また旅
死にたがりを追う男
奥深い森の中で獣が食事をしていた。
地面に転がる骸に向かい、一心不乱に牙を立て肉を引きちぎる姿は餓えに餓えているといった様で。
肉や内臓はもちろんのこと、骨まで食らおうとしていたその時だ。
「そこまでにしとけ」
唐突に、低い声が獣の動きを止めた。ふわりと獣を取り囲むように白い煙が辺りを漂うと、びくんと身を竦めた獣はそのまま動かなくなった。
掛けられた声に警戒をしているーー訳ではなく。獣の活動が不自然に止まったのは、口から泡を吹き出し痙攣を起こしているからだった。
そんな獣の背後に近付く細身な影。ここは森の中だというのに火の点いた煙管を吹かしているようだ。
「一足遅かったかね……」
やれやれと小言を溢す唇から吹き出される細い煙にまじないを乗せて更にもう一度獣へ向けて吹き掛ければ、獣の身体は音を立てて地に伏した。猛毒の呪いとなったそれでもって声の主は獣を仕留めたのだ。
声の主は外套を着込み、フードを目深に被った背の高い男だった。
彼は殺した獣をぞんざいに退かし、「ったく、面倒掛けさせんなっての」と呆れた声でそう溢しながら屈み込んで、着けていた皮の手袋を外し、両の素手で掴んだのは骸の頭蓋骨。
今まさに食い荒らされたばかりという生々しい様相の骨に向かい、男はふにゃりと笑み、親しみのこもった声を掛けたのだった。
「……よう。今回こそは惜しかったなぁ。あともうちょいってとこだったか? ……まだあったけえのは、こン中に詰まってる部分が手付かずだからかね」
肉片がこびりつく頭蓋骨の、目玉を獣に食われ失ったことで虚となった暗い穴を覗き込みながら、男はなでりなでりと骨を撫でる。
男の言葉が示す通り、彼が触れている頭蓋骨がまだ仄かに温かいのは骸の熱か、それとも獣に移されたものか。
「俺が来るのを待っててくれたか? それとも隠れる前に俺が来ちまったってところだったか?」
そういう奴だよなお前って、という男の呟きに返事をかえす者などいない。だというのに男はふひひとでも言わんばかりの楽しげな声色で歌うように独り言を続けた。
「まあいいさ。次は。次こそは。今度こそーー」
お前自身がその身を獣に食わせるその前に、
「俺が守ってやるからな」
その身を、
その命を、
あらゆる全てから、
己の全てを賭してーーー
「愛してるぜ」
男が恭しく骨に口付けを施そうとして、だが骨は男が触れる前に、ざらりと砂になって崩れてしまった。
男の手の中の頭蓋骨だけでなく、地面に散らばるその他の部位もだ。
「…………意地悪なやつ。ご褒美のひとつくらい寄越せってーの」
残念そうに呟いた男は手に残る砂を見ながらため息をひとつ吐き、そしてぐっと力強く手のひらに爪を立てるように握りこんだ。じわりと滲む血に浸る愛しい者の残骸に、男は恭しげに、そして恋い焦がれるように、そっと唇を寄せた。
温度も匂いも何も無いただの抜け殻だ。それでも男は目を閉じ眉を寄せ、溢れ出そうになる感情を抑え付けながら名残を惜しむ。
程なく、何らかの作為を感じる突風が男を吹き付けて手の中の砂も地面に広がっていた何もかも全て巻き込んで通りすぎていった。
「……またな」
風に浚われていった愛しい人へ再会を約束する。男がこれまで何度も口にした言葉だった。約束したとて会えるかどうか、その願いは長らく叶っていないのだが。
けれど暫しの別れを告げた男の表情はなお明るい。
フードを深く被り直して男は風の向かった先に歩を進めた。
ーーさて、次は何処に生まれ出でるのか。
鼻で歌う男は頭の中に地図を広げ、次はこの辺りを狙うか、等と当たりをつけてまた捜索の旅に向かう。
「次こそ見てろよ。その横っ面ぶん殴ってやるからな」
思い切り殴って、言葉の続く限り詰って、とびきりの愛を囁かせろ、と。
愛しい人をその腕に抱きしめる日を夢見ながら、男は旅を続けるのだった。




