁側にてそれぞれが思い思いに笑い合っているのだが、その姿はヒトではなく。
三角の耳にふさふさの毛、ゆらゆらと振られる尻尾を持ち暖かい陽射しの下で日向ぼっこをしている、猫が三匹。
今まさに死活問題の真っ最中である彼の方を思い浮かべながら各々毛繕いをしていた。……ヒトの言葉を喋りながら。
「いい加減に観念すれば良いものをな」
腹の毛が気になる様子のキジトラがそう言えば、
「そこはほれ、御大の矜持が許さんのだろうよ」
尻尾の先を整えていた茶トラがそう返す。
「御大の場合は矜持というより、単に面倒くさいだけじゃろうて」
右の前脚を持ち上げた姿でそう言った灰銀色に、キジトラと茶トラは「違いない」と声を揃えた。
三匹を取り巻くほのぼのとした雰囲気に反し、彼らの背後から聞こえる音が差し迫る。
「そら、毛を逆立てた御大のお出ましだよ」
「そこを退けぇぇえええええええええ!!!!!」
叫び声と共に縁側に座る三匹の頭上高くを飛び越えて来たのは、話題に上っていた面倒くさがりの、彼らが御大と呼ぶ黒い猫。
それは見事な放物線を描いて荒れた庭へと飛び出して行くその姿を、三匹は揃って首で追っていく。
彼らから御大の黒い腹が丸見えになった、その時。
「銀さん確保!!!」
黒い猫を追ってきた若い女の声が鋭く命を発する。
灰銀の猫は「承知」と言うや否やその手を驚くような速さで伸ばした。
黒い猫に伸ばされたのは、灰銀の被毛に覆われた愛らしい肉球が付いた手ではない。滑らかな皮膚を晒した五本指の人間の手、だった。
あっという間の出来事に、「ようやったぞ、銀」「これは逃げられんの」とキジトラと茶トラが賛辞を贈る。
「確保じゃ」
両手に掴んだ黒猫をぶら下げて、満足げに笑うその声は灰銀の猫と同じもの。
けれどその姿は猫ではなく、猫だった面影を残したある部分を除けば、ヒトの男性と同じ姿をしていた。
「離せ銀次! 後生だからこの手を離してくれ!!」
じたばたと身を捩る黒猫にも動じず、銀次、と呼ばれた男は相好を崩して自らが御大と呼んでいる黒猫をぶらんぶらんと揺らした。
「風呂が怖いなんて、御大にもかわいらしいところがあるもんじゃの。 我等よりよっぽど年を喰うておるのに仔猫のようじゃ」
「ほんにのう。 乳飲み仔もここまで怯えはせんぞ」
「乳でも飲ませれば大人しくなるかね? ああ、ワシは元雄だから乳は出ないわなぁ」
「残念」
「残念」
「好き勝手言いやがって! てめえら泣かすぞ!」
好々爺三匹の笑い声に黒猫は毛を逆立てて威嚇するも「可愛い、可愛い」と言われて相手にもされず。
こうなったら、と鋭い爪で己を掴んでいる手を引っ掻こうとした時、黒猫の身体を後ろからひょいと掬われてしまった。
ふわんと甘い香りがする柔らかな感触。思わず、といった体で銀を引っ掻くために出した爪でそのままがしりと柔らかな膨らみを覆うその布を黒猫は掴んでいた。
「ナイス銀さん! はい、これ着て下さいね」
「すまなんだ春花嬢。 まだ慣れぬせいで元の姿に戻るまで時間が掛かるのが難点じゃ」
黒猫を胸に携えた春花と呼ばれた若い女は銀次に畳まれた浴衣と帯を差し出した。極力銀次の方を見ないようになのか、顔を背けている。
それもそのはず、人型となった銀次は今、一糸まとわぬ全裸なのだから。
春花から受け取った浴衣を手にした銀次はそんな春花の様子に苦笑した。
「爺の汚い身体を見せて済まないね」
「そうだぞ。 早く隠さんか」
「爺の全裸なんて若い娘さんの目に毒だわ」
「いえいえいえ! 目に毒どころか保養になっちゃってこっちこそすいません、……って私何言ってんだ!」
ぶんぶんと真っ赤になった顔を振り必死に否定する春花の姿に、彼女の胸にしがみ付いている黒猫は面白くなさそうな表情である。
齢二十を越えて猫又となり好々爺然としている老猫の銀次であるが、そのヒトの姿は若々しいもので。十代から二十代にかけての若者といった風情だった。
灰銀の被毛は頭髪となり、またその頭髪からは同じ色の毛に覆われた三角の耳が覗き、腰の裏辺りから見える二本の細長いものは尻尾だ。
今の銀次の姿は、猫耳猫尻尾を着けた古くさい喋りかたをするパンクファッションを好みそうな若者全裸バージョン、というところだ。とんだ変態である。
また、そんな変態な銀次を蔑むのではなく、むしろ羨ましそうに見ている者がいた。
見た目の年齢が似通った春花と銀次が並んだ姿は、己のヒト型と並ぶよりも良く似合っている、と。黒猫は苦虫を噛み潰したような表情を誰にも見られぬように春花の胸元に顔を埋めた。……まあ、そんな思いも春花の胸に顔を埋めれば黒猫にはどうでも良くなってしまうのではあるが。
柔らけえなぁ、良い匂いだなぁ、なんて不埒な黒猫の手が揉みこむような動きになってしまうのはいつものこと。
また黒猫に乳を揉まれることに頓着せぬ春花は、
「それじゃあ私、大吉さんをお風呂に入れてきますね」
それはもうにこやかな声で、黒猫こと大吉に最後の審判を下した。
「ぃぃいいやだあぁあああああああああああああぁぁぁぁ」
「うるさいですよ大吉さん。 文句言わないで下さい」
「やめろやめろやめろ! 俺は風呂になんて入らなくても構いやしねえ!!」
「私が構います! ……ほらぁ、大吉さん、ちょっと臭う……」
「!? 嫁入り前の娘がどこ嗅いでんだぁあ!」
「叫ばないで下さい。 ご近所迷惑ですよ」
「ご近所なんていねえええええええぇぇぇぇ……」
ぴしゃり。
浴室への扉が閉じられて、憐れ大吉はこの先水責めの泡責めのくすぐり地獄に落ちるのだと。
縁側に残った三匹は静かに黙祷をするのだった。
「……ま、あれじゃ。 なんだかんだ言って御大も本気で逃げる気があるなら幾らでも手はあるのに」
「そうしないってことは嫌よ嫌よも好きの内、ってことかのう」
「違いない」
「違いない」
吸い込まれそうな青い空の下。
呵々大笑する猫二匹と猫耳の青年一人の声が高らかに響いた。